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戦国草子異聞奇譚  作者: BRACHIUM
異聞編 第二章
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16.通い詰めてなんぼのもの

「今日も、に御座いますか――?」


スカーフェイスの精勤な男には珍しく、半ば呆れたような表情と共に心情が口から零れた。


「地道に行くしか無いでしょ」


のんびりと歩を進める疾風に跨り、先を行く文殊丸は当然といった表情で十助の問いに答えた。


「あまり猶予も御座らぬ故、時を掛け過ぎるのも如何なものかと存ずるが――」


十助は焦燥の念に駆られた表情で言うと、文殊丸の隣に馬を寄せた。


十助が焦るのも無理は無い。織田家の美濃侵攻が着々と進む最中、半兵衛に稲葉家の調略を命じられて既に一週間近くになる。「この書状と品を彦六郎殿にお渡しできれば、それで事は成ったも同じ。キミの任務は完了だよ」そう言いながら半兵衛から託された書状と包みを携えて、曽根に居を構える稲葉彦六郎良通の館へと発ったのだが、二の句を継いだ半兵衛の言葉を今となって思い出す。「ただ、一筋縄には行かない御仁でね――」到着早々に門前払いを喰らい、今の今まで接見すら出来ていないのだ。


「だからこそ、ですよ」


文殊丸はそう言うと、十助の不安を他所に感慨に耽っていた。




『営業は通い詰めてなんぼ――』新人営業として配属された頃に、指導担当だった三廻り程先輩の営業Sさんに言われた言葉だ。「前時代的な感性だな」と思いつつも、「なるほど、勉強になります」などと言って体裁を繕っていた事を思い出すと、今更ながら苦々しく感じる。その当時は、態々足繁く通って対面せずとも、顧客とのコミュニケーションを図るツールは電話でもメールでも幾らでもあるではないか、と思っていたからだ。ところが、指導担当だった先輩営業Sさんの退職を機に、その得意先を自身の担当へと引き継いだ数ヶ月後、事態は変わった。

 いつも通りに社外で昼食を取ってからデスクへ戻り、緩慢な欠伸をしていると電話が鳴った。「昼休み中もお構い無しかよ」と思いながら不意に鳴った電話に出ると、「予定日を過ぎても、担当先のA社からの入金確認が取れない」という経理からの内線だった。内線を切ってそのままA社へ電話を掛けるも、不通の機械的なアナウンスが繰り返し流されるだけ。A社購買担当者の携帯へ電話を掛けるも、これまた同じ。慌てて会社を飛び出して現地へ向かうも、時既に遅く、A社の事務所も倉庫も蛻の殻。施錠された事務所の外から窓越しに見えたのは、ぽかんと口を開けたままの空になった袖机の引き出しだった。


「営業は通い詰めてなんぼ――だろ?」


薄暗い事務所の窓に映り込む人影に声をかけられた。


「…………」


何事も発せられずに振り返った眼前には、上司である課長が立っていた。


「電話やメールでの遣り取りで済ませられるものもあれば、そうではないものもある。一見無駄に見えても、有用なものもある」


聞けば、課長も新人の頃Sさんに師事を仰いだ一人だったという。


「相手の言葉をそのまま鵜呑みにしてはならないし、一言一句疑ってかかっても意味は無い。自身の目で見て、自分の肌で感じて、言葉の遣り取りだけでは得られない生きた情報を集めろ。それらを基にして総合的に判断しろ。その為には、足繁く通い詰めろ。」


課長はそう言って、ただ項垂れて聞いている事しか出来なかった新人営業の肩をひとつ叩くと、


「Sさんも、中々良い教材を置いてってくれたじゃないか」


カラカラと笑いながら先を歩いて行った。




「十助さん、営業は通い詰めてなんぼ――なんですよっと」


文殊丸はそう言いながら、跨っていた疾風の背から降りると、手慣れた様子で木柵へ疾風の手綱を繋ぎ、鞍に括っていた荷を解き始めた。


「はぁ、営業――?」


得心の行かない表情で答えると、十助も文殊丸に倣って下馬してこれまた手慣れた様子で手綱を木柵に繋いだ。こうしてこの木柵へ手綱を繋ぐのも、既に六日目。さすがにそこまで通い詰めると、手慣れて来るというものだ。


