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53話 ずっと言えなかったこと

 六限目の授業の半分が過ぎた頃、三葉は窓際の後ろから二番目のお気に入りの席で頬杖を付きながら視線だけで外を眺めていた。


 幼馴染みで想い人の彼女が小さくなってしまったのは昨日のことだった。おかげで今日の授業はまったく手に付かずこうして最後の授業の今までぼうっとして過ごしてしまっている。事情を知らない友人達にはどうしたのかと不思議そうな顔をされ、更にそのうちの一人には「好きなやつに振られたんじゃね?」などと失礼なことを言われ無言で睨み付けてしまった。



「ほら、二階堂前に高等部の先輩に話しかけに行ってたし。普段クラスの女子とかにも自分から声掛けないくせに」

「え、それマジか」

「そうそう、結構仲よさそうで……」

「勝手に話を広げるな。別に振られてない」

「ん? お前好きなやつに関しては否定しなかったな」

「……」

「やっぱり振られ」

「違うと言っている」



 それから時音のことを根掘り葉掘り聞かれそうになったが全て黙殺した。


 日本史担当の間延びした異様に眠気を誘う声を聞き流しながら三葉が考えるのは当然時音のことだ。



「……」



 小さくなった時音は三葉の記憶通り、本当に昔のままだった。顔も喋り方も好きな物も……そして、怜二に対するストレート過ぎる愛情表現も。「れいちゃん」と、そう言って兄に甘える姿を見て、無意識に三葉はその手を強く握り込んだ。


 見下ろした窓の外を小さな女の子が走り抜けていくのが見えた。そう、時音もあんなくらいにまで縮んでしまった。今日元に戻るとは聞いているが、正直上手く行くか不安だった。記憶まできちんと戻るだろうか。いつもの少しそそっかしくて強がりな彼女は戻って来るだろうか――。



「……は?」



 そこまで考えた所で、ぼうっとしていた頭が急激にクリアになる。その瞬間三葉は授業中だということも忘れて椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がり、教室中の視線が一気に彼に向けられた。



「二階堂、どうした」

「……すみません、少し気分が悪いので保健室に行ってきます」

「あ、ああ。それはいいが」



 いつも真面目な三葉の発言に、教壇に立つ教師は驚きながらも教室を出て行く彼を見送った。

 そして教室の扉をぴしゃりと閉じた三葉は、直後血相を変えて走り出した。向かうのは勿論、先ほど幼い少女を見かけたあの場所だ。



「なんであんな所に時音さんが……!」



 混乱を招くからと研究棟にいるはずの時音が一人で外に出ていたことに、三葉は焦りながら彼女に追いつく為に必死に足を動かした。













 久しぶりの日本に、男は少々気分を高揚させながら藤月学園の門をくぐった。


 日本はお気に入りの国の一つだ。母国は言うまでも無いが、それはそれとして違った方向性で男は日本を気に入っていた。

 外見は三十代、くすんだ金髪に彫りの深い顔、体格の良い体はどう見ても日本人ではないその男は物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回しながら、あらかじめ警備員に尋ねておいた職員室を目指して足を進めている。


 まだ授業中なのか辺りに人気はない。男は静かな敷地内を歩きながら今回日本に呼ばれた目的を思い出していた。

 自らと同じ時属性の人間が日本に現れたという話は以前から耳にしていた。一度会ってみたいとは思っていたのだ。そして出来れば指導もしてやりたいとも。周囲に同じ属性がいないという状況は思った以上に大変だということは経験から分かっており、同じ境遇の人間として相談にも乗ってやりたいと思っていた。

 そう考えていた矢先にこの事件である。同じ経験をしたものとして早く件の少女を元に戻してやりたい。男に当時の記憶はないものの、あの時はさんざん周囲に心配を掛けてしまったのだから。



「パパー、ママー、どこー」

「ん?」



 順調に目的地へと進んでいた男の足が止まる。この学園に不釣り合いなその声がした場所を探してぐるりと視線を動かすと、その小さな存在はすぐに男の視界に入ってきた。

 五歳くらいの黒髪の少女、親を呼びながらとてとてと走るその子を見つけた男は、どうしてこんな所に小さな子供が、と首を傾げた。聞いた話ではこの学園は中等部と高等部しかなかったはずで、そもそもこの年齢で魔法力を持っているとも思えない。



