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戦国草子異聞奇譚  作者: BRACHIUM
奇譚編 第一章
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6. 五枝の松


 下山すると言っても、実際に山を下るという訳ではない。妙覚寺は禁裏より少し離れた二条に位置し、京の街中にある。妙覚寺は小野妙覚という人物の外護げごを得て、四条にあった彼の別荘を寺としたのがその始まりで、後に時の足利家九代将軍、足利義尚あしかがよしひさの命によって二条へ移されたと云う。寺には夫々に山号というものが付けられている。謂わば、屋号の様な物とでも言ったところか。代表的なところで言うと、比叡山が山号で延暦寺が寺院名となる。妙覚寺の場合、具足山が山号で妙覚寺が寺院名である。因みに、具足山という山号が付く寺院はこの京の中には他にもある。妙顕寺と立本寺だ。この三寺院は龍華りゅうげ三具足みつぐそくと総称されていた。少々話は逸れたが、下山とは寺より出でて僧籍を廃して俗世へ戻る(還俗する)という事だ。

 貫主が法蓮坊に勧めたのは、「下山して奈良屋を頼る」という案だった。それは即ち、「還俗して商人になれ」と言う事に他ならない。法蓮坊は言われた初めこそ理解に苦しんだが、貫主が言わんとする所を解して漸く腑に落ちた。

 この京の都に大なり小なり商家は数多あまた有り、そこに携わる者達の数などは数え切れない。つまりはそこに紛れ込め、と。宛ても無く流浪の旅を続けながら生き長らえるという手段も考えられたが、「現実的ではない」と貫主の提案を法蓮坊は即座に受け入れたのだ。その辺りの損得勘定の早さからして、寧ろ自身の性根は商人に向いているのかもしれないとすら法蓮坊は思い始めてもいた。


「それでは、参りましょうか」


思案顔の法蓮坊にそう声を掛けたのは、南陽坊だった。貫主は来訪者の応対の為に本堂へ出向き、書院には出立の支度を終えた法連坊と南陽坊の二人の姿があった。


「あ、ああ。そうしよう」


そう答えた法蓮坊は、朱の入った少し派手目の着物を着込んで笠を深めに被る。身支度を整えた法蓮坊は貫主宛ての礼状を書院の書机に置くと、声を掛けた南陽坊に目を向ける。


「随分と軽装だが、大丈夫なのか?」


怪訝な顔で訊く法蓮坊に南陽坊は、


「私は厭くまでも寺の遣いとして同道するのですから、旅支度のままでは怪しまれましょう」


そう言って普段と変わらぬ 法衣姿を見せ付けていた。


「それでは、参るとするか」


法蓮坊は周囲をぐるりと見遣ると、名残惜しい気持ちを払拭する様に書院を後にした。


 書院を後にして数歩程歩いたところで法蓮坊は気付いた。


「おいおい、そっちは不味いだろう」


先を行く南陽坊に小声で法蓮坊が声を掛けた。しかし南陽坊は何食わぬ顔で颯爽と歩みを進める。書院を出て、砂利敷きの境内をそのまま本堂の方へ向かっていた。


「裏の小路から出るという方法もありますが、それでは却って怪しまれましょう。なれば、堂々と正面から参るが上策に御座いましょう」


先を行く南陽坊は振り返って法蓮坊にそう言うと、そのまま本堂脇の枝振りの良い松の木を通り過ぎて山門を目指そうと歩み続ける。


 貫主の指示通りに客人達は本堂に居るのであろう。本堂の障子は閉ざされて、中の様子を窺い知る事は出来ないが、その傍らに数名の坊主頭達が外向きに鎮座していた。法蓮坊達が境内に敷かれた砂利を踏みしめる音に気付いたその中の一人が、法蓮坊達に向かって手を合わせて会釈をした。南陽坊はそれに答える様に数珠を巻いた手を合わせて坊主頭に向かって一礼し、法蓮坊は笠の端を摘まんで軽く頭を下げた。


