5話 家族
「時音……ずっと黙ってて、ごめん」
隣家から迎えに来た両親を見て、時音は何を言っていいのか分からずに小さく頷いた。
二階堂家に頭を下げてからとぼとぼと短い距離を三人で歩く。その間会話は一切無かったものの、両親二人が仕切りに時音を心配そうに振り返る姿を見て彼女は少しだけ安心した。二人は時音をちゃんと気にしてくれている。
そして、怜二に言われた言葉を思い出した時音は「大丈夫」と自分を落ち着かせるように小さく呟いて二人の背中を追った。
家に入った三人は流れるようにリビングへと入り、そしてソファに腰掛けた。時音の目の前に座った両親は相変わらず深刻そうな顔で娘を窺い、そして何度かもの言いたげに口を開いては閉じ、言葉を探しているようだった。
そんな二人を見た時音の方が、待ちきれなくなって先に声を上げる。
「ねえ、さっき言ってたことなんだけど……その、本当なの? 私が……」
「……そうだ」
どこか観念したように、項垂れるようにして父親が頷く。隣の母親も酷く不安げな顔をしていた。
「私達と時音は、血が繋がっていない」
ぐさりと心臓にナイフを刺されたような気がした。はっきりと言葉にされると、想像以上に苦しくなって息が詰まる。
「私もお父さんも、時音がいつかこのことを知るかと思うと怖かったの。今までの家族が壊れてしまうかもって、本物じゃない親なんかいらないって言われたらって」
「お母さん……」
心の奥底にずっとあった不安を吐露した母を時音はじっと見つめる。そしてややあって、彼女は場違いに小さく笑った。
「時音?」
「ごめん……皆同じように不安だったんだなって。私も、二人にいらないって言われるのが怖かった」
不安だったのは時音だけではない。両親二人も同じように、家族がばらばらになってしまわないか心底心配していたのだ。
「時音、今から全てを話す。だけど、これだけは覚えておいてくれ。私達はたとえ血が繋がっていなくても、時音のことを本当に自分達の娘だと思って育てて来た」
「……うん」
時音が一つ頷くと、父はほっとしたように息を吐いてから母を窺った。
視線を受け取った彼女は時音に向き直ると、「実はね」と少し寂しそうな表情を浮かべて自分の腹をそっと撫でた。
「お母さん、昔大きな病気をして……それから子供が産めなくなったの」
「……え?」
「それでもお父さんは結婚してくれて、だけど、私はどうしても子供が欲しかった。それで、二人で話し合って児童養護施設の子供を養子に迎えることを決めたの」
「養護施設」
つまり時音は、元々施設に預けられていた子供だったのだ。親戚や知り合いの子供でもない、本当に無関係の間柄だったということだ。
「……」
「私達が時音に会ったのは生まれて一年もしない頃で」
「ね、ねえ! 私はどうして施設に預けられてたの? その、産みの親は居なかったの……?」
「時音は……生まれて間もない頃に、施設の前に置き去りにされていたと職員の人に聞いた」
「!」
置き去り。それでは自分は、捨て子だったのだ。時音が膝の上で震える両手を握りしめて俯くと、すぐに立ち上がった母親が彼女の隣に座り時音を強く抱きしめた。
温かい。しかし時音の心はどんどん冷えていくような気がした。
「私……いらない子供だったんだね」
「そんなことない!」
「お父さん達はそう言ってくれるけど、私を産んでくれた人は私が邪魔で――」
「違う。時音……きっと、違うんだ」
父が首を振って諭すように言う。母の胸からゆっくりと顔を上げた時音は、その言葉に小さく首を傾げた。
「時音は私達にとってかけがえのない大切な子供だ。……それはきっと、時音を産んだ人もそうだったと思う」
「何でそんなこと、私は、捨てられていたのに!」
「時音という名前は、時音の産みの親からの贈り物だ」
「な、まえ?」
「時音が見つけられた時、着ていた服に時音という名前が刺繍されていたと聞いている。それに、それだけじゃない」
「いつも持ってる懐中時計があるでしょう。あれも、あなたが見つかった時に一緒にあったものなの」
時音は慌ててポケットを探り、先ほど怜二に渡された懐中時計を取り出した。
「これが」
