6.NO!!と言える日本人
今の状況に満足してはいないが、不足は無い。
今の状況に不満はあっても、不自由は無い。
毎朝決まった時間に起床し、同じ電車に乗り、同じ通りを抜けて、変り映えの無い面子と机を並べる。
そんな生活に満足してはいないが、不足は無い。
モーレツ世代の時代錯誤な上司に、嫌味特盛な御局様。そして飲み会という名の説教地獄。
そんな日常に不満はあっても、不自由は無い。
あの場所に戻りたいかと問われれば、どうだろう。
あの場所に戻れないと聞かされたら、どうだろう。
ただ漫然と自問し、答えに窮する。
根拠の無い郷愁からなのか、ここに在るべきで無いという異物感からなのか、半兵衛の言葉に文殊丸の足が止まった。
「キミがここに来たのは偶然じゃない。必然だよ」
そう言いながら立ち上がり、先を行った文殊丸の歩みを辿るように、半兵衛は歩き出した。
「キミは、望まれてこの地へ産み落とされた」
半兵衛の言葉に、文殊丸は思わず振り返った。
「キミは、ボクの望みでここへ辿りついた」
そう文殊丸の耳元へ囁き、半兵衛は振り返った文殊丸の横を通り過ぎ、
「キミは、ボクと共に成すべき事がある」
半兵衛はそう言って、疾風の額を撫でながら文殊丸を見た。
「キミを待っていたんだよ」
半兵衛は思考停止している文殊丸へ歩み寄り、さらに続けた。
「キミをボクの家中に迎えたいんだ。悪い話じゃないと思うんだけど」
話の展開が性急に過ぎたのか、文殊丸は完全に話に置いて行かれていた。が、
「断る!!」
一言で断ち切った。
「えぇっ!!なんで??」
半兵衛が全く予測していなかった事態に目を丸くした。
「気に入らないんだよ。源爺にしても、おまえにしても。決して、人間性がどうとかって言うんじゃない。俺には想像も付かないような、底知れない何かを隠されてるような気がしてな。いや、隠してるだろ?」
文殊丸は感覚的に知覚していた違和感を吐き出した。
「ふふふ……まったく。益々、興味深いね」
半兵衛が文殊丸の頭の先から爪先までを撫でる様に眺めた。そんな半兵衛に、文殊丸の不快感を露わにした視線がぶつけられた。
「もう仕方ないなぁ」
半兵衛は観念したように吐き出し、
「源爺たちは、竹中家に尽くしてくれている草だ」
と答えた。
「くさ??」
文殊丸は、理解できなかった単語を口に出した。
「そう。主に表の世界で、様々な手段を講じて情報収集をしている忍びのことだよ」
半兵衛は文殊丸の問いに答えた。
「しのびって……ニンジャ??」
文殊丸は、自分の知識に合致する単語を見つけて、やっと言葉の意味を理解した。
「そう、に・ん・じゃ」
半兵衛が文殊丸の答えを肯定し、そして半兵衛は続けた。
「彼の鍛冶場に、行商人達が来ていなかったかい?」
そう言われて、文殊丸は時折鍛冶場に現れる、雑多な荷物を抱えた行商人達の事を思い出していた。
「そう、物資の運搬や商売をしながら、彼らが情報を収集しているんだ。そして、彼らの情報が源爺のところに集約されている。ついでに、工房では彼らの為のカラクリを作っているんだよ。まぁ、あれは源爺の道楽みたいなものだけどね」
半兵衛は、文殊丸が想像したであろう情景を肯定して説明した。
「俺ってば、忍者見習いもしくは、候補生になってたのか……」
文殊丸が呟いた。
「あはは。それは無いと思うよ。キミにはその才能は無さそうだと、源爺が太鼓判を押してくれたから」
半兵衛は呆れたように文殊丸に答えて、改めて問い掛けた。
「疑問は解消されたでしょ?どうかな、ボクの提案は受け入れてもらえそうかな?」
文殊丸は半兵衛の目を凝視して言う。
「断る!!」
文殊丸の語気の強さに、軒下で蹲っていた疾風が頭を上げた。
「えぇっ!!なんでぇー??」
半兵衛は、完全に予測を裏切られたというように、目を見開いて絶叫した。
「それだけじゃないだろ」
文殊丸は、未だに払拭されない違和感を感じていた。
「そうか、うん、なるほど……」
半兵衛は何事かを自問自答してから、文殊丸に話し掛けた。
「残念だけど、流石にこれ以上は部外者のキミには話せないよ」
その返答を聞くと、文殊丸は半兵衛に背を向けようとした。その時、
「でも、キミが他言しないと確約してくれるのなら、話しても構わないよ。確約してくれるかい?」
半兵衛が文殊丸の肩を掴んで問い掛けた。
「あぁ、他言なんてしねぇよ。そもそも、そんな話ができるような知り合いもいねぇし」
文殊丸は吐き捨てるように言った。すると、半兵衛は
「そうか、それならよかった」
と文殊丸の自虐を他所に安堵の笑みを見せると、
「十助!十助は居るか!?」
本堂の方に向かって声を掛けた。
「はっ。これに」
声と共に、本堂の扉の片側が開け放たれ、壮年の体躯の良い男が姿を見せた。
「例の準備をしてくれ」
半兵衛は十助に嬉しそうに伝えた。
文殊丸は、半兵衛の喜びように、また別の違和感を感じ始めていた。