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49話 それぞれの想い


「三葉? こんな所でぼうっとしたどうしたんだ」

「……兄さん、ですか」



 図書委員の仕事を終えた後、三葉は寮に帰る気にもなれずに学園内をふらついていた。そして目に付いたベンチになんとなく腰掛けた彼は、そのまま思いを馳せるように空を見上げていた。

 それからどれくらい時間が経ったのか、突然自分の元へやってきた潤一に三葉が我に返ると、もう日が沈みそうになっている。



「お前が珍しく一人でぼけっとしてたのが見えたから来てみたんだ」

「そうですか」

「それで? 何かあったのか?」

「……別に、何でもありませんよ」

「そうか」



 ベンチに座る三葉の前に立っていた潤一は、静かに首を振った弟に淡々と返事を返す。しかしそのまま立ち去ることなく、彼は三葉の隣に腰掛けると弟を特に窺う訳でもなく遠くを見つめた。

 しばらく二人の間に沈黙が流れる。会話どころか視線すら合わせることなく、ただただ二人揃って宙に視線を投げるばかりだ。



「……」



 先に隣を窺ったのは三葉の方だった。

 潤一はこういう時、何かあったのだろうと確信していても決して無理に聞き出そうとはしない。しかしこちらに興味がないという訳でもなく、話したいのならば話せばいいとばかりに、無言でも近くに居座る。

 それが、潤一が自然に話を聞き出す為の作戦だと流石に長年兄弟をやっている三葉だって分かっている。……しかし、分かっていてもつい兄の思惑に乗ってしまう自分がいた。

 結局三葉も、誰かに話を聞いて欲しかったのかもしれない。



「時音さんが……あの人に告白したと、そう言ってました」

「そう、か」

「兄さんは、多分僕よりも先に知ってましたよね」



 僅かに責めるような声色を感じ取った潤一は、何も言わずにようやく三葉の方を振り返った。

 時音が怜二に告白したことは勿論潤一は耳にしている。だが、彼はようやく時音が告白出来たことを純粋に喜ぶことは出来ずにいた。教室で詠の言葉を濁したのもその為だ。


 この件に関しては、潤一は誰の肩を持つこともしないと決めている。必ず誰かの想いが犠牲になってしまうのだから。 



「……お前は言わなくていいのか」

「何の話ですか」

「分かってる癖に誤魔化すのか。知ってたよ、お前の気持ちだって昔から」

「……」



 三葉は返す言葉を失って俯く。恐らく気付かれているだろうということは何となく分かってはいたものの、こうも真正面から指摘されると酷く苦い気持ちになる。

 兄は見ていたのだ。三葉がずっと、勝ち目の無い惨めな戦いをしている所を。



「……あの人がずるいと、ずっと思っていました」

「三葉」

「だってそうでしょう。兄さんは、僕がどんなに望んでも望んでも手に入らないものをずっと持っていた……それに全然気付きもしない癖に!」



 歯を噛み締めて、拳を握りしめる。それでも溢れそうになる感情を抑えきれずに、三葉は今まで誰にも言わなかった感情を吐き出した。



「兄さんが、妬ましくて堪らなかった……!」











 昔から、物心付いた時にはその光景は当たり前のものだった。



「れいちゃんすごい! いちばん! すごい! かっこいい!」

「とうぜんだろ!」



 幼馴染みのお姉ちゃんのきらきらした目は、いつだって三葉ではなく一つ上の兄に向けられていた。

 二人が小学校に上がった時の初めてのテストで百点を取った怜二に、時音は「すごい、いちばんかっこいい」と何度も何度も繰り返していた。その時には既に、何度目か数え切れないほど三葉は怜二のことをずるいと思っていた。


 時音のきらきらを三葉は自分に向けて欲しかった。兄ではなく、自分を一番だと言って欲しかった。

 だからこそ三葉は怜二を追い抜かすことに躍起になった。兄よりも自分が優れていると分かったら時音はきっと自分を見てくれるとそう思ったというのに……それでも時音の一番は、ずっとあの男だった。


 三葉がどんなに上手にバイオリンを弾こうが、彼女を泣き止ますのは兄の音だ。それを悟った瞬間、いくら才能があると先生に褒められようがバイオリンを弾くことに価値が無くなってしまった。



