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1話 はじまり


「あの野郎! 絶対に許さねえ!」

「はいはい」



 日も落ちた寒々しい一月の午後六時。薄暗い中学校の通学路には、二人の男女が並んで歩いていた。


 苛立たしげに顔を歪めて叫ぶ少年の名は、二階堂怜二にかいどうれいじ。そしてその隣で呆れたような顔をしながら彼の言葉を聞き流している少女は、彼の家の隣に住む周防時音すおうときねといった。

 二人は所謂幼馴染であり、昔からよく一緒にいる。が、最近は一緒に帰ることも少なくなり、今日もたまたま帰り道で会ったので二人で帰ることになったのだ。



「今度こそ……覚えてろよ」

「この前もそんなこと言ってたけど」

「ぐ……煩い! 次こそ、最後の学期末試験は必ずあいつを抜かしてやる!」



 時音の冷静な突っ込みに怜二が声を荒げる。彼が憤っている理由は単純明快だ。学期初めの実力テストでトップになれなかったからである。

 「今に見てろ……」と意気込む幼馴染を眺めながら時音は気付かれないように小さく溜息を吐いた。懲りないというか、諦めないというか、時音から見た二階堂怜二という男は一言で言うと「馬鹿」だった。


 馬鹿と言っても成績は時音とは比べ物にならないくらい良い。そして運動神経も悪くない。容姿も中々。おまけに楽器も演奏できる。これだけ言えば完璧な人間なのだが、彼はどうにも周囲の人間との巡り合わせが悪かった。

 勉強も運動も、どの分野においても彼はいつも一番にはなれなかった。どれだけ怜二が努力しようがそれぞれの分野で突き抜けた天才がおり、どうしても彼らを追い抜くことができなかったのだ。


 おまけに三兄弟の次男である怜二には、大層優秀な兄と弟がいる。そんな彼らに昔から劣等感ばかり抱いて来た怜二は若干性格が歪み、とにかく自分よりも優秀な人間を毛嫌いし、一方的に敵視するようになった。

 やたらと喧嘩を売り、そしていつも返り討ちにされる。そんな噛ませ犬のような人生をひたすら懲りることなく続けている。そしてそれは恋愛事にも同じことが言えた。


 怜二はかなり惚れっぽい男だった。優しくされるとすぐにころっと落ちて、そしてあの手この手で自分をアピールする。……が、結局振られて他の男に持って行かれる。その繰り返しだ。

 先週も振られたばかりで「何故だ、何故俺よりあんな男の方がいいんだ!」と嘆く怜二を宥めたのは時音の記憶にも新しい。そしてその時のことを思い出した彼女は、ついつい苦い表情になった。

 懲りずに突っかかっては返り討ちに遭う怜二のことは馬鹿だと思っているが、本当に馬鹿なのは時音の方だ。何しろそんな男に、かれこれずっと片思いを続けているのだから。



「……い、おい! 聞いてるのか時音!」

「あー、うん。そうだね、怜二なら次こそきっと勝てるよ」

「あ、当たり前だろ! 俺があんなやつに負けるわけがないからな!」



 なげやりに答えた時音に気付くことなく、怜二は早々と機嫌を直す。少し励ましただけですぐに立ち直って調子に乗り始める幼馴染に、時音は本当に単純だなあと何とも言えない気持ちになった。こういう所もちょっと可愛いと思ってしまう自分は重症であると。



「ところで、怜二は結局進路、どうするの?」



 照れ隠しのように小さく俯きながら時音が尋ねる。二人は中学三年生で、年も明けた今まもなく受験が差し迫っている。

 怜二は彼女の言葉に再び少々機嫌を損ねたように眉を吊り上げる。そして「何度も言ってるだろ!」と軽く時音を睨んだ。



藤月とうげつ学園に決まってる!」

「……まだ諦めてないの?」

「当たり前だろ!」



 怜二の言う藤月学園とは、学生の間ではちょっと有名な学校である。敷地も広く外観も綺麗。それだけなら珍しくもないのだが、この学校には色々と特殊な面があるのだ。


 まず第一に、藤月学園は入学試験を行わない。試験無しに入学できるのではない、一般募集を一切行っていないのだ。噂によるとこの学校に入る為にはコネや、また学校の人間にスカウトされる必要があるらしい。

