28話 御影による爆弾発言
終業式の翌日――つまり夏休み初日の朝、藤月学園の最寄り駅は帰省する為の多くの生徒でごった返していた。
自宅へ戻る友人達を見送る為に時音も特別に外出許可を貰えたのは有り難かった。この場には教師も数人いるのでそのおかげだろう。華凛と甲斐は同じ方向の電車に乗るらしく、反対方向の電車を待つ怜二や詠も時音と一緒に二人を見送ることになった。
「……それにしても、椎名君遅いね」
この場に居ない御影を気にして時音がきょろきょろと辺りを見回す。彼の姿が見えないことに華凛も少し残念そうな顔をして電光掲示板を見上げた。もう電車はすぐに来てしまう。
「悪い、寝坊した!」
「あ」
まもなく電車がホームに入ってくるとアナウンスが入る。そしてそれと同時に、人混みを縫うようにして寝癖の付いた真っ黒な頭が時音達の元へ飛び込んで来た。
「椎名遅いよ、もう電車来ちゃう……って、あんた荷物は?」
「荷物? ああ」
御影を見た詠は彼を振り返るとすぐに首を傾げた。寝坊してきたという御影の両手は空で、今から帰省するというのに何一つ手に持っていなかったのだ。
しかし彼はちっとも焦る様子もなく、けろっとした態度で「だって俺学校に残るし」とさらりと口にした。
「え?」
「そんなの初耳なんだけど!?」
「あれ、言ってなかったか? 高校入った時に元居た施設から出てきたんだよ。だから今の俺の家は学校ってこと」
御影がきょとんとした顔をするがむしろそれは時音達の方がするべき表情だ。しかし更に言い募ろうとした所でホームに入ってきた電車のドアが開き、次々と待っていた生徒が乗り込み始めた。
華凛と甲斐も御影の話を聞くのを中断して最後にドアの側に乗った。
「それじゃあ皆、また――」
「あ、そうだ華凛」
「え?」
友人達に小さく手を振って別れようとする。電車の発車ベルが鳴り響く中、御影は無遠慮に彼女の声を遮ってにかっと笑い……そして、爆弾を落とした。
「俺、華凛のこと好きだから」
「……は?」
それは一体誰の声だっただろうか。時音達は愚か周囲のまったく知らない生徒達も驚きに固まったその瞬間、電車の扉が閉められた。
「お、おま、お前……」
いつも食って掛かる怜二ですら唖然として言葉が出ない。しかし御影は周囲の様子をまったく意に介すことなく閉まった扉の向こうへ大声で「返事は休み明けになー!」と言って呑気に目を見開いたままの華凛に向かって手を振っていた。
電車が去ってしまうと、振っていた手を下ろした御影はあまりに静まりかえった周囲を見回してこてんと首を傾げた。
「ん? 急に静かになってどうしたんだ?」
『誰の所為だ!』
怜二だけではなく、時音も詠も同時にそう叫んでしまった。
ひとまずそうしてとんでもない発言から夏休みは幕を開けた。予定通り怜二達は帰省し、予想外に残る御影と共に時音は休日だというのに異様に長く感じる日々を過ごしていた。
しかしまだ御影が残ってくれてありがたかった。彼がいなければもっと退屈な夏休みを送ることになっていただろう。
……確かにそうは思うものの、しかし時音は今正に御影と二人で残されたことを後悔する羽目になっていた。
「私の手には負えない……」
蝉の声が閉め切った窓の外から聞こえて来る、エアコンの効いた快適な食堂。授業があるいつもはひたすら騒々しいその場所は夏休みに入ったとたん随分と静かになった。部活や諸事情で残っている生徒もいるが、学期中と違って時間に縛られていないので遭遇する確率は少ない。
そんな中、広々と使える机に突っ伏した時音は、ひんやりとした机に頬を押し当てながら目の前に問題集とノートを睨むようにぐったりとしていた。
