4話 魔法力の発現
「どうして俺じゃないんだ……」
時音に続いて三葉までもが魔法力が発現した。とうとう二階堂家の中で、怜二だけが力を持たない。
家族の中に居るのが耐え切れなくなって外に飛び出した怜二は、自転車に飛び乗ってとにかく家から離れた。苛立ちを原動力にペダルを漕いでいるとあっという間に景色が流れ、そして無心になって辿り着いたのは中学校だった。無意識のうちにいつも歩く通学路を選んでしまっていたのだ。
「……はあ」
全力で自転車を漕いだ所為で疲れた彼は、肩を落としながら自転車から降りた。途端に自分は何をやっているのだろうかと酷く虚しい気持ちになる。
時音が、三葉が妬ましい。二人だけではない、いつも怜二よりも上を行く周囲の人間が全て羨ましくて憎かった。
生まれた時から怜二は、両親以外の周囲からずっと潤一と比べられて生きて来た。何かを頑張っても「お兄さんはもっと上手かった」と言われ、失敗すれば「お兄さんはこうじゃなかった」と落胆される。
そして次に生まれた弟もまた優秀だった。必死に弟に抜かされないように努力した怜二をあっさりと抜き去る三葉も、いつの間にか怜二に対して冷めた目を向けるようになった。
そして極め付けは時音だ。普段から呑気でちょっと抜けている彼女だけは怜二を見下すことはなかったというのに、とうとう時音までもが怜二を置いて行こうとする。
「……そういえば」
時音のことを考えているとふと昨日の帰り道での彼女の言っていたことを思い出した。昨日時音は懐中時計を忘れ、それを学校へ取りに戻ろうとして影人と遭遇したのだ。
そして、今怜二は学校の前にいる。あんな事件に遭った後にもう一度外出するとも思えないので、恐らくまだ取りに行ってないだろう。
「あいつのことなんて……」
気付かなかったことにすればいい。どうせ今時音と顔を合わせれば苛立ちをぶつけることしか出来ないのだから。
しかしそうは思っても足は校内へと向けられる。そして部活で騒がしいグラウンドを通り抜けて静かな校舎へ入った怜二は時音のクラスへ行き、彼女の机の中に手を入れた。
シャラン、と金属のチェーンが音を立てて彼の手に懐中時計が収まった。
「こんな大事なもの忘れるなんて、間抜けなやつ」
怜二が覚えている限りいつも時音が持ち歩いていた懐中時計。それを暫し眺めた後ポケットにしまった怜二は、踵を返して校舎から外に出た。
「あいつ、藤月行くんだろうな……」
再び自転車を漕ぎながら怜二は一人呟く。魔法士を保護することに力を注いでいるらしい藤月だ、潤一は仮に時音が難色を示そうと入るように頼むに違いない。
それでは怜二はどこに進学するのか。諦めて他を受験した方がいいと言われた言葉が過ぎり、彼は歯を噛みしめた。
羨ましい、悔しい、妬ましい。時音にそんな気持ちばかり抱いていた怜二だったが、しかし帰って早々に酷く顔を歪めて泣きそうになっている幼馴染を見た途端、そんなことはどこかに吹っ飛んでしまった。
「怜二……」
みるみるうちに道端で泣き出してしまった時音に脱力したように溜息を吐いた怜二は、そのまま彼女を連れて帰り辛かった自宅へ入り、そしてバイオリンを弾き始めた。
バイオリンには忘れもしない嫌な思い出がしっかりと残っている。怜二は兄と比較されたくなくてわざわざ彼がやったことがないバイオリンを習い始めたというのに、後から真似するように三葉がバイオリンを始めてしまったのだ。
器用でセンスのあった三葉はどんどん上達し、そしてあっという間に怜二の腕を追い抜いた。そうすれば案の定、彼は今度は三葉と比較されるようになった。
しかし比較されることよりも何よりも怜二の心を抉ったのは「才能がある」と先生に絶賛されたその三葉が、すぐにバイオリンを弾くのを止めてしまったことだった。
「意味がないから」
怜二はその当時三葉が口にした言葉をよく覚えている。どうして辞めるのかと問い詰めた怜二に、三葉は酷く冷たい声でそう言ったのだ。
ふざけるなと思った。怜二のプライドをずたずたに引き裂いておいて大した理由もなくあっさりと辞めるなど。元々あまり仲が良くなかったというのに、この時二人の間に大きな溝が生まれたと言ってよかった。
怜二はバイオリンなんて嫌いだ。だがそんなバイオリンでも、時音を泣き止ませることが出来る。昔から事あるごとに泣く幼馴染を慰めようとして、けれどちっとも気の利いた言葉が思いつかなかった怜二はこの方法でしか彼女の涙を止めることができなかった。
そして今も同じだ。想像以上に深刻なことで泣いていた彼女に、どう声を掛けていいのか分からない。
