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38話 壊れる


「椎名君、そんなところで何してるの?」



 時音が声を掛けると御影はゆっくりと無表情の顔を時音に向け、そして僅かに眉を顰めた。



「時……音、か」

「華凛と一緒じゃないの?」

「ああ、ちょっとな」

「ふうん。もうすぐ後夜祭始まるからそろそろ会場に行った方がいいよ」

「そうだな」

「……椎名君?」



 御影は頷いたもののその場から動く気配はない。ただ時音をじっと見つめて彼女をどこか冷めた視線で見るだけだ。そんな普段とは違う御影の雰囲気に違和感を覚えた時音は、首を傾げながら彼を窺うように見上げた。

 いつものようにへらへらと明るく笑う御影はどこにもいない。



「……なあ、時音」

「何?」



 そう思っていた矢先、今まで無表情を貼り付けていた御影が不意に笑みを浮かべた。

 寒気がするような、ぞっとする冷酷な笑い方で。



「お前さ、本当は……華凛のこと大嫌いだろ」

「……は?」

「いや、いいんだ。俺は全部分かっているから」



 唇の端を吊り上げ形だけは笑っている御影は、時音を手で制すると何もかも分かっているとばかりにうんうんと勝手に頷いた。



「な、何言ってんの! 私が華凛のこと嫌いな訳」

「あれだけ嫉妬しておいてよく言う」

「っそれは」

「俺はお前に感謝して欲しいくらいだぞ? 何せ俺があいつと付き合わなければ怜二と華凛が付き合ってたんだろうからな」



 確かに時音は華凛に嫉妬していた。怜二が赤い顔で緊張しながら話しかけているの見て胸が痛んだり、普段時音には全く意識しないことも華凛だったらと考えて苦い気持ちになったりもした。

 だが時音が華凛を好きか嫌いかはまた別問題だ。華凛自体はとても優しくて良い子なのだから。

 しかしそんな時音の心の裏を探るように、御影は一歩彼女に近付いて囁くように言った。



「お前は本当は華凛が妬ましくて羨ましくて憎たらしくて堪らないんだろう? 自分よりも可愛くて優しいあいつが居なくなれば、怜二が自分を見てくれると思ってたんじゃないのか?」

「違う!」

「ホントか? 表面上は自分はそんなこと考えないと思い込んで、裏ではどうだ? 心の底では怜二の心を奪うあいつが憎いんじゃないのか?」

「ち、違う……!」



 時音は耳を押さえるようにして目を伏せて首を横に振った。そんなはずないと御影の目を見てはっきりと告げたいのに、心のどこかで「本当にそう思っている?」と彼ではなく自分の声が訴えてくる。

 もう一歩、御影が距離を詰めた。



「安心しろよ。お前が大嫌いなあの女、俺が立ち直れないようにしてきてやったから」

「……え? それ、どういう」

「こっぴどく振ってきたんだよ。俺があいつのこと好きだなんて全部嘘だって、本気でお前を好きになる訳ないだろ、ってな。酷い顔してたぞ」



 時音の目が見開かれるのと同時に御影は堪えきれなくなったようにくくっと声を上げて笑った。



「し、椎名君どうしてそんなこと!」

「時音、お前今、いい気味だと思ったろ」

「そんな訳――」

「正直に言えばいい。お前は他人を妬んでばかりの汚い心の持ち主だ。いい加減認めろよ」



 否定したい。それなのに、怜二が振られたことに内心ほっとしていた自分の心が綺麗だとはどうしても言えない。

 とうとう何も言えなくなった時音を間近で見下ろして、御影は「嫌な女」と鼻で笑った。



「お前みたいなやつ、元の親も捨てて当然だな」

「……っ!」

「周りのやつらだって内心本当はお前が鬱陶しいと思ってるかもな。怜二の目は正しいよ、お前を好きになるはずがない」

「……椎名君」

「怜二も華凛もお前の今の親も、そして本当の親なんて言うまでもない。時音、お前は誰からも愛されない。だからお前は捨てられたんだ」

「違う!!」



 つらつらと残酷な言葉を並べられて、もう何も聞きたくは無かった。けれどそれでも、どうしても言い返さなければ許せないことがある。


 時音は御影の声を掻き消す大声で叫ぶときつく彼を睨み付け、そして縋るように服の上から胸元の懐中時計を押さえた。



「好き勝手言わないで! この時計も名前も、本当の両親が私に残してくれたもの! だから――」

「だから? それがどうした」

「っ」

「その時計にどれだけの価値がある? ちょっと高価なだけのそれを残されたぐらいで愛されてるとでも勘違いしてるっていうのか?」

「う、煩い!」

「どうせ自分達の心を軽くする為に決まってる。高価な時計を残すくらいには愛していたと自分に言い聞かせて、捨てた罪悪感を少しでも無くそうとした」

「……」

「じゃなければそもそもどうしてお前を捨てた? 自分で育てようとする愛情が持てなかった証拠だ」



 愛していたのならばどうして捨てたのかと、時音だって一度は考えた。まさしくそのことを指摘されて彼女は反論の術を失い口を戦慄かせる。

 けれど時音は、それでも御影の言動に屈せずに足を強く踏みしめて彼を鋭い視線で射貫いた。


 入学前に怜二が、両親が言っていたことを思い出す。時音はどちらの親にも愛されているというそのことを。生まれた頃からずっと一緒だった彼らと、突然人が変わったように冷酷になった御影。どちらの言葉を信じるかなど決まっている。



