51話 在りし日の幼馴染
しばらく目の前の状況に混乱して固まっていた潤一は、授業終了のチャイムが鳴り響くと同時にようやく我に返る。
時音が小さくなった。恐らく時魔法が暴走した結果で、自分自身の時間を戻してしまったと考えれば時音には決して不可能とは言えない。時魔法による若返りについての論文を薄ら思い出した潤一は、とにかく今は時音の状態を調べる為に医者に見てもらわなければならないという結論にようやく達した。
素早く学園長へ現在の状況を報告した潤一は、自分が着ていた上着を被せて制服ごと時音を抱え込む。そしてすぐに部屋を出て行こうとした潤一は、入口の前に来た瞬間に勝手に開かれた扉に悪い予感が過ぎった。
「時音、一緒に戻ろうぜー」
「だから俺を引っ張るな!」
「二階堂先生、お疲れ様です」
扉の先には、すぐ近くの部屋で同じく授業をしていた光と闇のコンビ、そして彼らを担当する女教師が居た。
御影に引き摺られるようにしてやってきた怜二は彼の手を振り払うと、目の前の潤一を……そしてその腕に抱える少女を視界に入れる。
「……は?」
同時に御影も亜佑も、寝息を立てる少女をぎょっとした目で見つめる。そんな三人の様子に、面倒なことになったと潤一は空いてない手で額を押さえたくなった。
「に……」
「に?」
「二階堂先生に隠し子が!!」
「そんな訳あるか!」
悲鳴を上げんばかりに叫んだ後輩教師に、潤一は思わず同じくらいの怒声で返してしまった。
「疲れた……」
ようやく時音を研究棟にある医務室のベッドに下ろすと、潤一は心底気持ちを込めてため息を吐いた。ここまで来るまでに状況を説明し弁解することにかなり疲れてしまった。
隠し子隠し子とうるさい亜佑に違うと強く否定すれば、今度は子供が時音に似ていることに気付いた御影が「生徒と不純な交際、よくないですよ」と爆笑を堪えながら告げられ、そして更にそれを真に受けた怜二が「俺が一番とか言っておきながら本当は兄貴と付き合ってやがったのかあいつ!?」と本気で信じかける。
そんな混沌とした状況に、潤一も流石に「お前らいい加減にしろ!」と普段の穏やかな皮をかなぐり捨てて一喝してしまった。そして医務室に着く頃にようやく魔法に失敗して時音が小さくなったことを理解させたのだ。非常に疲れた。
すやすやと呑気に眠る幼い時音を見下ろした潤一はその平和な寝顔を見て一時心が休まった。幼い子供は見ていて癒やされるものだ。
「……で、どうして増えている」
しかし潤一が時音から視線を外して顔を上げると、そこには先ほどまで居なかったはずの生徒が三人増えているではないか。騒がしく医務室に入ってきた詠、華凛、甲斐を目に留めた潤一はちらりと主犯に目をやる。そこには御影がてへ、とでも言いたげな表情で携帯に触れていた。
「だって皆も気になるかと思って」
「……椎名、性格戻ってないか」
「あれだけ長い間演じてたら本物になっちゃいますって。……あ、勿論皆を裏切るようなことを考えてませんから!」
「分かっているよ」
途中ではっとしたように真面目な顔をした御影に潤一は安心させるように頷く。……頷くものの、その性格はちょっと直してほしいとも思わないでもなかった。
「ねえ、本当にこの子時音なの?」
「かわいい……ほっぺ柔らかい」
女子組がベッドで眠る時音を覗き込んでは頬を突いたり髪を撫でたりしている。そして彼女達の傍にいる甲斐は「時魔法とは……」と普段変えない表情を僅かに驚きに傾けて観察しており、そして怜二は先ほどから眉間に皺を寄せて少し離れた場所から時音を窺っていた。
昨日言い争った幼馴染みが今日見てみると見事に縮んでいるのだ。表に出ている表情以上に動揺してしまっている。
「兄貴、こいつ元に戻るのか」
「私も専門じゃないから何とも言えないが……しかし同じような事例が過去にあったらしい。学園長にも報告したから、今は時音ちゃんに異常が無いか見てもらうのが先だ」
「……異常だらけだろ」
怜二の言葉に確かに、と潤一が頷いていると、ベッドの方から「あ、起きた!」と詠の声が上がった。
「時音!」
「時音ちゃん、大丈夫!?」
同時にすぐさま全員がベッドの傍に集合する。沢山の視線を浴びた時音は、薄く目を開くとぼうっとした表情できょろきょろと辺りを見回した。
そして、きょとんとした顔で首を傾げる。
「だれ?」
「え」
「おねえちゃんたち、だれ? パパとママは?」
時音の舌足らずなその発言に、全員が一瞬動きを止めた。
「周防……何言ってるんだ」
「もしかして、記憶ないんじゃ」
「周防さん、誰のことも分からないの?」
