最終話 絆を繋ぐ音
その後、時音は一週間ほどベッドに縛り付けられた後にようやく寮へ戻ることを許されて授業にも復帰した。
体調も完全に回復している。怜二はいい顔をしないが体育も普通に参加するようになった時音だったが、しかし以前とは確実に変わってしまったことが一つだけあった。それは――
「それじゃあ、魔法実技訓練の授業を始めます」
そう言った亜佑の目の前にいる生徒は三人。御影と怜二、そして時音だった。
あの事件の後時音の体に変化が起こった。時属性が消失し、その代わりに彼女の属性は光属性になってしまったのだ。魔法力をほぼ完全に使い切った体に大量に光の魔法力が注がれた結果、彰人が闇属性に呑まれたように時音も元々の属性が書き換えられてしまったのだ。
それに対して周囲は貴重な時属性が失われてしまったことに嘆いたり、はたまた人工的に光属性を作り出せないか躍起になったりと様々な反応であった。ちなみに後者はあまり上手く行っていないらしい。時音の場合、本当に死にかけるほど元々の魔法力がなかったからこそ光に変わってしまったのだろう。
そういう訳で時音は新しく光属性の魔法を一から覚えることになってしまい、しかも今までの時属性とは勝手が全く違う為に非常に苦労していた。だが怜二が付きっ切りで……スパルタで教えてくれる為、時音もそう悪くないかな、と密かに思っている。
そうして目まぐるしく進む毎日に必死に食らいついていた時音は、久しぶりの休日に外出許可を申請して学園の外に来ていた。
「……」
「……」
時音は重苦しい空気の中、うろうろと視線を彷徨わせながら目の前――ガラス越しに座る男を窺っていた。
色々な騒動が落ち着いてようやく時音が出掛けた先は、警察に捕まっている彰人の所だった。が、いざ面会となって顔を合わせて見ると何から話せばいいのか分からず、しばらくの間沈黙が続いている。部屋の隅に立っている監視員もその空気に釣られるようについ息を潜めてしまっていた。
「何をしに来た」
重たすぎる沈黙を最初に破ったのは彰人だった。無表情でじっと時音を見据えた彼が低い声でそう問いかけると、時音はようやく呼吸が出来るようになったとばかりに大きく息を吸って居住まいを正した。
「……あなたと、話を」
「話だと」
は、と息を吐くように笑った彰人が鋭い目を時音に向ける。
「お前、俺が何をしたのか忘れたのか。何度もお前を浚って、タイムマシンを使って苦しめたというのに」
「忘れてなんか」
「なら何故話などしに来た? それとも……仕返しにざまあみろと笑いに来たのか? 結局俺がやって来たことは全て無意味だった。未来は変わらず、あいつは望んでそれを受け入れた。……馬鹿みたいだろう」
「違う!」
自嘲するようにそう言った彼の言葉に、時音は思わず目の前のテーブルに両手を叩き付けて叫んでいた。
「無意味なんかじゃない! だってお母さん、あんなに幸せそうだった! あなたにもう一度会えて嬉しかったって、そう言ってたのあなたの方こそ忘れたの!?」
「……」
「だから、無意味なんかじゃなかった。絶対に」
「なら……何の話だ。俺はあいつ以外どうでもいい。たとえ血が繋がっていようと、俺はお前を娘だと思っていない」
「……だったら、どうして庇ったりなんてしたんですか」
いきなり降って湧いたように娘がいるなんて言われて、すぐに認められるはずがない。本当の両親を探していた時音とは違う。彼女もそれは分かっているのだ。彰人に否定されて全く傷付いていない訳ではないが、しかしならばどうして身を挺して時音を助けたのかと尋ねずにはいられなかった。
「あなたから見たら私は、大事な人の命を奪った存在です。それなのに、自分が死にかけてまで、私を守ってくれた。それは、どうして」
「……知るか」
「え?」
「知るかと言ってるんだ。ただ……体が勝手にそうしただけだ」
ふい、と彰人がどこかばつが悪そうに視線を逸らす。本当に、あの時は何も考えている余裕などなかった。ただ影人が時音を殺そうとしているのを見た瞬間、無意識のうちに庇ってしまっていた。
