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61話 取り戻したかった誰か

最終章です。

 どこまでも続くような、真っ暗な闇。


 少女を抱えた男は脇目も振らずに走り続ける。そののっぺりとした仮面の下は何を考えているのか、どんな表情なのか窺い知ることは出来ず、ただひたすらにどこかへ向けて足を動かすだけだ。



「――っ」



 その時、少女が何か言葉を発した。不安と恐怖、困惑の入り交じった表情を浮かべた彼女は仮面を見上げ、必死に何かを訴える。

 そしてそんな少女に、男もようやく彼女を見下ろした。静かに少女を見返した男はその仮面の奥で、逃走中という状況ながら妙に凪いだ目をしていた。



「……どんな手を使ってでも、取り戻したい人がいるからだ」












 夢を見た。



「……ふああ」



 騒がしい目覚ましの音と共に目を覚ました時音は、緩慢な動きで上半身を起こすとぼんやりとした頭のまま欠伸をし、ついたった今まで見ていた夢を思い出した。


 藤月祭の事件、学園中を巻き込んで大変なことになったそれが終わり一息吐いた所で起こった誘拐事件。時音が見ていたのはあの時の夢だった。

 影人の事件の直後で酷く疲れ、更にその後すぐに仮面の男に眠らされた時音は当時の状況を殆ど忘れてしまっていた。だが今夢に見て、ようやくあの時男と交わした言葉を思い出したのだ。



「……取り戻したい人」



 あの時、仮面は確かにそう言った。まるで誘拐中の犯人とは思えないほど、声を荒げることもなく落ち着いた静かな声で、時音の問いに答えてくれた。

 結局、あの時の犯人は逮捕された。時音の誘拐は失敗に終わったままで、仮面の男は目的を遂げられていない。



「あの人は、誰を取り戻したかったのかな……」



 ならば、彼が望んでいた人物は今、一体どうなっているのであろうか。














「来週末の土曜日、影人討伐実戦訓練の第一回目を行うことになった」



 時音が仮面の男の夢を見たその日のこと。登校した彼女達一年の生徒に、担任が朝のホームルームで厳しい表情を浮かべてそう告げた。



「影人討伐……」

「俺らがもう戦うのか?」

「お姉ちゃんの時は二年生になってからだったのに」



 ぼそぼそと囁く声が教室中で聞こえてくる。その声は好奇心に満ちたものや、反対に不安でいっぱいになっているものもある。

 時音の心境はというと声には出していないが不安に傾けられており、大人しく担任である潤一を見上げて次の言葉を待った。



「静かに。今配ったプリントにも詳細は書かれているが、実戦訓練とは銘打ってあるが今回君達が実際に影人と交戦することはない」

「えー」

「上原、えーじゃない。まだ未熟な君達が影人と戦って無事でいられると思っているのか」

「でも授業で戦ったのは大したことなかったですよ」

「あれは実際のものとは雲泥の差だ。プログラムされている動きしかしないあれと同じだと思って侮っていると……影人の憎悪に呑まれて一瞬にして死ぬぞ」

「……」



 いつもの穏やかな口調の潤一とは違い、生徒を窘めるその声は随分と冷えている。険しい表情と相まってぴりぴりとした雰囲気が教室中を支配し、いつの間にか周囲は完全に静まりかえっていた。



「よろしい。今回実際に影人と交戦するのは影人対策部に内定済みの三年生が中心で、それも常駐の実戦部隊が傍につく。一年生は危険がないようにその後ろ側から実際の現場を見学し、実践の空気を知って今後に役立ててもらいたい」



 手元に配られたプリントに目を落とすと、クラスごとに別々の場所――影人が現れる表と裏の狭間――へ向かうのだという。時間は影人の出現時間である夕方から夜にかけて行われる。


 影人は、表世界の憎しみや悪意が形になったもの。その憎悪の本能に従って表世界を壊そうとする存在だ。時音も一度襲われたし、更に言えばその影人が内包する闇を心に宿され掛けたこともある。闇に支配され掛けたあの時のことを思い出すと、途端に寒気を覚えてしまう。



「連絡は以上だ。全員、気を引き締めておくように」



 再び影人と対面する時が近付いていることに時音が肩を落としていると、連絡事項を言い終えた潤一がさっさと教室から出て行ってしまう。その数秒後、堰を切ったように騒ぎ出したクラスメイト達を見た時音は、ぼんやりと考え込んでいた頭をすぐさま覚醒させて慌てて廊下に飛び出した。



「先生!」



 廊下の消えそうになっている潤一の背中を見つけた時音は走りながら声を上げて彼を呼び止める。



「周防?」



 すぐに時音の声に気付いた潤一は足を止めて振り返る。時音が傍までやってくると、彼は先ほどまでの厳しい空気を何処へやったのか、いつもの彼らしい穏やかな表情で首を傾げた。



