14話 星詠み
「どうだった」
女子更衣室から時音が出てくると、廊下で待っていた怜二が顔を上げる。時音が眉を下げたまま黙って首を振ると、彼は一言「行くぞ」と彼女の返事を待たずに廊下を歩き出した。
「誰かが落とし物として届けてるかもしれないし、一度職員室に行った方がいいな。それに兄貴ならお前の時計覚えてるだろ」
「怜二」
「何だ」
「……さっき、ありがとね」
急ぎ足で怜二の隣に並んだ時音が沈んでいた声を少し明るくした。ちらりと隣の幼馴染を見下ろした彼は、少々機嫌が悪そうに眉を顰めて鼻を鳴らす。
「お前普段は煩い癖に何で肝心な時には何も言えないんだよ」
「それは……だって怜二ならともかく、殆ど話したことのない人にそんな急に言い返せないよ」
「向こうはその殆ど話したことのないやつに言いたい放題だったがな。言いたいことがあるならはっきり言え」
「怜二は誰にでもはっきり言えるよね。……そういうの、すごい」
嫌われることを恐れずに誰にでも取り繕わないのは中々出来ることではない。ただあからさまに妬んだり逆切れしたりするところなど、怜二の場合取り繕った方がいい場合も多いのは確かである。
「他人に気を遣って心にもないことを言うなんて御免だ」
「それ、三葉君も似たようなこと言ってたような」
「何だと」
「似てないって思ってたけど案外似てるのかもね」
途端に顔を歪めた怜二に時音が小さく笑う。そして、不意に思い出したかのように「そういえば」と怜二が口を開いた。
「この前三葉が持って来た桃缶」
「あ、そうだちゃんと食べた? 次の日には元気になってたから大丈夫だったんだなとは思ったけど」
「食べた……が、誰が馬鹿だ」
「私だって分かったんだね」
「他に誰がいる」
今まで話し掛けにくいと思っていたのが嘘のようにするすると言葉が出てくる。悩んでいたのが馬鹿らしくなって来たと時音の表情が緩むが、すぐに時計が見つからない現状を思い出して俯いた。
「時音!」
「……あ、皆」
この後もう一度教室を探した方がいいだろうかと考えていると、前方の廊下から詠達四人が二人に駆け寄って来た。
「時計のことなんだけど」
「見つかったの!?」
「いや、そうじゃないが……上原が周防の机から盗んだと自白した」
「……え?」
「はあ!? あいつあんなこと言っておきながら自分で盗んだのか!? ふざけんな!」
ぽかん、と口を開けたままの時音に代わるように怜二が怒りを露わにする。そんな彼の様子に四人は少し驚いたものの、それについて言及するよりも先にやるべきことがあった。
「そ、それで時計はどこに」
「それが、あいつ窓から風に飛ばしてどっかにやったって言うんだよ」
「風って」
「上原君風属性だから、魔法を使ったみたいで」
一瞬あの懐中時計が風で飛ぶわけがない、と言い掛けた時音に華凛が補足する。そうだ、ここは魔法学校なのである。時音の常識ではありえないことだって容易に出来てしまうのだ。
「じゃあ外にあるってことだよね……」
「この学校の外にあるとは思えないが、それにしたって広い。とりあえず教室の外の周辺から手分けして探した方がいいだろう」
「一緒に探してくれるの?」
「もっちろん。友達が困ってるなら放っておかねえよ!」
御影が時音を安心させるようににかっと笑って答える。そんな彼に合わせて皆が頷くのを見た時音は落ち込んでいた気持ちが少し浮上して来るのを感じた。
「皆、ありがとう」
「あ、俺時音の時計見てないんだけど、懐中時計なんだよな?」
「うん。表に蓋が付いた金色のやつなんだけど……」
「おっけー、分かった!」
「私は一度職員室に――」
「……いや、待て。俺一人で行って来るからお前は先に探して来い」
「怜二?」
「外なら探す人数が多い方がいいだろ。それにお前がちゃんと事情を話せると思わないからな」
「話せないって、そんな子供じゃないんだから」
「じゃあ聞くが、上原に妬まれた所為で私物を盗まれてどこかへ捨てられたと教師にはっきりと報告出来るか?」
「……それは」
「ただの落とし物じゃなくなった以上、その辺りははっきりさせておかないといけないだろ。同じことがまた起こっても困る。俺が言っといてやるから、お前はさっさと大事な時計探しに行け」
「うん……分かった。お願い」
怜二は一つ頷くとさっさと職員室へと歩き出す。その後ろ姿を数秒見ていた時音は、我に返ると慌てて不思議そうに怜二を眺める残りの四人を振り返った。
