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27話 対極な兄弟


「失礼します」



 夏休みが近づく七月。強い日差しに辟易としていた時音は、授業後に潤一からの伝言を受けて彼と共にとある場所を訪れていた。



「ああ、周防君だね。どうぞ」



 時音の目の前で開かれた重厚な扉。その先に立っていたのはこの藤月学園の学園長である月野だった。朗らかな笑みを浮かべた老人は時音と潤一を学園長室の中へと促す。

 始めて入ったその部屋は、思いの外普通の学校の校長室と同じような内装だった。藤月学園だからと言って特別広い訳でもなければ高価なものがずらりと並んでいる訳でもない。かといって質素ということもない、机とソファのある至って普通の部屋だ。



「あの……それで、私に話とは」



 潤一と並んでソファに腰を下ろした時音は緊張しながら向かいに座る月野に話を切り出した。突然「放課後私と学園長室に来るように」と潤一に言われたのだが、彼女は自分が呼ばれた理由をちっとも把握していなかった。

 けれども時音ただ一人を呼んだということは、恐らく自分の属性に関係する話なのだろうということは流石に見当がつく。時音が窺うように月野を見ていると、彼は何故か少し困ったような表情を浮かべて「実は」と口を開いた。



「夏休みの話なのだが」

「はい……?」

「周防君、できれば君には自宅へ戻らずに学園に残っていてほしい」

「えっ」



 ぽかんと口を開けたまま時音は一瞬思考を止め、そして学園長に言われた言葉を再度頭の中で再生した。

 学園に残る。自宅へは戻らずに。



「そ、それはずっとってことなんですか!?」

「ああ」

「嫌です! だって私は――」



 勢いよくソファから立ち上がった時音は相手が学園長だということも忘れて大声でそれを拒否した。

 長期休暇は家に帰ると、父親と約束した。本当の親ではないかもしれない、けれども本当に親だと思っている彼らに会いたい。電話だけではなく直接顔を見て、慣れ親しんだあの家へ帰りたい。



「周防、ひとまず学園長の話を……」

「……はい」



 絶対に嫌だと再び声を上げようとした所で潤一に静かに宥められる。昔から彼の言うことには逆らえない時音はその声に我に返って、しかし不満げな表情はそのままにソファに座り直した。



「何で、そんなことになってるんですか」

「以前に起こった誘拐事件、あの時の犯人の一人が未だに捕まっていないからだ。学園の外に出て、いつまた同じように誘拐されるか分からない」



 魔法研究へ言った課外授業で起こされた誘拐事件。勿論当事者の時音はあの時のことを忘れることなく鮮明に記憶しているし、未だに連れて行かれそうになった恐怖は体に染みついている。

