6話 喧嘩
「はあ……」
時音が窓の外を見ながらため息を吐いた。電車はどんどんとスピードを上げて行き、全く見知らぬ風景ばかりが眼前に広がっている。
そんな彼女の隣に座っているのは三葉だ。乗り物酔いなどしないのか本に目を落としている彼以外に、時音の傍にいる人間はいない。
どうしてあんなことを言ってしまったのか。
時音は内心で酷く後悔しながら先ほどまでの会話を思い出してがっくりと頭を落とした。
「藤月学園ってどんな所なんだろ。すごく楽しみだなー」
「そうですね、僕も魔法の勉強には興味があるので楽しみです」
電車に乗り込んだ三人は、まだ自分達以外乗客がいない電車の中でわくわくしながら入学する藤月学園について期待を膨らませていた。
しかし怜二は時音達の話を鼻で笑い、「遊びに行く訳じゃないんだぞ」と馬鹿にするように口にした。
「……そんなこと言って、怜二が一番楽しみにしてたくせに」
「はあ? 誰が!」
「昨日夜遅くまで隣の部屋が煩くて迷惑でした」
「三葉!」
「もー、三葉君に当たらないでよ」
冷めた口調で兄を責める三葉に怜二が怒鳴るが、それを時音が窘める。立ち上がりかけた怜二は不満げな顔をしながら席に着くと、しかしすぐに機嫌を直すように声を張り上げる。他に人が居なくて本当によかったと密かに時音は思った。
「まあいい、俺は藤月に行って変わるんだ。兄貴が言うには、どうやら俺は珍しい属性らしいし? 魔法だってさらっと使えるようになってやる」
「……三葉君、属性って?」
「魔法士にはそれぞれ自分が使える魔法の属性が限定されているんです。火、水、土、風など色々性質によって違うらしいですよ。ちなみに見たかと思いますが兄さんは風属性で、母さんは水属性です」
「何かゲームみたいだね」
今だに魔法云々があまり信じられていない時音にとってはRPGの話をしているような気分になって来る。そして自分もその一員になのだという自覚は今のところ全くない。
「そんでもって、今度こそ可愛い彼女も作ってやる!」
「……怜二に彼女なんてできるの?」
そして更に怜二が宣言した言葉を聞いて、無意識のうちに時音の声色が尖った。思わず反論してしまった時音に怜二は眉を顰めて目を向けた。
「あ? どういう意味だ」
「そのままに決まってるでしょ。今まで何度も何度も振られて来たくせに」
「う、煩い! そういうお前だって一度も彼氏なんてできたことないくせに偉そうなこと言いやがって」
「私は作れないんじゃなくて作らないんですー」
「はっ、どうだか」
「何よ」
「……」
二人が口論を始めると、それを一人無言で見ていた三葉は溜息を吐いて眼鏡を押し上げ、自分は関わらないとばかりに本を取り出した。
「大体、怜二はいつも他の人を僻むし、すぐに調子に乗るし」
「お前だってそそっかしいし口悪くてちっとも女らしくねえし、そんなんじゃそりゃあ彼氏なんて出来ねえだろうな!」
「煩い、この万年二位男! 私だってすぐに彼氏の一人や二人作ってやるんだから! そうしたらいっつも振られて落ち込んでる怜二の相手なんてしてる暇なんてないんだからね!」
「は!? 馬鹿じゃねえの!? 俺だってお前がぴーぴー泣いたってぜってえ慰めてやらねえし! お前が彼女なんて思われたら困るからな!」
「な……によ! それはこっちの台詞だから! 怜二が近くにいると私だって彼氏が出来なくて迷惑してるんだから!」
「何だと……そういうことなら俺だってもうお前に話しかけねえからな! 勉強分からなくて泣きついて来られても二度と教えねえし、後で後悔しても知らねえからな!」
「分かったわよ! こっちだって怜二なんてもう知らないんだから!」
「本当に馬鹿ですか二人とも。小学生じゃないんですから」
「おっしゃる通りです……」
怒りながら一人隣の車両に移って行った怜二のことを考えていると、それを見透かしたように本を閉じた三葉が呆れた顔をして時音に話しかけて来た。
「兄さんと時音さん、大体月一ぐらいで同じような喧嘩してますよね」
「はい……」
「本当に飽きませんね」
暗に――いや殆どストレートに、学習しないと言われて時音は返す言葉もなかった。
時音と怜二は売り言葉に買い言葉でしょっちゅう喧嘩している。この前のように時音を慰めてくれる怜二の方が余程稀なのだ。あの時は時音の事情が事情だったということもあるが。
「でも、三葉君だってよく怜二と喧嘩してるでしょ」
「あれは一方的に向こうが突っかかって来るだけですよ。それに僕は時音さんと違って心にもないことを言って後で落ち込んだりなんてしませんから」
「……三葉君今日辛辣じゃない?」
「僕は事実を言っているだけです」
この一つ下の幼馴染は本当に言葉に容赦がない。時音は一つ溜息を吐いて持って来た緑茶のペットボトルを飲もうと蓋を開けた。
