29話 失踪事件
八月に入ると残っている生徒はますます減っていった。日に日に静かになっていく学校の中で、今日の時音はというと図書館に居た。
一つの棟を丸ごと使った図書館の蔵書は非常に充実しており、時音もこの夏休み中暇になっては雑誌を読み漁ったりと何度もここを訪れている。しかし今日時音が図書館に来たのは最後に残った一番厄介な課題の為である。
自分の属性の魔法に関するレポートを作成すること。内容は自由に決めてもいい、普通の学校で言う自由研究のようなものだ。
しかし何が問題かというと、当然ながら時魔法に関する資料の異様に少ないということだ。時属性や時魔法という単語で蔵書検索を掛けてみるものの結果に表示された件数の少なさに溜息が出る。ひとまずこれらをかき集めてレポートのテーマを考えなくては、と時音は検索結果のリストを印刷して書庫へと向かった。
「……時属性が及ぼす次元への影響……時間軸への干渉方法……」
頭が痛くなるような言葉の羅列に思わず分厚い本を閉じる。いくつかの本をぱらぱらと捲ってみたものの、書かれている内容の難解さに時音は目が回りそうだった。小難しいことが羅列している文章は結局何が言いたいのかさっぱり分からない。
「あれ、周防ちゃんだ」
「ひいっ!」
どうしたものか、と考え込んでいた時音は、静寂に包まれた書庫で突然背後から聞こえた声に非常に驚いてびくりと大きく肩を揺らした。
「あ、ごめん。驚かせちゃった?」
「……羽月先輩、でしたか」
振り返った先に居たのはいくつかの本を両手に抱えた弥子だった。生徒のほぼ居ない夏休みの図書館で知り合いに会うとは思わず、時音は跳ね上がった心臓を押さえるように胸に手をやった。
「偶然だね。学校に来たのは課題の為?」
「いえ……それもありますけど、ちょっと事情があってまだ寮にいるんです。もうすぐ一度家に戻りますけど」
「へー」
「先輩は……?」
「ああ、部活と……ちょっと個人的な調べ物をね」
弥子はそう言うと時音に近づいて彼女の持っている本を見る。それらが彼女の属性に関するものだと知ると「時属性の本って少ないのよね」とうんうん頷いた。
「何か考え込んでたっぽいけど、行き詰まってた? もしよかったら相談に乗るけど」
「え、いいんですか?」
「これでも先輩だからね。それに属性のことなら少しは頼りになると思うよ」
任せて、と頼もしく言う弥子に、困っていた時音は思わずその提案に飛びつくように「よろしくお願いします!」と即答した。
「ほら、こっちの論文の方が参考になると思うよ」
「ありがとうございます!」
ひとまず時属性についての入門書を手に取ってテーマを定めた時音は、続いて弥子の提案で書籍ではなく図書館にあるパソコンで最新の研究論文を調べていた。
時音が選んだテーマは時属性の活用範囲についてだ。今までの時属性の人間が使用した時魔法の活用法についてまとめ、まだ時音が使ったことのないものを模索する、また新たに何が出来るか考察していく予定だ。
「この論文書いた人、自分の体の時間を戻しちゃって若返ったって」
「ええ……? 時魔法ってそんなこと出来るんですね」
「魔法実験中の事故らしいけどね。しかも、脳が体の変化に追いつかなくてその時の本人の記憶は殆ど残ってないらしいわ」
「何かそれ怖いです……」
自分が今何歳なのか脳が混乱して本来の自分を思い出せなくなったら、そう考えると恐ろしい。まだ魔法を習いたての時音ですら周囲の時間をまるごと止めてしまったこともあるのだ。自分の力ながら時魔法というものが恐ろしく感じることがある。
「じゃあ逆に、大人になることも出来るんですかね」
時間を巻き戻す、そして進める。一時的に僅かに自分の動きを加速させたりしたことはあるものの、それらはまだまだ未知の領域だ。
時音は一度ノートから目を離してそれを閉じると隣の弥子を見上げた。ある程度書くことは決まったのであとは参考にするいくつかの論文を読み込んでからだ。
「助かりました。先輩、ありがとうございます」
「ううん、こっちも行き詰まってたからいい気分転換になったし」
「先輩は何を調べていたんですか?」
「……えー、と」
「あ、すみません。聞かれたくなかったことなら……」
「ううん、まあ別にいいんだけどね」
弥子は一瞬躊躇ったものの、すぐに頷いて鞄からクリアファイルを取り出した。差し出されたそれを時音が受け取ってみると、どうやらそれは過去の新聞記事のコピーのようだ。
