7話 クラスメイト
嫉妬心に任せてつい怜二に怒鳴ってしまった時音は、余計に謝るタイミングを逃してしまったと落ち込みながらとぼとぼと学校の敷地内を一人歩いていた。ひとまず荷物を預けに案内図に示されていた寮へ寄り、それから教室へと足を向けようとした彼女はしばらく歩いた後不意に立ち止まると、途方に暮れた声で呟いた。
「……ここ、どこ」
色んなものに目移りしていたからか、それとも先ほどの怒りがまだ冷めきっていない為冷静さを欠いていたからか、とにかく時音は教室へ辿り着く前に思い切り道に迷ってしまっていた。
寮は正門に近い敷地の端に固まっていたので比較的分かりやすかったが、中等部や高等部、体育館、研究棟など沢山の建物がある中で教室まで向かうのは時音にとって困難を極めていた。一度現在地を見失ってしまったのが痛かった。今どこにいるのかが分からないのである。
正門までは一方向に人の流れがあったが、校内に入ってからは各々目的地が異なりばらばらになってしまっている。一体どこに入り込んだのか、少し狭い通路に立ち尽くす時音の周囲には誰もいない。
こんな風に迷うからあの兄弟にそそっかしいと言われるのだ。時音は置いてきてしまった三葉に心の中で謝りながら、とにかく目印になるものがないかときょろきょろと探し始めた。
「どうかしたのか」
何とか大きな道に出て案内図と辺りを照らし合わせていると、その時背後から低い男の声が時音を呼び止めた。時音の頭よりも随分上から聞こえた声に、彼女は振り返って顔を上げる。
そこに立っていたのは、時音と同じ高等部の制服を着た長身の男子生徒だった。赤み掛かった金に近い茶髪、そして明るい髪色とは裏腹に無表情で静かそうな彼は時音を見下ろして「迷ったのか」と尋ねてきた。
「ちょっと教室の場所が分からなくて……」
助かった、と頷いた時音が案内図で場所を指し示すと、彼はちらりと場所を確認した後すぐに時音に背を向けた。
「俺も今からそこへ行く。着いてこい」
「ありがとう」
淡々とした感情の薄い声でそう言った彼はそのまますたすたと歩き出す。そんな彼に、時音は少し戸惑いながら慌てて後を追いかけた。足の長さが違うからか小走りになりながら彼の隣までやって来た時音は、少々観察するように男を見上げる。
静かな物言いと無表情の男は殆ど感情を見せない。あまり時音の周囲にはいなかったタイプの人間だ。冷静といえば三葉もそうだが、彼は意外と感情豊かな方である。主に辛辣な方向においてだが。
何を考えているのかちっとも読み取れないが、初対面の人間に道案内をしてくれる時点でいい人なのだろう。時音がそう考えていると、不意に前を向いていた男子生徒の視線が下に落ち、時音を見た。
「お前、高校からここに来たのか」
「え、何で分かるの?」
「中等部は生徒が少ないから全員顔を知っている」
「そうなんだ。私、周防時音っていうの。よろしくね」
「鈴原甲斐。中等部からここに通っている」
「鈴原君ね。……ねえ、あのさ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「何だ」
「この学校って……その、本当に魔法とか、学ぶんだよね……?」
時音が恐る恐る尋ねてみると、彼――甲斐は無表情のまま僅かに目を瞬かせた。
二階堂家を信用していない訳ではない。時音も実際に魔法をこの目で見た。だがそれでも彼女は他の人に尋ねずにはいられなかった。本当に魔法が存在して、この学園に通う人にはそれが普通に認知されているのかどうかを。
「何言ってるんだ」
「え?」
「いや、そんな当たり前なこと聞くやつ中々いないから」
一瞬、魔法なんて何馬鹿げたこと言ってるのかと言われたと思ったが、むしろ真逆だったらしい。
「……やっぱり、そうなんだ」
「今まで親や兄弟に魔法を見せてもらって来なかったのか」
「いや……うちの両親は、そういうの使えない、から」
「……珍しいな」
甲斐の言葉を聞いて時音は納得する。本来は皆家族から元々何かしら知識を得てからこの学校へ来るのだろう。だから時音のような質問をする人は殆どいないのだ。
時音は探るようにじっと自分を見る甲斐に曖昧に笑ってみせた。血筋に関係なく突然変異で魔法が使えるようになることは滅多にない、と彼女も潤一から聞いている。しかし時音の場合……産みの親が魔法士だったかどうか、それを確かめる術がないのだ。
「ここだ」
