錯覚
つぶやき終える頃には、だいぶ心も回復してきて、今ではまた自分の優位を感じはじめていた。
授業は先生の話へと移り、行儀よく聞いてさえいればよくて、特にすべきこともない、ある種の自由時間に入っていた。
落ち着いてみると、眼にしたのは本当に最新機種だったろうかと疑問になった。怪しい気がする。
実際、柚菜が視認できたのはほんの一瞬のことである。
あのひとコマのあいだに見たものをそれと決めてしまうのはどうなんだろう。それにちゃんと見せてもらったわけでもない。
そう、たしかにデザインは違っていた。スマホケースのデザインは昨日のそれとは違っていた。けれどそのせいで、中に収められているものが別なのに見えても不思議はない。
彼女は可愛いものが好きだったから、そういう品にはすぐに反応したし、眼が利いた。
最新機種のデザインを思い出そうとしたものの、浮かばなかった。しかしよくよく考えるまでもなく、デザインは旧タイプとそう変わらないはずなのに気がつく。
彼女が今使っているのだって、その前に持っていたのと、目立つほど、いや、わかるほどの違いもなかったのである。
これだって最初は洗練されているように感じた気もするけれど、前の機種を最後に見てからだいぶ経つ今となってはもうはっきりしないし、カラーも好きなのとなると、結局同じような色を選ぶことになったから、記憶の中でほとんど一つに溶け合っていた。
──じゃあやっぱりあれは見間違いなのかな。
柚菜は可笑しかった。
新しいのが欲しいのは確かなことだけれど、それが最新機種の方なのか、それともスマホケースの方なのかがわからない。今にして思えば、どうして瓔子の新しいスマホケースを見るまで、自分のそれを気にしていなかったのかと不思議になる。
買うつもりだったのかはもうよく憶えていないが、以前にはブログや通販サイトへ頻繁にアクセスしている時期があったし、学校帰りにお店に寄ったりすると、よく手に取って比較したりもした。
「ねえ、見てこれ、可愛くない?」
「それめっちゃ可愛いね」
「見て見て、こっちも可愛いよ」
「え、ホントだ、そっちもいいね」
などと二人でキャッキャッしつつも、いつもそこから先へは進まずにいたのは、となりの瓔子が、自分のより地味なのを使っていたからだろうか。
あの頃から瓔子は、密かに可愛いのを狙っていたのか。あるいは、柚菜がどれを可愛いと判断するのか、それとなく観察していたのかもしれない。
柚菜はそのときの瓔子の顔を思い出そうとした。が、浮かんできたのはいつもの愛らしくて憎めない表情であった。
しかしここまで想像を進めるうち、瓔子に対していらだちを感じる反面、得意にもなっている自分を知った。
──やっぱり瓔子はわたしのことを気にしてる。
それはそうだよね。わたしに可愛いと思われたいから。褒めてもらいたいだけだったりして。もしかしたら、今になって、買ったことを後悔しているのかも。本当は見せるつもりだったけど、急に怖くなっちゃったのかな。
そのような妄想は柚菜のプライドを快く揺すった。今日の事件が起こる前よりも、自身の立場が鮮明になって、支配構造がより明確化されたようにも感じる。
彼女の知らないところで、彼女が意識されており、彼女を目標とする女の子がいる、あるいはもっと率直に、わたしは憧れられている、と認めるのは心地よかった。
けれどそう考えるのは今日が初めてではなかったし、これまでもそのたびに一種の暗い喜びに浸ったものだったが、今回に限って心が躍るほどであるのは、彼女はそれとは気づかなかったのか、あるいはその考えを努めて避けていたのか、判然とはしないけれども、やはり今日の事件で降りかかった不安からの開放が、大きく関係しているらしかった。
柚菜は今では瓔子が愛しくなっている。
瓔子が発音を聞いてきたらちゃんと教えてあげよう。もちろん彼女の方から指摘するつもりはなかった。そんなことをすれば、瓔子を馬鹿にしていると思われてしまう。
柚菜は自分が上であることを確信しつつも、それが表に出ないよう、日頃から気をつけていた。
不安が過ぎ去ると、今度は感傷へと没入しはじめた。柚菜は、少女漫画にでてくるような、親友を許してあげる優しいヒロインを思い浮かべ、それと自分とを重ね合わせて満足すると、次は黒板の方を向いて、まだまだ続きそうな先生の話に、ぼんやりと耳を傾けた。