17話 想定外の出来事
研究所内を軽く見学した後は昼食だ。研究所の敷地内にある整えられた芝生の上で、時音達は七人で配られた弁当を手に円になるように座り込んだ。
「おいしいー! やっぱり藤月に戻って来てよかったわ」
「伊波先生、もしかしてそのために先生になったんですか……」
「まさか! でも学生の頃からうちの学校のご飯は最高だったからね!」
六人の生徒に混ざって一緒に弁当を口に運んでいるのは副担任の亜佑だ。ちょうど通りかかった亜佑に御影が「先生、一緒に食べませんかー」と声を掛けたのだ。
いつもの学食と同じく藤月学園で手掛けたお弁当は絶品である。コロッケを頬張って笑顔を見せる亜佑は、数年前まで時音達と同じ藤月の生徒だったという。
「じゃあ伊波先生はどうして教師になろうと思ったんですか?」
同じように箸を動かしながら華凛が尋ねると、亜佑はごくん、と喉を鳴らして口の中を空にしてから少し照れくさそうにしながら改めて口を開いた。
「高校時代に憧れの先生が居てね、その先生みたいになりたいなーって思ったの」
「へー、そうなんですか」
「先生」
その時、黙って昼食を食べていた甲斐がふと顔を上げて亜佑を見た。
「それ、もしかして二階堂先生ですか」
「な」
「え?」
「先生は新任だ。母校はうちで、高校時代なら時期が被っていても可笑しくはない」
「す、鈴原君、あの」
「おまけに他に憧れの教師が居ればあんなに二階堂先生ばかり追いかけてな――」
「ちょっと黙ろうね!?」
大慌てで甲斐の口を塞ごうとする亜佑に、今の彼の発言が図星だと理解した面々は「あー」と気の抜けた声を出して生暖かい目で亜佑を見た。
そしてそんな視線に気付いた彼女は弁解するように急いで口を開く。
「ええとね、私光属性でしょ? それでちょっとやっかみ受けてたことがあって、その時にちょっと二階堂先生に相談に乗ってもらったのよ。だから尊敬してるっていうか……」
「成程、それで二階堂先生のことが好きなんですね」
「し、真宮寺さんまで何言ってるのかなあ!」
「先生大丈夫です、皆知ってますから」
「周防さんそれ全然大丈夫じゃないからね!?」
うんうんと時音の言葉に同意するように御影達が頷くと、亜佑は「うう、生徒達が鋭い……」と観念したように呟いた。しかしながら別に時音達が鋭いのではなく亜佑がまるで隠しきれていないだけである。
「でも、二階堂先生ってモテそうですよね」
「モテそうっていうかモテてるよな。よく女子に囲まれてるし、他の女の先生にも人気あるよなー」
「そ、そうよね……」
御影が指摘したあまりの競争率の高い現実に亜佑はがっくりと肩を落とす。そしてもそもそとごはんを口に入れながら、先ほどから一人無言を貫いて弁当をかき込んでいた怜二に視線を向けた。
「二階堂君、お兄さんってどんな人が――」
「せ、先生ちょっと!」
空気を読めずに怜二にそんな話題を振ろうとした亜佑に慌てて時音が待ったをかける。亜佑の袖を引いて顔を近づけた彼女は、一度怜二を窺ってからこそこそと小声で彼女に話し掛けた。
「怜二に潤一さ……二階堂先生の話は禁句です」
「え、仲悪いの?」
「それも分かってなかったんですか……」
「先生はいい弟って言ってたから。……というか周防さん、もしかして先生とは元々知り合いなの?」
「はい、お隣さんなので」
「そうだったの。……いいなあ」
本音をうっかり溢してしまっている亜佑に時音は苦笑する。やはりこの先生は何も隠し事が出来ない人だと。
「あーそういえばそっか、二階堂と幼馴染ってことは先生ともそうだよね」
「うん。よく遊んでもらったんだ」
「やっぱり昔からすごい人だったのか?」
「そりゃあもう! 二階堂さん家の潤一君って言ったら神童扱いで……あ」
自然と声を押さえるのを忘れてしまっていた時音が口を押えるも遅い。一気に機嫌を急降下させた怜二を窺った時音は思い切り鋭い視線と目を合わせてしまった。
「れ、怜二ごめんって」
「……ごめんって何に謝ってるんだよ」
「だから潤一さんの話して」
「だから何だ! あいつがどうとか俺には関係ねえよ!」
「……あー、うん。そうだね。怜二は怜二だもんね」
「何だよその投げやりな言葉は!? 大体お前は昔からいっつもやたら兄貴を褒めて――」
「また喧嘩してるのかお前達は……」
「あ」
直後、時音と怜二の頭を軽く押さえるように手が乗った。すぐに二人が振り返ると、そこには呆れた表情を隠しもせずに時音と怜二を見下ろす潤一の姿があった。
頭に乗った手を怜二が即座に「触るなっ」と振り払うと、潤一はやれやれと言った様子で傾けていた上体を起こした。
「伊波先生、ここで食べてたんですね」
「っげほ、せ、先生!」
突如現れた潤一に頬にご飯を溜め込んでいた亜佑が慌てて口の中のものを飲み込もうとして咽る。
げほごほと咳き込む亜佑に潤一が「大丈夫ですか」と声を掛けると、彼女は顔を赤くしながら何度も何度も頷いた。
「あ、先生。今ちょうど先生の話してた所なんですよー」
「私の?」
「はい、亜佑先生が先生のことを――」
「うわあああっ!」
「椎名君!?」