今日もカチカチと音を立てる懐中時計。時音の心をいつも支えてくれる大切なものだ。それが、血の繋がった時音の親からの贈り物だった。
懐中時計を持つ時音の手を、母の手が上から包み込む。
「昔から時音はそれが近くに無いと絶対に眠らなかったのよ。時音にとって、それは本当に大切なものでしょ」
「……うん」
「本当の親御さんが残してくれた時音へのプレゼントだ。だから、その人もきっと時音のことを想っていたと……私は思っている」
両親の言葉に時音は手の中の時計の蓋を開け、規則的に動く針を見つめた。
時音の懐中時計は安物ではない。実際にいくらかは分からないが、新品ならば結構な値段がするのは間違いない。値段で愛情を測る訳ではないが、少なくとも愛情の欠片も持っていない赤ん坊の託すようなものではないのだ。
実際の真相は分からない。産みの親にとっては何の意味もなかったのかもしれない。むしろ少しでも情があったのならどうして捨てたのかと問いたくてたまらない。
それでも、この時計が時音にとって無くてはならないものであるのは確かで、これを残してくれたことに感謝する気持ちもある。だから時音は、父の言う通り時音を想ってこの懐中時計を託してくれたのだと、真実はさておきそう信じたかった。
「……どうして、お父さん達は施設で私を選んでくれたの?」
「私達が施設を訪れた時、出てきた職員の背中に時音がおんぶされていたんだ。時音は私達をじっと見て、それから笑ってくれた。……この子と家族になりたいと、その瞬間に思った」
「……」
「時音。時音を育てて来たのは私達が望んだことだ。私達が時音と家族になりたくて選んだんだ。時音は……全てを聞いて、血が繋がっていなくても、それでも私達を家族だと思ってくれるか」
「あ……当たり前だよっ!」
慈しむような表情で時音を見る両親に、彼女は隣に座る母親の腕を強く抱きしめながら叫んだ。
「お父さん、お母さん」
「そう、呼んでくれるんだな……ありがとう」
「それは私が言うことだよ! あのね、何の繋がりもなかった私を養子にして、育ててくれてありがとう。他人だった私を……家族だって、言ってくれて……本当に、ありがとう」
ぽろぽろと、時音の目から涙が零れ落ちる。先ほどとは違う理由の涙に、時音は縋りつくように母の腕に顔を押し付けた。
ぎし、とソファが軋み、母とは反対側の時音の隣に父が座ったのが分かった。
そっと、大きな手のひらが時音の頭に乗った。
「時音、藤月に行くんだな」
「……っうん」
「たとえ離れて暮らしていても、ここはずっとお前の家だ。長期休暇には必ず帰って来なさい」
「友達が出来たとか、勉強が難しいとか、どんなことでもいいからちゃんと連絡しなさいね」
「うん……お父さん、お母さん、ありがとう」
時音は幼い頃に戻ったかのようにわんわん泣きながら、両親の優しさの中で眠りに着いた。
そして眠る彼女の傍らには、カチカチと時を刻み続ける音があった。
「忘れ物はない?」
「大丈夫!」
「怜二君達に頼り過ぎては駄目だぞ?」
「分かってるって!」
早朝、時音は大きな荷物を持って怜二と三葉と共に駅のホームに立っていた。目の前には周防家、二階堂家の両親が揃い、時音たちが出発する見送りをしに来ている。
今日は藤月学園の入学式だ。時音は心配そうにいくつも言葉を投げかける両親に返事をしながら、隣で欠伸をする怜二をちらりと窺った。
まさか怜二と一緒に藤月に通うことになるとは数か月前までは思いもしなかった。怜二も時音に続いて魔法力が発現したというのだから、最初にそれを聞いた時には本当に驚いた。しかしこれで一緒の学校に通えることになったのだ。
「怜二、三葉、時音ちゃんが困ってたらちゃんと助けてあげるのよ」
「はいはい」
「分かりました」
「潤一によろしくね」
そんな会話をしていると放送と共に電車が駅のホームに滑り込んで来る。開かれた扉は朝早い所為か誰も降りては来ず、時音達は重い荷物を背負い直して電車の中へと足を踏み入れた。
「行ってらっしゃい」
振り返れば四人の大人が時音達を見ている。
行ってらっしゃい。昔から数えきれないほど言われて来たその言葉を改めて噛みしめた彼女は両親に向けて笑顔で手を振った。
「行ってきます!」