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39話 闇


「……あ」

「どうした、詠」



 まもなく後夜祭が始まるという時間、甲斐と一緒に居た詠が携帯に目を落としながら小さく呟いた。



「時音から連絡入った」

「なんだって?」

「……ん? なんか、椎名を探して欲しいって」



 詠は時音から届けられた文面に首を傾げた。怜二を誘いに行ったはずの彼女は何故御影を探しているのだろう。そもそも今どうして詠達が二人でいるかというと、今まで他の四人に全く連絡が着かなかったからなのだ。御影は元より怜二にも華凛にも連絡が取れず、何かあったのだろうかと思いながら御影を探そうと詠は空を見上げようとした。



「居た」

「え?」



 しかし詠が星に尋ねる前に甲斐がぽつりと声を上げた。すぐに彼の視線の先を追いかけると、探そうとしていた御影が人混みの中をすり抜けるようにして消えて行ったのが見えた。

 彼は実行委員だ。後夜祭まですぐだというのにこれから一体どこへ向かおうと言うのか。



「ホントだ!」

「追いかけるぞ」

「うん!」



 頷き合った二人が御影の去って行った方向へと走り出す。進みにくい人混みの中で何とか再び御影の背中を遠目に見つけた二人は、見失わないように気をつけて彼の後を追いながら時音に連絡を入れた。














「……あーもう、駄目だ……」



 薄暗くなって来た空の下、亜佑は一人喧噪から離れてぽつんと歩いていた。


 何とか勇気を出して潤一を後夜祭に誘えないか。そう思って彼を探していた矢先、偶然彼が別の先生――しかも今朝彼を誘っていた先生とは別の人に告白されていたのを目撃してしまったのだ。

 本人達に気付かれては困ると慌てて遠ざかった為答えは聞いていないが、どちらにしても亜佑は戦意を喪失しかけていた。たとえ断ったとしても、あれだけ美人な先生が駄目なら自分に望みなど欠片もないだろうと。



「……最初から、好きになるなんておこがましかったのかな」



 潤一は亜佑の憧れで、そしてそれに留まらず恋愛感情を抱いている。


 在学中、光属性ということで多くの生徒から酷いやっかみを受けていた亜佑は学校が嫌で嫌で堪らなかった。どこに居ても陰口を叩かれている気分になって、元々明るい性格だった彼女も徐々に口数が減っていった。

 そんな時、苦しんでいた彼女に最初に気付き、手を差し伸べてくれたのがまだ教師になったばかりだった潤一だったのだ。








「伊波、やっと見つけた」

「……二階堂先生」



 教室に居るのが苦痛でつい授業をサボってしまった亜佑がとある研究棟の屋上で膝を抱えていると、彼女の頭上に大きな影が被さった。



「こんな所にいると熱中症になるぞ」



 両手を膝に着いて屈むように亜佑を覗き込んだ潤一がふっと微笑む。その表情が今の彼女には眩しすぎて、亜佑は顔を背けるように俯いた。



「いいですよ別に。私どうせ光属性だから治せるし」

「随分卑屈になっているな」

「……光なんてなりたくなかった」



 普通の属性ならこんな風に悩むこともなかったのに、と亜佑が小さく呟くと潤一は「でも、それが君だろう?」と俯く亜佑の頭に言葉を降らせた。



「周りがどう言おうと、君が何の属性だろうと、伊波は伊波でありのまま堂々としていればいい。そうでないと、君の良い所だって消えてしまうよ」

「私の、良いところ……」

「ああ。明るくて元気がいい、笑顔が素敵な努力家だ。眩しいくらい真っ直ぐで、私は伊波のそういう所、すごくいいと思う」



 にこりと微笑み掛けられながら惜しげも無く褒められる。顔を上げた亜佑はしばしぽかんと口を開いたまま呆然としていたが、はっと我に返るや否やみるみるうちに顔を真っ赤にした。



「う、あ……あの、先生……」

「ほら、そんなこと言ってたら熱中症になって来たんじゃないか。早く室内に入った方がいい」

「……はい」



 勿論亜佑の熱が上がった理由は熱中症でもなんでもないが、彼女は否定する余裕もなく大人しく潤一に続いて屋上から校内へと入っていった。



「……先生、ありがとうございます」










「でも、やっぱり……諦めたくないな」



 自身の転機であった出来事を思い出して亜佑は顔を上げた。あれから潤一を追いかけてようやくここまで来た。彼がいいと言ってくれた自分を忘れないように前を向いて、背筋を伸ばして突っ走って来たのだ。何も告げていないのに諦めるなんてそんなもったいないことは出来ない。



「せめて当たって砕け散るまでは……ん?」



 喧噪から遠ざかっていた足を戻し歩き始めた亜佑は、しかしそこで一度立ち止まった。遠目に、薄暗い中で一人ベンチに腰掛けて俯く自分の生徒の姿を見たからだ。



「常磐さん?」



 前髪で顔は窺えないが、間違いなく華凛だ。亜佑が近付きながら声を掛けると、華凛はとても緩慢な動きで顔を上げて亜佑を見上げた。



「と、常磐さんどうしたの!?」



 その目が充血して真っ赤になっているのを見た亜佑は血相を変えて華凛の肩を掴んだ。明らかに大泣きした後の彼女は強い剣幕で詰め寄ってきた亜佑に少々驚きながらも唇を噛んで小さく首を振った。