「どうやら、遠目には気付かれてはいない様ですね」


向き直った南陽坊が、数珠を袂に仕舞い込みながら法蓮坊に言った。


「ん、どうかな? 薬師坊兄は鈍感だからな。あの方を基準にしたら、世の中に悪人というものが居なくなってしまうだろうよ」


法蓮坊はそう冗談めかして言った。鈍感と言うべきか、察しが悪いと言うべきか。法蓮坊は兄弟子である薬師坊が炊事番の折に何度となく食糧庫から食べ物を頂戴した事を思い出した。頂戴したと言えば聞こえは良いが、その実はくすねたと言った方が妥当か。寺に預けられて間もない頃は、「如何にして空腹を凌ごうか」そんな事しか考えていなかった。少量の雑穀粥と香の物、それに汁物と一菜。育ち盛りの者達にとっては、とても満ち足りたものでは無い。幼い法蓮坊は、薬師坊が食糧庫を施錠しないまま庫裏くりで炊事している事に気付いた。そして、薬師坊の目を盗んで芋がらなどを持ち出しては、隠れてそれらを童僧らに分け与え、自らもそれに喰らいつく事で空腹を補っていたのだ。


「ははは。それはそれで、世が太平に成って良い事ではないですか」


南陽坊は法蓮坊の冗談を笑いながら聞いていた。言うまでも無く、そう笑う南陽坊もそのお零れに与かった者の一人であった。しかし法蓮坊は、ふと思い出した様に呟く。


「それもまた、一つの徳というものなのだろうか」


 童僧の中には、あまりの空腹に堪えきれず泣き出す者も多く居た。当然の事ながら、薬師坊もその事は目の当たりにして知っていた事だ。彼らよりも年長である薬師坊自身も、幼き頃よりこの寺に預けられて彼らと同じ道を歩んできた筈である。同じ道を往く者であれば誰もが思い付きそうな事であるにも関わらず、不用心に施錠をしないというのは、何らかの意図を感じずにはいられなかった。故に、今となっては態と施錠をせずにおき、法蓮坊の様な者が現れるのを黙認していたかの様に思えてならない。法蓮坊は一瞬の逡巡の後、それはある種の優しさだったのではないかと、今更ながらに思い至った。そんな折、


「やはり、気付かれてはいない様ですね」


南陽坊が小声で法蓮坊に声を掛けて、薬師坊の方へと視線を送る。


「杞憂であったか……」


遠目でも解る程に、怪訝な表情で小首を傾げている薬師坊を視界に納めると、法蓮坊は深い溜息をついた。それも束の間、法蓮坊は前を行く南陽坊の歩みが止まった事に気付く。


「こんな時分に、何処いずこへお出かけに御座いますかなぁ?」


鼻が詰まった様な、間の抜けた声音で問い掛けられた。


「ど、どちら様に御座いますか?」


南陽坊は、山門を目前にして突然現れた人影に一瞬たじろぐも、平静を装って問い返した。


 僧侶に似つかわしく無い風体の無精髭を生やした大柄な男と、下卑た薄笑いを浮かべた鼻頭に向こう傷のある小男が、裹頭かとう姿で山門の前に立ちはだかる様に立っていた。恐らく南陽坊がたじろいだのは、大柄な男が片手に抜き身の薙刀を握っていたからであろう。


