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36話 嘘


「椎名お前絶対に許さねえぞ!」

「へへ、いいだろー」



 妬むように騒ぎ立てる男共を笑顔で躱しながら、御影は華凛を連れて文化祭を巡っていた。

 クラスの出し物の担当は三つの時間に分かれており、朝一番から働いた二人はもう後は自由時間である。とはいえ華凛はまもなく水泳部の方へ顔を出さなければいけない為、一旦別れなければならない。



「椎名君、あの、恥ずかしいんだけど……」

「御影でいいって言っただろ?」



 周囲に見せつけるように手を繋いでいる状況に華凛が戸惑って声を上げるものの、御影はそれには答えずに名前で呼ぶようにと彼女に促した。昨日付き合い始めた直後に呼び方を変えて欲しいと提案していたのだ。



「あ……そろそろ準備に行かないと」

「もうそんな時間か? じゃあ頑張れよ、楽しみにしてるから」

「うん、じゃあ後でね」



 腕時計に視線を落とした華凛が名残惜しげに離れていくと、御影は大きく手を振って笑顔で彼女の背を見送った。

 人混みで華凛の姿が完全に見えなくなるまで手を振り続けていた御影は、しばらくしてようやく手を下ろすとふっとその表情を消した。



「……行くか」



 出来るだけ多くの場所を回らないといけない。

 御影はふらりと沢山の人混みに紛れると、水泳部のショーの時間まで他のクラスを見て回った。













「かーりーんー!」

「うわあっ」

「聞いたよ、昨日の今日で結局椎名君と付き合い始めたんだって?」



 水着に着替え、プールの端で出番を待っていた華凛に、突然背後から友人がぶつかるようにして肩を組んできた。

 にやにやと非常に楽しそうな彼女は「あんなに待たせないでさっさと付き合えばよかったのに」とばしばし背中を叩いてくる。本番前だということもあって随分とテンションが高い。



「ねえねえ、椎名君来てるの?」

「うん……あ、ほらあそこ」



 ぐるりとプールを取り囲む観客席の前から三列目、恐らく初対面であろう客の老人と楽しそうに談笑している御影の横顔を見つけた。

 相変わらず人懐っこく社交的だと華凛が感心していると、不意に前を向いた御影と綺麗に視線があった。



「あ」



 にかっと太陽のような明るい笑みを向けられて思わず華凛の顔が赤くなる。そんな彼女の顔をすぐ側で見ていた友人は「めっちゃ女の子って顔してる」と驚くように呟いた。

 今まで押さえていたというのに、想像以上に御影を好きな気持ちが大きくなっていることに気付き、自分で自分の気持ちに動揺してしまう。



「椎名君も見てるんなら尚更失敗しないように頑張らないとね!」

「……うん」



 照れた顔を隠すように、華凛は軽く俯いて返事をした。












「それではこれより、水泳部、高等部一年によるショーを御覧下さい」



 会場に響き渡ったアナウンスを聞いていると、御影の目の前のプールに続々と水泳部の女子部員が現れる。彼女たちは綺麗にプールサイドに並ぶと観客に向けて一礼をし、そして次々とプールに飛び込んでいく。

 プールの中心部に集まった部員達が軽く目配せをしたかと思うと、途端にプールのあちこちから水が吹き上がり、くるくると螺旋を描くようにして高い天井に向けて立ち上っていく。会場中が期待で沸き上がり、水中ショーの始まりだ。


 音楽に合わせて水が宙を芸術的に飛び交い、部員がそれに合わせて動き出す。時には作り出された波に乗った彼女達が宙に描かれた水の輪をくぐり抜け、まるで水上のサーカスのようだ。水だけでなく風魔法も使っているのだろう。時折驚くような身軽な曲芸も飛び出す。



「今年の一年、中々やるなあ」

「そうなんですか?」

「ああ、上級生ならともかく、近頃では一番だと思うぞ」



 隣の席の老人――毎年これを見に来るファンらしい――とそんな話をしていると、大きな水飛沫と共に何人かの生徒が水の中から姿を現した。その中の一人に華凛の姿を見つけた御影は無意識のうちに彼女を視線で追いかけ始める。