「君、どうしたんだ」



 それなりに得意だと自負している日本語を使って男が話しかけると、少女はびくっと肩を揺らして慌てて近くの木の後ろに隠れた。



「だ、だれ……?」

「親、あー、と……保護者、はいないのか?」

「……」



 出来るだけ聞き取りやすいようにゆっくりと話す男に、子供は怯えた様子を露わにして木の後ろから出てこない。しかしそれでも目は不安そうに男を捉えており、小さな手は首に下げられている金色の懐中時計らしきものを縋るように掴んでいる。子供には少し重そうな年期の入ったものだ。


 それを見て男は「あっ」と声を上げた。ここに来る為にとにかく急いでいたので詳しい話は現地で聞こうと思っていたが、もしやこの子がそうなのか。



「もしかして君が」 

「時音さん!」



 男が少女に近付こうと一歩足を踏み出したその瞬間、酷く焦った声と共に一人の少年が少女と男の間に立ちふさがった。

 女の子を守るように男を睨み付ける少年。そして彼が発した名前を聞いた男は自分の予想が正しかったことを瞬時に理解した。何しろ、名前だけは以前からずっと聞いていたのだから。



「みっちゃん……!」

「この子に何の用ですか。それにあなたは……」

「怪しいものではないよ。僕はレイ・グランヴィル。アメリカからその子を戻す為にやって来た、時属性だ」

「……え?」

「何なら今ここで時魔法を使ってみてもいいが」



 男――レイが名乗ると、途端にみっちゃんと呼ばれた少年――三葉はぽかんとした顔で短く声を上げ、そして恥じるように俯いた。



「そういえばアメリカ人って……すみません。慌てていてつい、また時音さんを狙う不審者かと」

「構わない。それで、彼女が小さくなった時属性の子であっているかな」

「はい。元は高校生だったんですが」



 レイは三葉の背後に抱きつくようにしている少女を観察するように見下ろす。自身の時間が戻ったのは五年ほどだったが、そうなると彼女は随分と時間を戻してしまったようだ。



「職員室はこっちだね?」

「ええ、案内しま……」

「にせもの!」

「は?」



 少し怯えるようにレイを見上げていた時音が突然声を上げる。どこか敵意を含むような視線で男を見上げた時音は三葉の服を皺が出来るほど強く掴みながらむっとした表情を見せた。



「れいちゃんはちがうもん! にせもの!」

「? 僕はレイだが」

「……すみません、ちょっと似たような名前の人がいるんです。気にしないで下さい。ほら、時音さんも失礼なこと言ってないで謝って下さい」

「だって違うもん……」

「はは、ならグランとでも呼んでくれればいいよ」

「ぐら、おじちゃん?」

「おじ……まあいいか」



 苦笑しながら「よろしく、トキネ」と大きな手で頭を撫でると、少女はようやく警戒を解いて三葉の後ろから出てきた。



「ところで……君はこの子のボーイフレンドかな」

「な……違います!」

「? ぼいふれ? 何?」

「時音さんは気にしなくていいですから!」



 いつも冷静な三葉が流石に今日ばかりは動揺してばかりだ。やや顔を赤くしながら否定を繰り返す三葉をレイは微笑ましげに見ていたのだが、三葉はそれを振り払うように首を振って手を繋いで歩き出した時音を咎めるように見下ろした。



「それで、どうして時音さんは一人でここにいるんですか」

「……」

「ちゃんと医務室で大人しくしている約束でしたよね?」

「だって……パパもママもれいちゃんもいなくて、つまんなくて」

「時音さんが居なくなって、きっと今頃大騒ぎですよ」

「……ごめんなさい」



 眉を下げて泣きそうな顔で謝った時音に、三葉は仕方がなさそうな顔で小さくため息を吐いた。



「後で兄さん達に謝りましょう。僕も一緒に居ますから」

「うん……」

「いい子ですね」



 三葉が優しい声を掛けると、時音は零れそうになっていた涙を拭いてぎゅっと両手で三葉の袖を掴んだ。

 










