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68話 奇跡の邂逅


「お嬢様、本当に……本当に申し訳ありませんでした」



 土下座の体勢から動かずにひたすら謝り続ける平田に、あやめはベッドの上から虚ろな目を向けた。


 彰人との逃亡はあっさりと父親に捕まって連れ戻された。あやめは再びこの家に縛り付けられることになり、そして彰人は……死んだと、翌日あやめの元へやって来た義嗣がさらりと告げた。



「タイムマシンを修復する為に他の科学者が必要だな。まったくあの男も余計なことしてくれたものだ」



 義嗣が何を言ってもあやめは少しも口を開かなかった。怒りも悲しみも憎しみも、今の彼女にはそんな感情を抱く気力さえ無かったのだ。

 彰人が死んだ。その言葉だけが彼女の頭を回り続け、生きる気力を奪っていく。ろくに食事もしなくなったあやめは細かった体を更にやつれさせ、元々の体の弱さもありすぐに倒れた。


 そしてまだ羽月に養子に迎えられる前から主治医だった女医が家を訪れると、彼女はあやめの変貌を見て思わずカルテを落としてしまった。つい少し前まではあやめの表情も明るく、体もそれに同調するように調子が良かったというのに。



「あやめさん、何があったの!?」

「……」



 問い詰める主治医の問いにも彼女は答えない。とにかく体調をチェックする方が先だと診察を行うが少し調べただけでもどうにも色々と問題がありそうで、精密検査が必要だという結論になった。

 日帰りという条件で外出を許可されて病院へ向かったあやめは検査を受け、そして数日後女医は複雑な表情で再びあやめの家を訪ねて来た。

 結果は体調が悪化したことで新たな病気に掛かっており、手術をしなければ命が危ないということだった。しかし検査結果はそれだけではない。もう一つの結果を伝えたその瞬間、今まで人形のように動かなかったあやめの無表情がやっと驚きに変わった。



「あやめさん。あなた、妊娠してるわ」

「……え?」

「相手は……」



 あやめは恐る恐る自分の腹を見下ろした。ちっとも変わった様子のないそこに、子供がいる。それがあやめと誰の子かなど、言うまでもない。



「あの人は……もういません」

「……そう」



 あやめの体調が悪化した時期、そして妊娠した時期を照らし合わせた医者はそれ以上父親について問うことを止めた。



「はっきり言って、あやめさんの体で子供ができたのは奇跡と言ってもいいわ。でも産むのは難しい……いえ、無理よ。出産は体が耐えられないだろうし、そもそも投薬や手術もその子がいる状態では出来ない。すぐに中絶しないと」

「……なら、病気を治さなければこの子は産めるんですか」

「いいえ。恐らく子供が生まれる前に病気の進行であなたの方が先に……多分、半年も持たないわ」

「……」

「残念だけど、この子は」



 彰人との子供を殺す。そう考えた瞬間あやめは全身の血がざあ、と引くような感覚を覚えた。彰人が居なくなって、そして最後に残されていた繋がりさえ途絶えようとしている。


 ――そんなこと、絶対に嫌だ。この子だけは、どんな手を使ってでも。

 あやめは腹に手をやって女医を見上げた。その目は今までの生気の無いものとは違い、強い眼差しだった。



「いえ、先生。私、絶対にこの子を産みます」













 子供を産む為には投薬や手術を行えない。そうするとあやめの体が出産まで持たない。そもそもいつタイムマシンが直るか分からず、修復が終われば彼女はすぐに魔法力を奪われて死んでしまう。

 八方塞がりだ。どうやっても子供を産むことなど出来ない。だがあやめは諦めなかった。この命を消すことなど絶対にしたくはなかった。

 だから、あやめは必死に考えた。考えて考えて、そしてそれを実行したのだ。



「この子に、お腹にいる時音に時魔法を掛け続けることにしたの。他の赤ちゃんよりも一緒に居られる時間は少ないけど、それでも早く育つように。私が死ぬよりも前にこの子を産めるように」



 あやめが告げた言葉に、時音と彰人は大きく目を見開いて言葉を失った。


 膨大な魔法力喪失によって朦朧とする意識の中でも、時音は確かに理解していた。タイムマシンはきちんと稼働して、そしてここに居るのは自分の本当の両親なのだ。二つの大事な大事な時計がそれを証明している。

