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戦国草子異聞奇譚  作者: BRACHIUM
異聞編 第二章
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19.変節漢の矜持

 先頃、甲斐武田では嫡男である太郎義信が謀反を企てた疑いで東光寺に幽閉され、信玄に招かれて恵林寺に入山していた快川紹喜は、東光寺住職らと共に信玄と義信との調停を試みていた。ところがその尽力も空しく、嫡男義信は東光寺にて自刃したという。今川より正妻を娶った義信を旗頭とする親今川派と、義元亡き後の弱体化した今川領を切り取ろうと目論む信玄の外交政策を後押しする反今川派との溝は、最後まで埋まること無く幕引きとなった。

結果、武田家は義信の守役であった飯富兵部少輔おぶひょうぶのしょうゆうをはじめとした親今川派の家臣を失い、少なからぬ痛手を負う事となった。そして、信玄が嫡男であった義信に替えて、四男の諏訪四郎勝頼へ織田家の養女を正妻として迎えさせて跡目に据えたことから、織田家との関係強化を進めていた事も明らかとなった。事此処に至って、甲斐武田家と美濃斎藤家との盟約は事実上、解消されてしまったも同然となったのだ。


十助が文殊丸に伝えた、表書きに『六殿』と書かれた書状の内容とは、紹喜の近況と甲斐武田家の現状に関する事柄であった。 


「いやいや、この状況で話を進められても、全然頭に入って来ないんですけど――!」


文殊丸が歩み寄る良通の気迫に気圧されて後退りながら、書状の内容を伝えた十助に助けを求めるも、十助は顔色一つ変えずに座していた。


「え……えーと、ちょっと、落ち着いて、落ち着きましょう――」


文殊丸はそう言うと、素知らぬ顔の十助から良通へと視線を移して、状況の把握に努めた。


「遠山は織田に与して東美濃は封鎖されている。尚且つ、更に東の同盟国の武田は内紛で援軍は出せない。ついでに、当てにしてた援軍は敵方と手を組んでいると。そういうことですかね?」


文殊丸が状況を反芻する様に良通へ訊ねると、良通は無言で視線だけを十助に向けた。


「相違御座らん」


十助はそう端的に言っただけで、眉一つ動かさなかった。


「詰んだな」


十助の言を聞き終えると、文殊丸は仰向けに大の字になってしまった。


「主等は美濃の地が織田に蹂躙されるのを黙って見ているだけでも良かろうが、儂は違う」


怒りを露わにした良通は言うなり、手にした刀の鞘を抜き払って文殊丸の眼前にその切っ先を向けると、


「主等微塵の命とて、裏切り者の末路を示されれば、多少なりとも士気の高揚には役立つというものぞ。主等裏切り者を血祭りに上げて、稲葉山へ救援に向かうまで。最後の一兵までも死力を尽くして戦い抜くのみぞ!!」


極太の眉を逆立てて恫喝した。


「あー、ナンマンダブナンマンダブ――上上下下左右左右BA――上上下下左右左右BA……」


文殊丸が何事かを呟きながら瞑目すると、良通は突きつけた刀をそのままに、耳を欹てた。


「喜多村とやら、此奴は何をしておるのか――?」


訝し気な表情で良通は十助に問うと、十助は


「凡人の某には解かりかねまする」


そう言って、静かに座したままだった。


「その念仏染みたまじないは何に利くのかは知らぬが、今更命乞いには利かぬと心得よ!」


良通が文殊丸へ更に恫喝すると文殊丸は、


「呪いなんかじゃないですよ。難易度を下げる最強コマンドですよ」


そう口にして目を開いた。すると良通は、


「最強こまんど……!?」


文殊丸の言葉を辿るように口にすると、暫し逡巡して一つ大きく息を吐いた。


「――さて」


文殊丸も一つ大きく息を吐いて言うと、


「詰んでいるのは、あくまでも斎藤家対織田家という構図の戦略上での話――」


そう続けながら突き付けられた切っ先を片手の二指で摘まむと、良通に軽く押し返してその勢いのままその場に胡坐を掻いた。余りにも無造作な文殊丸の行動に良通は意表を突かれたようで、目を見開いたまま抵抗する素振りも見せなかった。


