58話 真宮寺の事情
「詠……あんたホントに飲み込みが遅いねえ」
「……すみません」
魔法実技訓練の授業中、時音と同じく個別授業を受けていた星属性の詠は呆れたような声を出す先生――祖母にうなだれるようにして頭を下げた。
「……けど、本当に星に愛されてる子だ」
そしてそんな孫の頭を見ながら、祖母である彼女は詠に聞こえないくらいの小さな声でそう呟いていた。
日本では真宮寺の家系でしか発現しない特殊な属性、星属性。星と対話することによって様々な情報を得ることが出来る特別な属性で、基本的に星属性の人間は一つか二つ相性の良い星が存在する。星はそれぞれに知っている情報が違うという説があり、つまり簡単に言えば失せ物探しや未来予知など、星属性の人間は各々知ることの出来る情報の得意分野が違うということだ。
だが、詠は他の星属性とは少し違っていた。最初に魔法力が発現したその時、詠の頭の中に一気に沢山の情報が流れ込んで気絶した。彼女は多くの星との相性が良く、その為分野を問わずに様々な情報を得る才能を持っていたのだ。
それ自体は素晴らしい能力だ。しかし詠はその特異な体質からか、はたまた元々の才能の問題か、魔法力を操るのが得意ではなく技術の飲み込みも非常に遅かった。
最近はある程度安定して対話が出来るようになったが、それでも彼女の祖母から見ればまだまだだ。星に好かれすぎているからか向こう側から強引に情報を与えられることも多く、自分の意志で対話するタイミングがつかめていない時もしばしば目撃する。オンオフを切り替えられない今の状態は直して行かなければ後々も困ることになるだろう。
「時間もいいし、今日はここで終わろうか」
「ご指導ありがとうございます、お祖母ちゃん」
「ここでは先生だよ」
「はい、先生」
授業時は厳しい祖母のことは詠は少し苦手にしている。が、終わればいつもの頼りになるお祖母ちゃんだ。
「もっと頑張らないと……」
「……」
意気込む孫を見ながら、老女は心配そうに目を細めた。結果にはあまり現れていないが、詠がよく頑張っていることは彼女自身も知っている。
様々な情報を得る力、そしてそれに加えて彼女は本家の一人娘だ。そのプレッシャーは他の真宮寺の星属性とは比べものにならないだろう。
そして更に言えば、彼女に掛かるプレッシャーの理由はもう一つある。幼い詠に植え付けられた強い脅迫概念――トラウマが、今も彼女を苦しめている。
「お前は知っていた癖に!」
昔、まだ詠が小学校に上がる前にその事件は起きた。彼女の母親と二人で買い物に行っていたそのタイミングでナイフを持った男に襲われたのだ。
犯人のその男は数日前に恋人を事故で亡くしており、そしてその被害者の女性は、母親の高校時代の同級生だった。真宮寺ならばあらかじめ知っていただろうと、人殺しと母を罵ってナイフを振り上げた男の姿を詠はずっと忘れられずにいる。幸い周囲の人間によって男は取り押さえられて二人に怪我はなかったものの、その事件が詠に与えたショックは酷いものだった。
そもそも詠の母親と亡くなった女性は同じ学年だったというだけで特に接点もなく、更に言えば彼女が星と対話して得られる情報は天候に関してだけだった。だからこそ事故の情報など彼女は知るよしもなかった訳で、男の言うことは完全に筋違いだった。
けれど詠は違う。多くの星に愛されてあらゆる情報を知ることが出来る。自分が気付かないうちに誰かが死ねば、それは自分の所為じゃないかと密かに気に病んでいるのを祖母であり師である彼女は気付いていた。
「詠」
「何?」
「あんたが背負うことなんて何もないんだからね」
「……うん」
祖母の気遣う言葉に、詠は誤魔化すように苦笑を浮かべる。口で言って簡単に納得されれば苦労はしない。彼女の言葉も、詠の心には完全には届いていないのだ。
第一いくら星詠みをしたとしても、全てを知ることなど人間には不可能だ。もし星が自らの知っている全てを人間に与えようとすれば、その瞬間脳の許容量を超えて発狂するに違いない。だからこそ必要なことを必要なだけ知る為にコントロールが重要になって来るのだ。
だから詠が何かを見落として事件が起こっても、当然それは彼女の所為ではない。が、詠自身はずっとそれを気にしてしまう。
そう思うからこそ詠の祖母としては、誰か詠の想いに寄り添って、大事にしてくれる人を早く見つけて欲しいと思っている。真宮寺本家の一人娘で、希有な星属性というステータスではなく、詠自身を見てその上で真宮寺を背負って行ってくれるような気概がある人間を。
そうでなければおちおち天国にも行けやしない。
「それじゃあ……」
「あ、詠待ちなさい」
「何かあった?」
「今度の日曜日、お祖父ちゃんがいつものだから準備しておきなさいって」
「……はーい」
教室を出る直前にそう告げると、詠はあからさまに元気を無くした様子で肩を落とした。
「あーあ……隕石でも振って来ないかな」
「ちょ、詠が言うと洒落にならないんだけど!」
昼休み、両肘を机につきながらぼんやりとした詠が呟いた言葉に、傍に居た時音達は揃ってぎょっとした。
先ほど魔法実技訓練が終わってからというものどうにも詠に元気が無いように見えていたが、一体何があったのか。
「何か嫌なことでもあったの?」
「ん……ちょっとね」
「一応聞くけど詠って隕石降らせれんの?」
