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3話 涙を止める音

「ただいまー」

「おかえり時音、二階堂さん何の用だったの?」

「実は、潤一さんに藤月学園に来ないかって言われて」

「え!?」



 隣の家での話し合いが終わり自宅へ戻って来た時音は、リビングで揃ってテレビを見ていた両親にさらりとそう伝え、そして驚かれた。


 魔法だの別世界だの耳を疑うようなことを沢山言われた訳だが、勿論時音はそれを両親に説明するつもりはなかった。彼女自身よく分かっていないどころか未だ半信半疑であるし、昨日の事件のことだって伝え損ねていたのだから余計に言いにくい。

 もし二人が時音に隠れて魔法士だったとしたら、藤月の名前を出した時点で何かしら他のリアクションを取るだろう。それが無いということはつまり、両親は魔法とやらに無関係なのだ。ならば尚更詳しく言う訳にはいかない。お隣さんが変な目で見られるだけだ。



「それで時音、どうするんだ?」

「ちょっと考えたけど、私藤月学園に行こうと思うの。駄目かな」

「駄目っていうか……あの学校ってよく分からないことで有名だろう、大丈夫なのか?」



 藤月に行く、という娘に父は少々不安そうな表情を浮かべた。時音には好きな所に進学すればいいとは思っていたが、しかし謎が多い件の学校は果たして大丈夫なのだろうか。

 しかしそんな風に悩み父とは裏腹に、その隣の母は「まあ、時音が行きたいんならいいんじゃない?」と前向きに肯定してみせた。



「だってほら潤一君が教師をしている所でしょ? ならきっとそんな変な所じゃないわよ」

「まあ、そうか。潤一君か……」



 周防家における……というよりもこの近辺での潤一への信頼度は素晴らしく高い。何でも出来る上に礼儀正しい彼は昔から神童扱いだったらしく、いつももてはやされていたという。その信頼は今でも根強く残っている。



「潤一さんもいい学校だって言ってたよ。あと、寮生活しなくちゃいけないみたいだけど……」

「寮ねえ……まあ、一人暮らしの練習にはなるんじゃない?」

「時音、ちゃんと自分で朝起きられるのか?」

「そのくらい大丈夫だって!」

「あとでお隣に行ってちょっと詳しい話聞いて来なくちゃ……」

「それで、藤月に行ってもいいんだよね」

「ああ。時音が決めたのならそれでいい」



 確認するように彼女が尋ねると、両親はこくりと頷き認めてくれた。もっと説得が難航するかと思っていたが、予想よりもスムーズに決まってよかったと時音はほっと息を吐く。潤一の名前の力は絶大だ。




「あ、そうだ」



 話が終わり自室に戻ろうとした時音は、その前に一つ伝え忘れていたことを思い出し廊下からリビングへひょいっと顔を出した。



「何か戸籍謄本がいるんだって。市役所とか行けばいいんだっけ」

「え? ……え、ええ。そうね」



 どのみち今日は休みだから無理だ。忘れないようにしなければと思いながら部屋へ戻った時音は、その時リビングで両親が酷く困ったように顔を見合わせていたことには気付かなかった。











「藤月かー」



 自室に戻った時音はベッドの上に仰向けになりながら気の抜けた声を出していた。今まで何度も聞いて来た名前だったが、まさか自分が通うことになるとは想像もしていなかった。

 潤一が話してくれた様々な非現実的な話もそうだが、どちらかというと今の時音が頭を悩ませていたのは怒鳴って飛び出して行った幼馴染のことだった。



「怜二、まだ怒ってるかなあ」



 次に会った時に一体何と言えばいいのだろうか。藤月に通うことになったと告げれば当然「何で俺じゃなくてお前が!」と怒るだろう。

 しかし仮に時音が断わっていたとしても「藤月に行けるのにわざわざ断るなんて俺を馬鹿にしてるのか!」と怒られること請け合いだ。片思いの相手ながら色々と面倒臭い男である。



「でも私が寮に入ると……どっちみち怜二とは会えなくなるのか」



 険悪なまま別れるのは嫌だが、どうしたものかと時音が頭を悩ませる。そして無意識のうちにポケットを探ろうと手を動かしたその瞬間、彼女はかばりとベッドから飛び起きた。



「時計!」



 昨日学校へ忘れた懐中時計。それを結局まだ取りに行っていなかったのだ。昨日と今日、色々なことがあり過ぎてすっかり失念してしまっていた。

 今日は授業はないが部活は行っているはずなので学校は開いている。時音は一刻も早く時計を取りに行こうと慌てて準備をして部屋を勢いよく飛び出した。





「それは駄目!」



 しかし廊下を駆け抜けようとした瞬間に聞こえて来た母親の怒鳴り声と、そして何かを叩きつけたような大きな音を耳にした彼女は、思わず走り出そうとした足をぴたりと止めた。