あやめが自分の命を懸けて守った命。それを見殺しになど、彰人には無意識にだって出来やしなかった。
「お前こそどうして俺を助けた。放っておけば俺はあのまま死んでいた。裏世界に置いていけばよかったんだ。どうせもう、俺が生きる理由なんて無くなったんだからな」
「……そんなの、決まってる」
「あ?」
「あなたが認めなくても、私にとってはようやく見つけたもうひとつの家族だから。……それに、あなたが死んだら絶対にお母さんが悲しむ。ほんの少ししか一緒に居られなかったけど、お母さんはあなたのことが好きで好きで仕方が無いみたいだから」
「……」
彰人さん、と微笑む母親の顔を思い出しながら時音が伝えると、目の前の男は複雑そうな表情で黙り込んだ。
「あの……お母さんってどんな人だったんですか」
「……あいつは」
言葉を探すように目を伏せた彰人は頭の中で最愛の人を思い出す。そして目の前の娘だという少女を見て、思いつくままに口を開いた。
「魔法が下手だったな」
「え?」
「最初は時間感覚が殆どなくて、ストップウォッチを見る度に嫌そうな顔をしていた。それに、体が弱い癖にすぐにはしゃいでよく熱を出していた」
「そう、だったんですか」
「年の割に子供っぽくて、世間知らずで……よく笑うやつだった。それがお前に……」
「?」
「いや、なんでもない」
「そろそろ面会時間を終了します」
何かを言い掛けた彰人に時音が首を傾げていると、腕時計に目を落とした監視員が時音に退室を促して来る。もうそんな時間なのかと同じように懐中時計を確かめた時音は名残惜しいが椅子から立ち上がった。まだ話を聞いていたかったが面会時間は決まっているので伸ばすことはできないのだ。
「また来ますね」
「……」
返事はなかったものの、時音はそのまま彰人に背を向けて部屋を出て行こうとする。……しかし扉を開ける直前、時音は少々緊張したような面持ちで一度背後を振り返った。
「あの」
「なんだ」
「……お父さん、って呼んでもいいですか」
振り向いた時音を鋭い視線が射貫く。眉間に皺を寄せ酷く厳しい表情の彰人に思わず萎縮してしまった時音は、咄嗟に今の言葉を撤回しようとした。
が、彼女がそれを告げるよりも、彰人が不機嫌そうに口を開く方が早かった。
「勝手にしろ」
「え……」
言うだけ言って、彰人は椅子から立ち上がってさっさと面会室から出て行ってしまった。呆気に取られた監視員が慌てて後を追いかけて行き、そしてこの部屋に残ったのは時音一人になった。
「……」
すたすたと歩く彰人の背後から監視員の怒声が聞こえてくる。しかし彼はその声を気にも留めず、数ヶ月前の出来事を頭の中で思い返していた。
八月のお盆の時期、まだ怪我が完治していなかった頃だ。学園から時音が外に出たのを知った彰人が彼女を追いかけ、しかし体の状態から誘拐はまだ困難と判断して祭りの人混みに紛れて偵察していた時のこと。
何やら沢山の菓子を抱えて隣を歩く少年に笑いかけていた時音を目にした彰人は、その一瞬まるで時間が止まったかのような感覚に陥った。
少し照れたように笑った少女の顔が、記憶の中の彼女の笑顔と綺麗に重なったのだ。気のせいだと思ったが、しかしどこかでずっとその表情が引っ掛かっていた。
時音はあまり両親に似ていない。どちらかと言うと部分的なパーツは彰人よりで、あやめに似ている所は殆どない。だが、それでも。
「……笑った顔が、あいつとそっくりだったんだよ……時音」
「怜二、ただいま」
「ああ、戻って来たのか」
彰人との面会後、学園に戻ってきた時音が足を進めた先は怜二の居る音楽室だった。バイオリンを手に振り返った怜二の傍に向かうと、彼は時音を見上げて少しだけ躊躇うような素振りを見せた後に口を開いた。
「……どうだったんだ?」
「ちゃんと会えたよ。それで、少しだけお母さんの話が聞けた」
「そっか、よかったな」
