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47話 闇が明ける

 まず時音が取った行動は、くるりと踵を返して走り出すことだった。



「大人しくしていろ」



 しかしすぐさま背後から口を塞がれて押さえつけられる。パニックになりかけながらも全力でその手から逃れようとするが、手足に何かが巻き付いて時音の動きを阻害した。

 ちらりと見下ろすと、手足を拘束していたのはいつかの時と同じ闇だった。



「!」



 ほんの少し前まで学園中を覆っていたそれを思い出して思わず体が硬直する。その隙に仮面の男はあっさりと時音の首に魔法力の抑制装置を巻き付けて肩に担ぎ上げた。

 これでは前のように時間を止めて逃げ出すこともできない。口を押さえられている為声を出すこともできず、時音はそのまま音も無く学園の外まで連れて行かれてしまった。

 全ての抵抗を封じられ、時音はそれでも逃げようと身をよじらせたが全く効果はない。


 時音は肩の上から自分を担ぎ上げる仮面を恐る恐る見下ろした。声といい闇属性といい、そして顔に付ける仮面といい、恐らくこの前時音を狙った男と同一人物で間違いない。

 一度担ぎ直されて口から手を離されると、今までの息苦しさに思い切り外の空気を吸い込んだ。学園からはどんどん離れていってしまう。しかし夜中で辺りは暗く、住宅街もないこの場で叫んだって誰にも届かないことは明白だった。



「……なんで」



 ようやく自由になった口で、時音はずっと聞きたかったことを尋ねた。



「どうして私を誘拐するんですか。どうして……そんなにも時属性が必要なんですか」

「……」



 ただ売り飛ばしたかったのならわざわざ時属性だけに拘る必要はないはずだ。時音だけを狙うのは明確に時属性が必要だったからに他ならない。

 仮面は走りながら黙って時音を見返した。勿論その顔に浮かぶ表情は読み取れない。僅かに開けられた目元だけが見え、時音はその奥に覗く目が随分と静まりかえっているのを感じとった。

 じっと見つめ合う。その瞬間、時音は一度誘拐されていることを忘れかけた。



「……どんな手を使ってでも、取り戻したい人がいるからだ」



 ぽつり、とまるで独り言のように仮面は呟く。



「え、それは……どういう」

「これ以上答える必要はない。……眠っていろ」



 時音が真意を尋ねようとするが、しかし仮面はそれ以上語ることなく彼女の顔を覆うように手をかざした。

 その手から逃れようとする前に、圧倒的な眠気が時音を襲う。前に誘拐された時と同じ、眠りを誘発する闇魔法だと気付いた時には、既に時音の意識は暗闇に落ちていた。







「そこまでだ!」



 時音が眠りに落ち、ぐったりとした体を抱えた仮面の男が走る速度を上げようとしたその時、突如大きな声が真夜中に響き渡った。



「その子を返してもらおうか」

「……」



 いつの間にか、仮面の目の前には以前も邪魔された藤月の教師が立っており、そして素早く周囲に視線を巡らせると彼以外にも複数の気配があることが分かった。

 すぐに追って来なかったことから学園内で浚った瞬間を確認されていたとは思えない。しかしそれにしては対処が早すぎると、男は睨むように仮面の内側の目を細めた。



「外部の人間を多く入れて警備が甘くなったタイミングを狙ったんだろうが……彼女には常に発信器を付けさせている。学園の外に出ればすぐに知らせが来るものをな」



 仮面の男の前に立つ教師――潤一は、先ほどの事件で疲弊した体に鞭を打ちながらも警戒を崩さずに一歩仮面に近付いた。

 夏休みの帰省時に時音に付けさせたブレスレット。以前は潤一と一定以上離れると作動するものだったそれを、夏休み明けに学園内の範囲に限定させて再び付けさせていたのだ。

 勿論時音が緊急ボタンを押せば距離など関係ないが、咄嗟のことに彼女はそのことに頭が回る前に拘束されてしまっていた。

 不幸中の幸いか、件の事件の所為で警察も学園に来ていたのですぐに誘拐された時音を追いかけるのも容易なことだった。

 周囲を囲む警察や政府の人間が仮面に銃口を向ける。しかし仮面も時音を盾にする訳にはいかない――生きていなければ時魔法は使えないのだから――為その場から動くことはできなかった。



「……」

「確保しろ!」



 ならばどうするか。



「なっ……!」



 仮面は次の瞬間、腕に抱えていた時音を勢いよく潤一に向けてぶん投げた。彼女を拘束していた闇も使って高く宙に放り出された時音を見て、潤一は咄嗟に彼女を受け止めようと走り出した。



