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戦国草子異聞奇譚  作者: BRACHIUM
奇譚編 第一章
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14. 越境(下)


「――下衆野郎! 千佐に触るんじゃねぇ!!」


庄五郎が下卑た声の男に罵声を浴びせるも、下卑た声の男は意に介する素振りすら見せない。卑劣な行為に及ぼうとする下卑た声の男は、千佐の手首を鷲掴にして堅く組まれた両腕を強引に解くと、そのまま千佐を押し倒した。


「お、お止め下さい! 離して下さい! ――庄五郎さん!!」


仰向けに押し倒された千佐は、庄五郎に助けを求めながら、頻りに身を捩らせて抵抗を試みる。しかしながら、男の膂力きょりょくに女のそれでは、到底敵うものでは無い。下卑た声の男は仰向けになった千佐へ馬乗りになり、鷲掴みにした千佐の両手首を押さえ付けると、着崩れた胸元へ顔を近付けて、双丘を凝視しながら舌嘗めずりをして見せた。


「これは、――男を誑かす得物だぁ。こうして、おらぁも誑かされてるだで、間違い無ぇ。へへ……」


下卑た声の男は、隙間だらけの歯を見せて不敵な笑みを浮かべた。


「さ、触るんじゃねぇ……触るんじゃねぇよ」


眼前の目を覆いたくなる光景に、千佐を助けるどころか、己の目を覆う事すら出来ずにいる己への不甲斐無さと、一縷の願望が入り混じって庄五郎の口から紡ぎ出された。


「良い子にしてたら、命だけは助けてやってもいいぜっ。――五体満足でなんて保証は無ぇけどなっ!」


野太い声の男は、庄五郎の腕を締め上げながら声高に言った。その声音は痛みに苦しみ喘ぎ、大切なものを蹂躙されて絶望に拉がれる庄五郎の様を楽しんでいる様にしか思えない。必然、庄五郎がこの男達は自分達を無傷で返す様な輩では無いという考えに帰結するには、時を掛ける必要すら無かった。


「やめろ――っ!!」


庄五郎の悲痛な叫びが、暗闇に林立する木々の間に木霊する。と同時に、それまで両腕を軋ませる激痛に耐えて抵抗していた庄五郎が、力なく地に項垂れた。


「バカでかい声上げやがって、驚かすんじゃねぇよっ!」


野太い声の男は庄五郎の両腕から抵抗する力が無くなっている事を確認すると、掴んでいた腕を放って立ち上がった。そして、俯せのまま動かなくなった庄五郎の頭を蹴り上げた。すると、木偶の様に転がった庄五郎の体は勢いのまま街道脇の斜面を転げ、その中程に生えていた木の根元で襤褸布ぼろきれの様に力なく横たわった。


「それじゃ、愉しませてもらうとするかねっ!」


野太い声の男はそう言うと、身に着けていた継ぎ接ぎだらけの腹当てを脱ぎ捨てながら、組み倒された千佐の足元へ近づいた。


「あーら、よっと!」


野太い声の男は、徐に千佐の両の足首を掴むと、大きく左右に広げた。


「いやっ!いやぁっ――やめて――!!」


千佐が涙を浮かべて絶叫するも、男達は全く意に介さない。


「いやと言われて、はいそうですね。なんて言う訳無いだろうがっ!――痛って!」


野太い声の男がそう言って自身のふんどしに手を掛けて事を起こそうとするも、千佐が足蹴りで必死に抵抗を試みる。


「あがっ! 大人しくしてろってんだ――ふぐっ!!」


千佐の予想外の抵抗に、野太い声の男は恫喝して制しようとしたが、くぐもった声を上げて蹲った。千佐の足掻いた足が、野太い声の男の股座に強烈な一撃となって深く突き刺さったのだ。