「あんたの言ってることなんて知らない! 何て言われようが、私は信じてるだけ!」

「……ほお、そうか。なら」

「ぐっ」



 いきなり時音の体が前方に引っ張られる。至近距離に居た御影が、彼女の首に掛かっていた時計のチェーンを乱暴に引っ張ったのだ。じゃらりと音を立てて時計が彼の手の中に収まる。



「親の愛情を本当に信じてるのなら、こんなものに縋る必要はないよな」



 直後、視界の端に黒いものが映ったかと思えばチェーンが断ち切られた。驚いた時音の目に、懐中時計を軽く投げて弄ぶ御影と、彼の足下からぐにゃりと浮かび上がった影が見えた。御影の魔法――彼の影にチェーンを切られたと理解した瞬間、御影が時計をそのままするりと床に落とした。


 そして彼の足の影がそのまま床の時計の上に覆い被さった瞬間、時音は全身の血の気が引いた。



「っやめて!」



 時音の手が時計に伸びる。しかしその前に、勢いよく振り下ろされた足が彼女の時計をばらばらに踏み潰した。



「あ……」



 思考が真っ白になる。何度も何度も執拗に時計に向かって足が振り下ろされ、あちこちにゆがんだ部品や破片が散らばっていく。


 力が抜けたように膝を着いた時音を見下ろして、御影は楽しそうに唇を歪ませた。













「時音、お前こんな所に……時音?」



 怜二が息を切らしてようやく飛び出して行った時音を見つけた時、彼女は廊下の真ん中で背を向けて座り込んでいた。声を掛けても反応がないことを不審に思った彼が近付くと、そこで怜二は言葉を失った。


 時音は静かに涙を流しながら放心していた。そして手元には、彼女が本当に大切にしていた懐中時計が……原形をとどめないほどにばらばらに壊れ、ただの金属の欠片となっている。

 震えた手が破片を握りしめる。その所為で握られた手から僅かに血が流れていた。



「……た」

「時音、一体何が……」

「こわれ、ちゃった……私の大切な……大事な、繋がりが」

「時音!」



 虚ろな目を正気に戻したくて、怜二は必死に肩を掴んで揺さぶった。ぐらぐらと頭を揺らす彼女に怜二が何度も声を掛けると、焦点の合っていなかった目がようやくぼんやりと怜二の顔を捉えた。



「れいじ……」

「落ち着け、それからひとまず手を開け」



 怜二が促すと、時音は至極ゆっくりとした動きで手を持ち上げた。苛立った彼が急かすように手を掴み指を開かせると、「癒やしの光」と呟いて血が流れる手のひらを治療した。



「……時計が」



 少し落ち着いたかと思いきやそうでもない。時音は再び怜二から視線を逸らして砕けた懐中時計を呆然と見つめた。



「もう、直せない、よね……」

「……そうだな。これを元に戻すのは、流石に」

「……」



 長針が真っ二つに折れ、中の歯車もぐにゃりと歪んでいる。たとえ修理に出しても首を横に振られることだろう。怜二だって怪我は治せても、時計を直すことは不可能だ。


 時音はそれでも諦められずに文字盤の欠片を拾い上げる。くしゃりと顔を歪めてぽろぽろと溢れる涙を間近で見つめていた怜二は、そんな時音に何も出来ないことに歯噛みするだけだ。



「……いや、待て……元に戻す?」



 しかしそこでふと、怜二は今し方自分で口にした言葉を繰り返した。考えを巡らせるように口元に手をやった彼は、やがてはっとしたように顔を上げて時音を振り返った。



「怜二……?」

「時音、お前時間を止められるよな」

「う、うん」

「今日、食べ物の時間を早めることもしていた」

「……知ってたんだ」



 脇目も振らずにひたすら鉄板に向き合っていた怜二だったが、騒ぐ周りの声も一応は聞いていた。



「じゃあ逆に、時間を戻すことは」

「――え?」

「この時計の時間を戻して、元通りにすることはできないのか」



 時音の目が大きく開かれ、溜まっていた涙の大粒が零れ落ちる。しかしそんなことを気にしていられなかった彼女は時計の破片と怜二を交互に見つめて、期待と不安で目を揺らした。