「な、何を当たり前の事を」


良通は我に返って反論するも、


「そう、当たり前の事ですよ。当たり前の事」


文殊丸はそう言って全く否定せずに、


「でもそれは、稲葉様にとっては重要な事じゃないんだよな、きっと」


言いながら腕組みをした。すると、今まで木像の様に座したままであった十助が、


「戦略の帰趨よりも重要な事とは……一体、何に御座るか?」


晴れやかな表情で問いかけた。


「そもそも、稲葉様は美濃の地にすら拘ってはおられぬのでは?」


文殊丸は、十助の問いに答えずに良通へ問いかけた。


「何を申すか! 上にも下にも、それ以外に重要な事などあろうものか!」


良通は戻された切先をそのままに、文殊丸の言を否定した。


「ここに来てようやく解りましたよ。稲葉様の変節の根底に、何があるのかが」


文殊丸が明け透けに言い切ると、対峙する格好で聞いていた良通は、


「変節とは言い様ではあるが、それは否定もせぬ。稲葉の家を守り、繋ぐ事が当主としての務め」


そう言って手にした刀を鞘へと納めた。


「元々の主だった土岐さん――を、道三と組んで追放したんでしょ? そんでその後は、その道三を息子の義龍と一緒に討った――んでしたっけ? 稲葉様が単なる変節漢であるというのであれば、今回のこれだけ圧倒的不利な状況で織田に寝返らないという選択肢は有り得ないでしょ」


文殊丸は十助に確認しながら言葉を繋ぐと、十助は、


「確かに」


と一言発して黙すと、文殊丸の言葉を待った。


「そう、傍からから見れば変節以外の何物でも無い。でもそれは、稲葉様にとってはきちんと筋が通っていて、変節なんかじゃない。寧ろ今の俺が見るに、頑固過ぎる程だ」


文殊丸が言い終えると良通は、


「お主は何が解ったというのだ」


文殊丸の眼前に膝を突き合わせる様に座した。


「『お姉ちゃん大好きっ子』なんだな、これが。つまりは、稲葉様にとって一番重要なのは、深芳野さんの血筋を守る事だったんだ。であれば、これまでと今への変遷に合点が行く。土岐さん追放の折、お姉ちゃんは道三の嫁さんだったんでしょ? 道三を討った時、お姉ちゃんは義龍の母だったんでしょ? でもって今回、お姉ちゃんは龍興の祖母だから――龍興を守りたいって事なんでしょ? そうなると、これは変節じゃ無くて、頑固な程に一本の筋が通った変遷だ。シスコン上等!!」


文殊丸が言い終えると、十助は「なるほど」と得心のいった表情でつぶやき、文殊丸の眼前に座した良通は、俯いて肩を震わせていた。


「はっはっは! 知ったような口を利きおって。だとして、何が変わる、この現状の何を変えられるのだ!」


良通は、眼前に座する文殊丸に向かって唾棄する様に吼えるも、その瞳には薄っすらと光るものがあった。


「織田より先に、龍興を拉致しちゃおう!」


「「――は?」」


文殊丸の提案に、良通と十助が同時に間の抜けた声で応えた。


「龍興の身柄を織田より先に確保して、逃がしちゃえば良いじゃない。武家の面子がどうのとかは二の次で、生きてこその物種だ。龍興には子供がいないらしいし、お姉ちゃんの血筋を守るのであれば、この機を逃したら二度目は無い。第一、変節漢なんて言われる方が余程面汚しなんじゃないの?」


文殊丸がそこまで言い終えると、良通は逆八の字に吊り上げていた極太の眉を元に戻して、


「――で、儂は何をすれば良いのだ」


文殊丸に問いかけた。


「半兵衛が言うに、恐らく早い時期には稲葉山の包囲が完了してしまう。それまでに龍興をどうこうするのは難しいだろうから、先ずはその包囲戦に参加する為に、織田側へ付いちゃいましょう。そうなれば十中八九、寝返った美濃衆は織田の本陣から離れた包囲網の最前線に配置される事になる筈だ。であれば、戦中のどさくさに紛れるにしても、動き易くなるでしょう。当然、それなりの犠牲を強いられることにはなるけれど、四方八方から攻め立てられるよりは、よっぽどマシだろうし」


そこまで文殊丸が言うと良通は、


「相分かった。お主の言う通りにしよう。但し、条件がある。――包囲戦の最中は、お主に儂を同道させよ。この眼で龍興様の無事を見届けねば、姉上に顔向けが出来ぬ」


意を決した表情で文殊丸に迫った。

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