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戦国草子異聞奇譚  作者: BRACHIUM
奇譚編 第一章
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13. 越境(上)

 鉛の足枷を掛けられた如く重い足取りであるにも拘らず、ただひたすらに街道を行く。真意の知れない追跡者からの無言の圧力は、得体の知れない不気味さを伴って焦燥感を煽り続ける。あれだけ周到に時と労力をかけて、爪を研ぎつつ追い詰めて来た者達だ。それが、今こそ好機と牙を剥いて向かってきたのだ。その執念には尋常成らざるものがある事は、庄五郎もその身をもって知覚したばかりだ。故に、追手が二の手、三の手を打って来るであろう事は容易に計り知れる。体力の限界は疾うに超えている。然れども、遅々たる歩みを恐怖心と焦燥感が後押しし続けていた。湖水に浸って濡れた衣服が身体に重く纏わりつき、疲弊した体力を必要以上に奪っていた。庄五郎は着物の裾を腰の辺りまで捲り上げ、褌姿の下半身を晒す事で幾許か凌げてはいるものの、随行する千佐はそう言う訳にも行かず、その顔には疲労の色が色濃く表れていた。


「千佐、もう少しの辛抱だ。この林道を抜ければ、近江と美濃の国境だ」


庄五郎はそう言って直ぐ後ろを歩いている千佐に声を掛けたが、千佐は黙って頷くだけだった。

 

 必死の思いで突風と荒波に揺られる舟底にしがみ付き、水面に浮かぶ木葉の如く風に吹かれるまま湖岸に辿り着いた頃には、辺り一面漆黒の闇に覆われていた。湖水でずぶ濡れになったまま「これからどうするのか?」と問い掛けて来た平八に、持っていた路銀の全てを無言で渡して足早にその場を立ち去って来た。答えなかったのではなく、答えられなかったと言うのが妥当か。元から行く宛て等無く、気付いたら通い慣れた道に足が赴いていただけの事でしかなかったからだ。ただ、この暗闇の中に何故か柔和な笑みを見せる坊主頭に光明が見えた気がした。過去に窮地を脱する手立てを齎してくれた実績なのか、それとも宝珠に関わる一族に名を連ねる者であることから来る単なる連想なのかは図る由も無い。無意識に懐へ忍ばせていた宝珠を握りしめると、庄五郎は静かに揺れる水面を背に歩み出していた。藪を抜けて木々の根や蔦に足を取られながらも、人が踏み締めた道らしきものを辿る。そして、ようやと見慣れた街道筋まで歩みを進めて来たのだ。


 言葉少なに、黙々と暗がりの足元を見つめながら歩みを進めていた庄五郎が、ふと顔を上げた。鬱葱としていた林道の先の視界が少し開け、庄五郎は遠くに見える稜線が徐々に白み始めている事に気付く。と同時に、歩む道の先に篝火らしきものが焚かれているのが目に入った。人が多く居る場所であれば流石に追手も直ぐ様に手荒な真似は出来まい、と庄五郎は軽く息を吐いた。今にも握りつぶされそうな位に心の臓を鷲掴みにしていた恐怖と焦燥感から、束の間ではあるにせよ、ようやっと解放されるのだと。


「見付けたぞ!!」


庄五郎の耳へ男の野太い声が聞こえた。そして、声が聞こえた方を向こうとした矢先、庄五郎は視界の天地を失った。庄五郎は脇腹へ突然の衝撃を受け、その勢いのままに地面へ横倒しにされたからだ。


「うがっ! な、何だ!?」


庄五郎は不意を突かれて、手を付く間も無く強かに地面へ額を打ち付けた。一瞬意識が朦朧とするのを額に残る痛みの残滓が引き戻し、何とか堪える。倒された庄五郎は、腕を後ろ手に締め上げられて顔を地に押し付けられた状態で組み伏せられた。足を遮二無二動かしながら必死の抵抗を試みるも、男の体重を体ごと預けられた上に底をついた体力では、上半身の向きを変えることすらも出来なかった。


