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戦国草子異聞奇譚  作者: BRACHIUM
異聞編 第一章
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8.キミは一人じゃない!

 陰湿な空気が立ち込める暗闇の空間を、脂燭の仄かな明かりが揺らめきながら照らし出す中、灰白色の滑らかな石肌に走った色濃い筆跡が、徐々にその文字の形をおぼろにして行く。そして、記された文字は完全に石肌へと吸い込まれて行った。


「この誓い、破るとどうなるんだ?」


文殊丸が半兵衛に問い掛けた。


「まぁ、この不破ふわという地に伝わる、誓いの儀式の様なものだよ。指切拳万ゆびきりげんまんみたいなものかな。ただ、今までに破ろうとした者は居なかったし、破った者が生きていたという話を聞いた事も無いけどね」


半兵衛は淡々と答えた。


「それって、破ったら死ぬって事を言いたいのか……?」


文殊丸は、半兵衛の真意を探ろうとした。


「さあ、どうなんだろうね。死ぬ事を恐れるなら、誓いを破らなければいいだけの事なんじゃないかな?」


半兵衛の物言いは尤もなのだが、文殊丸は騙された感が半端無い。完全に半兵衛の口車に乗せられたと、文殊丸は今更気付いて歯痒んだ。気付かなかった己の愚かさを悔やむにしても、払った対価に見合う物を得ていないのも事実だ。


「で、話せなかった重要な話ってのは、何なんだよ。本当に、今の俺にとって意味のある物なんだろうな――?」


文殊丸は半兵衛を睨み付けた。


「ま、ここでは何だし、一旦上がろうよ」


半兵衛は飄々とした素振りで、天井を指差して言った。仕方無し、と言った表情で文殊丸は黙ってそれに従い、十助と半兵衛に続いて石階段を上る他無かった。


 本堂に戻った半兵衛は、板の間とぽっかりと空いた石段入り口の段差へ腰を掛け、文殊丸もそれに倣う様に対面へ腰かけた。十助は一人、本堂入り口付近に屈んで扉の隙間から外に目をって何かを警戒している様子だった。


「まずは、お凛様のことかな」


半兵衛がようやっと語り始めた。


「お凛さま?」


文殊丸は、半兵衛の言葉遣いに違和感を感じて怪訝な顔をした。


「お凛様は、道三公の御息女なんだ。道三公と義龍様の間で争いがあったのは話したよね?」


半兵衛は文殊丸に記憶を辿るように促した。そして、それに文殊丸は黙って頷いて見せた。


「義龍様は、その際に孫四郎様や喜平次様といった、血を分けた御兄弟も手に掛けてしまわれたんだ。当然、その他の御兄弟にも危険が及ぶ可能性があったのは、言うまでも無いよね? 当時、道三公の近くにあったボクの父が、お凛様を道三公より御預かりして匿ったのは、当然の成り行きだったんだ」


半兵衛は、ちらりと文殊丸の表情を窺うと、更に話を続けた。


「となると、義龍様側の軍勢が、ボクらのいた菩提ぼだい山の館へ向かってくるのは必然だよね。だから、源爺のところに預けたんだ。あそこなら、大概の事には対処できるからね」


半兵衛の口から紡ぎ出される話を黙って聞いていた文殊丸が、口を開く。


「通りで――ナマイキな感じがしたんだよなぁ。なんかこう、可愛げが無いっていうかさー」


文殊丸は続ける。


「でも、元凶の義龍も死んで、息子の龍興が跡継いだんだろ? もういい加減、水に流しても良い頃なんじゃないの? その龍興からすれば、凛は叔母さんになるんだろ?」


半兵衛は目を瞑ると、ゆっくりと語り始めた。


「事は、そう単純では無かったんだ」


 義龍は道三の嫡子とされている。だが、それは義龍が生まれてからの事だった。斎藤姓を名乗る前の長井姓であった道三には、深芳野みよしのとの間に儲けた義龍や、小見おみかたとの間に儲けた孫四郎や喜平次よりも以前に、長井家を継がせた隼人佐はやとのすけがいた。

 実質的な長兄である長井隼人佐道利ながいはやとのすけみちとしは、義龍を出生の疑惑を利用して籠絡ろうらくし、弟である孫四郎と喜平次を殺害するよう義龍に命じさせたのだと。本当の黒幕が未だ健在である中、和解の機会は得られる事は無いであろう、と。ましてや、その道利が斎藤家家中で権勢を振るい、当主である龍興が籠絡されたままであるならば、現状の斎藤家にも大きな禍根を残しかねないのだと。


 そう語った半兵衛は、愁いを帯びた視線を文殊丸に向けた。視線を受け止めた文殊丸は、暗がりの中でもはっきりと半兵衛の眉間に深い苦渋の皺が刻まれているのを見て取り、半兵衛に何事か語り掛けようとした時だった。