 きびきびと動く華凛は真剣そのものの表情で、けれどもどこか楽しそうに見えた。

 最後までしっかりと決まり、会場中が大きな拍手に包まれると御影も周りに倣って大きく手を叩く。



「楽しそうで何より」

「ホントですね、いっぱい練習してたみたいなんで上手く行ってよかった」

「いや、君のことだよ」

「……え?」

「始まる前から笑ってはいるがどこか苦しそうに見えたからな。今は随分気が晴れたようでよかった」



 隣の老人の言葉に御影は咄嗟に顔を押さえ、そして口元が緩み掛けていたのを知って愕然とした。

 昨日から、いや以前からずっと心に重たくのし掛かっていた事実を、御影は今の瞬間完全に忘れ去っていた。



「……俺は」



 御影は立ち上がる。老人が不思議そうな顔で彼を見上げるが、御影は構わずに多くの拍手の中をすり抜けるようにして体育館の外へと飛び出した。



「――やっぱり、俺には……」










 喧噪が遠くから聞こえて来る。御影は沢山の歓声が響く屋内プールがある体育館の裏へ、重たい足を引き摺るようにして辿り着いた。賑やかに藤月祭が行われる中誰も居ないその場所で、彼はずきりと痛む頭を押さえて――そっと声を上げた。



「……なあ」

“何だ。お前から話しかけて来るなど珍しいこともある”

「……」



 頭の中に重く響く声に思わず顔を顰める。しかし御影は僅かに黙り込んだ後に覚悟を決めたようにその言葉を口にした。



「もう、止めないか」

“……何を言っている?”

「この計画を、もう止めようと言っているんだ」

“私が言ったことを忘れたのか。目的を忘れるなと、何度もそう言ったはずだ”

「忘れてなんかない。ただ、考えを変えただけだ」

“……”



 此処に他の人間が居れば、御影はただ奇妙に独り言を話しているように見えるだろう。しかし彼は、確かにその“声”と対話をしていた。



「なあ、本当に壊さないといけないのか? 裏返さないと、いけないのか……?」

“私達がどうやって生まれたのか知っていてそれを聞くのか”

「分かってる。けど俺は……ここで過ごして色んな人間を見てきた。自分の利益の為だけに平気で他人を売ろうとするやつ、普段は取り繕ってても魔が差して人を傷付けようとするやつ。……でもそれ以上に、いいやつらだって沢山居た」

“ただの人形の分際でやつらに絆されたか”

「……っ俺は確かにあんたにとって人形なのかもしれない。けど、俺にだって色んな感情は――!」

“口答えを許した覚えはない”



 叫ぼうとした御影の口から出たのは、音もない空気だけだった。



「っ」



 パクパクと、必死で口を動かすものの声は出ない。まるで喉を潰されたかのような痛みが彼を遅い、御影は苦しむように喉に手を当てて膝を着く。

 いや喉だけではない。全身が言うことを聞かなくなり、彼は柔らかな草の上にどさりと倒れた。

 それでもまだ残っている意識の中で声が響き続ける。



“嫉妬や憎悪、苦しみ、策略、悪意。お前を、私達を取り巻くのはそれらで十分だ。思い通りに動かない人形は必要ない。仕方が無い、結局私がやるしかないのか”

「……っ」

“お前に貸していた力を返してもらおう。……まだ時期尚早だが、致し方ない”



 ――やめてくれ。

 言葉が出ずともそう叫んだ御影の意識が容赦なく黒く塗り潰されていく。自分が奪われていく感覚に必死で抵抗しようとするが、裏腹にその体はぴくりとも動いていなかった。





「……」



 どれほど時間が経っただろうか。水泳部のショーも終わり、外に出た客で辺りが騒がしくなって来た頃、今まで静かに倒れ伏していた御影が、不意にむくりと体を起こした。

 ゆっくりと立ち上がった彼は目の前で両手を閉じたり開いたりを繰り返し、そして一度地面に浮かび上がる影に視線を落とした。



「……さて、やるか」



 足下から顔を上げた“御影”は、今までに彼が見せたことの無いような冷酷な顔をしていた。













「椎名く……御影君、ここに居たんだ!」



 着替えや後片付けも終わって外に出た華凛は、一年の演目が終わった途端にふらりと姿を消した御影を探していた。既に人気のなくなった体育館の出入り口できょろきょろと辺りを見回していた彼女は、近くの木陰でようやく彼の後ろ姿を見つけることができた。