時間は有り余る程で、更に基本的に外出できないのでやることと言えば必然的に膨大に出された課題が中心となってしまう。怜二からも計画通りさっさと終わらせろと厳命されていた時音は夏休みに入ってから毎日食堂で課題をこなしていたのだが、ここで一つ問題が発生したのである。
時音自身の問題ではなく、それは目の前に座る男に課題を教えることだった。
「全然分かんねえ……」
「そう言われてもねえ」
時音の前に座る御影は大量の課題を前に何度も首を傾げながら手を止めてしまっている。時音も自分の課題の傍ら何度か頑張って教えようとしているのだが、これが中々上手くいかない。
時音は基本的に勉強を教えてもらう側で誰かに教えたことなどなく、そしてそもそも時音もよく分かっていない箇所もある。更に言ってしまえばその教え子が怜二も匙を投げかけた御影である。悪い状況が重なり過ぎて時音も頭が痛くなって来る。早急に怜二か甲斐をこの場に呼び戻したい。
「……ちょっと休憩しようか」
「さんせーい!」
時音がペンを机に放り投げるように置くと、御影も背もたれに寄りかかって大きく伸びをした。
「……そういえばさ」
疲れた顔をした御影を眺めていた時音は不意に少し前の光景を思い出して口を開いた。
「椎名君この前……華凛に告白してたよね」
「ああ、そうだけど?」
あの時……華凛に告白した時と同じ、酷く平然とした声色でそう言って御影は頷く。
「……どうして?」
「どうしてって、告白する理由なんて一つに決まってるだろ? 好きだからだよ」
「それにしたってあんな大勢の人がいる前で言うもん?」
「華凛もうしばらく会えねえな、と思ったらつい」
「ついって」
「時音は人前だろうと誰も居なかろうと告白しねえからなあー」
「……いいでしょ別に」
にやにやと御影が笑う。それを言われると確かにそうなのだが、と彼女は小さくため息を吐いた。
それにしても、と時音は黙り込んで御影を窺う。御影が華凛のことを気に入っているのは何となく知っていた。運動会でも“可愛い女の子”というお題で彼女のことを連れ出していたのだ。しかしこうもあっさりと告白するとは流石に思ってはいなかった。
「あ、椎名君と周防さん」
「何だか久しぶりな感じだな」
「伊波先生、それに二階堂先生」
ちょうど二人の間に沈黙が訪れていたその時、食堂の広い入り口から潤一と亜佑が中に入っていた。片手を上げて時音達に話しかけた教師二人に時音達は軽く頭を下げる。夏休みに入ってからは二人とは初めて会う。
「先生達はお昼ご飯ですか?」
「ああ。二人は課題か」
「帰る前に終わらせないと怜二にどやされるので」
「あいつそういうとこ細かいからな」
時音の言葉に潤一が苦笑する。時音に課題の計画表を差し出している弟の姿が簡単に目に浮かんだ。
「なー時音、俺達もそろそろ昼飯にしようぜ。先生、一緒に食べてもいいですよね?」
「ああ、構わないよ」
「あ……」
教科書を端に寄せながら御影が問いかけると潤一は勿論、と頷いた。しかしその傍らに居た亜佑は一瞬何か言いたげに口を開き掛け……そして静かに閉じる。
それを見た時音は亜佑の視線の先を見て何となく状況を察し、こっそりと彼女に耳打ちした。
「すみません先生……もしかしなくても邪魔しましたよね」
「ううん、周防さんが気にすることじゃないわ……どうせ先生も何とも思ってないだろうから」
亜佑と潤一が二人で食堂へ来たのだ。二人で昼食を食べようと亜佑が誘ったのだろうが、予想外に時音達が居たのでそれを断念せざるを無かった。
そして申し訳ないついでに食後に勉強を見てもらう約束もしてしまう。亜佑には悪いが、時音達には死活問題だった。
「二人とも、何が食べたい?」
「え……Aランチを」
「俺はカツカレー!」
「伊波先生は?」
「Bランチ……って、先生いいですよ、私が買って来ますから!」
「先輩だからな、たまには奢るよ」