「時音ちゃん!」



 意識のない妹を何とか地面に落ちる前に抱え込んだ潤一が顔を上げると、仮面の男は既に闇を使って包囲網から逃げ出していた。



「追え!」



 ぱっと警察によって眩しいいくつものライトが周囲を照らし出す。それは男の後ろ姿もしっかりと捉え、ばたばたと慌ただしい足音と共に幾人もの警察が彼の後を追いかけた。


 光に照らされ背を向けて男は逃げる。誘拐犯を捕まえるという緊急事態に、その男の足下に本来あるはずのもの――影がないことを目に留めた人間は生憎一人もいなかった。











「もう逃げられない、観念しろ」

「……」



 男は警察によって追い詰められていた。背後は山に面した絶壁、そして左右にはコンクリートブロックが壁となっておりもう逃げ場はない。


 前方から銃を構えて男を威嚇する警察官の一人が小さく安堵の息を吐いた。ふざけた仮面を被ったこの男をようやく捕まえることが出来るのだ。

 これであの時属性の少女も安心するだろうと思いながらじりじりと確実に距離を詰めて行くと、仮面の男は抵抗する様子もなく静かに立ち尽くしているだけだった。

 しかし、近付くにつれて男が仮面の下で何か小さな声で呟いているのが微かに聞こえて来た。



「……やめ、……らず」

「……? おい、何を」



 言っているんだと、そう問いかけようとした瞬間、警察官の目の前が暴力的な光と熱で埋め尽くされた。



「な……」

「爆発した!」



 目の前の仮面を被った男が、突然爆発したのだ。

 一番仮面の近くに居た警察官が咄嗟に顔を腕で覆って後ずさる。幸い爆発は小規模なもので彼まで巻き込まれることはなかったが、しかし顔を庇った腕には火傷しそうな熱を感じ、そして何かが焼ける鼻につく匂いが漂ってきた。



「消火を急げ!」



 一度静まりかえっていた周囲が一斉に騒がしくなる。慌ただしく動き始める周囲とは裏腹に、彼は放心したように目の前の光景に釘付けになっていた。

 あちこちに飛び散る火花、立ち上る煙、そして炎の傍にちらりと見えた、人間の――。















 薄らと、瞼の向こう側が明るく見えた。

 目を開けた先に広がっていたのは、明るく白い空間。日中らしくカーテンの向こうからは少し暑いくらいの日差しが舞い込んでおり、窓の外からはかさかさと木の葉のざわめく音が聞こえてくる、長閑な空間だ。



「……ここは」

「研究棟にある特別な医務室だ」

「!」



 ベッドから上半身を起こした彼――御影がぽつりと呟くとすぐ傍から返事があった。今更人がいることに気付いて驚きながら振り返ると、入り口近くに佇んでいた月野の姿がある。



「学園長……」

「気分はどうだ? どこか痛い所は?」

「いえ……大丈夫ですけど……」



 御影は戸惑って質問に答えながら自分の状態を確認する。ただベッドに寝かされているだけの彼は特に拘束もされていない。強いて言えば首に魔法力の抑制装置が巻かれてはいるが、御影にとっては無意味なものだ。

 あれだけのことをしでかしたというのにこの状況は、と御影は訝しげに月野を窺う。しかし口元に皺を作って柔らかく微笑む学園長は何を考えているのかちっとも読み取ることができなかった。



「今は藤月祭の日から二日後だ。そして、覚えているかもしれないが君に同調していたあの影人は消滅した。二階堂君と伊波先生のおかげで闇を植え付けられていた生徒や教師も皆無事だ。あの二人は魔法力の消耗が激しくてしばらく意識を失っていたが、今はもう起きている」