 あやめはそっと時音の髪を撫でると「私は、この子を産むことができたんだね」と酷く優しい表情で目を細めた。



「周防時音が、俺とお前の……」

「うん、そうだよ。……環境が属性に影響するって、彰人さん言ってたよね。だからきっと、時魔法を浴びて生まれるこの子は時属性になるかもしれないって、そう思ったの」



 だからこそあやめは、時属性の人間によって過去に来たという彰人の言葉を聞いて確かめずにはいられなかった。ましてやそれが十六年後……人の魔法力が発現し始める成長期の頃だと知れば、あやめはそれが我が子であるに違いないと思ったのだ。



「でも、もしこの子のことをお父様が知ったらすぐに中絶しろと言われる。それに生まれたとしても、後々時属性であることが知られたら私のように利用される。だから……もう助からない病気だってお医者様に書き換えてもらってタイムマシンを使うことを諦めさせて、私が死んだ後に時音をあの人の手の届かない場所に預けようと思ったの」



 子供を産むと決意してから、あやめはひたすら魔法力の続く限り時魔法を掛け続けている。そしてそれと同時に、お腹に時計を当てていつもその音を聞かせていた。時属性になるかもしれないということもあるが、何より大事な人からもらった音を子供にも聞いて欲しかったのだ。


 あやめはするりと僅かに大きくなった腹を撫でる。この子が生まれたら……そして自分が死んだら、平田に頼んで義嗣には気付かれないようにこの家から遠ざけて欲しいと願うつもりだ。彼女に恨みは抱いていない。義嗣とあやめの間で板挟みになっていたのは分かっているし、あの時報告しなければ重要な時属性を逃したと彼女が彰人と同じ目に遭っていたかもしれない。


 子供のことは義嗣には知られていない。だから存在がばれなければ彼女が咎められることはない。平田の立場は揺るがないのだから時音のことは頼むつもりだった。恨んではいないが、彰人のことに関して全く何も思うところがない訳ではないのだから。



「だから、施設に私を」

「……時音、本当に駄目な母親でごめんなさい。育てられもしないのに、酷い母親だって分かってる。だけど、どうしてもあなたを殺したくなかったから」



 まるで妹のように見える我が子を、あやめは申し訳なさそうに謝って抱きしめた。そして、自分のものよりも随分と年期の入った懐中時計を見つめて目を細める。この時計はちゃんとこの子の手に渡ったのだ。

 この時計はあやめの宝物だった。ずっと耳に当ててその音を聞いてきた。だから子供の名前も、その大好きな音の名前にすると初めから決めていたのだ。その名前は、この時計と共にあやめが子供の託せる数少ないものだった。



「……彰人さん」



 時音を抱きしめる腕を緩める。そしてあやめは、先ほどから呆然と立ち尽くしている彰人に視線を向けて笑いかけた。



「だから私、未来を変えたくない。この子を殺したくなんかない」

「あやめ」

「この子があなたを此処まで連れてきてくれたのなら、尚更」



 時音を諦めて病気を治せば、半年後に戻ってくる彰人と再会できる。けれど、もう時音は生きて此処にいるのだ。そして彼女が彰人を過去へ連れて来てくれたから、あやめは彼がまだ生きていたことを知ることが出来た。


 あやめが彰人へ手を伸ばす。反射的にその手を掴んだ彰人は引っ張られ、ろくに力の入っていなかった体はあやめの傍へと向かう。

 そしてあやめは大きく両腕を広げ、時音と彰人二人を同時に抱きしめた。



「……本当に、信じられないの。あなたともう一度会えたことが。時音と三人で、こうして一緒に居ることができるのが」



 声が震える。涙が溢れる。あやめは今まで押さえていた感情を爆発させ、何度も声を詰まらせながら家族二人に縋り付いた。



「時音を一人にしてしまった。それに、ここに来るまでのタイムマシンでどれだけこの子が苦しんだか、分かってるの。彰人さんだってそう。私の所為で死にかけて、生き残った後もこの場所に来る為にいっぱい苦労したんだろうって思う。……それでも、それでもね。私は今ここで二人に会えた奇跡が、嬉しくて嬉しくて堪らないの。二人に辛い思いをさせてしまったのに、本当に、嬉しいの」