そう言って亜佑が止める間もなく潤一は立ち上がって券売機へ向かう。そして調理場の向こうで暇そうにしていたパートの女性に食券を手渡す。
「よろしくお願いします」
「二階堂先生の為ならおばちゃん張り切っちゃうわよ!」
「はは……ありがとうございます」
潤一の手まで掴む勢いで食券を受け取った女性はすぐに準備を始める。そして一度潤一が時音達の元へ戻って来ると、三人は揃って同じタイミングで彼に向かって頭を下げた。
「す、すみません……ありがとうございます!」
「先生ご馳走になりまーす!」
「先生、ありがとうございます」
四人の食事は驚くような早さで完成した。ついでに机まで運んでくれたパートの女性は連日食堂を訪れる時音を見て「たまには自炊もしないと男の胃袋掴めないわよ」と笑いながら配膳をしていった。思わず顔を引きつらせた彼女に、御影がスプーンを手に取りながら「時音って料理できるのか?」と尋ねて来る。
「まあ……苦手ではないってくらい」
「いや、謙遜しなくても周防の料理は美味しいよ」
「美味しいレシピを見て作ってるだけです」
「へー、先生時音の手料理食べたことあるんですね。胃袋捕まれました?」
「それなりに」
御影のからかうような質問に潤一も軽く乗って笑う。楽しげな男達に対して、時音は亜佑の前で余計なことを言うなと言いたげに二人を軽く睨んでいた。案の定亜佑はハラハラしたような表情で時音を窺っている。不安になられても時音にとって潤一は兄でしかないのだが。
「寮に一応キッチンあるだろ? 使わねえの?」
「あのねえ……外出禁止されてるのに食材買いに行ける訳ないでしょ」
「あ、そっか。そうだよな」
「周防さん、欲しいものがあったら遠慮せずに言ってくれていいのよ? 私が買いに行くから」
「でも、先生達忙しいんじゃ……」
「そんなの気にしなくていいの!」
「伊波先生の時間が合わなかったら私に言ってくれてもいい。もっと大人を頼りなさい」
心底自分を気遣ってくれている様子の二人に時音は少しだけ申し訳なさを感じながらも頷いて「ありがとうございます」と小さく笑った。
早速食べ始めながら淀みなく会話が弾む。課題のこと、時音の得意料理のこと、亜佑の実家のこと……そして、不意に話題が途切れたその時、時音は一度隣でトマトを口に運ぶ亜佑をちらりと窺ってから潤一へと向き直った。
「そういえば、先生ってどんな女の人がタイプですか?」
「っ!?」
ガチャン、と時音の隣で箸が皿の上に転がった。見なくても自分を凝視しているのが想像出来ると思いながらも、時音はそのまま亜佑の方を見ずに潤一を見上げた。
以前亜佑が怜二に尋ねようとしていたことを時音は覚えていた。だったら本人に直接聞けばいいだろうと思ったのだ。
動揺しまくっている亜佑とは裏腹に、尋ねられた本人は軽く目を瞬かせているだけで平然としている。
「急にどうした?」
「実はこの前椎名君が華凛に唐突に告白のいい逃げ……逃げ? 逃がし? とにかくそんなことをしてて。それでちょっと先生はどうなのかなっと気になったものですから」
「……」
思わず潤一と亜佑の視線が御影へ向く。彼自身はというと、スプーンを口に含みながらうんうんと頷いていた。
「椎名君って常磐さんのこと好きだったの!?」
「そういうことです」
学生のように盛り上がり始めた亜佑にようやく口の中の物を飲み込んだ御影が返事をする。
「それで、先生。どうなんですか?」
「そうだなあ……一緒に居て気が休まる、自然体で居られる人かな」
「へー、結構曖昧ですね」
「そうか?」
「あ、時音はどうですか? 昔から知ってるなら落ち着くでしょう」
「ちょっと椎名君!」
「はは、確かにね。まあこの子は家族だから。というよりも椎名はそれ以前に私を犯罪者にしようとするんじゃない」