亜佑の叫びと共に怜二以外の全員が御影を取り押さえた。突然叫び出した亜佑も、そして囲まれて押さえられた口をもごもごと動かしている御影の姿も明らかに可笑しいものなのだが、潤一は特にそれに対してリアクションを起こさなかった。
「……それはそうと伊波先生」
「は、はい!」
「生徒の集合時間は三時ですが、二時から今後の授業へのサポートの件で所長と打ち合わせがあります。場所は第三会議室なのでよろしくお願いしますね」
「分かりました!」
連絡事項を告げると潤一はそのまま踵を返して時音達から離れて行った。彼の後ろ姿を眺め、そして声の聞こえないほど離れたのを確認した一同はようやく御影の拘束を解き、疲れたように肩を落とした。
「椎名! あんた何さらっとばらそうとしてるのよ!」
「ん? だって先生も普通に知ってそうじゃねえ? だから確かめようかと思って」
「……まあ確かに、二階堂先生なら察していそうな気はするな。で、それでいて伊波先生がこれだけ動揺したのをスルーしたと」
「ちょっと皆……先生立ち直れなくなるからそれくらいにして……」
力のない声でそう言った亜佑はのろのろとした動きで時計を確認し「二時、第三会議室」と確認するように呟いた。
「それじゃあご飯も食べ終わったし、どこ見に行こうか」
午後は集合時刻まで自由だ。勿論立ち入り禁止の場所には行けないものの、午前中に見て回った開放されている場所ならば好きに見学してもいいように取り計らわれているという。一度見て気になった場所をそれぞれより詳しく見学できるのだ。
「俺は――」
「君達、ちょっといいか」
芝生から立ち上がってそれぞれ次に向かう場所を考え始めたその時、不意に研究所の方から白衣の中年男性が近づいて来て時音達に声を掛けた。
「君達が珍しい属性の子だな? 光とか闇とかの。研究の一環で少し話を聞きたいんだが、これからいいか?」
「え、っと……」
「そんなに時間は取らない。いくつか質問に答えて、少し測定させてもらいたいだけなんだ」
時音達が顔を見合わせ、そして甲斐と華凛が察したように口を開いた。
「じゃあ私達はその間他の所を見てようか?」
「終わったら連絡をくれればいいが」
「あ、別にそっちの“普通”の属性の子も一緒で構わない。調査の母数が増えるのに越したことはないからな」
「……」
どこか見下されているような発言に聞こえた華凛が微かに眉を顰める。そしてその隣の甲斐は黙って男を観察するように見ていた。
「あとそちらの先生も一緒にお願いします」
「え、私もですか?」
「はい、確か光だと小耳に挟みましたが。今後の研究に役立つことなのでぜひお願いします」
どこか有無を言わせない空気を醸し出す男に、時音達は促されるように頷く。研究所を見学させてもらっているのだから、協力した方がいいのは当然で強く断る理由もない。
「それじゃあこちらへ来て下さい」
そう言って歩き出した男に連れられて時音達七人は足を動かした。
「光は少ないもんなあ、そりゃあ研究の協力が来ても仕方ないな」
「うん、そうだよね」
にやにやと隠し切れない笑みを浮かべて隣を歩く怜二に、また調子に乗ってると思いながらも時音は否定せずに頷いた。せっかく機嫌が良いのだからぶち壊す必要はない。
「さっきも医療の魔法装置は研究段階だって言ってたし。……治療とかそういうの、光属性しか出来ないんだっけ?」
「そうだ。だから俺は測定する前から光属性だって分かってたしな」
「測定前って……そういえば怜二っていつ魔法使えるようになったの? 私が藤月に勧誘されてから結構すぐ怜二も決まってたみたいだったけど」
「……それは」
今更ながら疑問を抱いた時音が首を傾げると、今までぺらぺらと喋っていた怜二の声が止まった。
「……いつでもいいだろ」
「え、何で隠すの? というか光って分かったってことは何か治したってことなの?」
「だから、何だっていいだろうが!」
顔を僅かに赤くして怒鳴る怜二に時音はますます疑問が沸いた。が、これ以上突いても言わないどころか怒らせるだけだと思った彼女は、昔からの慣れで引き際を弁えてそれ以上何も言わなかった。
時音と怜二が話をしている間にもどんどん白衣の男は進んでいく。建物の隙間を縫い、午前中は行かなかった敷地の奥まで歩いた男は、建物の日陰になる人気のない場所まで来た所で不意に足を止めた。
「あの、何か測定するんですよね。どこかの研究室で行うんではないんですか?」
くるりと時音達を振り返った男に亜佑が怪訝そうな顔で尋ねる。
しかし、返って来たのは返答ではなく、にやりと歪んだ男の笑みだけだった。
「悪いな」
「え――」
刹那、白衣のポケットに入っていた男の右手が動き、小さな筒のような物を振った。
そしてすぐに筒から黒い霧のようなものが吹き出し、時音達の周囲を黒く染めて行ったのだ。
「何……こ、れ」
霧が足元を覆いつくすと途端に全身の力が抜けたように時音が膝を着き、そして草の生い茂った地面に倒れ込んだ。視界が黒い霧に包まれて、自然と瞼が下へと落ちていく。
「く……この感じ、闇の……」
「さっさと眠るんだな」
ばたばたと周囲の人間が倒れる音を聞きながら歯を食いしばっていた御影だが、いつの間にかガスマスクのようなものを付けた白衣の男を擦れた視界の中で捉えながらそのまま抗う事が出来ずに意識を失った。




