54話 成長と仲直り
「なにこれ? ぶかぶかー」
学園長との話し合いも終わり、そして高校組の授業も全て終了した夕方。昨日のように医務室に戻った時音は体よりも大分大きいワンピースを着せられていた。裾が床に着きまくってウエディングドレスのようになっているのが気になるのか、時音はしきりに服を引っ張っている。
これから時音を元の高校生に戻す為に時魔法を行使する。余計なものがあると魔法の邪魔になる可能性があるのだが、懐中時計だけは時音が泣いても離さなかった為いつも通り首に掛かっている。
現在医務室にいるのは常駐の医者と学園長を初めとした数人の教師、授業が終わって駆けつけた怜二達と時音に付き添っていた三葉、そして最後に言わずもがな、アメリカからやってきたレイだ。
ちなみに、生徒達には潤一が一度退室を促したものの「俺達だって時音の面倒見てたし当事者みたいなもんじゃないですって」などと御影が文句を付けて言いくるめて留まっている。
「それでは、始めよう」
「……」
レイの声に全員が緊張するように息を呑む。その中で唯一何も分かって居ない呑気な時音を見て、怜二は無意識に眉間に皺が寄った。
「――growth」
腕時計にそっと触れたレイの口から成長を意味する単語が紡がれる。その瞬間、今までぼけぼけとワンピースを引っ張っていた時音がぴく、と肩を揺らして動きを止めた。
「……え……う……」
直後、時音の体に次々と異変が起こった。
苦しむように呻き始めた時音に怜二と三葉が咄嗟に駆け寄ろうとするが、それはすぐに潤一に止められる。そしてその間に、まるで一年ごとに撮った写真をぱらぱらと捲っているかのようにみるみるうちに時音が大きくなっていくのだ。
目の前の光景の非現実さに誰もが見入ってしまう。
「このくらい、だな」
あらかじめ元の時音の写真を見せてもらっていたレイがそう言って手を下ろす。途端に成長がぴたりと止まり、見慣れた……しかしどこか懐かしい高校生の姿になった時音が現れた。ぶかぶかだったワンピースは、今やその体にぴったりと合っている。
「時音!」
怜二が駆け寄るのを今度は潤一も止めなかった。眠ってはいないがどこか焦点の合わない目でぼんやりとしていた彼女の両肩を怜二が揺さぶると、時音はゆっくりと顔を上げて彼の顔を見上げた。
「怜ちゃん」
「!?」
「じゃないや、怜二……あれ、私なんで懐かしい呼び方したんだろ」
「……紛らわしいこと言いやがって!」
怜二は即座に元に戻った時音の頭をスパンと叩いた。ぼうっとしていた頭の訪れた突然の衝撃に、時音は目を白黒させながらも「急に何すんのよ!」と怒鳴って彼を睨み付ける。
「お前がややこしいこと言うからだろうが!」
「まあまあ怜二、落ち着けって」
「無事に元に戻ったんだからよかったって言ってあげればいいのに」
「元に戻るか随分気を揉んでいたしな」
「お前ら黙れ!」
時音が無事に元に戻ったらしいと分かった周囲が一気に肩の力を抜いて安堵の息を吐く。そしてそんな中、じっと時音を観察するように見ていたレイは周囲に聞こえない程の声でぽつりと呟いた。
「ふうん……成程。彼が“本物”か」
「ねえ、元に戻るとか何の話してるの? というか……何、この状況」
いきなり理不尽に叩かれたと思えば訳の分からない状況である。辺りを見てみればここは御影の見舞い以来の医務室で、そして怜二達と共に数人の教師と見たことのない外国人の男性がいる。更に持っていた覚えもないワンピースを着ていることに気付いた時音はいつの間に、と困惑した。
「周防さん、いくつか質問していいですか?」
「え? はい」
そんな彼女に白衣を着た医者らしき女性が近付いて来る。何やらカルテのようなものに目を落としながら話しかけて来るのに時音は戸惑いながら返した。
「あなたの名前は?」
「え……周防、時音です」
「年齢は? 今何年生?」
「十五歳で、高一です」
「通っている学校の名前は?」
「藤月学園……あの、何の質問ですかこれ」
「覚えている限り、最後に何をしていましたか?」
「……えー、と……確か、魔法実技訓練の授業を受けてたような」
口に出しながらそうだった、と頷く。確か授業で壊れた時計を元に戻そうとしていたのだ。しかし、そこから今までの記憶は完全に飛んでいる。
「よかった……どうやら記憶の齟齬はなさそうだな」
「あのー、二階堂先生。私どうしてここに?」
「実は……君は昨日の授業の途中で時魔法に失敗したんだ。それで体が小さくなってしまっていてね」
「え……小さく?」
「ほらほら、こんな感じ」