 まだ乾いていない髪を拭きながら背を向けて立ち尽くしていた御影に小走りで近寄った彼女に、その声に反応してゆったりとした速度で御影が振り返る。



「あの、どうだった? 自分でも上手く行ったと思うんだけど」

「そうだな」

「……」



 何と言ってもらえるだろうかと少し期待しながら華凛が尋ねるものの、御影の返答は酷くそっけなく簡素なものだった。思わずあれ、と拍子抜けしてしまい、続く言葉を待っても彼は何も言わずに小さく笑みを浮かべているだけだった。

 今まで御影との間に起こることもなかった重たい沈黙が二人の間に横たわる。そして、華凛はそれに何か途轍もない違和感を覚えた。先ほど別れた時とは御影の雰囲気が随分違うように思えたのだ。

 しかしそう感じながらも華凛は微笑んで御影に話しかけた。自分が何かしてしまっただろうかと不安を心に潜めながら。



「あのね、皆もすごく頑張ってたし、練習通りに行って本当に……」

「ああ、本当に」



 御影がその笑みを深くする。



「――見事な茶番だったよ」

「……え?」



 笑顔で、けれども凍えてしまいそうなほど冷え切った視線が華凛に向けられたのはその時だった。



「あんな馬鹿馬鹿しいことにどれだけ時間を費やしたのやら……本当に無駄で、無意味なことだ」

「な、何を言ってるの? 御影君だって応援してくれて」

「ああ、心にも無いことを言ったかもな。頑張れとか、楽しみにしてるとか……お前が好きだとか、心にも無い戯れ言を」



 華凛の目が大きく見開かれた。まるで時が止まったかのように思考も体も動かなくなり、彼女は御影の言葉を理解することを避けようとした。

 しかし彼は無情にもそんな華凛に向けて、にい、と見せつけるように口角を上げ彼女の耳に再びその言葉を叩き付ける。



「俺がお前のことを好きだと、ホントに思っていたのか?」

「だ……だって、そうだって、言って」

「お前に言った言葉はぜーんぶ嘘っぱちだ。騙されたか? 俺がお前を、何の取り柄も力もないお前なんかを本気で好きになるはず無いだろ」

「……何で、何でどうしてそんな嘘吐いたの! そんなこと……」

「そんなの簡単な話だ、単なる嫌がらせだよ」

「嫌がらせ……」

「あいつ……怜二がお前のこと好きだったみたいだから、わざわざ奪ってやっただけ。そうでなければお前なんて見向きもしねえよ」



 俺がお前と付き合い始めたって知った時のあいつの顔、本当に傑作だった。御影はそう言って、悪意しか感じられない表情でけらけらと笑った。

 そんな彼を見て華凛はもう言葉も出なかった。今まで接していた御影は一体何だったのか。無邪気さを装って明るく振る舞っていた裏で、彼はずっとそんなことを考えていたのか。

 放心状態の華凛の瞳からぽろりと一筋の涙が顔を伝う。すると御影は今までの邪悪な笑みを消し、憎悪混じりの冷たい表情を浮かべた。



「可哀想で愚かな女。ただ他のやつを貶める為に利用されて、それに気付きもしなかった」

「あ……あ……」

「お前だけじゃない。……表の人間は、全員本当に愚かで仕方が無い」



 御影が踵を返し、魂の抜けたような彼女からさっさと離れていく。華凛は止めない、そんな余裕などどこにも無く、ただ虚ろな目で小さくなっていく背中を目で追うことしかできなかった。


 だからこそ、御影の背後に伸びる影が何かを訴えるかのように小さく蠢いていたことなど華凛には気付く余裕はありはしなかった。



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