「な……なんでも、ありません」

「そんな訳……」



 そんな訳がない、何があったのか。亜佑はそう言い掛けたものの途中で言葉を切った。



「……常磐さん」



 肩から手を離した亜佑はうろうろと空になった手を彷徨わせた後、スカートを震えた手で握りしめていた華凛の手にそっと重ねた。そしてベンチの前で膝を着くと真摯な表情で彼女を見上げる。



「何があったのか、言いたくないならそれでいいから……だから、何か先生に出来ることがあったら遠慮なく頼って」

「……先生」

「頼りないかもしれないけど、先生はいつだってあなたの味方だから」



 両手で包み込むように華凛の手を握ると、彼女は腫れぼったい目を僅かに瞠った。そして、恐る恐るといった様子で己の手を握る亜佑の手を軽く握り返す。



「ありがとう、ございます。……でも、私が悪いんです」

「常磐さん?」

「私が、勝手に思い上がって、勘違いして……だから」

「あ、亜佑せんせー!」



 たどたどしく呟いていた声がぷつりと途切れ、それと同時に亜佑の背後――華凛の正面から聞き慣れた声が響いた。

 直後、亜佑は目の前の少女が体を強張らせ動揺を露わにしたのを感じ取った。



「あ……」

「お、華凛もこんな所にいたのかー」

「椎名君」



 亜佑が振り向いた先に居たのは案の定御影だった。ぶんぶんと呑気に手を振って近寄って来る彼を見て立ち上がった彼女はちらりと華凛に目線を向けた。亜佑の服の裾を縋るように掴んだ彼女の視線を先を辿り、やはり華凛が怯えるように震える原因が彼なのだと理解した。


 しかし亜佑はそれを理解すると首を傾げた。御影が華凛に告白したという話は聞いていたし、昨日それが成就したという噂も耳にしていたのだ。一体この短期間に何があったというのか。

 近付いてくる御影をじっと見つめていると、彼はそれに不思議そうな顔をした。そして彼が目の前まで来た所で、亜佑は何かを見極めるように僅かに目を細めた。



「……椎名く」

「やっと追いついた!」



 亜佑が彼に話しかけようとしたその時、遠くから叫ぶようにそんな声が聞こえて来る。



「ん?」



 御影と亜佑が同時に声のする方へと顔を向けると、そこには息を切らして自分達の元へ走って来る詠と甲斐がいた。そして更に後方へと視線をずらせば、時音と怜二までもが同じく走って来ていたのだ。

 ぜえぜえと荒い息のまま御影の傍まで走ってきた詠は、数秒遅れて後から追いかけて来た時音達に今気付いた様子で「え!?」と驚きの声を上げた。



「はやっ! 時音もう来たの!? っていうか二階堂まで」

「はあ……はあ……加速、して来たから……」



 同じく息を切らして苦しげな時音が呼吸の合間に詠の疑問に答えた。時魔法を使ってまで御影に急いで会いに来た理由が分からない詠と甲斐がそんな時音を不思議そうに見ていると、不意に彼女の隣で同じく息を整えていた怜二がつかつかと御影に近付いた。



「椎名貴様っ!」

「ん? 怜二どうした?」

「どうもこうも……っ! よくも!」



 すぐさま怒りに満ちた怜二が御影に掴み掛かる。しかしそんなことはいつものことだとばかりに、御影は欠片も動揺を見せずにきょとんと呑気な顔をしていた。



「何で時音の時計を壊した!」

「時音の時計? 何のことだ?」

「しらばっくれるな! あれだけばらばらにしておきながら――」

「俺が? まさか、そんなことする訳ないだろ! だってすげー大事なもんって言ってただろ。壊すなんて冗談じゃ無いって」

「……え?」



 怜二が問い詰めるが、御影は大きく首を横に振って否定する。その彼の姿はまるでいつもの御影そのもので、時音は酷く困惑して彼を凝視した。

 あれだけのことをされたというのに、まるで本当に何事もなかったかのように振る舞っている。むしろ、時計を壊されたのが夢だったかのように。



「時計ってどういうこと? 時音の時計壊れたの?」

「……さっき、椎名君に壊された」

「え……ええ!?」

「周防、その首に掛けているのは?」

「時魔法を使って時間を戻したら、何とか直ったの」



 詠達に尋ねられて時音が懐中時計を取り出す。しかしそこにあるのはいつも通りの時計で、詠も甲斐も時音の発言を聞いてもどうにも納得しがたいようだった。何せ壊したと主張する相手が相手である。信じ難いのも当然だった。



「いい加減にしろ! お前がやったんだろうが!」

「そんなこと言われてもなあ……だってその時計だってどこも壊れてないしさ、何で時音は俺がやったって思ったんだ?」

「だ、だってそんなの……!」



 目の前で壊された瞬間を見たからに決まっている。だというのに御影は白々しい程に相変わらず何も知らないような口ぶりと表情だ。怜二は時計が壊れた事実を知っているので時音を疑うことはないが、詠達はというとむしろ彼女の言い分の方に違和感を覚えているようだった。