「……どうだろ」
御影が興味本位でそう尋ねてみると、詠は少し首を傾げて窓の外に目をやり――。
「……え、出来るんだ。へー」
「いや、へーじゃなくて! やらなくていいからね!?」
「星属性にもとうとう攻撃専用魔法ができたな」
「御影君、それ絶対味方も巻き込まれるけど……」
「そもそも降ってくるまでに戦いなんて終わってるだろ」
ぼんやりしながらうんうんと納得する詠は明らかにいつもの彼女ではない。そしてそんな中で隕石を降らせることが出来るなんて衝撃的な事実が発覚しているのが恐ろしい。
「……それで、詠は一体どうしたんだ」
思わず皆の意識が隕石の方に傾く中、一人じっと窺うように詠を見ていた甲斐が話を戻した。
「何か悩んでいるんなら相談に乗るが」
「そうだよ、困ったことがあったら私にも聞かせて。力になるよ」
「え……うん、ありがとう」
甲斐と華凛が真剣な表情で彼女を見つめと詠は少し嬉しそうな表情を浮かべ、しかし小さく首を振った。
「でも、そんな大層なものじゃないよ……ただ」
「ただ?」
「なんていうか……まあ、お見合い、的な?」
「は?」
あはは、とあまりにも軽くそう言った詠に全員が動きを止めた。地を這うような低い声を出したのは誰だったか。とにかくぽかんと思考を止めた時音達にそんなことを考える余裕はなかった。
「え、お、お見合いって……え!?」
「ものすごい大層なことでしょ!」
「お前もう結婚すんの!?」
「いや、流石に早いだろ……」
興味の無さそうにしていた怜二までもが驚いて困惑したように呟く。
「いやだから、的なって言ってるじゃん。そんな正式なやつじゃないって!」
「それって具体的には?」
「ちょっとした顔合わせだよ。昔から半年に一度くらいあったし、おじいちゃんが良さそうな人を連れて来て少し食事したり一緒に出掛けたりして、気に入る人が居れば追々……っていうくらいで」
「良さそうな人って」
「あたし一応真宮寺の一人娘だから、家を継いでくれるようなしっかりした人が前提なんだけど……そうなると今のところ年上ばっかりなんだよね」
真宮寺の家は星属性の家系ということで非常に格式が高い。詠も普段は普通の生徒に紛れているものの、実際の所とんでもなくいいところのお嬢様なのである。
しかし一度もそんな姿を見たことがない時音にはちっとも実感がない。ふあー、と気の抜ける声を出しながら詠を見ていると、不意に詠の隣にいる甲斐の顔色が真っ青になっているのが視界に入った。以前車酔いした時のようだ。そういえば彼は先ほどから一言も喋っていないような気がする。
「鈴原君、大丈夫?」
「え、あ、ああ……」
「甲斐? え、顔色やばいじゃん、保健室行きなよ」
「大丈夫だ。……それより、見合い相手っていうのはどんなやつなんだ」
「さあ? 正式なものじゃないから写真とかも貰ってないし、あたしもいつも会うまで詳しいことは知らないんだ。お祖父ちゃんとも中々会えないし」
「そうか……」
ぐったりと俯いた甲斐に、詠も自分のことよりも余程心配になってくる。「やっぱり保健室に」「いい」と二人が何度か押し問答を繰り広げていると、そんな二人を見て華凛と御影が意味ありげに視線を合わせて頷き合っていた。
「二人とも、どうかしたの?」
「ん? 時音は分かんねーか」
「何が?」
「まあ色々とね」
くすり、と小さく笑みを浮かべた華凛にますます疑問が浮かぶ。時音が答えを求めるように怜二を見るが、彼も「俺も知らん」と一刀両断して来る。
「……隕石、降って来い」
「鈴原君何言ってんの……」
まもなく授業が始まると各々自分の机に戻る中で甲斐がぽつりと呟いた言葉を聞いた時音は、詠よりも間違いなく甲斐の方がやばそうだと本気で心配することになった。
「はあ……」
同時刻のこと。職員室では普段きびきびと働いている潤一が疲れたように椅子に腰掛けてため息を吐いていた。教員の中でも優秀かつ外見も良い彼は日頃から他の教師の注目の的であり、一体何があったのだろうかと周囲の教師もちらちらと彼を窺っていた。
「せ、先生。どうかしたんですか?」
誰かが尋ねようにもいつになく重い雰囲気に躊躇してしまう。周囲の教師が視線を送り合って誰が聞くかと無言で会話をしていると、隣の机に居た亜佑が心配そうに潤一に話し掛けた。
「あ、ああ、伊波先生か」
「具合悪いんですか? 医務室に行った方が……」
「いや、そういうものじゃないんだ」
心配です、と分かりやすく顔に書いてある亜佑を見て潤一は苦笑気味に首を振る。しかしそうするとますます亜佑はその表情を深めてしまった。
「あの、何か困ってるのなら話だけでも聞きますよ? 私に出来ることがあれば協力しますから!」
「……はは、君は相変わらずだな」
「? はい、特にいつもと変わりませんけど」
「そういうことじゃないが……」
「それで、何か悩みでもあるんですか? 二階堂君達のこととか」
「あいつらはあいつらで問題はなくもないが、まあちょっとな」
潤一が少し困ったように頬を掻く。いつの間にか周囲も黙り込んで聞き耳を立てる中、潤一は少しだけ考えた後真剣に自分を見つめる亜佑を見て少しだけ試すような表情を浮かべた
「ちょっと、知り合いに見合いを打診されてな」
「……え?」
その直後、ガシャンと何かが割れる音が立て続けに職員室に響き渡った。