 だからか、と時音は一人心の中で小さく呟いた。最近外出許可の申請を出しても中々通らなかったのだが、それはその所為だったのかと嘆息する。

 しかし、時音に疑問が過ぎった。同じように誘拐された華凛や詠達は外出許可が通っているのだ。それに他の五人がこの場に呼び出されていない理由も分からない。



「どうして私だけ……珍しい属性だったら怜二達だって」

「実は……君には伝えていなかったのだが、逃走中の男――あの仮面を被った男だが、彼の目的は最初から君一人だったんだ」

「え?」

「時属性の人間、それが彼の求めていたものだと他の二人が証言した」

「ど、どうしてそんなこと」

「分からない。が、決していい理由ではないだろう」



 月野は険しい顔でため息を吐く。そして時音の隣に座る潤一も同様に硬い表情を浮かべながら時音を窺った。



「周防の気持ちは分かる。ご両親には会いたいだろうが、しかし君を守る為なんだ。分かってくれ」

「でも、私約束して」

「それに、こう言ってはあれだが君の両親は魔法とは無縁の一般人だ。事情を話すわけにはいかないし、君が狙われているなんて知ったら余計に心配を掛けてしまう」

「……」

「あの二人には私がちゃんと言っておく。だからここに残るんだ」



 時音は潤一の言葉に何も返せずに俯いた。本心では家に帰りたい。学校の詳しいことを話せなくても伝えたいことはたくさんある。

 けれど万が一、家に戻って時音が再度あの仮面の男に付け狙われたとしたら。そうしたら両親も巻き込んでしまうかもしれない。自分の所為で彼らに危険が及ぶかもしれない。



「……分かり、ました」



 そう考えてしまっては、時音はもう頷くことしかできなかった。














「……ね、おい、聞いてるのか時音!」

「……え?」



 急激に意識が引き戻される。遠くで聞こえていた声が大きくなり、時音はぽちりと一つ瞬きをして我に返った。

 今彼女がいるのは教室だ。ざわざわと騒がしく、時計を見れば今が昼休みだということが分かる。自分の席に座っていた時音の周囲には、怜二達が囲むようにして立っていた。



「皆」

「時音ちゃん、どうかしたの? 今日ずっとぼーっとしてたけど……」



 心配そうな顔を浮かべて声を掛けてきた華凛に、時音はようやく今の状況を思い出した。



「確か昨日帰りに二階堂先生に呼び出されていたな。それと関係しているのか?」

「何か嫌なことでも言われたのか? 悩みがあるんなら俺達も聞くぞ?」

「……ううん、大したことじゃ」

「時音、あんた今相当酷い顔してるけど分かってる?」

「え」

「いいからさっさと吐け。何があった」



 全員に詰め寄られる形になった時音は困ったように眉を下げた。



「……ちょっと、夏休みに帰っちゃ駄目って言われて」

「夏休み? 何で」

「実は、この前のことで」



 時音は少しずつ昨日月野に言われたことを説明する。時音が狙われているということを話すと誰もが表情を硬くして「そういうことか」と頷いた。



「でも、その理由だったら……しょうがないんじゃないかな」

「そうだな。誘拐されるよりはましだろう」

「うん、分かってるんだけどね」



 時音だって誘拐されたい訳でも売り飛ばされたい訳でもない。けれども両親に会えないのも嫌なのだ。高校生にもなってホームシックかと言われれば反論出来ないが、自分を家族としてくれたあの二人の元へ帰るということは彼女にとって本当に大切なことだ。

 とにかく今の彼女に出来ることは、早く犯人が捕まって欲しいと願うことだけだろう。



「……時音」

「何?」

「ちょっと待ってろ」



 潤一達に続いて甲斐達にも仕方が無いと言われて落ち込んでいると、しょげる時音の顔をじっと見ていた怜二がそう言って教室から出て行く。



「ちょっと待てって……」

「何だろうな?」



 一様に不思議そうな顔をした五人は、ひとまず怜二が戻って来るのを待つことにした。














「おい兄貴! どういうことだよ!」



 気持ちの良いくらい勢いよく開かれた扉。その扉を開けて開口一番にそう言った弟の声に、潤一は頭痛を押さえるように眉を顰めて彼を見た。



「……二階堂、ここでは先生というように。それと、職員室に入る時は失礼しますと――」

「そんなことはどうでもいいんだよ!」



 怒鳴る男子生徒――怜二はつかつかと職員室の中に入ると、入り口近くに座る兄の前に立って酷く不機嫌な表情で彼を睨んだ。そんな弟に、潤一はため息一つ零してから立ち上がり「ちょっと来なさい」と彼を職員室の外へと連れ出した。



 少し歩いて廊下に人気のないのを確認した潤一は沸騰寸前と言った様子の怜二を振り返って「それで」と口を開いた。



「何の話だ?」

「時音のことに決まってる!」

「時音ちゃん……ああ、もしかして夏休みの件か」

「あいつが家に帰りたいなんて分かり切ってることだろ! どうにか出来ねえのかよ!」

「そう言われてもな……」



 怜二に責められて潤一も困り顔になる。勿論彼も時音と両親の事情は分かっているし、学園長室で彼女が酷く渋っていたのも直接見ている。だが時音に言った通り、彼女を守る為で仕方の無いことなのだ。



