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34話 隠された心


「それじゃ皆お疲れ! 明日頑張ろうね、解散!」



 藤月祭前日の放課後、水泳部は明日に向けての最終リハーサルを終えた。華凛は部長の声を聞きながら疲れた体を引き摺るようにして歩き、シャワーを浴びてから更衣室へと向かった。



「明日楽しみだね」

「うん、上手く行くといいけど……」

「華凛は心配性だなあ、こんだけ練習したんだから大丈夫だって!」



 同じ水泳部の部員と話をしながら制服へ着替える。濡れて重たくなった長い髪を払い早く寮に戻ってドライヤーを使いたいと華凛が考えていると、まだまだ元気の有り余っている様子の友人が不意に思い出したかのように「あ」と短く声を上げた。



「そういえば! 華凛、もう椎名君に返事ってしたの?」

「え、いや……まだ、だけど」

「えー、早くしちゃいなよ。もう二ヶ月くらい待たせてるじゃん」



 夏休み初日に公衆の面前で御影が華凛に告白したという話は既にその場に居た生徒によって吹聴されてあっという間に広まってしまった。華凛が恥ずかしげに俯くと「さっさと付き合っちゃいなよー」と話を聞いていた他の部員からもせっつかれる。



「付き合うって……」

「え、だって華凛って椎名君のこと好きでしょ?」

「え?」

「え!?」



 華凛が聞き返すと、むしろ驚いたような顔で「自覚無いの!?」とぎょっとしたような表情を浮かべられた。



「……そう、見えた?」

「だって体育大会で連れて行かれた時だってまんざらでもない顔してたし、普段だってよく楽しそうに一緒にいるじゃん」

「それは……あ」



 言い訳のように言葉を募らせようとしたその時、鞄に入れっぱなしにしていた携帯に着信が入っていたことに気がついた。

 そしてよりにもよって、画面に表示されていたのは今し方話題に上がっていたその人の名前である。



「お、早速椎名君から!」

「……ごめん、私、ちょっと行くね」

「おー、頑張って」



 その場に居た全員の声援を受け、華凛は少々の居心地の悪さを覚えながら急いで更衣室を飛び出した。













「椎名君!」

「よ、華凛。部活お疲れ」



 支度を終えた華凛が急いで外に出ると御影は近くの木陰に座っており、彼女を見つけて軽く片手を上げて立ち上がった。



「あの、話って……」

「夏休み前の返事、そろそろ聞かせてもらえねーかなって」



 やはり、というべきか案の定その話だった。華凛は真っ直ぐに自分を見つめる御影を直視出来ず、うろうろと視線を彷徨わせるようにして俯いた。





 常磐華凛という少女は、昔から自分に自信がなく周囲から一歩下がった場所にいることが多かった。元来の大人しい性格から人前に立つのが苦手で目立つことを好まない彼女は、いつもたくさんの人間に紛れるようにしてひっそりと生きていた。

 そんな彼女は友人も多かったが、しかし親友と呼べるような友人は殆どできなかった。分け隔て無く広く色んな人間と付き合うと言えば聞こえはいいが、そんな彼女を陰で八方美人だと囁く者も少なくなかった。

 いや、実際に彼女自身も自覚しているのだ。自分は何より、他人に嫌われることを恐れているということを。


 だからこそ彼女は常に周囲に気を配っていた。他人の顔色を窺うことばかりして、いつの間にか相手の気持ちを読み取ることに長けるようになっていた。甲斐が論理的な思考で周囲の人間を観察しているのに対し、華凛は人の表情や周りの雰囲気から他人の気持ちを悟っていた。



 そして他人の感情に敏感になっている華凛は、当然よく一緒にいる友人達のことも色々と察するようになった。

 例えば詠。普段から明るくあっけらかんとした彼女だが、特殊な家や属性の所為で周囲が想像するよりもずっと重たいプレッシャーを感じているのを知っている。

 例えば甲斐。彼は良くも悪くも自分の感情をほとんど表に出さないので非常に分かり難いが、中等部から長く一緒にいるうちにようやく分かるようになってきた。無表情の下で、彼が誰を一番気に掛けているかということも。


 ――そして、



「なあ、華凛」

「……何?」

「もしかして、この前怜二に告白されたか?」

「な、」



 華凛が返答に窮していると、御影は全く違う話題を振った。……よりにもよって、一番考えないようにして来た話を。



「何で」

「分かるのかって? そりゃああの後の怜二を見てれば分かるって。あいつすぐに顔に出るからな」

「……」

「華凛……お前知ってたんだろ? 怜二がお前のこと好きだったって」



 そして、怜二だ。

 彼が自分に好意を抱いているのでは、ということは華凛も薄々感じていた。

 怜二が華凛に突っかからないのは、最初自分が特別秀でた部分がないからだと思っていた。だが二階堂怜二という人間を知っていくうちに、顔を赤くして緊張したように話しかけて来る彼を見て、それだけではないことを華凛は察してしまったのだ。