「お勤め御苦労様に御座います、弥次郎さん。今日は……お見えですか?」


文殊丸はそう言って門番の若い男に声掛けしながら、中の様子を伺う素振りを見せた。


「足繁く御苦労な事で。殿は、今し方戻られましたよ」


門番を務める弥次郎は、文殊丸の問いにさらりと答えた。


「小腹が空きませんか? 宜しければどうぞ」


そう言いながら文殊丸は、袂から取り出した笹の葉に包まれた包みを渡した。道すがらの茶店で買い込んだ団子だ。弥次郎は、「いやいや……」とは言いながらも、悪い気はしない様子で受け取ると、


「忝い。我が家の腕白共も、喜びまする」


そう言って頭を垂れた。


「ちょっくら、失礼しますね」


文殊丸はそう言って弥次郎に軽く手を振ると、荷物片手に十助を伴ってそのまま屋敷の敷地内へと入って行った。


訪問初日、正攻法で表門より取次ぎを願うも、竹中の名を出したところで「主家に弓引く不届き者」と罵られ、槍まで突き付けられて、取り付く島も無く退散する事になった。それもその筈。文殊丸や半兵衛が以前に乗っ取った稲葉山城の主である斎藤龍興は、稲葉良通から見れば血縁者になる。諫言を受け入れられずとも血の繋がりがそうさせるのか、稲葉家の家臣達の忖度なのかは図りようも無いが、塩分多目の塩対応は、二日目も変わる事が無かった。故に、正攻法で表門から正面突破する案を早々に切り上げて、屋敷周辺を見聞して情報収集に努めた。


屋敷へ入る為の入り口は、表門と裏木戸の二か所。元来、来客を受け入れるのは表門で、裏木戸は私用の為に使われる生活用の出入り口だ。裏木戸は表門に比べると人の出入りが多く、家中の者達だけではなく商用で出入りする者達の姿も見受けられた。文殊丸は翌日に出直すと、自身を雑貨商と称する触れ込みで裏木戸へと足繁く通い始めたのだった。


門番の者たちは胴丸を着用しているものの、それ以外の者達は平時と変わらぬ出で立ちであり、臨戦態勢という様子では無かった。当番は、昼夜二交代制での勤務で人員は六名。その中でも、弥次郎は最年少で俸給も最少だった。とはいえ、子供は四人と子宝には恵まれて職務に対する気概は溢れるも、食べ盛りの腕白共の腹を満たすには俸給だけでは足りず、自身の当番のみならず、他の者の当番を買って出てようやっと食い繋いでいるという愚痴は、文殊丸からすれば通い詰めた賜物だ。手土産攻撃で懐柔されて、今では顔パス状態だった。


「こんにちはー! 先日伺いました雑貨商ですが、御依頼の品をお持ちしました!!」


大きな間取りの土間に片足を踏み込むと、文殊丸は大きな声で屋敷の奥へと声を掛けた。


「はいはい、只今――」


奥の間の入り口から、ひょっこりと顔だけを出して、若い女性が闊達な声で返事をする姿が見えた。


「はいはい、お待ちくださいね――」


女中と思しき若い女性は、そう言って着物の袖を括っていた襷を解きながら、とたとたと小走りで土間縁までやって来ると、身嗜みを整えるように袖裾を払ってから、咳払いを一つした。


「もう。御内密に――、と申しましたでしょう?」


少し困惑した様子ながらも、屈託のない笑顔を見せて文殊丸を窘めた。


「……あ、スミマセン。先日御依頼頂いた、奥方様の快気祝いの品を……お持ちしました」


文殊丸はそう言って土間縁に持参した荷を広げ出した。そして、


「櫛を五種と、紅を三種。それとこちらは――何だっけ?」


広げた品物を土間縁に並べながら商品説明を始めるも、見覚えのない品に気付いて十助を見遣った。


五倍子粉ふしこに御座います」


十助は雑貨商らしからぬ野太い声で言うと、軽く会釈をした。


「あらまぁ、どれにしようか迷ってしまいますわね」


女中は並べられた品々を代わる代わる手に取ると、目を輝かせながら吟味し始めた。


「ひとまず、こちらの品々はお預け致します。後日改めて伺った際に、お買い求めくだされば結構です。どうぞ、じっくりとお選びください」


文殊丸は女中にそう言いながら土間縁に腰かけると、徐に懐から包と書状を取り出した。


「実は、一つお願いが御座いまして――」



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