「くっ――! 既に、彼奴等の手の内にあったというのか――――」


庄五郎は歯噛みして自身の浅慮を嘆いた。


「何をブツブツ言ってやがる、大人しくしてろやっ!」


野太い声の男は、俯せに倒れる庄五郎へ馬乗りになると、庄五郎の腕を更に締め上げた。


「うぐ――っ、放せ! お、お主も――叡山の差し金か!!」


腕を締め上げられる痛みに耐えながら、庄五郎は唾棄する様に言葉を吐き出した。


「はぁ? 坊主共に知り合いなんて居ねぇよっ。こっちはあの世に行ってからの事以前に、次の飯をどうやって食い繋いで行くか考えるので精一杯だってんだよっ!」


男は締め上げる腕へ更に力を込めながら、庄五郎の問いに答えた。


「で、では何故――!?」


庄五郎は、叡山から差し向けられた追手では無いと言った男の答えに最悪の懸念は払拭されるも、自身が受けている仕打ちに納得できる訳も無く、未だに開放されぬ両腕へなけなしの力を込めて抵抗を繰り返す。


「大人しくしてろって、言ってんだろうがっ!!」


男は掴んだ庄五郎の腕へ更に体重をかけて、庄五郎の腕を締め上げる。


「御無体な事はお止め下さい!!」


必死に足掻く庄五郎の後背から、千佐の悲鳴が響いた。庄五郎は動かぬ上半身はそのままに、首だけを動かして後方に居た筈の千佐の姿を探した。


「ち、千佐! 大事無いか――!?」


庄五郎は声を上げて千佐の姿を探すが、組み伏せている男の体に遮られて後方の視界が判然としない。


「うぐっ、くそっ! うがぁっ――!!」


庄五郎は身を捩って後背の視野を確保しようと試みるが、その度に抑え込まれた腕へ激痛が走る。


「物見から、怪しげな二人組が向かって来ているっちゅう報せがあったでな」


庄五郎を組み伏せている男の更に後方から、下卑た男の声がした。


「わ、私達は決してその様な怪しい者では御座いません」


千佐は怯えた声で反論するも、下卑た声の男に腕を取られて、組み伏せられた庄五郎の前に連れて来られた。


「こんな時分に人目を憚って国境を抜けようっちゃ、十分に怪しいでねぇか?」


下卑た声の男は、そう言って千佐の膝を折らせて組み伏せられたままの庄五郎の眼前に座らせた。


「こっから先は、美濃の国だべ。おらぁ達は美濃の殿様に雇われて、こっから先へ怪しいモンを通さねぇようにするのがお勤めだ。間者の男と女が、夫婦に化けて国に入ろうとしているのを止めるのも、おらぁ達のお勤めだ」


下卑た声の男は、隙間だらけの歯を見せながらにやけた薄ら笑いを浮かべて千佐に顔を近づけた。


「決してそのような事はありません。私たちは真の夫婦です」


千佐は毅然とした口調で、下卑た声の男の言を否定した。


「ぐっ、千佐の言う通りだ。決して間者などでは無い、放せ――うがっ!」


庄五郎が、千佐の言葉を肯定して開放するように迫るも、


「夫婦だ何だと言われても、はいそうですかで済む訳ねぇだろうがっ!」


組み伏せている男の腕を締め上げる力が更に増すだけだった。


「おっといけねぇ、得物を忍ばせておらぬとも限らんて。改めさせてもらうとするかね、斬り付けられでもしたら敵わねぇでなぁ」


下卑た声の男はそう言うと、再びにやけた薄ら笑いを浮かべながら、千佐へ嘗め回す様なじっとりとした視線を向けた。


「人を傷つけるような得物など、私は持っておりません!!」


千佐は向けられた視線に嫌悪の感を露わにして抗した。すると、下卑た声の男は千佐の反応に驚いた様子も無く、更に顔を近付けてゆっくりとした口調で問い質す。


「ふぅーむ。これは――、何だべか?」


下卑た声の男は、座らせていた千佐の項に息がかかる程の距離から、乱れた千佐の襟元を覗き込むように言った。


「…………え?」


千佐は問われた意味を解せずに、目を瞬かせていた。


「だから、この膨らみはなんじゃ? と聞いておる。ここに何を隠しておる?」


下卑た声の男はそう言って、細めた目から千佐の胸元に隆起する双丘へと視線を送っていた。千佐はようやっと下卑た声の男が言う事の真意を察すると、両手で襟元を正して自身をきつく抱きしめるように両腕で胸元を隠した。


「…………な、何を仰っておられるのですか?! は、破廉恥な――」


千佐は赤面しながら消え入る様な声で抗したが、下卑た声の男の視線から逃れようと、俯いて震える事しか出来なかった。すると、下卑た声の男はゆっくりとした歩みで千佐の眼前に立ち、自身の顔を千佐の顔に近付けて舌嘗めずりをして見せた。


「隠すとなると尚怪しいべ。そこに隠しているのは、男を誑かす得物に違いねぇ。改める!!」





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