「怜二、時音ちゃんのことが大切ならあの子の安全を第一に考えたらどうだ」

「……」

「せめて、周防さん達が魔法士だったらまだよかったんだがな。そうすれば事情は話せるし危機感も持ってくれる」



 そんなことを言っててもどうにもならないが、と潤一が小さく嘆息していると、怜二は少し考える素振りを見せてからキッとした表情で兄を見上げた、



「だったら……だったら俺が時音を守る。それならいいだろ!」

「怜二、お前な」



 そうすれば解決するだろと、自信満々に言い放った弟に潤一は再び頭が痛くなった。



「駄目だ」

「何でだよ!」

「はっきり言うぞ。弱いからだ」

「なっ」

「お前は弱い。まだ高校一年生で、少し前に魔法力が目覚めただけの未熟者だ。たとえ魔法力が多くてもそれを完璧に使いこなせる訳でもなければ、護身術だって出来ない。今のお前では時音ちゃんを守るのは無謀過ぎる」



 畳み掛けるように淡々と指摘する潤一に怜二は震えながら真っ赤な顔をして、けれどもいつものように噛み付いて来ることはなかった。

 怜二本人だって、あの時トラックから時音が攫われる中で彼女を守ることができなかったのをよく覚えている。反論するだけの力がないことに、内心では気付いていた。



「この話はもう終わりだ」

「……待てよ!」



 踵を返そうとした潤一を怜二が咄嗟に引き止める。

 確かに怜二には力がない。……ならば、そう言ったこの男はどうなのだ。

 潤一の腕を掴みながら怜二は逡巡した。数秒躊躇った後に、自分のプライドよりも時音を優先した。



「俺じゃなくて、兄貴だったらどうなんだよ」

「怜二?」

「だから! 兄貴だったら時音のこと守れるだろ!」



 潤一が優秀だということは誰もが認めている。万年二位と揶揄される自分よりも遙かに優秀であると、怜二だって嫌というほど分かっている。潤一ならば怜二と違って、誘拐犯から時音の身を守ることだって可能だろう。



「だが、私も学園で仕事が……いや、でもな」



 弟の言葉に潤一は少し考え込むように宙に視線をやり、そしてややあってから怜二を見下ろした。



「時音ちゃんをずっとあの家に戻らせるわけにはいかない。ただ……私もお盆辺りで一週間くらいは家に戻る。その間だけでいいなら学園長に掛け合ってみてもいい」

「! だったら早く学園長に!」

「少し落ち着け」



 すぐにぐいぐいと学園長室の方へ潤一の背中を押し始めた怜二の手を掴んで止める。



「今学園長は学校に居ない。放課後には戻ってくると思うからそれからな」

「……じゃあ、決まったらすぐに時音に伝えろよ」

「分かってる」



 焦れったい表情のまま怜二は潤一に背を向けて歩き出す。そんな弟の背中を眺めながら、嵐が去ったと潤一は嘆息した。


 怜二は怒りっぽいが、隣の家に住む少女のことになるとそれが更に顕著になる。普段は喧嘩ばかりしている癖に根底では時音に対して酷く過保護だ。昔からすぐ泣く時音を泣き止ませるのは怜二の役目だったのだからついつい世話を焼いてしまうのだろう。



「……まったく」



 潤一は小さく独り言を呟きながら職員室へと戻り始める。職員室に行けば先程の怜二について何かしら言われることだろう。

 そんなことを考えながら、潤一は先程までの怜二を……いや、いつもの怒る彼の姿を頭の中に思い浮かべた。


 正直なところ、少しは大人になって欲しい。周りと折り合いを付けて上手く付き合ってもらいたい。そう思う気持ちがあるのは確かだ。

 だがそれでも潤一は、驚くほど真っ直ぐで飾ることのない弟の性格が酷く眩しく思える時がある。周りに憚られることなく言いたいことをいい、他人の為に真摯に怒ることの出来る彼が、とても。

 偽りなく本心のままで過ごすのは酷く生きにくいだろうと思っても、それでもと思ってしまうのだ。



「――本当に、お前が羨ましいよ」



 誰にでも分け隔て無く優しく接する、何でも出来る完璧と言われる男。弟に心底妬まれている彼が、逆にその弟を心の中で羨んでいることは、きっと誰も知らない。



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