「時音にはまだ言えない!」



 普段声を荒げることの滅多にない母の叫びに、時音は何があったのかと不安になりながらそっとリビングの方へと進んだ。

 一体何の話をしているのか。彼女に言えないこととは何なのか。



「だがどうするんだ、戸籍を見ればすぐに分かることだぞ。それにいつかは話すと決めていただろう」

「でも時音はまだ十五歳なのよ、早過ぎる。……もし、私達が本当の親じゃないって知ったらあの子――」

「……え」



 ぎし、と廊下の床板が音を立てる。しかし時音にはそんなことを気にする余裕など全くなかった。

 本当の、親ではない。確かに時音の両親はそう口にした。



「と、時音!?」

「もしかして聞いて……」



 廊下で聞こえた音に反応して父と母が驚愕の表情で彼女の方を振り返る。その酷い動揺に、今の言葉が真実だと悟った時音は頭が真っ白になりながら瞬きも忘れて目の前の両親――だと、今までずっと疑いもしなかった二人を見ていた。



「本当の親じゃない……じゃあ、私は」

「っ時音!」



 混乱して、何も考えられなくて、でもこの場に留まることもできなかった時音は、とにかく自分の心を守るように逃げ出した。背後から名前を呼ばれても、時音は立ち止まることなく家を飛び出し、そして一目散に走り始める。



「うわっ」



 とにかくどこか遠くへ。そう考えた矢先、しかし時音は走り出してすぐに何かにぶつかってそのまま道路に倒れ込んだ。



「痛って! 誰だ……って、時音かよ」



 痛みに顔を歪めながら、よろよろと頭を上げた時音に聞き慣れた声が掛かる。目の前で時音と同じように道路に座り込んでいたのは、苛立たしげに時音を睨む怜二だった。

 先ほどまで会うのが気まずいと思っていたというのに、今の彼女にそんな余裕はどこにもない。



「怜二……」

「一体どこ見て――」



 そのまま怒鳴ろうとした怜二の声が不自然に途切れる。ぶつかったまま立ち上がろうとしない時音が、今にも泣きそうな顔をしているのを見てしまったからだ。



「ど、どうしたんだよ」

「……」

「家から飛び出して来たってことは、おじさんかおばさんと喧嘩でもしたのか?」

「怜二、わた、私っ……!」



 声を震わせて時音が何か言おうとするが、一言声を上げる度に堪えきれなくなったかのうようにぼろぼろと涙が溢れて来る。



「お、おい時音……」



 とうとう全てが嗚咽に飲み込まれて何も言えなくなった時音に、怜二はひどく困惑した。道端で座り込んだまま泣き出した幼馴染に、彼はおろおろと視線を彷徨わせた後、小さく溜息を吐いて立ち上がった。



「来い」



 時音の腕を掴んで立ち上がらせた怜二は、短くその一言を告げて彼女を引っ張った。掴まれていない方の手でぐしゃぐしゃになった顔を拭って泣き続ける時音をちらりと見ながら、怜二はそのまま彼女を連れて歩き、そして自宅へと入った。



「に、兄さん一体どうしたんですか!?」



 玄関で靴を脱がせて家の中を進んでいると、時音の泣き声を耳にしたらしい三葉がぎょっとした顔で尋ねて来る。しかし怜二はそれに反応せずに時音を連れて階段を上がり、そして廊下を歩き二番目の部屋――怜二の自室へと入った。



「時音」

「っう、……れい、」



 力が抜けたように床に座り込んだ時音は未だに泣き止まない。怜二はそんな彼女を暫し見た後少し疲れたように肩を落とし、そして棚に置かれていた横長のケースを手に取った。



「……」



 がさごそと音を立てていると、時音がぐずぐず泣きながら顔を上げる。怜二はそのままケースを開くとその中からバイオリンを取り出し、そして時音の背を向けて椅子に座った。


 一瞬の静寂の後、その音色が奏で始められる。

 優しく、柔らかな音。何度も何度も聞いたその音を耳にして時音はバイオリンを奏でる怜二の後ろ姿を思わず見つめてしまった。



「怜二……」

「……」



 時音の声を無視して、彼は勝手に弾き続ける。


 時音は膝を抱え、そこに頭を置きながら目を閉じてバイオリンの音に耳を傾けた。少しずつだが嗚咽は小さくなっていく。ぐちゃぐちゃになっていた思考が、音色に満たされて落ち着いていく。