「そう、ですか……」



 元はといえば自分が引き起こしたことだが、それでも誰も犠牲になることがなくてよかったと御影は素直にそう思った。



「色々と思う所はあるだろうが……この学園を守るものとして君に聞かなければならないことがある。……椎名御影君」

「はい」

「影人や裏世界について、君が知っている限りのことを洗いざらい話してもらう」



 柔らかく穏やかな表情が不意に鋭い雰囲気に様変わりする。御影はそんな月野の様子にどこか安心感を覚え、神妙な面持ちではっきりと頷いた。


 御影が知っていることは、実はあまり多くはない。これまでの人生はずっと“彼”の言う通りに生きて、指示されるままに行動していただけなのだから。

 裏世界と影人が生まれた原因、別の人間のクローンとして作られたこと、そして表世界をひっくり返す為に今まで御影がやってきたことを思いつくままに語った。


 自分で話をしていく度に、随分なことをやってきたと御影は自嘲する。平然と他人を騙して、取り入って、その心に闇を潜ませて歪ませて行ったのだから。



「クローンについての詳しい技術や方法はどんなものだったか分かりません。ただ闇属性の魔法を用いたものだったとしか」

「その元となった人物については?」

「椎名彰人、ですよね。戸籍上は父親となってはいますが、俺は実際に会ったことはありませんし詳しいことも……。ただあの人に、表から人間が落ちてきたからそれを使ったとしか」

「そうか……」



 影人に引きずり込まれるなどして裏世界に落ちて戻って来たものは今の所発見されていない。彼もきっと利用されるだけされて殺されているのだろうと月野は小さく頷いた。



「俺が知っているのはこれくらいです。……それで学園長、俺の処罰はどうなりますか」

「……」

「俺はこの世界を裏返そうとしました。どんな処罰でも受けるつもりです」



 事の重大さは御影も分かっているつもりだ。だからこそ何を言われても抵抗せずに頷くつもりだった。たとえそれが、自分の命を捨てるものであっても、またクローン人間としての人体実験だったとしても。



「君の処遇だが」



 学園長は真剣な表情の御影を前に、ふらりと窓際に近付いて彼に背を向けた。



「一定期間……短くとも卒業までの監視、及び授業以外での魔法の使用を禁ずる。普段はその首の抑制装置を常に装着してもらうことになる」

「は……」



 以上だ、とそれ以上何も言わなくなった学園長に、御影はぽかんと口を半開きにして唖然とした。徐々に、じわじわとその表情に動揺と戸惑いが広がっていく。



「あの、それはどういう」

「処罰は今言った通りだが」

「じゃなくて! なんでそんな……俺はあんなに酷いことをしたっていうのに」

「今回の件だが、操られていた生徒や教師はその間の記憶が残っていない。何が起こったのか、真実を知るのはごく一部の人間だ」

「だからと言って……」

「だからこそ、影人が侵入していたことだけでも一大事だというのに君のことが公になれば学園は今以上に混乱するだろう。何せ君は学園の中でも特に顔が広い人気者だからな」



 冗談めかして、皮肉とも取れる言い方をした月野が御影を振り返る。そこには先ほど詰問してきた時のような鋭い雰囲気はどこにもなく、いつもの穏やかなものに戻っていた。



「俺が同じことを繰り返すかもしれないとは思わないのですか」

「それは不可能だ」

「不可能?」

「君の魔法力は……属性はそのままだが、あの影人が離れた所為か大幅に減って平均的な数値になっている。前のように密かに人の心に闇を植え付けるなんて芸当はもう出来ないはずだし、抑制装置で十分押さえ込める」

「そう、だったんですか」



 御影はそっと心臓の辺りに手をやった。確かに御影は彼に半分ほどの魔法力を借りていた。使命を果たすため、そして御影自身を常に監視する為に。彼が居なくなったのだからそれがなくなって当然のことだった。

 また前と同じように皆と一緒に過ごすことが許された。今まで騙して来た彼らと一緒に……しかし、多くの人間はその事実を知ることはなく。



「だけど俺は、今までずっと皆を騙してきた。それなのに何もなかったかのように過ごすなんて」

「それが、君への罰だ」

「……罰?」

「彼らに罪悪感を抱くなら、それをずっと抱えて生きるのが君に課せられた処罰だ」

「罪悪感」

「それもまた、人間が内に秘める裏の心だ」



 裏世界が生まれるきっかけとなった、御影が厭う人間の裏の心。



「影人は人の心の裏に隠された感情から生まれる……だったな。だが、隠し事をせずに生きられる人間などごく少数だ。大部分の人間が、心の内に様々な感情を秘めて生きている」

「……」

「確かにあの影人の言う通り、勝手に生み出したものを自ら消そうとするのは人間の横暴なのかもしれない。だがね、それでも私は彼らと戦うことを選ぶ。誰かの悪意が巡り巡って影人となって、見知らぬ誰かを傷付けることがないように。……君は、どうだ」