 レイと共に三葉と時音が職員室を訪れると、血相を変えて飛び出そうとしていた潤一とちょうど鉢合わせた。



「時音ちゃん! よかった、三葉が保護してくれたのか」

「じゅんにいちゃん、ごめんなさい!」

「どうやらおばさん達を探そうとしていたみたいで……」

「……まあ、ずっと親が居ないのは確かに不安になるか」



 潤一は短い体を折り曲げている時音に顔を上げさせると、すぐに立ち上がり一緒に来ていたレイを見上げて「Mr.グランヴィルですね。ようこそ日本へ。お迎えに上がれずに申し訳ありませんでした」と頭を下げた。



「いや、構わないよ。それよりも学園長に挨拶を」

「はい、こちらです」



 潤一は怒っていないと示すように時音の頭を優しく撫でると、「三葉、悪いが隣の会議室で時音ちゃんを見ていてくれ」と頼んでレイと共に学園長室へと向かっていった。



 中等部の授業は六限までだが高等部になると七限まである日が多く、そして今日もそうだ。しばらく他の面々も来ないので、三葉は時音を連れて隣の会議室に入り時間まで一人で時音の面倒を見ることになった。

 職員室に居た先生達が次々に時音に菓子を渡していく状況に三葉は苦笑しながら、相変わらず机まで高さが足りない時音の為に膝を貸して椅子に腰掛けた。

 貰った菓子を膝の上でぽろぽろと零しながら食べる時音に注意を促しながら話をしていると、話題は昨日の話になった。



「それでね、かりんおねえちゃんがあいすくれてね、すごくおいしかったの!」

「そういえば昔からアイス好きでしたね」

「あとね、そのあとれいちゃんがばいおりんひいてくれたの!」

「……それは、よかったですね」

「うん! れいちゃんのばいおりんだいすき!」

「……知って、ますよ」



 楽しげに話す時音に、無意識の内に彼女を支えるように回していた腕に力が籠もる。

 時音が怜二のバイオリンが好きなんて、そんなことは嫌という程知っている。いつだって、彼女の一番は。






「時音さん」

「もう、だからおねえちゃんだってば!」

「……時音さん」



 膝に座る何の警戒心もない少女を、抱きしめた。腕の中に閉じ込めるように強く。



「――好きです」



 今しかないと、そう思った。

 今の時音に高校生の記憶はない。そして、元に戻れば今の記憶も忘れてしまうだろうと言っていた。

 今ならば、何を言っても忘れてもらえる。なかったことにできる。そう思ったら、三葉はもう止まらなかった。



「昔からずっと、時音さんが好きでした……!」



 この姿の、幼い頃からずっと三葉は時音だけを見てきた。伝える資格がないと思いながらも、ずっとこうしてこの気持ちを告げたかった。



「たとえ、時音さんが兄さんを好きでも、僕は」

「みっちゃん」



 時音の声に、三葉はっと我に返った。それと同時に、きつく抱きしめていた腕が力を失う。



「時音さん……」



 するりと時音が三葉の腕から抜け出し、彼女は小さな体で机の上によじ登った。そして膝立ちになると、動きを止めた三葉の頭を抱え込むようにぎゅっと抱きつき、その小さな手で彼の髪を撫で回した。



「ときねもね、みっちゃんのことだいすきだよ!」

「……っ」



 へらっとした笑顔が至近距離から向けられる。何の打算も思惑もない純粋なその言葉に、三葉は暫し思考を止めた。


 好き。

 そのたった一言が何よりも欲しかった。嘘でも、自分の抱く感情とは違っていても。それでも、一度でいいからその言葉が自分に向けられたかった。

 じわりと、ほんの少しだけ視界が潤んだ。



「嬉しい、です。……僕も大好き、ですよ」

「じゃあおそろいだ!」



 時音が無邪気に笑う。その表情を見て、彼は長年積み上げてきた想いが、少しずつ溶けていくのを感じた。



「時音さん」



 好きだと告げて、好きだと言われて。張り詰めていた心が僅かに緩んだ。

 吹っ切れた訳ではない。それでも、心に一つの区切りが付いたのは確かなことだった。




「ありがとうございます……お姉ちゃん」



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