「ねえ、ここどこ? ときね、なんでここにいるの……?」
一同が困惑していると、何も分からないことに不安になった幼い時音がくしゃりと表情を歪めた。今にも泣き出しそうな予兆に、周囲は余計に動揺を酷くした。
「……時音ちゃん、私のことも覚えていないかな」
そんな中、一番冷静だった潤一がベッドの傍に膝を着いて時音と視線の高さを合わせる。目尻に涙の粒を浮かび上がらせていた時音は、優しげな声に反応して潤んだ目で潤一を振り返った。
しばし見つめ合う。その瞬間、騒がしかった医務室はやけに静まりかえっていた。
「……じゅん、にいちゃん?」
「そうだよ時音ちゃん、お隣の潤兄ちゃんだ」
「じゅんにいちゃん!」
ばっと時音がベッドから体を起こして潤一に抱きつく。その所為で脱げかけていた制服から肩が出てしまい、潤一は慌てて彼女をくるんでいた自分の上着で改めて時音の体を覆い隠した。
しかし幼女はそんなことはお構いなしにぎゅっと潤一の首に抱きつく。知らない人間に囲まれていたのが怖かったのか彼の服を強く掴んで離さない。
「……やっぱり、今までの記憶が抜けてるらしいな」
「抜けてるというか、本当にそのくらい……五歳くらいまで体も心も戻っちゃったみたいね……」
「というか、先生知ってるなら当然怜二のことだって分かるんじゃないのか?」
「あ、そういえば」
御影の言葉に先ほどから信じられないとばかりに固まっていた怜二に視線が行く。皆に見られていることに気付いた怜二ははっと我に返ると、恐る恐る、といった様子で潤一の……時音の傍に近寄った。
「……おい、時音。お前本当に」
「だれ?」
「は?」
その瞬間、部屋の温度が確実に下がったような気がした。どういうことだと怜二が時音を問い詰めようとすると、その前に潤一が弟を宥めるように手で制す。
「時音ちゃん、怜二だよ。分かるだろう?」
「れいちゃん……?」
「ぶはっ、怜二、れいちゃんって呼ばれてんのかよ」
「お前は黙――」
「違うもんっ! れいちゃんじゃない!」
怜二の言葉を遮るように時音が声を張り上げる。抗議するように潤一の腕をばしばしと叩いた彼女は怒りながら怜二を小さな手で指差した。
「だってれいちゃんはときねよりもちっちゃいもん!」
「こいつは……!」
「二階堂押さえて押さえて!」
「相手は幼児だ」
そんな認識で判断されていたのかと、そして兄が分かった癖に自分のことは分からないのかと苛立った怜二を左右から詠と甲斐が止めに掛かる。
「……時音ちゃん、実はここは君が知るよりも未来なんだ」
「みらい?」
「そうだ。時音ちゃんは覚えていないけど本当は君も怜二と同じ十五歳で、少し事情があって小さくなってるだけなんだ」
「??」
時音を抱き上げる潤一がゆっくりと時音に状況を説明する。が、幼い頭ではちっとも理解できなかったようで「ときねはごさいだよ?」と不思議そうな顔をするばかりだ。
「あー……なんて言えばいいか」
「先生、俺に任せて下さいよ」
「椎名?」
「別に正しく理解させなくても、要は納得させればいいんでしょう?」
御影は自信満々に胸を叩くと、時音の顔を覗き込んで友好的な笑みを浮かべた。
「時音、はじめまして」
「……はじめまして? おにいちゃんだれ?」
「俺は魔法使いだよ」
「まほうつかい……シンデレラのまほうつかい!」
「うんうんその魔法使いだ。俺は皆のお願いを叶えるのが仕事でね、それでここにいる怜二が『大きくなりたい』ってお願いごとをしたから叶えてあげたんだ」
「おい」
「すごーい! まほうすごい! れいちゃんちっちゃいのきにしてたもんね!」
「時音、だから貴様……」
「二階堂君落ち着いて」
今度は華凛に宥められた怜二は何も言えず、そして発散できなかった怒りの矛先を変えて御影の背中を軽く殴った。
「いてっ」
「適当なことを言うな!」
「でもほら、納得したみたいだしいいじゃん」
「れいちゃん? ほんとにれいちゃんなの? ほんとにほんと?」
「……だから、そうだって言ってんだろうが!」
怜二が痺れを切らしたようにとうとう時音を怒鳴りつける。途端に時音は驚いたようにびくっと小さな肩を跳ね上げ、その目を大きく見開く。
まずい、怖がらせてしまったと怜二が後悔してももう襲い。いつもの時音とは違い、ここにいるのは五歳児の女の子なのだ。
泣き出してしまうと周囲が恐れたその瞬間、しかし時音は驚いた表情を崩すと途端にぱあ、と予想外にも満面の笑みを見せた。
「ほんとだ! すぐおこるかられいちゃんだ!」
「おい」
