60話 各々の恋愛事情
「……で、お前らは何をしてるんだ」
「あ、はは……」
イルカショーの終了後、思わず逃げようとしていた時音達を捕まえた潤一は疲れたように腕を組んで彼らを問い詰めていた。
聞けば詠がお見合いをするからと尾行しに来たといい、それを聞いた詠も「ええ……?」と酷く困惑した声を上げて思わず空を見て……面白がって秘密にされた、と呟いて肩を落とした。
「まったく……伊波先生まで」
「す、すみません」
「先生は俺が誘いましたー、ここまでの足がなかったんで」
「椎名……はあ」
「でも、まさか詠の相手が潤一さんだったなんて思いませんでした。最初から知ってたんですか?」
「いや、私も今日知ったが」
生徒もそうだが、何より昔から面倒を見てきた時音と、そして兄弟に見合い現場を見られたというのが居心地が悪い。
「それで詠、先生はどうなんだ? 結構良い感じっぽかったけど」
「どうって」
「……詠、二階堂先生と結婚するのか」
「え!? まさか、そんな訳ないじゃん! 先生だってあたしじゃ困るでしょ!」
「先生じゃなくて、詠はどう思うの? 誰か他に好きな人いないの!?」
「華凛までどうしたの……」
普段皆を見守っている華凛にまでぐいぐい尋ねられて詠は困惑する。そして彼女を取り囲むその横では、亜佑が意を決したように潤一に詰め寄っていた。
「せ、先生! それでどうするんですか!?」
「どうする、とは?」
「真宮寺さんとのお見合い、受けるんですか……?」
酷く不安げな表情で自分を見上げる亜佑に、潤一は今まで感じていた呆れや居心地の悪さを一瞬忘れそうになった。答えは勿論決まっている。しかしそうだというのに、潤一は僅かに押し黙った後、ややあってから小さく口角を上げて彼女を見下ろした。
「君は、どうして欲しい?」
「……え?」
「あれ、二階堂先生?」
まるで試すような意地悪な表情を見せた潤一に亜佑が固まっていると、不意に背後から潤一を呼ぶ声があった。
「ん?」
「あ、お祖母ちゃん」
学校から離れているというのに一体誰だと潤一が振り返る。それと同時に友人に囲まれていた詠がひょこっと背伸びをして潤一を呼んだ人物を見て声を上げた。
水族館に入って来て潤一を呼んだのは着物に身を包んだ上品な老婆。それは詠の祖母だった。
「お祖父ちゃんの代わりに迎えに来たんだけど……相手の方は?」
「あー、えっと、ここに……」
「え?」
「私です、真宮寺さん」
きょろきょろと辺りを見回す詠の祖母に潤一が片手を上げて見せると、彼女は一瞬きょとんと目を瞬かせた。
「……ん?」
「だから、お祖父ちゃんが連れて来たの二階堂先生だったの」
「……はあー? まったくあの人は、詠の担任も知らないの?」
「知らなかったみたいだけど、知っても『偶然だな』で済ませてたよ! 本当に、先生に迷惑掛けないでよ……」
「二階堂先生、色々とすみません」
詠の抗議に祖母は大きくため息を吐いて潤一に頭を下げた。が、すぐに顔を上げた彼女は少々面白がるような表情で「それはそうと」と口を開いた。
「先生、うちの孫は結婚相手としてはどうです?」
「ちょ、お祖母ちゃん何聞いてるの!」
「だってせっかくだから、ね?」
「ね、じゃないよもう……」
「お孫さんはとても良い子ですよ。私にはもったいないです」
「おや、詠じゃあ不満ってことです?」
苦笑しながら遠回しに断った潤一に、更に祖母が揶揄うような口調で追求してくる。
「流石に彼女は、それ以前に大事な教え子ですから。それに……」
「それに?」
潤一の視線が僅かに動く。彼にとっても無意識のうちに傍に居た同僚に視線を向けてしまった潤一は、すぐにはっとして詠の祖母に「なんでもありません」と言って口を閉じた。
「残念、二階堂先生が真宮寺を継いでくれたら安心出来たのに」
「お祖母ちゃん、もう……」
「それにしてもあの人も、同じ二階堂なら一回り離れた先生じゃなくても詠の同級生にいるっていうのにねえ」
「は?」
「お祖母ちゃん、こっちの二階堂は余計に困る!」
と、祖母の目が今度は怜二に向く。いきなり話題を振られた怜二はその内容――潤一の身代わり――も相まって無意識に眉間に皺が寄った。
「確か怜二君、だったわね」
「あの、俺は」
「怜二は絶対に駄目です!!」
詠が祖母の声を止めるよりも、そして怜二が苛立ち混じりに言い返すよりも早く、怜二を隠すようにぱっと彼の前に飛び出した時音がそう叫んだ。
「……あ」
その瞬間静まりかえった周囲に気付き、考える間もなく反射的に動いてしまった時音が我に返ったように間の抜けた声を出す。冷静になって周りを見れば友人達には生暖かい視線を向けられており、そして詠の祖母は「あらあら」と目尻を下げて時音を見ていた。
更に背後にいる怜二は、どんな顔をしているか恐ろしくて振り向けない。
「い、いやあの、これは……」
「どうやら先約があったみたいだねえ」
「いや、そういう訳じゃ」
「詠もお友達を見習って早くいい人を見つけなさい」
怜二は時音が一方的に好きなだけだ。しかしそう言おうとしたところですぐに時音に向けられていた視線はすぐに詠に向けられてしまい、タイミングを逃してしまった。
「それなんだけどお祖母ちゃんもお祖父ちゃんに言ってよ。もうこういうの止めてって」
「お祖父ちゃんもあんたが心配なのよ。自分が居なくなった後にもし詠が悪い男に引っかかったりしたら困るって」