「時音、よく分かんないけど何か夢でも見てたんじゃないの?」

「ち、違う! 本当なの! 本当に椎名君が何度も踏み潰して……いっぱい、酷いこと言われて――」



 まるで自分が嘘を吐いているかのような空気に耐えきれなくなって時音が叫ぶ。しかし証拠は既に自分自身で消してしまった彼女が言えるのは自分が見たことだけだ。唯一信じてくれていた怜二ですら、時音に聞いていたのとは違い全くいつも通りの御影に困惑して掴み掛かっていた手が緩んだ。





「御影君」



 時音と御影、どちらの言うことが真実なのか。それが分からずに戸惑っていた彼らの間に割り込んできたのは、酷く震えた弱々しい声だった。



「華凛……」

「御影君、時音ちゃんにも酷いこと言ったの……? 私と同じように、騙したの?」



 ベンチから立ち上がった華凛が怯えた顔をしながらも御影に近付く。拳を強く握りしめた彼女は、真っ赤になった目元を吊り上げて御影を睨むように見た。

 華凛が怒っている。そんな姿は、この場の誰もが初めてみる光景だった。



「華凛、何言ってるんだよ。俺がそんなこと――」

「もう騙されない! 私だけならともかく、時音ちゃんの大切な時計まで壊すなんて……」

「か、華凛……?」

「今までの御影君は全部嘘だったんでしょ! 全部全部、何もかも本当のことなんてないんでしょ!」



 凄まじい剣幕で怒鳴る華凛に、時音に向けられていた疑惑の視線が一気に御影に流れ込んだ。今まで暗がりで俯いていた為見えなかった華凛の痛々しいほどの泣き顔が晒されたことで、彼女にも何か大変なことがあったのだと言うことが嫌でも周囲が理解したことも拍車を掛けた。



「椎名、それ本当なの?」

「皆何言ってるんだよ! 俺がそんなこと言う訳……」

「椎名君」



 そしてそのタイミングで更に畳み掛けるように声を上げたのは、彼女らしくもなく今まで静かに御影を見据えていた亜佑だった。



「その魔法力、どうしたの」

「え? 魔法力?」

「確かに椎名君の魔法力が高いのは知ってるけど、こんな外まで溢れるくらい濃い魔法力じゃなかったはずよ。まるで……」



 亜佑が言い淀むように言葉を切る。自分の生徒に言うにはあまりにも酷い言葉だったからだ。

 けれど彼女はいつもとはまるで違う魔法力を垂れ流す御影にそれを言わずには居られなかった。濃すぎる闇の気配。それはまるで。




「影人、みたい」




「……はは」



 その瞬間、御影の纏っていた雰囲気が一瞬にして一変した。



「椎名……?」

「ははっ、くく……どうやら甘く見過ぎていたらしい。――大正解だ、光の女」



 御影が唇を弓なりに歪ませた瞬間、突如その場に居た全員の重力が大きく増したかのように体が重くなったのを感じた。



「御影、君」

「御影? 違うな。この体はもう私のものだ」



 御影――今までそう名乗っていた彼の周囲に、薄暗い中でも分かる隠しきれないほどの闇が蠢いた。



「皆、彼から離れて!」

「距離を取ったって無駄だ。既に下準備は終えている」



 危険を悟った亜佑が生徒達を隠すように前に出て両手を広げる。しかし“彼”はじりじりと離れる時音達を楽しげに目で追いながらも、その場からは一歩も動くことはなかった。

 豹変した御影の姿に時音は無意識に時計を握りしめる。御影ではないと告げたこの男は一体何なのか、何をするつもりなのか。その場の誰もが何もかも分からずに困惑する中、彼はおもむろに右手を振り上げた。



「闇に、堕ちろ」



 にい、と彼が仄暗い笑顔でそう言った瞬間、視界が、そして広大な学園中が真っ暗な闇に覆われた。













「……な、んだっ、これ」



 同時刻、後夜祭に参加せずに一人寮の自室に居た三葉は、突然目の前が真っ暗になり思わず膝を着いた。

 頭痛が酷い。ぐらぐらと頭が揺れて思わず両手で頭を抱える。頭だけではない、胸の内から濁った水が迫り上がって来るような、そんな不快感と息苦しさを覚えた。



「う、ぐ、あああああっ!」



 ――憎い。


 そんな中、頭の中に過ぎったのはそんな感情だった。

 濁った水が溢れ出し、それと共に今までずっと心の奥底にしまい込んでいた黒いどろどろとした感情が一気に表に出てしまう。



「憎い……憎い……っ!」



 心の中がどんどん真っ黒に染まっていく。倒れそうになった体は、しかし沸き上がった憎悪に支配されてそのまま逆にふらりと立ち上がる。


 行かなければならない。このどす黒い感情のままに、あの男を。

 三葉は虚ろな瞳で、まるで幽霊のようにゆらりと外へ歩き出した。



「……兄さんが、憎い」



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