「拙僧等は、叡山より罷り越した由に御座います。人を探しておりましてなぁ」


裹頭姿の小男が、笠を被った法蓮坊の顔を下の方から品定めする様に覗き込みながら言った。


「さ、左様に御座いますか。叡山よりわざわざお見えになるとは、その方は相当に高貴な御方なのでしょうか?」


法蓮坊と小男の間に割って入りながら南陽坊は問い掛けた。


「高貴かどうか等、知った所ではない。うぬ等の何れかが峰丸であるか否か、それだけが判れば良い」


小男の後ろに控えていた無精髭の大柄な男が、抑揚を抑えた低い声で言い放った。


「さ、左様に御座いますか。生憎、私共ではお役に立てない様なので、失礼させて頂きます」


南陽坊は数珠を巻いた手を合わせて一礼すると、法蓮坊を促して山門を潜ろうとした。


「待たれよ!」


無精髭の大柄な男が一喝した。と同時に、虚を突かれた南陽坊と法蓮坊の歩みが止まった。


「まだ、其方等の名を聞いておらなんだぁ」


間の抜けた声が、法蓮坊達の背中に浴びせられた。


「わ、私は南陽坊と申しまして、この妙覚寺の末席を穢しておる一修行僧に御座います。こちらは、平素よりここへ出入りをしております商家の方に御座います」


南陽坊は慌てて振り返ると自身を名乗り、隣に並び立った法蓮坊を出入りの商人と偽って説明した。


「ほぉ。ぁは何と申す?」


小男が、間の抜けた声で法蓮坊の顔を覗き込みながら問い掛けた。が、法蓮坊は俯いて沈黙した。そんな法蓮坊に視線を向ける南陽坊の顔には、焦燥の感がありありと見て取れる。その間、無精髭の大男は手にした薙刀の石突で、文字通りに敷き詰められた砂利を小突いていた。最初は文字通りに小突いていたのではあるが、法蓮坊の沈黙が続くと徐々にその音は大きくなり、突く間隔も短くなって来る。

 法蓮坊は自問していた。今更ながら、自身が峰丸であると告げてしまった方が八方丸く収まるのではないかと。ここで告白した所で誰に迷惑が掛かる事もあるまい、自分一人が父への思いを胸に納めれば、それで済む事なのだろうと。ふとそんな思いが法蓮坊に口を開けさせた。


「私は、み――」


そこまで法蓮坊が口に出した時、


「宮川の山崎屋さんです!」


南陽坊が法蓮坊の声を掻き消す様に答えた。と、同時に法蓮坊が我に返って顔を上げると、本堂の脇に植えられた五つの枝が雄々しく天に向かって伸びる、松の木が視界に入った。


「宮川の山崎屋で下働きをしております、松五郎しょうごろうと申します」


法蓮坊は貫主の言葉を思い起こした。父の思い、先代貫主の慈悲、秘匿し続けた貫主の義侠。そして、こうして同道まで買って出た南陽坊の友情。それらを危うく無にする所であったと。それらの思いを胸に納めて、法蓮坊は胸を張ってそう言い切った。


「ほぉ、宮川の山崎屋ぁ」


小男は舐めるような視線で法蓮坊と南陽坊を交互に観察していた。


「宮川の山崎屋とはぁ、何を商っておったかのぉ」


小男が更に掘り下げて問い掛けて来る。すると、南陽坊は思い出したかの様に


「あ――! 『ミネマル』ですね! 私、知って居ますよ!!」


突然大声を出した。と、同時に一同の顔が驚愕の表情に変わった。その声は読経により十二分に鍛え上げられていた事もあり、当然の事ながら本堂の中にも届いていた。


何処いずこかー! 峰丸は何処に居るか!!」


鎮座していた坊主頭達が背にしていた障子が開け放たれ、数名の男達が声を上げながら本堂から姿を現した。そんな中、法蓮坊は呆気に取られた表情で立ち尽くしていた。散々思案して誤魔化した挙句、さらっと暴露されるのであるから然もあらん。


「申し訳ありません、松五郎さん。少々立て込んだ用事が出来てしまいましたので、御主人にはどうぞ宜しくお伝えください。また後日改めてお伺いしますと」


南陽坊はそう言って法蓮坊を松五郎と偽ったまま山門の外まで連れて行くと、恭しく頭を垂れて寺から追い遣ってしまった。


「峰丸を存じておるとは真か? 偽りではあるまいな?」


そう言いながら、無精髭の大男は薙刀の切先を南陽坊の胸に押し当てた。


「は、はい。よ、よーく存じて御座います!!」


南陽坊は押し当てられた薙刀を避ける事もせずに、胸を張って答えた。




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