 更にこの学校は、授業カリキュラムが一般には公開されていない。おまけに全寮制であるため、生徒からの情報も殆ど入って来ない。――というより、そもそも緘口令を敷かれているらしい。謎が多すぎる学校として、受験生の間では色々な噂がまことしやかに囁かれているのだ。

 例えば校内では非人道的な実験が行われており、生徒は皆怪しい薬の被験者になっている、だとか。


 まあそれが真っ赤な嘘だということは時音も承知だ。何せ彼女の身近にこの学校の卒業生がいるのだから。



潤一じゅんいちさんにそこまで対抗意識燃やさなくても……」

「兄貴に入学出来て俺が出来ない訳がないっ!」



 時音の知っている中で一番の完璧人間、二階堂家の長男が藤月学園を卒業し、そして今はそこの教員として働いているのだ。

 偏差値の高い学校など他にも沢山あるのに、怜二は頑なに藤月学園に行くと言って憚らない。それだけ兄への劣等感が強いのだと時音は解釈しているが、しかし彼女としては仮にスカウトされたとしても藤月学園には入学して欲しくはなかった。

 今でもただでさえ一緒に帰るのも稀だというのに、全寮制の学校へ行ったらもっと怜二に会えなくなる。それだけの理由だ。



「もうこの時期にスカウトされてないんなら無理だと思うけど……ちゃんと他の学校受験した方がいいよ」

「煩い、そんなの俺の勝手だろ。それともあれか? 時音、もしや俺と離れるのが寂しいんじゃないのか?」

「は……馬鹿じゃないの! そんな訳ないでしょうが!」



 思い切り図星を突かれた時音が思わず叫ぶ。しかし内心は「またやってしまった!」と頭を抱えたくて仕方がない。

 ここで寂しいと正直に言えるしおらしさがあればいいのに、と彼女は密かに落ち込んだ。怜二の好きになる女の子は決まって素直で優しい子ばかりだ。だからこんなに近くにいても好きになってもらえないのだと、時音は隣の幼馴染に気付かれないように小さく溜息を吐き、気持ちを落ち着かせる為にそっとポケットに手を入れた。



「あれ」

「時音?」

「……ない」



 ざあ、と血の気が引くような感覚を覚えた。どれだけポケットの中を探っても、その手はいつもとは違い何も掴むことは無い。



「無いって何がだ?」

「時計! 学校に忘れて来ちゃった!」

「時計って……お前がいつも持ってる懐中時計か」



 怜二の言葉に時音は動揺しながら何度も頷く。彼女は幼い時からずっと同じ懐中時計を肌身離さず持っていた。

 手巻き式の、文字盤が見やすい一見してシンプルな――しかし精巧な作りをした金色の懐中時計。時音はその針が動く音を聞くのが好きで、更に言えば持っていないとどうしても落ち着かない。



「私、ちょっと学校に取りに戻るから!」



 持っていないことに気付けば居ても経っても居られなくなり、時音は慌てて踵を返して走り出した。



「時音!? おい、一旦家に戻ってから車で送ってもらった方が早――」



 もう家まで殆ど距離もないのに、いきなり来た道を戻り始めた時音に怜二がぎょっとしてそれを止めようとして彼女の背を振り返る。――その瞬間、怜二は時音の前方から走って来る人影を見つけて一瞬思考を止めた。


