17.粗品
「はぁ、何に御座いましょう? 私でお役に立てますれば」
小声で前置きを言った文殊丸に、女中はそう言って目を瞬かせながら、怪訝な表情を見せた。
「聞けば、曽根の御殿様は筆硯の出来に関しましては、かなりの目利きとお噂される御方とか。手前共が先般入手した品の真贋の程を、御検分願えないかと思いまして――」
文殊丸の提言に同調する様に十助は素早く歩を詰めると、声を細めて女中に耳打ちする様に願い出た。そんな十助の何時に無く呼吸を合わせた動きに、文殊丸は目を見開いた。
「左様に御座いますか。それならば、御殿様も喜んで御覧になられましょう。材の善し悪しに始まり、それはもう饒舌に語られますから」
女中はそう言うと、口に軽く手を添えて微笑んだ。すると十助は、
「左様に御座いますか。なれば、益々以って曽根の御殿様にこそ、御検分頂きたくなるというものですな」
そう言いながら泣く子も黙りそうなスカーフェイスを破顔させた。
「今し方、執務も終えられた様ですし、御伺いするには丁度良い頃合いかと思いますよ」
十助のスカーフェイスにたじろぐ様子も見せず、女中は十助に人当たり良く微笑んだ。
「では、お言葉に甘えて――」
と文殊丸が言いかけたところで、
「御検分には時も掛かりましょう。私共は一旦宿へ戻ります故、明日にでも出直す事と致します。何卒、良しなに」
そう言うなり、十助は文殊丸の手から包と書状を奪い取ると、そのまま女中に手渡した。
「それでは、お預かり致します」
女中は朗らかな表情でそう言って十助から包と書状を受け取ると、とたとたと小走りで奥の間へ向かって行った。
「是にて一件落着、に御座いますな。それでは、急ぎ先程の茶店へ黄粉餅を食しに参りましょうぞ」
十助はそう続けて笑みを零した。
「やっぱり、気づいてたのね。――何かのフラグじゃ無ければいいんだけど」
十助は黄粉餅に目が無い、それは文殊丸も重々承知している。だが、小谷城下での一件を想起させるそれは、文殊丸にとっては鬼門とさえ思えた。故に、弥次郎への手土産を購入した茶店で黄粉餅を見かけた際、文殊丸は気付かぬ振りをして良通の館へと歩を進めて来た。当然、存在を知っていた十助が御預け状態のまま同行させられたのだから、何時に無く心此処に在らずであったのは言うまでも無い。ここに至って、文殊丸はようやっと十助の手際の良さの含むところを理解した。
「さて、これで任務完了かな。半兵衛も、渡すことができれば事は成ったも同じって言ってたし。てか、筆と書状を渡すだけで本当に大丈夫なんだろうか?」
女中の後姿を見送りながら文殊丸は胸を撫で下ろすも、不安感は拭えずにいた。
「殿の妙案に御座いますれば、その心配は無用に御座ろう」
不意に文殊丸の口から出た疑問に、十助は快活な表情で言い切った。
十助が言うに、女中に手渡した筆は半兵衛が良通説得の為に用意した切り札なのだという。ところが、半兵衛が再三再四と良通への使者を遣わすも、文殊丸の初訪と同様に、竹中家からの使いと申し出ただけで門前払いを喰らい、筆も書状も渡すことが叶わずに苦慮していた。菩提山を出立する際に十助は、「盤面の何処に石が置かれるのかは判っていても、そこに石を乗せる術を知らない」と半兵衛が嘆いていたと、文殊丸に吐露していた。
「気にし過ぎってもんか――。この界隈に宿は一軒しか無い事だし、何か動きがあれば連絡も来るだろう。じゃ、一息つけに行きますかね」
文殊丸は独り言の様に疑念を呟いた後、十助に向かって次なる目的地を示した。すると、
「おぉ、其れは重畳。では、早速参りましょうぞ!」
逸る心抑えきれず、といった表情のままに十助が応じるも、文殊丸は十助の無邪気な表情に少々面喰いながら徐に腰を上げた。と、その時だった。
「お、お待ちくださいませ!!」
後背より声を掛けられた。文殊丸と十助が何事かと同時に振り向くと、そこには手招きをして大きな声で呼び止めながら、小走りにやってくる女中の姿があった。
「お、御殿様が御呼びです! 御上がりくださいませ!!」
さして離れた距離でもないのに、矢鱈大きな声で呼び止められ、文殊丸も十助も目を丸くした。
「い、一体あの筆は何なのですか!? 御殿様があの様な御顔をされるとは、思いもしませんでしたよ!!」
女中はそう言いながら、自身の浅慮を嘆くと共に、文殊丸へ悔恨の視線をぶつけて来た。
「あの筆が何かって――? いやいや、その為に検分をお願いしたんですケド……」
文殊丸は戸惑いを隠さずに、そのまま女中へ聞き返した。
「あんな小汚い筆だと知っていたら、御殿様に御渡しなどしませんでしたのに――」
女中の顔には、先程までの人当たりの良さは微塵も感じられなくなっていた。女中は不貞腐れた表情で言いながら手桶から手拭いを取り出すと、文殊丸と十助へ粗雑に手渡した。
「そんなにヒドイ品だったの? 手土産を粗品ですが――って渡すのはビジネスマナーの一つだけど、まさか本当に粗品だったってオチとか……」
文殊丸は土間縁に再び腰を下ろして草鞋を脱ぐと、受け取った手拭いで足を拭きながら隣の十助に問いかけた。
「……さぁ、某にも判り兼ねまする」
十助は呆気に取られた表情でそう言いながら、肩を竦めるだけだった。包の中身に関しては、文殊丸のみならず、十助も確認をしていなかった。半兵衛の切り札というだけで貴重な品と盲信していた為か、毀損してはなるまいと思い込み、半兵衛から預けられたそっくりそのままの状態で引き渡してしまっていたからだ。
「どうぞ! こちらへ!」
文殊丸と十助が足を拭き終わるや否や、間髪入れずに女中が入邸を促した。
「は、はい。只今!」
文殊丸と十助は意図せずに声を揃えて返事をすると、刺々しさを孕んだ女中の語気に気圧されて言われるままに土間縁を上がった。
「いきなりバッサリやられる、なんて事は……無いよね?」
文殊丸が潜めた声で十助に問いかけるも、
「――いやはや、何とも言えませぬな」
と十助は応じて腰に手を当てるも、そこに使い慣れた得物は無い。
雑貨商という触れ込みで入邸していたのだから、太刀や脇差などを携行していたならば、怪しまれる事は間違いない。故に、護身用の短刀以外に武具の類は身に着けて来なかった。とはいえ、有ると無いとでは心の拠り所が違うというものなのか、否応無しに緊張の度合いが高まって来る。
「ちょ、ちょっとトイレへ――じゃなかった、厠へ……」
と文殊丸はそっと女中に声を掛けるも、
「は? 何ですって?!」
そこには先程までの人当たりの良さそうな女中の面影は、微塵も無かった。
「い、いえ。何でもアリマセン……」
女中の鋭い威圧的な眼光に気圧されて二の句を飲み込むと、文殊丸は黙して先を行く女中に付いて行く他無くなった。斯くして、文殊丸と十助の退路は断たれた。