そのまま少し歩いて大きな校舎に入ると、一階にある教室の前で甲斐は足を止めた。ようやく辿り着いた、と時音がほっと息を吐いていると、甲斐は扉を開けてさっさと中へ入って行った。
「あ、鈴原君」
「おはよー甲斐」
少し緊張しながら甲斐に続いて教室に入ると、時音はそれと同時に聞こえて来た声に顔を上げて、そして思わず固まった。
ぱたぱたと甲斐の元へ駆け寄って来たのは二人の少女だ。一人は肩より上のショートカットの元気な印象の女の子。そしてもう一人は反対に長い髪のいかにも女の子らしい――先ほど、門の所で怜二が見惚れていたその子だった。
「ん? そっちの子は?」
「今年から入って来たらしい。迷ってたから連れて来た」
「ここ広いから慣れないうちは大変だもんね」
「は、はじまして。周防時音と言います……」
髪の長い少女に気を取られていた時音がぎこちなく笑って名前を告げると、もう一人のショートカットの少女が明るく笑いながら軽く時音の背中を叩いた。
「そんなに硬くならなくていいって! あたしは真宮寺詠、よろしく!」
「私は常盤華凛だよ。よろしくね、時音ちゃん」
「よろしく……」
にこりと優しげに微笑んだ少女――華凛を見て、時音はすごくいい子みたいだな、と好感を抱きながらも微妙に敗北感を覚えていた。
これで華凛の性格が悪そうな子だったらきっと少し安心していただろう。しかし時音はそんな風に考えてしまった自分に内心嫌気が差した。
「あ」
時音が密かに自己嫌悪していると、その時ちょうど時音の後ろから怜二が教室へと入って来た。
反射的に振り返ってお互い目を合わせたがそれも一瞬のことだ。苛立った表情と共にすぐさま時音から視線を背けた怜二は、その先に華凛――先ほど出会った少女の姿を見つけてぽかんと口を開いた。
「あ、さっきの」
同じく怜二に気付いた華凛が声を上げると、それに他の面々が反応して「知り合い?」と華凛に尋ねる。
「プリント落として拾ってもらっちゃったの。さっきはありがとね」
「あ、ああ……」
戸惑いながらも僅かに照れる素振りを見せる怜二に、時音は無意識のうちに彼から距離を取り、甲斐と詠の少し後ろまで下がって俯いた。
「私、常盤華凛っていうの。これからよろしくね」
「二階堂怜二だ。よ、よろしく……」
「俺は鈴原甲斐だ、こっちは真宮寺詠」
「よろしくね! ほら、時音も自己紹介!」
「……私は」
詠に引っ張り出されるように時音が怜二の前に出る。しかし彼女は怜二の顔を見ることも出来ずに俯いたままだった。
もう話し掛けないなんて言って今朝喧嘩したばかりで、さらに目の前で華凛にでれでれしている怜二を見たくない。
色々と悪いタイミングが重なって何も言えなくなっていた時音が「どうかしたのか」と甲斐に話しかけられたその直後だった。
「おー、ここだな! ……うわっ!」
怜二に続いて更に一人の男子生徒が勢いよく教室へと入って来たのだ。彼は辺りを見回しながらそのまま足を踏み出し、そして何もない場所で勢いを殺さぬまま大きく躓いた。
「な」
男子生徒に気が付いた怜二が振り向く前に、彼は目の前にいた怜二を下敷きにするように思い切り倒れ込む。
「ちょっと、大丈夫!?」
派手な音を立てて倒れた二人を、詠達が慌てて助け起こそうとする。そして怜二はよろよろと立ち上がりながら、いきなり自分を押し潰した男を見て目を吊り上げて声を上げた。
「な、何なんだお前は!」
「いったた……あ、悪い悪い! ちょっとうっかり」
自分の体を擦り、突然現れた少年は怜二に向かってぱん、と手を合わせて謝る。そうしてようやく立ち上がった彼は周囲の人間を一通りぐるりと眺めてから、少し童顔なその顔で元気よく笑って見せた。
「俺、高等部からここに来た椎名御影だ! 皆よろしくな!」
教室中に聞こえるような声でそう言った少年に、至近距離にいた怜二が煩そうに眉を顰める。しかしそんな彼の表情を全く気にしていない様子の御影は、手当たり次第といった様子で次々に近くに居る生徒に握手を求めた。
「何か元気な人だね」
「ああ」
時音が様子を窺いながら甲斐と話していると、ちょうど目の前で御影が華凛に手を差し出した所だった。自分に伸ばされた手に、華凛は少し驚きながらも自分の名前を名乗って手を伸ばす。
「さっそく可愛い女の子と知り合いになれた! よろしくな、華凛!」
「え、」
ぶんぶんと握った手を上下に動かしながらにかっと笑ってそう言った御影に、華凛は顔を真っ赤にした。
そして、そんな二人を見た怜二がブチ切れかけたのは言うまでもなかった。