 昔からそうだった。友達と喧嘩した、飼っていた犬が死んだ、先生に怒られた。そうして時音が泣くたびに、いつも怜二は無言でバイオリンを弾いてくれた。そうすれば時音が泣き止むことを彼は知っているから。

 怜二は普段あまりバイオリンを進んで弾くことはない。それは以前、怜二の真似をした三葉がバイオリンを習い始め、そしてすぐに彼よりも上手く弾けるようになってしまったことが原因だった。

 それ以来彼は自らバイオリンを弾くことは殆どなくなった。ただ、時音が泣いている時を除いては。



「……」



 涙は止まり、時音は静かにその音に聞き入る。音楽に詳しくない時音には分からないが、怜二の腕前はきっととても上手いというほどではないのだろう。習い事を止めてから碌に練習もしていないのだから当然だ。

 それでも彼女はこの音が好きだった。どんなに綺麗な音よりも、自分を慰めようと心を砕いてくれる怜二の音が、何よりも。






「……ありがとう」



 一曲弾き終えて怜二がバイオリンを下ろす。小さな声でお礼を言った時音に怜二は少し不機嫌そうな……しかしどこか照れくさそうな表情で彼女を振り返った。



「おかげで……少し、落ちついた」

「ふん、俺がわざわざ弾いてやったんだ。もっともっと感謝してみせろ」

「……何かそんな風に言われると感謝が薄れる」

「はっ、そんなこと言っていいのか?」

「え?」



 怜二は立ち上がるとポケットに手を突っ込んで時音の前に来て、そして手を彼女の目の前に差し出した。

 シャラン、とチェーンが音を立て、時音の目が大きく開かれる。彼の手には、時音の懐中時計が握られていたのだ。



「取りに行ってくれたの……? ありがとう」



 受け取った懐中時計を、時音は酷く大切に持ち上げて耳に近付けた。カチカチといつもと変わらない規則的な音が彼女の心に言葉にならない安心感を生む。



「あれだろ、どうせお前のことだから時計が無いことに動揺でもして泣いてたんだろ。そのくらい分かってるんだよ」

「ごめん、違う」

「ぐ……じゃあ何なんだよ!」



 自信満々に言った怜二の言葉を否定すると、彼は少し恥ずかしくなったのか顔を横に逸らして理不尽に怒った。そんな彼に小さく笑った時音は口を開きかけ、しかし家で聞いた会話を思い出して唇を噛んだ。



「あの、ね」

「何だよ」

「……わ、私、お父さんとお母さんの子供じゃないんだって」

「……え?」

「本当の、親子じゃないんだって……私、偽物、で」



 血が繋がっていない、他人。今まで本当の親子かなんて疑ったことなどなかったのに、それは偽物の関係でしかなかった。

 時音が我が儘を言う時に、言うことを聞かなかった時に、あの二人はどう思っていたのだろうか。本当の子供でもない癖にと、そんな風に思われていたのではないのか。

 今まで過ごして来た時間は、二人にとってはただの家族ごっこに過ぎなかったのではないか。

 握りしめた両手が震え、再びじわりと涙が零れ落ちる。



「そ……そんな、馬鹿なこと」

「本当なの! ……二人がそう言ってた。私に言うべきかどうかって、話し合って……」

「……」



 大きく目を見開いたまま怜二が硬直する。それはそうだろう、彼もまさかこんな話をされるなんて思いもしなかっただろうから。

 口を開きかけては閉じ、開きかけては閉じ。何度もそれを繰り返す怜二は時音にどう声を掛けていいのか分からずに、不自然な位置で伸ばした手を止めて、結局下ろした。



「その……だな、いや……」

「……弾いて」

「は?」

「もう一度バイオリン、聴かせて……その間に、少しでも落ち着くから」



 泣きながら時音が言った言葉に怜二はやや逡巡した後立ち上がった。そして椅子に戻る彼の後ろ姿を、時音は滲んだ視界の中で見つめた。

 何の解決策にもならないのは分かっている。それでも今はただ、何も考えたくなかった。

 怜二の音を聞いているだけで、時音の心は少しばかり救われるのだから。



「時音」



 椅子に座ってバイオリンを構えた怜二が不意に彼女の名前を呼んだ。



「上手く言えないが……おじさんもおばさんも、お前のこと大好きだよ」

「……!」



 再び、バイオリンが音を奏で始めた。



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