「殿、彼奴らが来たようです」


十助が扉の前に屈んだまま、小声で半兵衛に告げた。


「数は?」


半兵衛が十助に問い掛けた。


「二十弱かと」


十助は外を警戒したまま半兵衛に報告すると同時に、素早く半兵衛と文殊丸の傍へ移動し、


「潮時です。彼奴等は火を掛けるつもりです」


文殊丸が言葉の真偽を確かめようと大きく破損した扉の隙間に目を遣ると、ちらちらと揺らめく明かりが無数に見えた。


不味まずいな。行こう」


半兵衛はそう言うと、文殊丸の手を引いて石階段を下り始めた。


「え、えぇっ??」


文殊丸はどこに連れていかれるのか、という顔をして十助を見るも、十助の注意は建物の外へ向けられたままだった。


「御急ぎくだされ」


十助は唖然としていた文殊丸に小声で言うと、外されていた床板を抱えて、文殊丸を後から押しながら石階段を下り始めた。半兵衛と文殊丸が階段を下り切ったのを確認すると、十助は抱えていた床板を石階段の入り口に並べ、床板が元の状態になるように細工をし始めた。


「こっちに逃げるのって、マズイでしょ―― 行き止まりだってば」


文殊丸は逃げ道の無い地下室に追いやられて慌てふためくも、半兵衛は気に留める素振りも見せずに、脂燭ししょくを片手に石壁を叩いて何かを確かめている様子だった。


「おーい、半兵衛さーん。おーい」


文殊丸が小声で半兵衛に声掛けするも、半兵衛は全く相手にする気配が無かった。


「ここだな……」


そう呟いた半兵衛は、腰に差した刀を鞘ごと抜き、その柄で石壁の一か所を叩き出した。暫く叩き続け、何度目かの打撃の後で、半兵衛の足元に掌大の石が壁面から転がり落ちた。それを見た十助が階段を急いで走り下り、渾身の力を込めて半兵衛が叩いていた壁面の大きな石を押し始めた。すると、徐々にではあるが、大きな石が奥へと動き始めた。


「……ぐ、ぐっ。あ、あと一息!」


十助の脇を固める様に、半兵衛も助力して大きな石を押し始めた。大きな石の周りにあった拳大の石が、一つ二つと床に転がり落ち、狭い室内に土臭い臭気が充満し始めた。すると突然、支えを無くしたように石が勝手に奥の方へと抜け落ちて行った。


「これで、よし!」


土埃に塗れた体を払いながら言った半兵衛の視線の先を見ると、先程大きな石があった場所に、人一人が何とか通れる程の隙間が形成されていた。


「急いで!!」


そう言うと半兵衛は、出来上がったばかりの隙間に文殊丸を後ろから押し込んだ。と、同時に


「うわっ!!誰かっ――止めてっ!!」


文殊丸は制御の利かない両足を必死に掻き続けた。遮二無二両の足を掻き続けるも、どうにもならない。


「うがっ! ふぐっ――ぶっ――ぐへ……」


躓いて、もんどり打って、転がり、またもんどり打って。それから更に暫く転がった末に、木の根元へ襤褸ぼろ切れのように引っかかって漸く止まった。文殊丸が押し出されたのは、勾配のきつい斜面の途中だった。


「大丈夫かい?」


半兵衛と十助が軽やかに斜面を駆け下りて来た。


「坂道ならそう言えよ!!」


半兵衛の気遣いの言葉に文殊丸は悪態をつくも、やっとの思いで起き上がった。そして朦朧とする意識のままに転がってきた先を見上げると、そこには赤々と火の手が上がっているのが見えた。


「今日はこれまでだな」


半兵衛はそう呟くと、指を咥えて指笛を鳴らした。すると、斜面のなだらかになった向こう側から、二頭の馬が小枝を踏み鳴らしてやって来た。そして、その後ろには見慣れた驢馬ロバの姿もあった。


「それじゃ、ボクらは家に帰るとするよ。キミも気を付けて帰ってね」


半兵衛は馬の手綱を取ると文殊丸に言った。


「え?ここからどうやって帰れってんだよ」


土と枯葉に塗れた体をはたき、取り敢えず疾風に跨った文殊丸は、自分がどこにいるのかも把握できていない様子で言った。


「大丈夫だよ。疾風は賢い娘だから。キミは掴まっているだけで大丈夫だよ、きっと」


半兵衛はそういうと、文殊丸が跨った疾風の耳元へ


「それじゃ、ボクの友人を頼んだよ」


と言い、手綱で着物の裾を払って乾いた音を出した。すると、その音を聞いた疾風は猛烈な勢いで走り出した。


「お、おい!まだ肝心な話、聞いてねぇぞー!!」


疾風にしがみついた文殊丸が、遠くなる半兵衛の姿に叫んだ。見る見るうちに小さくなって行く文殊丸の後姿に、半兵衛は問いに答える様に言った。


「彼の地より産み落とされたのは、キミだけじゃない」と。



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