最古の空母(再投稿)
神奈川県 横須賀市 三笠公園
ここには二隻の船が記念館として陸揚げされている。
一隻は日本海海戦で旗艦を務めた戦艦「三笠」。
もう一隻は日本海軍初の航空母艦「鳳翔」である。
1922年一応世界で初めて最初から航空母艦として計画されデビューした鳳翔だが、実験艦的な要素が強く太平洋戦争開戦時には既に旧式化してしまっていた。
しかし、ミッドウェー海戦までは作戦に参加し、同海戦以降は第五十航空戦隊として瀬戸内海で練習艦として運用され、そこで終戦を迎えた。
ほとんど無傷の状態である。
これに目を付けたのがロシア、当時のソヴィエト海軍である。
ソヴィエト海軍は資源の乏しい日本が四年近くもアメリカ相手に戦えたのは空母があったからであり、その強力な日本海軍をアメリカが打ち破れたのは大量の空母を建造したからだと考えていた。
当時のソヴィエト海軍はまだ帝政ロシアだった頃に発生した日露戦争のせいで海軍は壊滅。独ソ戦勃発時にはろくな海上戦力が揃っていなかった。
いくら陸軍国家で世界最恐の鬼戦車T-34やIS戦車を大量に保有しているからと言ってこのままの海軍ではまずい。
そう確信したソヴィエト海軍は空母機動部隊を創設する下準備のために鳳翔を賠償艦として要求した。
ソ連に海軍力を持ってもらっては困るアメリカは当然難色を示した。
「アメリカに匹敵する陸軍、工業力を保有しているソ連に海軍力まで手に入れられては将来アメリカの地位を脅かしかねないっ!!」そう考えたのである。
だが、ソ連はアメリカに熱心な交渉を続けた結果、世界最初期の空母である鳳翔は現代戦闘の役に立たないだろうと判断され、何とか鳳翔を取得することに成功した。
取得後ソヴィエト海軍はこの艦を徹底的に調査、試験を行った。
この時のデータを同海軍が大いに活用したことは言うまでもない。
一通りの調査、若干の改装の後、鳳翔はしばらくの間練習艦として運用されることになる。
そんな現存する世界最古の空母に転機が訪れた。
ヘリコプターの発達である。この回転翼を持ち垂直離着陸できる航空機の発達は戦略に大きな衝撃をもたらした。同一の機種から装備の換装や仕様の変更によって様々な運用が期待できる。この凡庸性はとても魅力的なものだった。
そしてこのヘリコプターを最前線の海上で使用するためのプラットフォームとして全甲板を持つ鳳翔の名が挙がったのである。1960年代の事であった。
その結果、ヘリコプター空母に改装された鳳翔は日本海軍で運用されていた外見とだいぶ異なったものに変貌する。
最新のレーダー、ソナーを搭載し、かつて高角砲が設置されていた場所にはソ連製の武骨なCIWSや対潜ロケットが陣取った。
搭載機はヘリコプター10機の搭載を可能にする。
こうして、世界最古の空母は再び実戦へと実を投じることになった。
ある時は艦隊に随伴し海中の敵潜水艦を警戒し、またある時はタンカーに偽装され特殊部隊の輸送任務を務め、さらには攻撃ヘリを搭載し沿岸部を攻撃。敵地上部隊を撃破するという戦果を挙げることにも成功した。
冷戦の中で活躍。
建造時日本の水兵はこんな事を想像できただろうか?
しかし疑問が残る。
何故、ソヴィエト海軍は旧式の鳳翔を使い続けたのか?それは当時のソ連の海軍事情にある。
当初ソ連は米軍並みの空母機動部隊を編成し世界の海を制覇しよう夢見ていた。
しかし、実際には予算や造船技術の限界から実現は叶わず、ミサイル飽和攻撃用の巡洋艦や途上国に輸出できる安価なミサイル艇、そして核攻撃が可能な原子力潜水艦の生産が優先されたのである。
勿論、空母の建設も行われたが最初の正規空母が登場したのは80年代になってからであった。
簡単に言うとたかがヘリコプター用の空母に手間のかかる全甲板の空母を建造する余裕がなかったのだ。
しかし、予想以上の活躍をした鳳翔も80年代になるとその艦齢は60年を超えたし前述の正規空母の登場もあって第一線から姿を消すこととなる。
だが、船舶不足のソ連は最古の空母を解体しようとしなかった。
三度目の練習艦時代である。
鳳翔で訓練を行った船員やパイロットは鳳翔と同時期に活躍したモスクワ級対潜巡洋艦や後継艦のキエフ級重航空巡洋艦などに配属され鳳翔での訓練で培った技術を発揮した。
そして1992年に艦齢70年を迎えるとともに対艦ミサイルの標的艦として最期を迎えることが決定した。
が、ここで歴史的大事件が発生する。冷戦終結に伴うソ連崩壊である。
この崩壊の混乱はとてつもない餓えと貧しさをロシア全土にもたらした。
貧しい地域では死んだ人間の人肉が配給されるといった怪しいうわさまで流れたほどであった。
この危機を乗り切るためロシアは様々な軍事技術を売りさばくことになる。
中国にはSU-27を売却し「戦闘機を缶詰と交換した」とやゆされ、アメリカには後にF-35に応用される垂直離着陸の技術を売り渡した。
そしてこの鳳翔もオークションにかけられることとなった。
世界最古の空母として企業や資産家、博物館が札束をはたいて購入すると考えたからである。
オークションの結果日本の「鳳翔を守る会」が落札することが決定した。
同会は鳳翔がオークションにかけられると知った元海軍軍人や現役自衛官達によって構成され、彼らの資金や鳳翔の故郷である横須賀の地元住民や鳳翔が終戦を迎えた広島の住民の寄付により落札に成功した。
その後「鳳翔を守る会」は所有権を国に譲り、三笠公園の近くに係留された。
そして維持費の関係で2000年代に三笠の真横にスペースを設けそこに陸揚げされたのだった。
日本初にしてソ連初の空母でもあり現存する世界最古の航空母艦「鳳翔」は記念艦となり今でも横須賀の海を見守っている。
その巨体ながらこじんまりした船体の脇に旭日旗とソ連海軍旗が日に照らされ輝いている。