しかし彼女がそれを口に触れさせたその時、タイミングよく三葉が口を開いた。
「時音さんもいい加減兄さんなんて止めたらいいんじゃないですか。趣味悪いですよ」
「っな、何を言っているのかなあ、三葉君は!?」
一瞬噴き出しそうになった時音がぎりぎりでそれを押し留める。動揺のままペットボトルを口から離した彼女は隣に座る無表情の三葉を弾かれるように振り返った。
「あんなあからさまで分からないと思っているんですか。僕どころか兄さん……潤一兄さんの方だって知ってますよ。時音さんが兄さんのことが好きだって」
「わー! わー!」
「煩いですし揺らさないで下さい」
咄嗟に時音が三葉の両肩をぐらぐらと揺らしながら声を上げると、随分と冷ややかな目で見られてしまった。揺らされてずり落ちそうになる眼鏡を押さえた三葉は少し疲れたように息を吐いた。
「……ほら、次の駅で降りますから、時音さんも暴れてないで準備してください」
「分かった……けど! 三葉君! お願いだから怜二には言わないでよ!」
「はいはい、言いませんから」
「本当に?」
「本当です。僕に何のメリットもないですし」
きっぱりと至極どうでもよさそうに言われた言葉に時音がようやく安堵していると、ちょうどその時もうすぐ次の駅に着くと車内アナウンスが入った。
「怜二、ちゃんと降りるかな」
「大丈夫ですよ、あの人は馬鹿ですがそそっかしくはないです」
「……それ、私への当てつけなの?」
「さあ」
空気が抜ける音を立てて電車のドアが開かれると、時音達を始めとして数人の学生らしき人々が駅のホームへ降り立つ。もしや同じ学校に通う人達なのかも、と時音はちらちらと彼らの姿を窺った。
「あ」
その中から隣の車両から降りて来た怜二を見つけた時、思わず声を上げる。近くに居た為かそれを聞き取ったらしい怜二は時音の方をちらりと一瞥したが、すぐに不機嫌そうにすたすたと階段の方へと向かってしまった。
「……せっかく同じ学校になったのになあ」
「時音さん、止まってないで僕達も行きますよ」
人が居なくなりかけているホームで落ち込んで肩を落とす時音を三葉が引っ張る。年下に随分迷惑を掛けているなあと思ったが、正直今更の話だった。
とぼとぼと駅を出て同じ道を行く人達の波に乗るようにして歩く。すると徐々に藤月学園の大きな建物が見えて来た。
中学と高校が一緒の敷地内にある大きな学校は、いくつかの棟に別れており一見すると大学の構造に近い。在学する全員分の寮もあるので本当に広大な敷地である。
これだけの規模であって、それでいて入学条件やカリキュラムが一切謎に包まれているのだからそれはあちこちから注目されるのは仕方がない。
大きな正門の前にまでたどり着いた所で時音は再び怜二の後ろ姿を見つけた。
「……」
時音は一度口を開きかけるが、しかしすぐに閉じた。先ほど無視された手前話しかけるのには躊躇いがある。
しかし今話さなければ後々余計に話し掛けにくくなるだろう。後に引く前に大人しく謝って仲直りした方が賢明だ。怜二は根に持つタイプだが、時音が先に折れて謝れば比較的すぐに機嫌を直してくれる。
「れい――」
「おい、落としたぞ」
しかし意を決して話し掛けようとした彼女の声を遮ったのは、他ならぬ怜二本人だった。それも彼の声が向けられたのは時音ではなく、怜二の前方を歩く長い髪の少女だ。手元のプリントに目を落として歩いていたらしい少女が落とした一枚の紙を怜二が拾い上げて声を掛けると、すぐに顔を上げたその少女が怜二を振り返った。
それは、いかにも女の子らしい優しそうな女の子だった。
「え? ……あ、すみません! 拾ってくれてありがとう」
目の前に突きつけられたプリントが自分のものだと気付いた少女ははっとしてそれを受け取り、怜二に向けて微笑んだ。
時音の中で嫌な予感が走ったと同時に、怜二の動きが止まった。
長い髪を揺らして軽く頭を下げた少女はそのまま歩き出し、正門の奥へと入っていく。しかし怜二は止まったまま動くことはなく、門へ流れ込んでいる人々の中で一人立ち尽くす彼の元へ時音達は少しずつ近付いていく。
「……」
怜二の傍までやって来た時音が彼の顔を窺うと、頬を軽く赤らめたままぼうっとした様子で門の向こうを眺め続けていた。
「……っ怜二の、馬鹿ああっ!」
思わず衝動的に叫んでしまった時音に、流石に我に返った怜二がようやく彼女が隣にいることに気付く。
「なっ、なんだようるせえな!」
「そんな所に突っ立ってると通行の邪魔だから! 退け!」
苛立ちのまま怜二にぶつかるように彼を追い抜かした時音は、追い付かれないくらいの早さでそのまま走り去っていく。
一方「何なんだあいつは!」と一人怒りを露わにしている怜二の後ろで、置いて行かれた三葉がそんな二人のやり取りを見て疲れたように肩を落としていた。
「だからいい加減止めとけって言ったんですけどね……」