どういうことだと首を傾げていると、詠が何やら携帯を操作して時音に差し出してくる。促されるまま画面を見た彼女は、次の瞬間ぎょっとした顔で思考を止めた。
「は?」
画面に映っていたのは幼い頃……恐らく幼稚園児の頃の自分。あまり過去の姿を記憶している訳ではないが、首から下げられている懐中時計が自分自身であると証明している。
そして何より問題だったのは写真を撮られた状況だ。幼い時音は、何故か怜二の膝の上に堂々と座ってへらへらした緩んだ顔で彼を見上げていたのだから。
「な……な……」
「時音、精神も五歳児になっててさ、れいちゃんれいちゃんって二階堂にくっついてばっかりで」
「うわあああー!!」
詠の声を掻き消さんばかり叫ぶ。これ以上画面を視界に入れたくなくて、また傍にいる怜二の顔を直視出来ずに逃げ出した。
咄嗟に背の高い甲斐の背中に回り込むと、彼はその場から動かずに一言。
「れいちゃん大好き、だそうだが」
「うわあああー!!」
至極淡々とした声で告げられた言葉に再び時音が逃げ出す。逃げ場を探して一瞬御影と視線が合うが、彼は甲斐以上に駄目だ。にやにやと楽しげな笑みで自分を見てくる御影を無視して時音は結局潤一の後ろに隠れた。ここは安全地帯だ。
「起きて早々だが、元気そうで何よりだ」
「いやあの……騒がしくてすみません」
呆れと安堵が混ざった声が頭の上から振ってきて、時音は羞恥心で顔を背中に隠す。と、不意にくすくすと小さな笑い声が彼女の背後から聞こえた。
「仲がいいな、僕も学生時代を思い出す」
「あ、あの」
「ああ周防、彼はMr.グランヴィル。君と同じ時属性で、小さくなった君を元に戻す為にアメリカから来て頂いたんだ」
「はじめまして、レイ・グランヴィルだ」
結局この見覚えないのない外国人は誰なのかと考えていると、そんな時音に気付いた潤一が紹介してくれる。そしてその名前は、時音にとっても聞き覚えのある名前だった。
「周防時音です。……もしかして、あの若返ったとかの論文の」
「あれを読んでくれたのか?」
「はい、課題の参考になりました。それに助けて頂いて、本当にありがとうございます!」
夏休みの課題で彼の論文を読んだことがあった時音は、彼の名前を聞いてすぐにそれを思い出した。覚えていたのは同じ時属性の人間だったということもあるが、何より名前が彼女の幼馴染みに似ていたからだ。
「僕も一度君と会ってみたかったから、こう言ってはあれだがよかったよ」
「私に、ですか?」
「トキネ。君、一週間ほど私の講義を受けてみる気はないかな」
「え?」
「君に時魔法をレクチャーしてあげたいと、先ほど彼から打診があったんだ。この学校ではどうしても時属性の専門的なことは教えるのが難しいから、私はいい機会だと思うよ」
「僕も学生の頃は基本的に自己流でやっていくしかなかったんだ。時属性は特に独特な魔法の使い方をするし、影人との戦い方も他の属性とは全く異なる。だからそれらを教えておきたいと思うんだが、どうかな」
「戦い方……」
時音はちらりと少し離れた場所にいる怜二を窺った。そういえばそうだ、時音の記憶が途切れる前、彼女達は戦うことに関して意見が食い違って喧嘩していた。
「……」
怜二が彼女の視線に気付く前に時音は目の前に意識を戻す。そして初めて会った同じ属性の彼を見上げると、「ぜひお願いします」ときっぱりとそう言って頭を下げた。
その後、念のため一通りのメディカルチェックを受けた時音は完全に日の暮れた頃にようやく医務室から解放された。
「ありがとうございまし……は?」
「時音」
挨拶をして医務室から出ようとした時音が、扉を開けた瞬間にぽかんと口を開けた。扉の目の前、その廊下の窓際に寄り掛かるようにして立っている怜二を見つけた彼女は「え、なんで」と困惑しながら扉を閉める。
「少し話がある」
「それでわざわざ待って……メールでも入れておいてくれればよかったのに」
「お前が逃げそうだったからな」
「……」
「帰りながらでいい、聞け」
言うだけ言って歩き出す怜二に、時音は気まずい表情を浮かべながら彼の背中を追いかけた。先ほどは色々と混乱していて考える余裕はなかったが、昨日と今日の記憶がない時音からしてみればこうして彼と面と向かって話すのはあの喧嘩以来なのだ。
「怜二、話って」
「この前のことだ」
「……私、言ったこと撤回しないから」
「何でだよ、お前は」
「なんで駄目なの、なんで私が足引っ張る前提なのよ!」
「……」
「死んだ方がましって言ったの、私根に持ってるから」
時音に守られるくらいなら死んだ方がましだと、その言葉はずっと耳に残っている。そしてそれを思い出す度に、時音は何度でも怒りが蘇って来るのを感じた。