「羨ましくて、妬ましかった」



 怜二はいつも周囲を妬んでいたが、三葉はそんな兄が妬ましくて仕方が無かった。



「……けど、僕に伝える資格なんてありませんよ」

「資格って、お前」

「僕はずっと逃げていました。いつか時音さんが兄さんに愛想を尽かすまで待つつもりで……だけど、時音さんはきっと諦めることはないだろうと、どこかで分かっていました」



 実際に先ほど、直接言われたことだ。それに三葉だって、時音に想いを寄せながらも、それでも彼女が怜二を諦めるという姿がどうしても想像できなかった。

 怜二には勝てない。そう心のどこかで最初から敗北を悟っていた。

 だからこそ、頑張ってなど自分の意志に反することを言ってしまった。背中を押してしまった。



「本当にいいのか」

「言っても時音さんに迷惑になるだけです」

「けど、それじゃあお前がずっと苦しいだけだ」

「いいんですよ……慣れてますから」

「……」



 何か言いたげな潤一の視線から逃れるように三葉は俯く。

 言える訳がない。告げて、信じられないような表情を浮かべる時音を見たくない。時音が三葉のことを弟としか思っていないことなんて、昔からずっと知っているのだから。


 けれど、それでも。もしこの気持ちを伝えられたら。そうしたらこの気持ちに区切りが付けられるだろうか。少しでもこの苦しみは減るだろうか。

 決して叶わないことを考えながら、三葉は愛しい少女のことを思い浮かべた。



「時音さんが幸せになるなら、それでいいんです」



 今度は、心にも無いことばかりでもなかった。














「やっと帰って来たか」

「あ」



 寮に戻った時音を真っ先に迎えたのは、入り口の前に待ち構えていた怜二だった。どんなに時音が逃げようと、最終的に戻ってくるのは此処に決まっている。

 時音は反射的に逃げようと踵を返す。しかしすぐさま距離を詰めた怜二が腕を掴む方が先だった。



「逃げるな!」

「……っ」



 怜二の声に時音は動きを止めた。そうだ、三葉と話しちゃんと彼と向き合うと決心したはずだ。

 時音は逃げそうになる足を止め、そして緊張をほぐすように深呼吸をした後くるりと彼を振り返る。



「その……ずっと逃げてごめん」

「……ああ」

「私の方が言ったのに、本当にごめんね」

「なんだよ、急にしおらしくなって」



 今まで魔法を使ってでも全力で逃げ切っていた彼女の変化に怜二は少々戸惑った。調子が狂う、と頬を掻くようにした彼は、そのまま掴んでいた時音の腕を引いて歩き出す。

 寮の入り口から少し離れた場所で立ち止まった怜二は、周囲に人が居ないのを確認するとようやく時音の腕を離した。



「この前の話だが」



 びく、と反射的に時音が肩を揺らす。ごくりと喉を鳴らしながら次の言葉を待っていると、怜二は少し迷うように視線を彷徨わせた後に「悪かった」とぼそぼそと告げた。



「え?」

「お前の気持ちなんてちっとも気付かなかったし、だから無神経なことも言ったし……」

「……」

「何だよ?」

「怜二が謝るなんて、すごく珍しい」

「茶化すな、俺だって謝る時は謝る」



 怜二がふてくされたような顔をする。

 しかしこのことで謝られるとは思ってもみなかった。それに動揺して思わず場を濁すようなことを言ってしまった時音は、真剣な表情に戻った怜二を見て、とうとう来てしまったと口の中に苦い味を覚えた。



「それで、時音」

「……うん」

「悪い。お前の気持ちには答えられない」

「……」



 はっきりと告げられた言葉は、分かっていても時音の心に突き刺さった。



「俺、お前のことそういう風に考えたことなくて……それに、まだ吹っ切れた訳じゃない」

「怜二、華凛のこと」

「椎名を好きだときっぱりと言われたが、それでもまだ完全には……」



 あの事件以降、華凛と御影が結局どんな関係に落ち着いたのか時音は聞いていない。ただ、端から見ると良い雰囲気で、むしろ華凛の方が押し気味に見えるほどだ。彼女の気持ちは未だに変わっていないのだと察しているのは時音だけではないだろう。


 華凛が怜二を振ったことは時音も承知だ。けれど、怜二もまたその想いを引き摺っている。その事実を直視して、時音は泣きそうになるが、それを必死に堪えた。



「分かってた」

「時音」

「分かってたの、怜二の答え。だから聞くのが嫌で逃げてた。迷惑掛けてごめんね」

「……迷惑とか、そういうこと言うな。俺は」

「でも! それでも私……まだ、怜二を好きでいたら駄目かな」



 時音が決死の思いでそう言い募ると、怜二は驚いたように大きく目を見開いた。


 怜二がすぐに華凛を忘れられないように、時音だって怜二を簡単に諦められない。本当は自分を好きになってほしい。けれどそれが叶わないのなら、せめて想うことだけは許してほしい。今までのように軽口を叩くことはできないかもしれない。それでも、時音はただの幼馴染みに戻りたくはなかった。


 身を固くしてじっと返事を待つ。すると怜二は気恥ずかしそうに視線を逸らし、早口になりながら返事をした。



「……お前の心まで強制するつもりはない」 

「それは、つまり」

「だから! 好きにしろって言ってんだ!」 



 怒鳴るように言われた言葉に時音は思わず片手で口を覆った。そしてじわじわと胸の奥に安堵が広がっていくのが手に取るように分かる。

 振られたばかりだというのに、それでもその瞬間、時音の心にあったのは大きな安堵だった。好きでいることが許された、否定されなかった。今はそれだけで十分だった。



「……ありがとう、怜二。好きでいさせてくれて」

「別に、礼を言われることじゃないだろ……」

「それでも言いたかったから、ありがとう」

「……そうかよ」



 時音が気の抜けた表情で怜二に笑いかける。チャンスがあるかなんて分からないが、それでも想い続けて良いと本人に認めてもらえたのだ。


 怜二はそんな幼馴染みの顔をちらりと横目で窺った。いつもは意地っ張りで強がりな時音が今日は妙に素直で、本当に調子が狂ってしまう。ましてや振ったというのに好きでいさせてなんて言い、頷けばお礼を行ってくる始末。



「……ったく」



 照れ隠しのように呟いた怜二はすぐに時音から視線を外して彼女に背を向けた。


 ずっと見て来た顔だというのに、その時はどうしても時音を直視することができなかった。



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