「俺は」



 御影は一瞬言葉に詰まったように黙り込んだ。しかし答えはもう出ている、あの時彼に告げたことこそ、裏も表もない御影の本心だ。



「あの時言ったことと同じです。俺はただ、好きになった皆を守りたい。どんな状況であれ、傷付くところなんて見たくない」



 たとえそれが、生みの親に逆らい消滅させる結果であっても変わらない。御影がそう告げると、月野はじっと彼の顔を見つめた後大きく頷いた。



「分かった。……だが、彼の言った言葉は忘れないでおく」

「え?」

「いつでも“裏”は傍にあるんだ。だからこそ、私達もそれに向き合っていかなければならない」



 そしてそれを伝えていくことが教育者の役目だと、月野は決意を改めるように強く拳を握った。











「え?」

「あ」



 月野が部屋から出て行くのと入れ替わるように入ってきた人物を見て、御影は思わず小さく声を上げていた。



「目が覚めたんだ、よかった!」

「華凛……」



 ぱたぱたと軽い足取りでベッドに駆け寄ってくる少女、華凛を見て御影は酷く動揺し狼狽えた。合わせる顔が無いとはこのことだ。どんな表情で彼女を迎え入れればいいのか分からない。



「か、華凛その……」

「具合はどう?」

「大丈夫、だけど」

「そっか、よかった。なら」



 ベッド脇に置かれていたパイプ椅子に腰掛けた華凛は、朗らかな笑みで御影を見るとふいに右手を大きく振り上げた。

 次の瞬間、ぺちん、と少しも痛くない軽すぎる衝撃が彼の頬を襲う。



「……」

「人叩いたの初めてかも」

「いや今のは叩いた内には……もっと強くやっていいんだぞ」

「ううん、いいや。他の皆が起きたら殴ってやるって意気込んでたから。二階堂君なんかすごい張り切ってたよ」

「……あいつのは痛そうだ」



 御影の頭の中に今にも殴りかかって来そうな怜二の姿が容易に思い浮かび、思わず苦笑が漏れる。が、御影はすぐさま笑みを消すと一度華凛を見てからベッドから上半身を起こした状態で大きく頭を下げた。



「ごめん華凛、許されることじゃないのは分かってるけど、本当にごめん」

「……私ね、結構傷付いたよ」



 はっとしたように御影が顔を上げる。しかし華凛はその言葉とは裏腹に静かに微笑んでいた。



「御影君酷い。好きって言ってくれたこと、全部嘘だったんだよね」

「……」

「二階堂君への当てつけの為だったんでしょ。本当に酷いよね」

「華凛、本当にごめ」

「でも、私が御影君のこと好きになったのは本当なんだよ。……今も、まだ」

「……え」



 変わらぬ穏やかさのまま告げられた言葉に、御影は驚愕のあまり言葉を失った。ぱくぱくと口が空振りを繰り返し、そしてややあってようやく声が戻って来る。



「な、んで……俺はお前を騙してたのに」

「きっかけなんてどうでもいいって、そう言ったのは御影君でしょ? 騙されたって好きになっちゃったんだから、しょうがないの」



 御影にどのような意図があったって、彼を好きになったのは華凛の意志だ。誘拐された時に元気づけてくれたのだって、その事実は本物だ。



「……俺は、誰かに好きになってもらう資格なんてないよ。華凛が俺を好きになったのだって、そうなるように仕向けたからだ」

「じゃあ好きにさせた責任をちゃんと取って欲しいな」

「え?」

「なんて――」

「椎名あああっ!」



 華凛が冗談交じりにそう言った直後、ゆったりとした部屋の空気をぶち壊すように大きな怒声が響き渡り、勢いよく扉が開かれた。

 その先に居たのは憤りを露わにした怜二と嬉しそうな顔をした詠と時音、そして相変わらず無表情の甲斐だった。



「一発……いや二、三発殴らせろ!!」

「椎名が起きたって星が言っててさ、一発殴らせて!」

「体調は良さそうだな。で、一発殴らせろ」

「おはよう、いつ起きるか待ってんだから……とりあえず殴らせて」



 全員が口々に殴らせろと詰め寄って来るのに、御影はぽかんとした表情を浮かべた。一気に騒がしくなる部屋に華凛が思わず笑みを零す。



「御影君、人気者だね」

「……ああ。困っちゃうほどに、な」



 物騒な言葉とは裏腹に、皆の表情にも声にも、御影に対する悪意などちっとも感じ取れないのだから本当に困ってしまう。



「覚悟しろ!」

「……覚悟してます、どうぞ」



 怜二に胸ぐらを掴まれながら、御影も釣られるように笑ってしまっていた。作為や悪意など一切無い、自然な笑みを。



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