 時音の目の前に現れたのは”真っ黒な人影”だった。顔も体も、暗い夜道の中で一際深い黒に塗りつぶされた、文字通り人影だったのだ。



「時音!!」

「……あ」



 怜二が叫ぶと同時に慌てていた時音も前方のそれに気が付いた。しかし彼女が立ち止まろうと黒い人間は勢いを殺さずに時音に向かってくる。

 次の瞬間、人影の右手が不自然に形を変えた。まるでナイフを持っているかのように右手が鋭く尖り、それは時音に向かって何の容赦なく振り下ろされる。

 殺される。

 目の前で起こっていることが何もかも分からないというのに、時音はそれだけは漠然と確信してしまった。



「いやっ!」



 次に自分の体を襲うであろう痛みを想像して想像して時音はきつく目を閉じて身を固くする。――しかし、数秒経っても痛みはちっともやってこなかった。



「な……なん、だ……?」



 目を閉じた暗闇の中で怜二の酷く困惑した声が耳に入って来る。時音はその声と、そして何も起こらないことに疑問を抱いて恐る恐る固く閉じていた目を開けた。



「ひゃっ!?」



 ゆっくりと開けた視界には、先ほどまで見ていた黒く尖った右手がぎりぎりまで迫っていた。

 時音は思わず腰を抜かして道路に尻餅を付く。しかしそれ以上切っ先が彼女に近付くことはなく、時音は唖然としながら黒い人影を見上げた。



「……え?」



 目の前のそれは、ぴくりとも動かずに不自然なまま静止していたのだ。



「時音! 大丈夫か!?」

「怜二……」



 同じく唖然として時音を刺そうとした直前で動きを止めた男を目撃した怜二は、我に返ると慌てて時音の腕を掴んで彼女を引き摺り、男から距離を取った。



「これ、一体、どういう」

「……もしかして、お前――」



 はっとしたように時音を凝視する怜二。しかし彼が何かを言い終える直前、視界の端で何かが動いたのに気付き咄嗟にそちらを振り返った。

 止まっていた人影が、ぎしぎしと音を立てながら少しずつ動き始めたのだ。



「に、逃げなきゃ」



 時音の震えた声に反応して怜二が走り出そうとする。しかし腰を抜かした時音は立ち上がることが出来ず、そして動き出した人影は再び無言で右手を振り上げる。今度は、怜二に向かって。



「怜二!」



 時音を置いて行けば怜二は助かる。しかし彼は一人だけ逃げ出すような非情さも、そして凶器を振りかざす人間に立ち向かうような勇気も足りていなかった。

 どうすることもできない。そんな二人に容赦なく襲い掛かる人影を見上げた時音は、そのブラックホールのような吸い込まれそうな闇から目が離せずにただただ見ていることしか出来なかった。




「潰れろ」



 刹那、どこからかそんな声が聞こえた。そして直後、時音の前髪が風に煽られるようにふわりと浮いた。


 そして同時に目の前の人影が、突如発生した横殴りの突風に巻き込まれるようにして民家の塀に叩きつけられたのだ。



「な――」

「やれやれ、私の弟と妹分を襲うなんてとんだ不届き者だ」



 コツコツと、薄暗いコンクリートの道路に靴音が響く。そして電灯の明かりに照らされるように現れた人物を見て、時音と怜二は同時に叫んだ。



「潤一さん!」「兄貴!」

「やあ、久しぶり……あ、動かない方がいい。こいつみたいに塀に叩きつけられて潰されたくなければね」



 柔らかい表情で微笑みながら軽く片手を上げたのは怜二の兄、二階堂潤一だった。彼はのんびりとした口調で二人を制すると、続いて未だに局地的な強風によって塀に磔にされている人影を一瞥し、その視線を冷たいものにした。



「さっさと消えろ」



 二人に向けたものとはまるで違う冷酷な声が響いた瞬間、人影から黒い煙のようなものが吹き上がった。



「え」



 煙は頭上に立ち上り空気中に溶けていく。そして、まるでその煙が人影自身だったかのように徐々に体が薄らぎ、消えていった。

 残ったのは夜の寒々しい静寂と、そして三人の人間だけだった。



「兄貴……」

「二人とも怪我はないか?」

「は、はい!」

「それはよかった」



 潤一が時音と怜二の元へと歩いて来る。分からないことだらけだがとにかく助かったのだと理解した時音は少々涙腺を緩ませながら潤一を見上げた。



「あの、今のは一体」

「ああうん、それはまあおいおいとして……それよりも時音ちゃん」

「はい?」



 人間とは思えない真っ黒なもの、突然不自然に吹いた突風、黒い煙、そして全てを知っていそうな潤一。

 聞きたいことは沢山あるのに、潤一はそれらを全て横に置いて穏やかな表情のまま時音に問いかけた。



「君、藤月学園に来ないかな」



 その言葉が発せられた瞬間怜二の表情が大きく歪んだことに、生憎時音は気付く余裕はなかった。



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