「どうした?」

「あの……ちょっと聞きたいことがあって」

「何か……あ、さっきの影人の話か?」

「そうじゃないんですけど……ところで、さっきとかなり雰囲気違いませんか?」

「ああ……さっきのはあえて、な。実戦訓練を遠足か社会見学と勘違いするようなやつがいても困るからわざと脅すようなことを言ったが」



 生徒の中には好戦的で影人と戦いたがっているような人間もいる。自分の実力を試したい、影人を倒して優越感を得たい。そんなゲーム感覚でいられるのは非常に困るのだ。そういう生徒ほど勝手に戦おうとして、そして簡単に命を危険に晒すのだから。



「それで、聞きたいことというのは」

「……前に私を誘拐しようとした人って、今どこに居るか知ってますか?」

「え?」

「留置所? 拘置所? ちょっと分からないですけどそういう所なんですかね?」



 きっとまだ刑は確定されていないであろう犯人が今どこにいるのか時音はよく知らない。思いついたままに口にすると、途端に潤一はあからさまに顔を強張らせた。



「……急にどうしたんだ?」

「あの人に聞きたいことがあるんです。……あ、そもそも面会って出来るのか分からないんですけど」



 今朝仮面の男の夢を見て、すぐに潤一に彼の居場所を尋ねようと考えていた。が、影人討伐の件でうっかり忘れそうになっていたのに気付いて慌てて追いかけたのだ。



「面会出来なければ伝言でもいいんです。もしくは手紙とか」 

「君を誘拐した犯人に、一体何を聞くつもりなんだ」

「あの時は混乱してて今日まで忘れてたんですけど……あの人、言ってたんです。どうして私を誘拐するんだって聞いたら、どうしても取り戻したい人がいるって」

「……取り戻したい人、か」



 けれど、彼が逮捕されたことによってそれは叶わなかったはずだ。

 時音はもしかしたら、知らず知らずのうちにその人物を見捨ててしまったのではないか。そう考えると彼女は居ても立っても居られなくなった。

 誘拐犯ではあるが、時音を何度も誘拐しようとしたのもその人を取り戻す為なのだ。きっと大切な人なのだろう。進んで誘拐されたかった訳ではないが、それでも自分が助けられる人を見殺しにしているとしたら。


 時音の説明に、潤一は暫し黙り込んだ。そして言葉を選ぶように口元に手をやった彼は「……事情は分かった」と頷き、しかし次に首を横に振った。



「だが、あの男とは会わせられないし話も出来ない」

「……どうにもできないんですか? 私じゃなくても、何なら警察の人とかでいいんです」

「誰だって聞くことはできない。……本当は黙っていようと思っていたんだが、あの男――仮面を被ったあの誘拐犯は、もうこの世に居ないんだ」

「……は?」

「君がショックを受けると思って伏せていたが、藤月祭の後誘拐に失敗した犯人は自爆して亡くなった。もうどこの誰だったかも分からない状態だった」

「そんな」

「だから、その取り戻したかったという人物についても、永遠に分からないままだ」



 時音は暫し、潤一の言葉を受け止められずに黙り込んだ。


 親しかった訳でもない、顔も名前も知らない、そもそも時音を誘拐しようとした男だった。それでも彼が亡くなったという衝撃は強すぎて、唇は動いても言葉が出て来ない。



「……」



 もしも。そんな言葉ばかりが時音の頭の中を過ぎった。

 もしあの時時音が大人しく捕まって誘拐されていたとしたら、犯人が自爆することもなく、彼の取り戻したかった人も助かったかもしれない。



「あの人が死んだのは……私の所為?」

「時音ちゃん」



 ぽつりと零れた言葉に、潤一はあえて名前を呼んで彼女の両肩を掴んだ。不安げに揺れる目に視線を合わせた彼は「それは君が気に病むことじゃない」と諭すように告げた。



「あの男は犯罪者で、そして君はその被害者だ。どこの誰かも分からなければ、やつが助けたかった相手も知らない。冷たい言い方をするが、君がその二人を救わなければいけない謂われはどこにもないんだ」

「……」

「誘拐なんて嫌なことは忘れた方がいい。それが君の為だ」













「あれ? 時音どこ行ってたの?」

「ちょっと……先生に質問があっただけだよ」



 一人教室に戻った時音は曖昧に笑って言葉を濁すと、急いで席に着いて授業の準備を始めた。



「……」



 教科書を取り出し机の上に出すと、彼女は小さくため息を吐いて無意識のうちに懐中時計に手をやっていた。


 最終的に潤一の言葉と気迫に押されるように頷いたものの、そんなにあっさりと頭の中から消去出来れば苦労はしない。

 けれど確かに時音にはもうどうにもできないことだ。何もできないのなら、潤一が言うように忘れた方がずっと楽になる。それが正しいのだと彼女も思う。


 それでも、彼女の脳裏には何度も何度も繰り返し仮面の男の言葉が過ぎっていた。まるでそれは、亡霊となった彼が自分を責めているかのように。



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