「やったことない。……けど、できるのかな」

「逆が出来るんだ。きっとお前なら出来る」

「……やってみる」



 僅かな希望があるなら縋らずにはいられない。それでも不安が拭い去れない時音は、少し弱々しく怜二に頷いてみせると、かき集めた時計の破片にそっと手のひらを乗せた。

 いつものように無意識に胸元に手をやろうとしてそこには何もないことに気付く。当たり前だというのにその事実に動揺しながら、時音は目を閉じて頭の中でいつも聞いていたあの音を思い出した。



「……」



 現物が無くても、頭の中にあの音はしっかりと残っている。時音はしゃくり上げそうになりながら大きく深呼吸をして、頭の中の時計の針を指でなぞるように反時計回りに動かした。






「――戻れ」



 かすかに震えた、しかし凜とした声が廊下に響いた。


 するとその直後、時音の手の下にあった破片が突然意思を持ったかのように動き出した。



「!」



 驚いた彼女が手を退けると、まるで録画された映像を逆再生しているかのように、みるみる内に欠片同士がくっつき、部品が噛み合い、どんどん以前の形を取り戻していく。

 どこか神秘的な様子に、時音も怜二も言葉を失い唯々時計が元通りに直るまでじっとその姿を見つめていた。


 数秒後、時音の目の前には切れたチェーンまでしっかり元通りに復元された金色の懐中時計が残されていた。



「……できた」

「……ああ、時音よかっ」

「出来た! やったよ怜二!!」



 時計を見ていた怜二が時音を振り返ったその瞬間、感極まった時音が勢いよく胸に飛び込んで来た。



「よかった……本当に、時計が直ってよかった……!」

「あ、ああ」



 急に抱きついて来た時音に怜二は狼狽えたが、顔が押しつけられている肩が濡れて来るのに気付いて落ち着かせるように背中を叩いた。


 しばらくあやすように背中を叩き続けていると、ややあってゆっくりと顔を上げた時音と至近距離で目が合う。



「……うわあっ!?」

「うおっ」



 刹那強い力で肩を突き飛ばされ、怜二は床に頭を打ちそうになった。



「何するんだよ!」

「ご、ごめん!」

「……ったく」



 顔を赤くして酷く慌てた様子の時音に怜二はほんの少しの文句と大部分の安堵を混ぜたため息を吐く。

 時音は胸を押さえて息を整えた後時計を拾い上げる。懐中時計の蓋を開けて秒針が正しく動いているのを確認した彼女は、本当に大事に大事にその時計を元通り首に掛け直した。



「怜二、本当にありがとう」

「別に、直したのはお前だろ」

「でも怜二がいなかったら思い付かなかったから」

「というかお前、どうやったらあんなばらばらに壊れるんだよ」

「……あ」



 ただ落としただけではあんなことにはならない、と怜二が指摘すると、時音の表情が一変して真っ青になった。少し落ち着いたというのに再び酷い顔色になったのを見た彼は怪訝な表情で体を起こした。



「時音、何があった」

「……それは」

「それは?」

「……椎名君に、壊された」

「は、あいつだと!?」



 怜二は耳を疑った。時計の様子から考えて誰かに故意に壊されたのだとはなんとなく想像が付いていたが、それがまさか御影だとは思いもしなかった。というよりも名前を聞いても信じられない。


 怜二は御影のことが嫌いだが、それでもあの男が時音の大事にしていると分かっている時計を壊す所は正直想像できなかった。

 けれど、時音がそんな嘘を吐く理由もまた無いのだ。



「信じてもらえないかもしれないけど……椎名君、急に酷いこと言って来て、それで時計を何度も何度も踏み潰した」

「あいつが……」

「華凛にも酷いことを言ったって、そう言ってた。まるで……誰かと中身が入れ替わったみたいに、別人に見えた」

「……椎名は何処に行った」

「分からない。時計が壊されて頭が真っ白になって、いつの間にか居なくなってた」



 俯いて時計を両手で握りしめる時音を見て、怜二はきつく拳を握りしめた。どうして御影がそんなことをしたのか分からない。だが今すぐ探し出して問い詰めてやる必要がある。それは確かだった。



「時音、あいつを探すぞ。そんで何発でもぶん殴ってやれ」

「……信じてくれるんだ」

「当たり前だ。馬鹿なこと言ってないでさっさと立て」



 怜二はそう言うとすぐに時音の腕を引っ張り上げて立ち上がらせ、そしてすぐに歩き始めた。腕を引っ張られたままの時音は少しだけ元気を取り戻し、小走りで彼の隣に並んだ。



「椎名君、もう後夜祭の会場にいるんじゃないかな。私もさっきもうすぐ始まるよって言ったし」

「かもしれないな。時音、他のやつらに連絡しとけ。椎名を見つけたらとっ捕まえておけとな」



 時音はこくりと頷いて携帯を取り出した。そして詠に電話を掛けながらも、頭の中では先ほどの御影の変貌した様子がぐるぐると回り続けていた。


 御影に、一体何があったというのか。




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