「是は如何な騒ぎか?」


油汗を額に滲ませて蹲る野太い声の男の後背から、抑揚を抑えた声が掛けられた。


「んぁ?」


不意に後ろから声を掛けられた野太い声の男は、間の抜けた声と共に苦渋の表情で振り向いた。


「如何な騒ぎか、と聞いておる」


振り向いた男の眼前には抜身の刀が突き付けられていた。野太い声の男はその視線を刀の切先から刀身を伝い、その柄を握る者へとゆっくり移して行く。


「問いに答えよ」


その声の主は、真新しい具足を纏った若武者であった。野太い声の男はその姿を視認すると、


「見て分かんねぇのかい? 不審者の詮議だよっ! こちとらお勤めで忙しいんだ、餓鬼はぇんなっ!」


苛立ちと共に吐き捨てる様に若武者へ言葉をぶつけると、何事も無かったかの様に再び千佐の体をまさぐり始めようしとした。


主等うぬら雇われの者共の役目は、見張りとその報告までであろう。通行人の詮議処遇は、主等の役目ではあるまい」


若武者は、その容姿に見合わぬ淡々とした口調で問い質すと、突き付けていた刀を握り直し、野太い声の男の肩口に剣閃を走らせた。


「ん…………? ぎ、ぎゃぁああぁぁ――!!」


空を切る音と鈍い打撃音がした暫く後に、激しい鈍痛が野太い声の男の肩口を襲った。と、同時に千佐に跨っていた下卑た声の男も異変に気付いて振り返った。


「高札にて、この関でのまいない、横領、狼藉の類は禁じられておるのは存じておるな?」


若武者は、肩口を押さえて悶絶している野太い声の男を他所に、下卑た声の男に切先を向けて詰問した。


「あ、あんな立て札、有って無い様なもんだで。文字の読めねぇおらぁ達には、何の事やら。大体、あんたら御武家がどうこう言ったって、こんなことは他所でもやっていることだで。おさんも何の彼の言いながら、そうやって刀で脅して、おらぁ達にたかろうって腹じゃろう?」


下卑た声の男はそう言って、自身の懐から拳大の薄汚れた皮袋をちらつかせながら、若武者に言った。

 

 無頼の徒が武家の下に雇われて治安維持に当たるも、その様な輩に真っ当な仕事など期待出来ようも無い事は言うまでも無い。当然、そんな輩は治安維持を名目に好き勝手を始め、それを管理する筈である下級の武士達は、その目零しと称して賂を要求して私腹を肥やすと言う事が常態的に行われていた。故に、下卑た声の男は、この若武者も他の下級武士と同じ様に、賂で手懐けられるものと高を括っていたのだ。


「左様か」


若武者はそう言うと、刀を薙ぎ払って刃を鯉口に納めた。


「お、驚かすでねぇ。お前さんの欲しいもんはくれてやるで、早よ去ね!!」


下卑た声の男がそう言って、手にしていた皮袋を若武者へ向かって投げつけようと勢いを付けた瞬間、皮袋が裂けて、大小混ぜ合った鈍色の粒が地表にばら撒かれた。


「高札に連署されし岩手重道は、我が父である。父の前でも一言一句違える事無く、同じ事が言えるのだな?」


若さに見合わぬ鋭い眼光で若武者が睨み付けると、下卑た声の男は息を呑んだまま微動だに出来なくなった。


「言えるのだな?」


若武者が右手で刀の柄を掴み直して歩を詰める。すると下卑た声の男は、声にならない奇声を上げながら四肢を遮二無二動かして、林立する木々の闇へ脱兎の如く姿を消した。


「主の仕置については、追って沙汰が出よう。そのまま、大人しくしておれ」


若武者はそう言って、己の肩を押さえて蹲る野太い声の男を一瞥すると、嗚咽混じりに震える千佐をゆっくりと抱き起した。


「雇われの者共が仕出かした事とはいえ、我等の手勢が冒した不手際に御座る。誠に、相済まない」


若武者はそう言って、自身の両腕をきつく抱いて震える千佐の頬を、懐紙で拭った。


「事後については、拙者にお任せ頂きたい。決して悪い様には致さぬ故」


若武者は千佐の前に立って折り目正しく一礼すると、首に提げていた小さな竹笛を鳴らした。すると、篝火が焚かれた木柵の奥から、揺らめく松明の明かりが数個現れ、次第にこちらへと近づいてきた。


「若様、如何なされましたか!」


松明片手に先頭を走って来た老齢の男が、若武者へ声を掛けた。


「此奴を縛って、軍規を正さねばなるまい」


若武者はそう言って蹲ったままの男の捕縛を命じると、深い溜息を吐いた。



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