 彰人にはもう会えない。生まれてくる時音とはきっと顔を合わせる前に死んでしまう。ずっとそう思っていたのに、生きる時代は違っても、二人は今あやめの手の届く場所に存在している。



「彰人さん、あなたと一緒にいた時間、本当に幸せだったよ。時音、生まれて来てくれて本当にありがとう」

「お母さん……」

「……嬉しい。そう、呼んでくれるの? こんな駄目な母親を」

「駄目、なんかじゃないよ」



 時音はあやめの事情も彰人の事情も詳しく分からない。それでも、目の前のこの女性が自分を愛してくれていることは目一杯伝わってきた。

 本当に愛おしそうに撫でられる手は紛れもない母親としての手だった。



「彰人さん……きっともうすぐ、時間だよね」

「!」



 あやめがそう言った瞬間、図ったかのように今まで静まりかえっていたタイムマシンが音を立てて動き始めた。元の時間に戻る時が迫っているのだ。

 あやめはそっと時音と彰人から体を離すと、そのままタイムマシンの外へと出て行く。



「あやめ!」



 思わず彰人が彼女の手を掴むが、あやめは静かに微笑んで首を横に振った。



「私の生きる場所は、ここだよ」

「……っ」

「ここで時音を産んで、あなたの時代まで時間を繋ぐから。だから、ここで本当にさよなら」



 時間が迫ると自動的に閉まるようになっている扉がどんどん閉じていく。あやめの姿はあっという間に見えなくなってしまう。



「っお母さん!」

「彰人さん、時音のことお願いします。時音、お父さんのことを、どうか――」



 扉の外から聞こえて来た声がタイムマシンの稼働音に掻き消される。


 次の瞬間、時音と彰人を乗せたタイムマシンは、この時代から消え去っていた。










「……二人とも、大好きだよ。だから」



 風がそよぎ、木々が揺れる音が聞こえる。手にした時計の針が規則的に動く音が聞こえる。それ以外は、何一つ音は無かった。

 また一人になったあやめは、愛おしむように腹を撫で……止めどなく涙を流しながらその子に向けて語りかけた。



「あなたが大きくなったら、またお父さんと一緒に、会いに来てね……」














「……ここに、時音が」



 警察と藤月の教師、そして怜二と御影が件の廃墟に辿りついた時、時刻は深夜二時を越えていた。

 鬱蒼とした森の中を進んで見つけた一つの小さな家。まずは風魔法を使った偵察が行われたが、しかし家の中には誰も見つからなかった。



「どういうことだ」

「既に移動した後か……?」

「どこかに隠れている可能性もある。とにかく、突入して捜索を開始する」



 警官を先頭に一行は警戒しながら家の中へと入っていく。懐中電灯の明かりを頼りに辺りを見回してみるものの、古ぼけた家具や埃まみれの床があるだけで、人が居る気配は全くしない。



「あいつ、一体どこに……っ!?」



 直後、足下から大きな振動がその場の全員を襲った。地震の揺れとは違い、最初に大きな揺れが起きたかと思えば数秒後には何事もなかったかのようにその衝撃は収まった。



「な、なんだったんだ今の……」

「おい待て、ここ、地下室がある!」

「なら今の揺れは地下からか!?」



 一人の教師が見つけた地下へ続く階段。今の揺れで入り口がずれたのか見つかったそれを見て、誰もがそこに何かがあると確信した。



「足下、気をつけろ」

「分かってる」



 潤一の声を聞きながら、怜二も魔法力節約の為に借りた懐中電灯で階段を照らしながら下りる。そして、彼が下から三段目まで辿り着いたその時、急に前方が騒がしくなった。



「居たぞ!」

「!」



 慌てて残りの階段をそのまま飛び降りた怜二が他の人間の間を縫うように前に躍り出る。するとそこにあったのは床に突き刺さるように鎮座している大きな楕円形の機械。そしてその機械の内部から出てきたらしい時音と御影に似た男が、酷く消耗したようにぐったりとして床に座り込んでいる。



「時音!」



 怜二はずっと心配していた彼女の姿を目に入れるとすぐにその名を呼ぶ。放心したように目を虚ろにしていた彼女だったが、その声にぴくりと反応してゆっくりとその顔を上げようとした。

