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戦国草子異聞奇譚  作者: BRACHIUM
奇譚編 第一章
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17.新説・長良川の戦い(上)

人が寄り添い集まれば、自ずと軋轢が生まれる。やがてそれは、小さな綻びの連鎖を糧に亀裂を育みいさかいへと転じ、果てには大きな憎しみを孕んだ争いへとその姿を変える。人類有史以来、不変の摂理とでも言うべきか。殊、その発端が生理的欲求に密接した事柄となると、史書に有るもの無いもの数多あまた有り、その数は到底数え切れるものではない。



「勧進坊、こちらへおいでなさい」


日運が落ち着き払った声音で勧進坊を名指しすると、呼ばれた勧進坊は恨みがましさを物語る眼差しのまま、何事かを呟きながら縁側に座する日運の前に歩み出た。


「思うところは有るのでしょうが、それも承知の上で参じたのでしょう?」


日運はそう言いながら懐から懐紙を取り出すと、薬研で磨り潰された草を幾許か懐紙に盛り、痣だらけの勧進坊の坊主頭へ丁寧に貼り付けた。


「いたたたたっ――それは、そうなのですが……」


痛みにその顔を歪めながらも、得心のいかぬ勧進坊は口を尖らせた。


勧進坊の様子を見るに、今回もまた、トンチンの兄弟子二人に上手く言い包められて後に付いては行ったものの、最終的な非難の捌け口にされてしまったのであろう事は、火を見るよりも明らかだ。そんな勧進坊の手当てを早々に仕上げると、


「惇厚坊、鎮護坊。其方等もおいでなさい」


日運は、今度は笑みを湛えた穏やかな口調でトンチンの二人を呼んで、並べ置いた二枚の懐紙に薬研の船形に残った磨り潰された草を山盛りにした。そして、一つ呼吸を整えると、素早く惇厚坊と鎮護坊の顔面へ投げつける様に貼り付けた。


「うぶぷっ!!」


「ふがっ――!!」


突然の出来事に、惇厚坊と鎮護坊はその場に尻餅をついて慌てふためいた。


「年長の者は敬いなさい、年少の者は慈しみなさい。そう、いつも申しておりましょうに」


日運は、そう言いながら使っていた薬研を元あった位置に戻すと、何事も無かったかの様に松五郎の前に置かれていた水の張られた手桶で、草の汁に塗れた両の手を洗い始めた。


「目がぁっ! 鼻にも入ったぁ!――草臭い、くさくさい、くさくさっ!!」


独特の匂いを発するそれを避け損なって、顔の穴という穴への侵入を許した鎮護坊はもんどり打って倒れ込み、片や真正面から受けたそれを、座り込んだまま手慣れた様子で顔から剥がし始めた惇厚坊は、


「和尚様。仰っている事と為さり様が――」


と抗うも、


「これは、慈しみを伴った手当と、指南です」


と、日運は全く以って意に介さなかった。そんな遣り取りを見ていた松五郎が、


「――顔面に喰らった後は、『聞いてないよ!』じゃないのか?」


と呟くと、一同は目を瞬かせながら首を傾げていた。


暫しの沈黙の後、騒動の蚊帳の外にいた松五郎は、


「それにしても、酷いやられ様だな。一体、何があったんだ?」


と満身創痍をそのまま絵に描いた風体の三小僧をぐるりと見渡しながら問いかけた。すると日運は、「今に始まった事では無いのですが」と前置きをして、松五郎に騒ぎの発端である河原合戦について話し始めた。



美濃の国の様に急峻な山々に囲まれた海の無い地域において、河川が齎す恵みはそうでない地域とはその重要性や必要性に格段の差がある。特に、山々からの恩恵を享受する力やすべを持たぬ者達にとっては、死活問題にまで成り得るものだ。確かに、長良川流域付近に広がる肥沃な土地で稲作が行われてはいるものの、その大半は年貢として徴収され、残りの中から翌年撒くための種籾分を更に差し引くと、彼らの口に入るものは幾許も無い、というのが実情だった。ましてや、頻発する美濃国内での内乱の都度、男手が戦の為に刈り出されるとなると、翌年の実入りも期待出来たものではない。故に、田畑の恵みで満たされぬ空腹を、子供らが長良川の恵みに求めたのは必然であった。川の浅瀬に歩み入り、或る者は手製の銛を手に、或る者は草編みの籠を手に、或る者は己が両手で川の恵みを享受する。そんな光景が、日常のものとなっていったのも当然だった。


とはいえ、広い長良川の流域でも、その恵みは必ずしも平等に齎されるものでは無かった。つまりは、漁場の問題だ。より良き漁場を求めて川辺を歩むは、自然の流れ。より良き漁場を見つけてそれを独占しようと企むは、人のさが。此方の集落の子供等が彼方の集落の子供等の漁場を荒らしたと始まり、先に荒らしたのは彼方だと言い返す。そうして、史書には載らぬ長良川の戦いが勃発した。


もう既に、何度目であるかも判らぬ程の攻防を繰り返して今日に至った。そしてその中で、暗黙の取り決めが成立し、子供たちの中で河原合戦と称される事となったと、日運は言う。


取り決めの細部については、子供達の間での伝聞故に多少の差異はあるが、トンチンカンの三小僧が言うのを集約すると、


一、漁は春分からから秋分までとし、それ以外の期間は禁漁とする事

一、ひと月毎に取り合う漁場を決めて勝敗を決する事

一、獲物は棒状の物とし、先端を尖らせた物での刺突は禁止とする事

一、勝敗は、初めに泣いた者が居た陣を負けとする事

一、勝敗が決した後は、遺恨を残さぬ事

一、大人の助太刀を求めぬ事


となるようだった。


三小僧の属する陣は、今年に入って連戦連敗を重ねて手元に残る漁場は心許無く、このまま敗戦を重ねると、真面に漁のできる漁場が無くなってしまうという有様だった。寺を抱える集落であった為、他所の陣に比べると頭数は多いものの、近年は年長の者達が多く去って戦力が激減していた。謂わば、世代交代の谷間という状況だ。それ故、個人の練度の習熟に重きを置いて励んできたと言うのだが、結果が伴っていないのは、戦績が物語っている通りだった。



然う斯うして、松五郎がひと通り三小僧達からも話を聞き終えると、日運は何事かを思い出した様に口を開いた。


「そういえば、松五郎殿は薙刀の扱いにも長けておられましたね。よろしければ、この者達に一つ御指南頂けませぬでしょうか?」


日運の提案に松五郎は、


「大人の助太刀はダメなんじゃないの?」


と首を傾げるも、


「なんと、和尚様よりも手練れに御座いますか!」


「これは僥倖。次回は必ずや、オイラの槍捌きで巻き返して見せまする!」


「直接合戦に参加されるわけではありませぬから、問題ありませぬ!」


と、トンチンカンの三小僧は、各々、青々とした汁を滴らせながら目を輝かせていた。

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