嬉しそうな時音の表情に怜二のほっとして息を吐いた。実の父親とはいえ自分を誘拐した犯人に会いに行くと聞かされた時、本当に大丈夫なのかと何度も問い詰めたものだったが杞憂だったらしい。
「お母さん、魔法得意じゃなかったんだって。時間を計るもの苦手だったって」
「お前とは正反対だな」
「だって私は生まれた時からずっと聞いてたしね」
時音は懐中時計を取り出してじっと見つめ、そして耳に押し当てて目を閉じた。何も変わらない、いつも通りの規則的な音がカチカチと耳元で聞こえてくる。
父親から母へ、そして母から時音へ渡った、家族を繋げる大切な音だ。
「……なあ時音。お前、時属性がなくなって後悔してるか?」
「ううん。お母さんからもらったものだから少し寂しいけど、でも後悔なんてしてない」
「ならいいんだが」
「いきなり新しく光属性を習うのは大変だけどね。でも頼りになる先生もいるし」
「ふん、そう思うんならもっと俺を敬えよ?」
少し偉そうに鼻を鳴らした怜二に、時音も「はーい。いつもご指導ありがとうございます、先生」と軽口を叩いた。
「ところで先生、もう弾かないの?」
「弾いてやるからありがたく思え」
調子に乗ったようにそう言ってにやりと笑った怜二が楽譜と向き合う。そうして奏で始めたバイオリンの音に、時音は酷く心地よい気分になってその音に聴き入った。
「ねえ」
一曲終わり、ちょうど音が途切れたタイミングでずっと黙っていた時音が怜二に話し掛けた。
「何だ?」
「この前私が起きた時、何を言おうとしたの?」
ギュイン、と弓に触れていた弦がおかしな音を立てた。
「は?」
ぎこちない動きで時音を振り返った怜二は、動揺して目を泳がせながら「それ今聞くのか」とぽつりと呟く。
「駄目なの?」
「……はあ」
バイオリンを置いた怜二が立ち上がる。そして彼は何故か入り口の扉を開くと半分身を乗り出してきょろきょろと廊下を見回した。
「今度は邪魔されねえよな……」
「怜二?」
戻ってきた怜二は「あー、何というか……」と言葉を濁すと、気まずそうに頬を掻いて窺うように時音を見た。
「……その、だな……」
「うん」
「……」
「ところで怜二」
じっと怜二の言葉を待っていた時音だったが、しかし彼が中々話し始めないまま時間が過ぎると、不意に話題を変えるように時音の方から口を開いた。
「私が死にそうになった時、怜二が私に魔法力を渡して助けてくれたんだよね」
「? ああ」
「じゃあさ……もし私が、その時のこと思い出したって言ったらどうする? 怜二が言ってた言葉も、全部」
「どうするって……あ」
きょとんとしていた怜二の顔が、途端に引きつった。
「まさか」
「……」
そしてそれと同時に、時音も少し頬を赤らめて視線を逸らすようにそっぽを向く。
「……」
「……」
しばらく、その音楽室は何の物音もしなかった。お互いがお互いを窺い言葉を躊躇って沈黙を続けていたのだが、暫く経った後先に堪えきれなくなって叫ぶように大声を上げたのは怜二の方だった。
「だあああもうっ、そうだよ! 俺はお前が好きなんだ! 悪いか! 何か文句あんのか!」
「……ふ、あははっ」
「何笑ってんだよ!」
「だって、顔、すごい真っ赤……っ!」
自棄になって切れ気味に伝えられた言葉に時音は思わず笑ってしまいながらも、怜二に負けないくらい顔が熱くなってしまう。
ああ、やっぱりこの怒った顔も好きだなあ、と時音は改めて感じてしまった。
怜二が羞恥と怒りとよく分からない持てあました気持ちをまぜこぜにして、顔を見られないように時音に背を向ける。
しかし次の瞬間、ふわりと背中に何か温かいものがくっついたのを感じた。
「駄目な訳、ないでしょ」
「!?」
ぴしりと固まった怜二の背後から抱きついた時音が背中に耳を当てる。どくどくと、秒針よりも早い鼓動がすぐに聞こえて来た。
きっと時音の体の中も同じ早さの音を刻んでいる。そしてこの音は、両親や怜二から与えてもらった、時音が今生きている証拠の音だ。
「……大好きだよ」
昔も、今も、そしてこの先も。その音はずっと続いている。