「あいつの態度から見て断ったみたいだけど」

「……うん」

「じゃあ俺もそろそろ答えをくれないか? もう一度言うけど、俺は華凛のこと好きだよ」

「……」



 いつになく真面目な表情を浮かべた御影にそう告げられ、華凛は自分の顔に熱が集まっていくのを感じた。

 先ほどから……いや、夏休み明けからずっと返事を濁していた彼女だが、実際の所、答えは既に一つに定まっていた。

 それこそ、怜二の告白を断った理由なのだから。



「私も……椎名君のこと好き、だよ」

「ホントか!?」



 辿々しく、震えた小さな声で華凛は何とか想いを告げた。彼女自身も、とっくに自分の気持ちを自覚していたのだ。

 先ほど更衣室で指摘されて驚いたのは、それがまさか周囲に知られていたとは思いもしなかったからだ。そこまで分かりやすく態度に出ていたのかと動揺してしまったのだ。


 けれど彼女が中々御影に返事が出来なかったのは、ただ恥ずかしかったからというだけではない。ぱっと表情を明るくした御影に「でも」と華凛は両思いになったとは思えない表情で視線を落とした。



「私が椎名君を好きになったのは……不純な動機だよ」

「不純?」

「椎名君が私を好きになってくれたから、だから……」



 怜二と同じくらい、いやそれ以上にあからさまに御影は華凛への好意を態度で示してきた。だからこそついつい彼を気にしてしまって、次第に華凛の心は傾いていった。



「私のこと好きなのかなって考えると嬉しくなって、普通でしかない自分が特別になったような気になって……そんな、不純な気持ちがきっかけだと思うから」

「……」

「二階堂君を好きにならなかったのは、先に時音ちゃんの気持ちを分かってたからかもしれない。そんな消去法みたいなもので、不誠実に好きになったのに、椎名君の気持ちに応えていいのかずっと考えてた」



 まるで懺悔するように、華凛はずっと内に秘めていた気持ちを吐露した。こんなことを言えば幻滅されるかもしれないと考えて言えなかった言葉をようやく口にした華凛は、恐る恐る御影を窺った。



「それって何か駄目なのか?」

「え?」



 一体どんな顔をされているのかと、そう怯えていた華凛に対して目の前の御影は酷くきょとんとした表情を浮かべていた。



「きっかけなんて別に何でもいいだろ。今華凛が俺のこと好きなら、そんなことどうでもいいよ」

「ほ、本当に?」

「大事なのは今の気持ちだろ? 俺は華凛が好き、華凛も俺を好き。だったらなーんの問題も無し! ってことだ!」

「……ふふ」



 あっさりと、実に単純明快だとばかりに自信満々にそう告げた御影に、華凛は思わず小さく笑みを零してしまう。周りを羨んでしまった時も、誘拐された時も、華凛はこの明るさに救われたのだ。



「椎名君」

「?」

「私、椎名君のそういうところ本当に……好きだよ」



 御影の明るい笑顔に釣られるように、いつの間にか華凛も淀んでいた心が晴れていくような感覚を覚えた。













 華凛を寮へと送り届けた御影は、一人さほど離れていない男子寮の自室へと戻ってベッドに横になった。



「……」



 先ほど華凛と居た時とは全く異なる無表情を貼り付けた彼は、目を閉じるとその上から両目を覆うように右腕を乗せた。天井の明かりを見つめていた視界は一転して暗くなり、何も見えなくなる。

 華凛は御影が好きだと言った。少し照れた様子で見せた笑顔は、御影にとっては目が眩むような眩しさだった。



「……華凛、ごめんな」





“何を謝る必要がある?”


「――っ!」



 思わず、と零れた謝罪に答えたのは、勿論華凛ではなかった。


 途端に御影の頭がずきりと痛み、脳内に強烈に声が響き渡る。男とも女とも言い難い感情の籠もらない声は、畳み掛けるように彼の頭の中を揺らし言葉を続ける。



“目論み通り、上手くあの女を手に入れることが出来たのだろう。一体何を謝っている”

「……」

“まさかと思うが罪悪感でも持ったというのか? ただの人形に過ぎないお前が”

「人形……」

“そう。お前は私の重要な駒で、人形だ。目的を忘れた訳ではないだろう”

「分かってる……けど」

“疑問を抱く余地はない、お前は与えられた仕事をすればいいだけだ。我を忘れるな、目的を忘れるな。必ず……”



 淡々と響く声に、徐々に憎しみの色が加わる。真っ暗な視界の中で、御影は今まで何度も何度も繰り返し告げられたその言葉を聞いた。




“――裏返せ”



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