「でも……」
「別に結婚しろって強制してる訳じゃないの、お祖父ちゃんはあんたの選択肢を増やして上げてるだけよ。それにね、こうして色んな人に会って人脈を増やしていくのは大事なことよ。あんたが後々真宮寺を継いでからも、そういう縁は決して無駄になったりしない」
まだ中学生の頃から祖父がこの様な見合いをさせているはそういう理由だ。将来的に家を継ぐのが決まっている詠が困った時に手を差し伸べてくれる人間を増やしておく為。
それを聞いた彼女はそんな意図に全く気付かなかったと、今までの反抗的な態度をしゅんと萎ませて、少々ばつの悪い顔で祖母を見た。
「……そうだったんだ」
「まあ一番の目的は早くひ孫の顔が見たいだけだろうけども」
さらっと言われた言葉に思わずずっこけそうになる。漫画のようなリアクションを取ってしまった。
「お祖父ちゃんは……はあ」
「だから詠が決めた人なら私達は文句は言わないから、とっとといい人見つけなさい」
「結局そこに行くのね……でもそんなすぐに見つかる訳ないでしょ」
高校生ですぐに将来の相手が見つかれば苦労しない、と詠が苦い顔をする。
「――詠」
「甲斐?」
難しい顔をしていると、不意に先ほどから黙って状況を見守っていた甲斐が突然彼女の名前を呼んだ。
「どうしたの?」
「好きだ」
その瞬間、全員の時が止まった。
詠が振り返ると同時に、その一言は真顔の甲斐からさらりと告げられたのだ。
「は……」
「ずっと言っていなかったが、好きなんだ」
ぽかん、と口も目も開けたまま動かない詠を、甲斐もそのまま見つめ続ける。そして周囲も同じく固唾を呑んで彼らをひたすら凝視するよりなかった。
騒がしい休日の水族館。そんな中で不自然に静まりかえったその場に、次に発せられたのは小気味の良い頬を叩く音だった。
「馬鹿、甲斐の馬鹿!」
「は……?」
「こんな状況で揶揄わないでよ! 馬鹿!」
「ち、ちが」
「甲斐は結構そうやって真顔で冗談言って、それで皆の反応見てこっそり面白がってるの知ってるんだから!」
叩かれて頬を赤くした甲斐に対して、別の意味で顔を真っ赤にした詠は鋭く彼を睨むとすぐに踵を返して走り出した。
咄嗟に詠の腕を掴んだものの振り払われた甲斐は彼女を追うことも出来ず、彼には非常に珍しくがっくりと膝をついて項垂れた。
「あーあ」
「み、御影君……」
「確かに甲斐って表情変わらないから冗談か本気か分かりにくいよな」
「す、鈴原君元気出して! 真宮寺さんだってもう一度言えばきっと分かってくれるわよ!」
「詠だって本気だって分かったらきっとまんざらじゃないよ! 多分!」
「そうそう、鈴原君がいい人だってことは詠だって分かってるよ!」
「うちの孫が悪いことしたわね……」
ぼそぼそと放心状態で「違う……違うんだ」と呟く甲斐を慌てて皆で励まそうとする。
「……」
そして何も言わなかったが、珍しいことに怜二までもが甲斐をどこか同情するような目で見ていた。
「――それでさー」
「――うんうん」
数日後、教室ではいつものように仲の良い時音達女子組が集まって話をしていた。そして少し離れた席にいる怜二はというと、いつもとは違い頬杖をつき、そして眉を顰めてじっと彼女達を――より正確に言うと、時音を見ていた。
「よー、怜二。珍しくぼけっとしてどうした?」
と、そんな怜二に陽気な声が掛かる。へらっと緩い笑みを浮かべた御影が近付いて来ると、怜二はつい鬱陶しそうな表情になって彼を睨んだ。最早御影に対しての態度の悪さは反射的なものになっている。
「お前には関係ないだろ」
「そう言うなって、甲斐も落ち込んでて話し掛けても全然反応しねえんだもん」
肩を竦めた御影が教室の端を示すそこには、机に突っ伏したままちっとも動かない甲斐がいる。詠の見合いの日から数日、未だに禄に彼女に話し掛けられないままあの状態が続いているのだ。
「で、難しい顔して何考えてたんだ?」
「……時音が」
「時音?」
「あいつ、最近どこか変わったか?」
変わった、と聞いて御影は怜二と同じように時音の方を見る。じっと観察するようにしていると、二人の視線に気付いたらしい時音が彼らの方を振り向いて首を傾げた。
「……いや? 特に変わったようには思えねえけど」
「ならいい」
そっけなく言うだけ言って怜二が立ち上がる。そしてさっさと教室を出て行く彼の姿を見送った彼は珍しく何を考えているか分からない怜二に「何だったんだ?」と独り言を呟いた。
「……」
ポケットに手を入れて靴音を立てながら廊下を歩く。怜二は眉を顰めて周囲から見れば不機嫌に見える表情を浮かべながら今し方教室で振り返った時音を、水族館で自分を取られまいと必死になっていた彼女を思い出してぽつりと独り言を呟いた。
「……あいつ、あんなに可愛かったか?」
おまけ
「あ、兄さん」
「……三葉」
「らしくもなくぼんやりしてどうかしたんですか」
「……お前なら分かるかもしれないな」
「何の話ですか?」
「時音のことなんだが、最近変わったように見えないか」
「? いえ、いつも通りだと思いますけど。具体的にどう変わったんですか?」
「……なんか」
「なんか?」
「妙に、可愛くなったというか」
「……チッ」
「三葉? ……いってえええ! お前、なに突然人の脛蹴り飛ばしてやがる!」
「やっぱり、改めて言いますけど僕兄さんのこと嫌いです」