「ごめん、それじゃあ一緒に探すのお願いします!」
「見つかった?」
「まだ。金色だろ? 見落とすような色でもないんだけどなー」
靴を履いて外に出た時音達は手始めに放り投げたという窓の外側から順番に範囲を広げて時計の捜索を始めた。
しかし簡単には見つからない。木々や建物、敷地内には様々な物があり、おまけに時計を飛ばした風は魔法によるものだ。随分遠くまで飛んでいてもおかしくはないのだ。
「一応、池の中には落ちてないみたいだよ」
「よかった……のかな」
水の魔法で池の中を探っていた華凛が時音に伝えると、時音は複雑な表情を浮かべた。水の中にあっても困るが見つからない現状は変わらない。
「……」
「詠、どうした」
「あ、ああいや、なんでも。……その、あたしも魔法で探せないかなって」
「……」
「一度も成功したことないのに、きっと無理だよね」
手を止めて華凛を見ていた詠が誤魔化すように笑う。そんな彼女に甲斐は何か言葉を掛けようとしたが、しかし結局何も言えずに口を閉じる。
真宮寺家は星詠みの家系だ。星と対話をすることによって様々な情報を得ることができ、その得意分野は星属性の中でもひとそれぞれだ。
未来視と一口に言っても世界に影響を及ぼすような大きな出来事を予知できる人もいれば、反対に自分の周囲の細かな未来だけが分かる人もいる。未来視以外にも過去視や、はたまた地球の裏側の現在を知ることが出来る人間もいる。
そして詠はというと、素質だけで言えばそのほぼ全てと言ってよかったが、魔法力も少なくまだ力が目覚めたばかりの彼女は自分の意志で星詠みを行えたことがほぼなかった。ふとした時に未来が見えたりすることはあったが、見たい未来をまだ自分で選ぶことができないのだ。
だからこそ、素質だけはある詠は周囲の期待が大きかった分、何も出来ない現在失望されていると言ってよかった。
『詠、どうして星が応えてくれないのか分かる? それはあんたが、星の声を聞こうとしていないからだよ』
授業の度に毎回祖母にそう言われる。しかしそう言われても詠はどうすればいいのか分からない。自分の意志で星に尋ねることが出来ていれば、今頃時音の時計の場所だってきっとすぐに分かっただろう。
時音の事情は分からないが、それでも時計が無くなって顔を真っ青にして泣きそうになっていた彼女を見れば、どれほど大事なものかは十分に伝わって来た。
「私がちゃんとしていれば……」
「詠」
落ち込む詠に、甲斐は何度も何度も言葉に迷う。
……しかし、ようやく決心がつくと彼女の傍に立って名前を呼んだ。
「無責任なこと言ってるかもしれない。だが、一度やるだけやってみたらどうだ?」
「……でも、きっと上手くいかないよ」
「それでいい。星は全部が見えている。そう本には書いてあったが、だったらたとえ失敗しても周防の為に頑張る詠の姿だって見えているはずだ。お前の気持ちは、ちゃんと星に伝わる」
「星に、気持ちを伝える……?」
「星詠みは対話なんだろう? だったら、双方がお互いを理解し合わないと伝わないんじゃないか」
「!」
甲斐は星属性ではない。だからこそ知っているのは教科書に書かれた客観的な内容だけだ。しかしその言葉こそが、詠には衝撃的だった。
対話。それはお互いを理解して、言葉を聞くこと。今までさんざんその言葉を聞いて来たというのに、詠は相手を――星を理解しようとも、自分を分かってほしいとも考えたことはなかった。
ただ未来を、そして過去を教えてほしいとひたすらそれだけを一方的に伝えようとしただけだ。身勝手に情報だけを得ようとしたところで、人間だって星だって、それを受け入れてくれるはずがない。そんな簡単なことが今まで分かっていなかったのだ。
「……ちょっと、やってみる」
「ああ」
詠は地面に両膝を着くと祈るように手を組み、一度空を見上げてから目を閉じた。
幼い頃から何度も何度も天体観測へ連れて行ってもらった。その空を思い出しながら、見えない星に詠は言葉を届けようとした。
友達が大事なものを探していると、絶対に見つけて上げたいと、どうか力を貸して欲しいのだと。
家名や属性のプレッシャーから躍起になって無理やり未来を見ようとした時とは違う、力を貸して欲しい理由を伝えて、そして星に向かって願う。
「お願い……!」
詠がそう声に出したその瞬間、彼女の脳裏に唐突に見覚えのある景色が過ぎった。