「教師と生徒とかって女子は憧れるもんじゃないんですか? そんなことこの前女子の先輩が言ってましたよ」
「本当に椎名君の交友関係って広すぎて分からないわね……」
「というかさっきから私を引き合いに出すの止めて欲しいんだけど」
時音が不機嫌そうに言うと、御影は悪びれも無く「ごめんごめん」と軽く流すように言った。
ともかくこれで潤一のタイプを亜佑が知ることが出来た。ひっそりと「気が休まる人……」とぼそぼそ繰り返し呟いている亜佑を見ながら、時音は味噌汁を啜った。
「そういえば隣のクラスの先生、潤一先生のこと好きだと思いますよ」
「え」
思わず味噌汁が気管に入りかけて時音が咽せる。
「あと四組の井上ちゃんと、二年の宮原先輩と、三年の――」
「し、椎名君!?」
「皆可愛い人ばっかりで羨ましいなあ」
「ちょっとストップ!」
この男は何を暴露しているのか。ようやく味噌汁から解放された時音が思わず叫ぶと、一瞬にして御影の動きが止まった。
「あ」
やってしまった。つい勢いで御影を本当に”止めて”しまったのだ。
慌てて解除すると御影はぱちりと目を瞬かせて時音を見る。
「まさか本当に文字通りストップ掛けられるとは思わなかったぞ……」
「ごめん、私もやる気はなかったんだけど……」
「まあとにかく、先生はモテモテだなーって話をしたかっただけなんですけどね」
纏めるような御影の言葉に潤一は何も言わずに苦笑だけを返した。それよりもむしろ勢いで魔法を使ってしまっている時音の方が今の彼には気になってしまっている。
「可愛い人……」
「あ」
うっかり魔法を使った所為で一瞬忘れてしまっていたが、元々は亜佑の為に止めようとしたのだ。ぼそりと呟いた声に時音が慌てて隣を振り返ると、彼女は箸を置いてずーん、と重い影を背負っていた。
「隣のクラスの松本先生、確かに可愛くて美人よね……そっか、あの人も」
「だ、大丈夫です! 先生だって優しいし強いし可愛いですよ! ほら、私のことも誘拐犯から助けてくれましたし!」
「そもそも捕まったのは私の所為よ……」
「あ」
時音の言葉に亜佑は余計に落ち込んでしまった。あの事件の後もさんざん謝られたので時音は気にしていないし、むしろ彼女が居なければ時音は皆が来る前に売り飛ばされていたかもしれないのだから感謝しかしていない。が、亜佑にとっては忘れてはならない最大の失敗だ。
「伊波先生」
どうやって励ましたものかと時音が悩んでいると、不意にそれまで黙っていた潤一が亜佑を呼んだ。
「先生は確かにまだ未熟な所はあります。けれど生徒のことをよく見て、いつも彼らに対して真摯な良い先生だと私は思っていますよ」
「に、二階堂先生……」
ゆっくりと顔を上げた亜佑と潤一の目が合う。じわじわと顔を赤くした彼女は先程までの重たい空気を纏めてどこかへ放り投げてぐっと拳を握りしめた。
「わ、私これからも頑張ります!」
「ああ、期待してますよ」
みるみるうちに元気を取り戻していく亜佑に、時音は唖然とした顔で彼女を窺って軽く額を押さえた。
年上で教師の彼女に言うのはどうかと思うが、恐ろしいほど単純だ。時音の脳裏に見慣れた少年の顔が思い浮かぶ。光属性というのは皆こうなのか。
「……ねえ、椎名君」
「何だ?」
「何であんなこと言ったの」
「あんなことって?」
「分かってるくせに」
二人に聞こえないように時音が小さな声で尋ねると、御影ははぐらかすように首を傾げた。
わざわざ潤一が好きだと分かっている亜佑の前でやたらと時音を引き合いに出したり、他に彼に好意を抱く人のことをばらしたり。まるでわざと亜佑のことを煽っているようにも思える。
しかし時音の追及に、御影は何も分かっていないかのように笑うだけだった。