時音の発言に思わず全員が拍子抜けしてがくりと肩を落とす。「その認識でいいのか」と甲斐がぽつりと突っ込みを入れる。
予想外過ぎる言葉に怒る気も失せてしまった怜二に対して、時音はふにゃりと心底嬉しそうに笑いながら彼に向かって手を伸ばす。そんな様子につい昔の時音を思い出しながら、怜二はため息を吐きながら潤一から時音を預かった。
「れいちゃん」
「なんだよ」
「おおきくなってかっこよくなったね!」
「……」
「お、怜二照れてんのか? もしかしてロリコ」
「死ね」
しがみついてくる時音を左腕で支えながら御影を殴ると「怜二、時音ちゃんを抱えたまま殴るんじゃ無い」と潤一から注意が入る。
「先生、突っ込む所が違うと思うんですけど……」
「……すまん、色々と頭が回っていない」
「まあこんなこと起こるとは思いませんもんね……」
亜佑が思わず突っ込みを入れると、潤一は疲れたように肩を落としてため息交じりにそう言った。
「ねーねーれいちゃん、みっちゃんは? いないの?」
「三葉も……まあいるが」
「みっちゃんとこにもいく! なかまはずれはよくないんだよ!」
「……どうすんだよ兄貴」
「……あー、時音ちゃん。三葉は今ちょっと忙しいから後で会わせてあげるよ」
「えー」
「いいのか」
「突然こんな状態になったんだ。周防さん達には会わせられないし、少しでも知り合いで固めた方が精神的にいいだろう。三葉が周囲に吹聴するとも思えないしな」
今の時音は五歳児で、しかもいつ戻るかも分からないのだ。知らない人間が大勢いる場所に居続けるのは精神的にも辛くなるだろう。今は出来るだけ負担を掛けない方がいいと潤一は判断した。
「というか先生、私達もそろそろ次の授業の時間が……」
「……そうだな。お前達もさっさと戻るんだ。時音ちゃん……周防はここで検査をお願いしておく」
潤一が壁時計を見上げて眉を顰めると、御影達を促して医務室の外へと促す。
怜二も時音をベッドへ下ろそうとするが、しかし制服を逃がさないとばかりにぎゅっと握られて離れることができなかった。
「時音」
「れいちゃんどっかいくの? ときねもいっしょにいく!」
「駄目だ。お前はここにいろ」
「やだ!」
「我が儘言うなよ」
「やだ! なんでれいちゃんはよくてときねはだめなの! ずるい!」
時音はむっと頬を膨らませてより服を掴む手を入れる。若干面倒になった怜二が無理矢理手を離させようとするが、しかし子供ながら意外に力が強い。
「ねえ時音ちゃん」
いい加減にしろ、と苛立ち混じりに怜二が言おうとした直前、二人の間に別の声が割って入って来た。その声の主――華凛はしゃがんで時音の顔を覗き込むと警戒させないように優しい顔で口を開いた。
「時音ちゃんアイス好き?」
「あいす……だいすき」
「冷たくて美味しいよね。いい子で待ってたら後でご褒美にお姉さんがアイスあげるよ」
「……」
時音の手が僅かに力を緩ませる。怜二と華凛を交互に見る時音は「れいちゃん……あいす……」とぼそぼそと呟いてその心が揺れているのがよく分かる。
「このちっちゃい時音にとってアイスと二階堂は同じ価値なのかな」
「真宮寺……」
「ごめんごめん」
詠の小さな独り言を聞きつけた怜二が彼女を睨む。自分を選ばれても困るがアイスを取られるのも何か癪である。
「そうだ時音、ついでに怜二が一つ何でもお願いを聞いてくれるってさ」
「ほんと?」
「そうそう、怜二も魔法使いの見習いだからな」
「だから貴様な適当なことを言うなと何度言えば……!」
「わかった! ときねおるすばんする! だかられいちゃんはおねがいごとかなえてね!」
「……はあ、何を要求するつもりだお前は」
「ばいおりんひいて!」
「はいはい分かった分かった。後でな」
元気よく片手を上げて願い事を口にした時音に、まあそれくらいならと怜二も頷く。昔から言うことが変わらないと思いながら、彼は制服を時音の手から外して彼女の首元に手を伸ばした。
しゃんと軽く音を立てて懐中時計のチェーンを掴んだ怜二はそのまま引っ張って時計を取り出し、表の蓋を開けて時音の耳にぺたりとくっつけた。
「これでも聞いてろ、そうすればあっという間だ」
「うん……」
今まで大きな声で騒いでいた時音が、時計を耳に当てられた途端にぴたりと大人しくなる。
「すげー、流石幼馴染み。よく分かってんな」
一言もしゃべらなくなり静かに時計の音を聞いている時音に、御影達は少し驚いたように感嘆の声を上げた。
そしてそんな彼らをちらりと見た怜二は、ふん、と鼻を鳴らし不機嫌そうな――しかしどことなく照れくさそうな顔を作った。
「……当然だ」