睨むように怜二を見上げると、同じように睨むような視線が見下ろして来る。
「……俺だって、撤回しない」
「ふざけ」
「ふざけてねえよ! 大体何でお前が俺を守ろうとするんだ! おかしいだろ!」
「おかしいってどういう意味よ!」
「戦いなんて嫌いな癖に、怖がりで弱っちい癖に強がってんじゃ」
「大事な人を守りたいと思って何が悪いのよ!」
怒りのまま叫んだその瞬間、怜二の目が大きく見開かれた。そしてそれを見て自分の言ったことを振り返った時音は、次の瞬間かっ、と顔が沸騰するような感覚を覚えた。
「……」
「……」
つい今し方まで廊下に響き渡っていた声が止み、薄暗い研究棟の中は一気に静寂に満たされる。
「あ……いや、今のは……」
「時音、お前」
言い訳をしかけたものの何も言い訳できないと思った時音が観念したように口を閉じて俯く。忙しなく指先を動かしながら逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていると、ふっと息を吐くような小さな笑い声が上から聞こえてきた。
恐る恐る顔を上げると、怒っていたはずの怜二が僅かに顔を赤くしながら呆れたように笑っていたのだ。
「ホントに俺のこと好きだな、お前」
その笑みが妙に優しげで、時音は見惚れるのを隠すように再び声を大きくして捲し立てた。
「う、うるさい! 悪かったわね! 振られた癖に諦めが悪くて!」
「お前昔から俺のことすげえ好きだったみたいだからなあ。昨日と今日で何回大好きって言われたことか」
「ひぇ……」
「ま、男を見る目はあると言っておく」
「……この、自信過剰男」
「その男にずっと嬉しそうにべたべたひっついてたのはお前だがな」
「……っ覚えてない時のこと言わないでよ!」
この二日間、覚えのない間に一体自分は何をしでかしていたのか。想像したくないのに想像出来てしまうのが辛い。
怒りながらも、先ほどとは二人の間に流れる雰囲気はまったく異なる。険悪なものがなくなった空間で、時音は無意識に半歩前を歩く怜二の袖を掴んだ。
「……中三の時、影人に襲われたでしょ」
「ああ」
「あの時は潤一さんが助けてくれたけど、その前に怜二に庇われてすごく怖かった。あの訳の分からないものに怜二が殺されるんじゃないかって、私の所為で怪我するんじゃないかって……だから、強くなって自分で戦えるようになれば、怜二を守れるんじゃないかって思った」
御影は守りたいから戦うと言ったが、それは時音だって同じだ。
「……馬鹿か」
「馬鹿じゃないし」
「そうやってお前が俺を守って、それで怪我したら俺がどう思うか分からないんだから馬鹿だって言ってんだ」
「……それは」
「俺がただのプライドでお前に守られたくないと言ったと思ってんのか。藤月祭の時、俺を庇って三葉の前に出たお前が怪我して、俺が何とも思わなかったと思ってるのか」
酷く苦い表情を浮かべた怜二を見て、時音ははっとした。
「俺だって、同じだ」
「……うん、そうだよね」
時音が怜二を傷付けたくないと同じように、怜二だって時音を傷付けたくない。そんな簡単なことはすぐに分かるはずなのに、今までこうして言い争ってしまった。
「……ああもう、ったく」
怜二ががしかしと頭を掻くと、しばらく言い淀んだ後に「時音」と彼女を見下ろした。
「授業については俺が悪かった。過剰反応し過ぎた。確かに身を守る方法を覚えるのは大切だし、誘拐されたお前には特に必要なことだとは思う。……けど、もしまたあんな風に俺を庇うようなことだけはするな、寿命が縮む」
「……断言は出来ない」
「おい」
「だってあの時だって無我夢中で、そんなこと考えてられなかったし。……でも、だったら怜二が危ない目に遭う前に私がそれを止めてみせる。どっちも怪我しないように、ちゃんと考えるよ」
「……時音」
「怜二は知らないかもしれないけどね、私、止めることは大得意なんだから!」
何せ時属性だから、と時音が笑ってみせると、怜二ははああ、と見せつけるように大きくため息を吐いた。
「それで怪我したら、たとえどんな小さな傷でも、どんなに魔法力が無くても今度は問答無用で治すからな、覚えとけ」
「……はーい」
「たく、どれだけ心配掛ければ気が済むんだ」
この先のこともだが、今回小さくなったことも、怜二は本当に冷や冷やさせられた。本当に元に戻るのか。何か後遺症は残らないか。昨日幼い時音の寝顔を見ながら何度もそう危惧していた。
「……本当に、戻ってよかった」
独り言のように怜二が呟いた直後、袖を握る力が少しだけ強まった。