「おじさんもおばさんも、お前のこと大好きだよ」
それでも確かに言える言葉だけを告げて、再び弦を震わせる。ぼろぼろになった時音の心が少しでも休まるように、いつも以上に力を込めて演奏した。
「――怜二」
無心になってバイオリンを奏でていた怜二は、不意に背後から声を掛けられてびくっと肩を揺らしてその手を止めた。振り返った先には膝を抱えた姿勢のまま小さく寝息を立てる時音と、そして開かれた扉の前で少し驚いた顔をしていた潤一がいる。
「勝手に入るなよ」
「ノックしたんだが」
全く聞こえていなかったと思いながら怜二が立ち上がると、兄は時音の様子を窺うようにしてから「三葉から聞いたが泣いてたらしいな」とそっと彼女の頭に触れた。
「周防さん達が来ている」
「……」
「すごく深刻そうな顔をしていたんだが……お前は何か時音ちゃんから聞いたのか」
「聞いては、いる」
だが時音に無断で他の人間に話せるようなことではない。怜二はそれ以上潤一に説明することはなく、時音の傍に近寄って肩を揺らした。
「時音、起きろ」
「……う、ん」
頭を揺らした時音がゆっくりと開かれる。目を擦りながら顔を上げた彼女は少しの間ぼうっとしていたが、やがて「あれ」と呟きながらきょろきょろと部屋の中を見回し始めた。
「私、何で怜二の所に……あ」
ぼんやりとしていた時音の表情が途端に強張る。今までのことを思い出したらしい彼女は不安げな表情で怜二を見上げた。
「おじさん達が来てる」
「……うん」
「時音ちゃん、一体何が」
「兄貴には関係ないだろ」
時音を心配そうに見ながら尋ねる潤一を、真っ先に怜二が突っぱねる。どうせ入学前に調べて判明することだ。ならばわざわざ時音の口から言わせる必要はない。
「行けるか?」
「……大丈夫」
怜二の予想よりもしっかりとした返答だった。時音は不安を押し殺すように一度息を吐いて立ち上がり、そして部屋を出て行こうとした所で一度振り返った。
「怜二、ありがとう」
「……おう」
「なんか、大分落ち着いたから」
「時音。さっき俺が言った言葉、忘れるなよ」
「……うん、分かった」
時音がぎこちなくも少しだけ笑う。そのまま部屋から出て行った時音の後ろ姿を怜二が眺めていた暫し眺めていると「さて」と仕切り直すように潤一が口を開いた。
「もう用は済んだだろ、いつまで俺の部屋にいるんだよ」
「いや、確かに時音ちゃんを呼びに来たことはそうだが、もう一つ用事が出来た」
「はあ?」
「怜二……もう一度、魔法力測定してみようか」
「嘘だろ……は? 何で……」
ピピッと音を立てた機械を覗き込んだ怜二は、そこに表示された文字列を見て驚きを通り越して思考を止めた。
“魔法力有”
その四文字に固まった怜二に対し、同じくそれを見た潤一はうんうんと頷いた。
「やっぱりそうか」
「な、何でだよ! さっきまで無かったのに!?」
「ちょうど今発現したらしいな」
「今って、俺魔法みたいなことなんて何もしてねえよ!」
「無自覚に使ってたんだよ。さっきお前の部屋に入った時魔法力が充満してたから何事かと思った。最初は時音ちゃんが何かしたのかと思ったが、お前がバイオリンを止めた瞬間に魔法も一緒に止まったからな」
「バイオリン……?」
「音に魔法力を込めて弾いていたんだろう、恐らくあれにはヒーリング効果があった。音楽を聴いて癒されるとかそういう次元じゃない、魔法だ」
「俺が、魔法を」
「実際俺も、聴いた瞬間体が随分軽くなった」
「……」
確かにあの時、怜二は痛々しい程泣く時音の心を少しでも和らげようと思いながらバイオリンを弾いていた。そして、目を覚ました時音は眠る前よりも少し元気を取り戻したようで……よくよく思い出せば、泣き腫らしていたはずの目は赤くもなっていなかった。
「時音ちゃんの為に、っていう怜二の気持ちが魔法を使えるようにしたんだな」
「……」
「照れたのか?」
「違う!」
少し揶揄うように言った潤一の言葉にすぐさま怜二が噛み付く。が、それでも顔は僅かに紅潮していた。
潤一はそんな弟の顔を見ながら時音のことを思い出す。……そして、少々複雑な表情を浮かべて小声で呟いた。
「……これで本当にまるで意識してないって言うんだから時音ちゃんが不憫だよなあ」
「何か言ったか?」
「いや、別に。……そういう訳で怜二、お前はめでたく魔法力が発現した訳だが」
潤一は話を逸らすように本題を切り出す。そして少し改まった様子で、この言葉をずっと待っていたであろう弟に分かり切った質問を投げかけた。
「藤月、来るか?」
「当たり前だろ!」