 その瞬間、先ほどの衝撃よりも更に大きな振動が起こった。



「な」

「うわあっ!」



 ビリビリともバキバキとも聞こえる音がどこからともなく響く。何か異変が起こっているのは間違いなく、しかしそれが何なのか誰にも分かっていなかった。

 そして音と揺れがどんどん大きくなり身動きも取れなくなったその刹那、突如時音達の背後の床が裂け、そしてそこから真っ黒な闇が吹き出した。



「……裏世界が」



 一番最初にそれを理解したのは御影だった。次元が裂けて表と裏の狭間が作り出されてしまったのだ。元々あった次元のひびが、タイムマシンで大量に時の魔法力を消費したことで一気にその歪みに拍車を掛けた。そしてその結果どんどん大きく広がって行く狭間から、何体もの影人がゆらりとその姿を現した。

 地上に出てきた影人は無差別に人間を襲う。そして一番最初に影人の視界に入ったのは、一番傍にいた人物――時音だった。



「……あ」



 人を殺す為に鋭く尖らせた闇色の腕が大きく振り上げられる。咄嗟に避けるだけの思考もままならない時音が影人を見上げたその瞬間、彼女は何か温かいものに包まれ視界が真っ黒に塗り潰された。



「な」



 その光景を目撃した者達は絶句した。

 影人に殺されそうになった時音を抱きしめ背中でその凶器を受けたのは、ここに時音を浚った張本人だったのだから。



「っく……」



 ばっさりと斬られた背中から血が吹き出る。それを歯を噛み締めて耐えた男が反撃しようと振り返るが、それを見計らったように血を滴らせた影人の腕がぐにゃりと曲がった。鞭のようにしなったそれが時音と彰人の体に巻き付き、そしてあっという間に二人を狭間へと引き摺り込んだのだ。



「うあああああっ!!」

「時音!!」



 ほんの一瞬の出来事だった。瞬く間に時音達は裏世界へと連れて行かれ、そして残ったのは未だに数を増やしつつある複数の影人だけだった。



「……っとにかく影人を倒せ!」



 我に返った警官達が慌てた影人との交戦を始める。そんな中、怜二は戦うことも逃げることもせずに呆然と時音達が堕ちていった狭間を見つめ、そして意を決したようにそこへ足を踏み出した。



「怜二! 止まれ!」

「離せ……離せよ!」



 裏世界に飛び込み掛けていた弟に気付いた潤一がぎりぎりで腕を掴んで彼を引き戻す。しかし怜二は強引にそれを振り払おうと抵抗し、強く強く兄を睨み付けた。



「時音があそこにいるんだぞ!」

「分かってる、だがお前が行ってどうする! そのまま死ぬつもりか!」

「それはこっちの台詞だ! このまま時音に死ねって言ってんのか!」


「怜二、落ち着け。――ここは俺が行く」



 二人の激しい口論の中、混乱に溢れたこの場に似つかわしくないほど酷く冷静な声が怜二の背中を叩いたのはその時だった。



「きっと俺は、この為に此処に来たんだろうからな」

「椎名……」



 弾かれるように振り返った怜二に、その声の主――御影は安心させるように笑ってみせた。星詠みで見た未来はきっとこれだったのだ、と。


 裏世界に堕ちた人間は普通助からない。だがこの場には他の人間の誰よりも裏世界を知り、そしてその世界からこちらへやって来た御影がいる。



「裏世界のことなら俺が適任だ。俺が必ず時音を連れ戻すから、お前は戻ってきたあいつを安心させる為にここにいろ。大好きな怜ちゃんが出迎えてくれたら時音もほっとするだろうからな」



 少し戯けたようにそう言ってにかっと笑った御影は、一度潤一を見上げた。



「先生」

「……すまない、椎名」

「謝ることじゃないですよ」



 時音を助ける為に御影を危険にする。葛藤していた潤一の悩みを蹴飛ばすようにひらりと片手を振った御影は、すぐに時音を追うように狭間へ飛び込もうとした。



「っ椎名!」



 その直前、叫んだのは怜二だった。



「時音を頼む!」

「……ああ、任せとけ!」



 一瞬驚いた顔をした後不敵な笑みでそう返した御影は、今度こそ出てくる影人をするりと避けて裏世界へと身を躍らせた。



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