「これは……」
弥子に促されるまま紙面に目を落とすと、それはとある人物の失踪についての記事だった。その人物は時音でも聞いたことのある老舗和菓子店の前会長だという老人。名前は――羽月義嗣と書かれている。
「羽月って」
「私のお祖父さん……らしいんだけど、私も会った記憶がないからどんな人かは知らないんだ」
羽月義嗣、弥子の祖父である彼は彼女がまだ二歳くらいの頃に忽然と失踪したのだという。それからの足取りは一切掴めておらず、既に死亡認定もされている。
「今まであんまり気にしたことなかったんだけど、少し前にあった法事で親戚にその話を聞いて妙に気になっちゃってね」
多くの人脈を持っていたらしい彼の権力は強く、そしてその反動で義嗣が失踪してからというもの羽月の家は衰退の一途を辿った。和菓子店も手放すことになったらしく、弥子の親戚はそのことに酷く怒りを覚えていたのだという。どうして身勝手に姿を消したのかと。
「勝手に居なくなったって皆は言ってるけど、それは本当なのかなって思うの」
「それは……何か事件に巻き込まれたとか、ですか?」
「うん。まったく目撃情報もないし、その予兆もなかったって言うから私はそっちの方が可能性は高いと思ってる。……別に私が調べた所でどうってこともないけど、真実を知りたくなっちゃって」
簡単に言えば好奇心が疼いたのだという。生きているのか死んでいるのか不明だが、血の繋がった人間がこうも綺麗に姿を消したのが弥子にはどうにも気になった。
時音は話を聞きながら無意識のうちに胸元に手をやって服越しに時計に触れていた。事情はまったく違えど人を探すという点では弥子と時音は同じだ。
「何か分かったんですか?」
「いや、全然。立場的に恨みを持つ人も多かったみたいだし、居なくなったのが恐らく夜中ってことぐらい。ひょっとして影人の仕業かとも思ったんだけど、裏世界の狭間とお祖父さんがいた家は離れてるし、もしそうならその道中で他に被害がないのはおかしいから」
弥子が新聞のコピーを鞄にしまいながら肩を竦める。影人は人を襲うだけではなく攫うこともあるという。だからこそ祖父が裏世界に連れて行かれていたら目撃者も死体もないのは納得が行ったのだ。
「ただ……」
「ただ?」
「代わりにちっとも関係ない嫌な事実を知っちゃったんだけどね」
「?」
「お祖父さん……実はお祖母さんの他に愛人と隠し子が居たらしくて」
「……」
「しかも魔法士じゃない一般人で、おまけに隠し子に関しては後々もう隠すこともせずに本家の養子に迎えてるの。その辺で跡取り争いとかお祖母さんとのいざこざも酷かったらしくて……つまり、ますます色んな人間から恨みを買うような人だったことしか分からなかったわ」
「……はは」
「笑いたくなるわ、ホントに」
弥子は時音と共に疲れたような乾いた笑いを漏らした。家族のそんな昼ドラ展開はあまり知りたくはなかったと小さく溜息を零す。しかもドラマなどではなく紛れもなく身近な現実である。
隠し子で後に養子になったという人物は、羽月あやめという名前の女性で、弥子にとっては一応叔母に当たる人物。長年一人っ子だと思っていた父に存在した異母兄妹のその女性は、祖父が失踪するよりも数ヶ月前に病死している。
「ま、こっちの調べ物はほどほどにしないとね。部活の方が滞っちゃうし、闇属性の分析ももう少ししたい所だから。あー、椎名君にもっと話聞いておけばよかったわ」
「あ、椎名君も寮に残ってますよ。暇してると思いますし呼びましょうか?」
「そうなの? お願い!」
時音の言葉に弥子は即座に飛びつくように身を乗り出して手を合わせた。二つも先輩だというのに非常に無邪気な様子に時音は苦笑しながら御影へと連絡するべく携帯を取り出し、周囲に人は居ないが図書館だということもあって外に出た。
『よー時音、どうかしたか?』
「今大丈夫?」
『おう、すげー暇してた』
ワンコールで繋がった電話で御影を呼び出すと、時間を持て余していたらしい彼は嬉しそうに了承して電話を切った。
「椎名君どう?」
「今すぐ来るそうです」
「やったー! 今のうちに聞きたいこと纏めておかないと……」
待ちきれない様子で図書館の外まで追いかけて来た弥子に時音は苦笑する。そして真夏特有の痛いほどの熱気に額に手をやりながら、時音は急いで涼しい図書館へと踵を返した。
八月初旬、夏真っ盛りの日々があと数日過ぎれば――ようやく、あの家に帰ることが出来る。