13.冬木瓜と立浪(中)
『冬木瓜の 刃に太刀割れし 立浪は
割れても末に 合わんとぞ思ふ』
新九郎は書き上げた書を、自身と喜右衛門の間に置いて座り直した。
「なるほど。殿の御目にも、その様に映られましたか――」
新九郎が差し出した書に目を向けた喜右衛門は、そう言って眉間に皺を寄せた。
「喜右衛門様。何故、その様に難しい顔をされておられるのですか?」
喜右衛門が眉間に皺を寄せるのを目の当たりにした与吉はそう言うと、怪訝な表情で新九郎の書いた書を覗き込んだ。
「刃に太刀割れし――に御座いますか。確かに、そうも読み替えられまするが……」
与吉は新九郎が書き上げた文字を倣う様に呟くも、納得のいかない様子で首を傾げた。
与吉が首を傾げるのも無理は無い。植物である冬木瓜と自然現象の波が太刀を使える筈も無く、その両者が太刀を交えてその太刀が刃で割れる事など、到底在り得ようも無い事は稚児にも解る道理である。それにも増して与吉が腑に落ちないのは、新九郎のみならず、喜右衛門までもが歌として成立しない不自然な状態を歌の真意として解釈していた事だ。
「半兵衛は、美濃斎藤家を潰す心算ぞ」
二人の解釈に想像が及ばぬ与吉の問いに答えたのは、新九郎であった。
「美濃斎藤家を潰す――ですか?」
その新九郎の答えに、与吉は耳を疑った。
「半兵衛が時節の歌など寄越す事はあるまい。あの者は歌の才もあるのだろうが、興味の無い物事には無頓着であるからな。もう少し雅やかさや趣と言うものに興味があれば、違った道というものも見えていたかもしれぬのにな」
新九郎はそう言って軽く微笑むと、新九郎と喜右衛門との間に置かれた書を、与吉の膝元に置き直した。
「ここにいう冬木瓜とは、恐らく織田家の家紋である木瓜紋の暗示。とすれば、立浪は美濃の斎藤道三が用いた二頭立浪紋を指すのであろう。即ち、木瓜の刃に太刀割れし立浪とは、織田家の勝利と斎藤家の敗北を示唆している事になる。」
喜右衛門は要領を得ていない与吉の為に、新九郎の答えに言葉を足した。
「では、下の句は如何様に解すれば――」
与吉がそこまで言い掛けると、今度は新九郎が、
「織田家の当主である信長の正室は道三の娘であり、道三が討たれた戦では道三の末子が織田へ逃れたと聞く。そして、斎藤家の当主である龍興には子が無い。つまりは、今後の戦で仮に龍興が背負う斎藤家が滅びた場合、織田家の庇護の下にその道三の末子なり信長の子なりを立てて、美濃斎藤家を再興しようという腹積もりなのであろう」
そう言って湯呑に手を伸ばした。
「主家を滅ぼすとは、突飛な事を―――」
そこまで口にして与吉は、
「はて? 竹中殿は、何故そのような目論見を殿へ――。織田が攻め入るのと時を同じくして我等が美濃に攻め入れば、我等の美濃侵攻も容易いと言う事にもなり得ませぬか? 仮に現状の斎藤家が滅びて、織田の庇護の下に新しい斎藤家が興ろうとも、治める地が無ければ全く意味を成さぬというものではありませぬか」
半兵衛の行動に違和感を覚えた。
「ふむ、そこが半兵衛の狡猾さよ。現状では当家で兵を集められても、せいぜい五・六千が良い所であろう。とはいえ、全軍を美濃侵攻に向けると成れば、後背の六角家には、またと無い好機を与える事になろう。歯痒いが、今の我等では動き様が無い事を知っての上での事に相違あるまい。恐らくは、次の手も既に打ってあるのであろうな」
新九郎はそう言って、湯呑に口を付けた。
「であれば、半数を近江に残し、朝倉様に援軍を求めるという手は如何でしょう?」
間髪入れずに、与吉が代案を提起した。
「ほう、中々良い手ではあるが、それは期待出来まい」
一息つけている新九郎に替わって、喜右衛門が答えた。
「と、申されますと――」
与吉は、喜右衛門の方へ顔を向けた。
「朝倉殿は、若狭の仕置きと一向門徒に手を焼かれて居られよう。いくら浅井・朝倉の縁深き仲とはいえ、そんな折に己が欲を露わさんばかりの派兵要請など、相手にされぬであろうな」
喜右衛門もそう言って自身の湯呑に手を伸ばした。
「我等は、只黙って傍観するのみに御座いますか?」
与吉は、何時に無く顔を紅潮させて喜右衛門に問い返した。
「未だ初陣が先延ばしに成って居る故、焦る気持ちも解らぬではないが――」
喜右衛門は一口啜った湯呑を膝元に置いて言い淀んだ。すると、
「物事には時機というものがある。孟子曰く――」
新九郎が与吉の注意を引く様に語り掛けた。
「天の時・地の利・人の和、に御座いますか?」
少しむくれた表情で与吉が即座に返答をした。
「ほう、是は先が楽しみだな。喜右衛門から孟子も仕込まれて居るか。なれば、喜右衛門が戦に出したがらぬのも無理は無い」
新九郎はそう言って笑みを零し、更に続ける。
「そもそも、竹生寄りの者等が暗躍する今の浅井家に於いて人の和は望み薄く、我等が美濃の地で戦うとなれば、地の利は敵方に在る。故に、如何な天の時が与えられたとしても、我らが得られる物は幾許も無かろう。仮に、首尾良く美濃の地を切り取る事が出来たとて、我等も無傷では済まぬであろうな。後顧の憂いが多分にある現状では、多少の傷でも命取りに成り得るのは明白だ。その様な戦に、お主等の様な有望な者達の命を、無駄に散らせる訳には行かぬではないか」
与吉は何か言いたげな表情ではあったが、新九郎の和かな諭しに両の拳をきつく握り緊めて口を結んだ。
「良いか、与吉。これからの武士は、弓馬の鍛錬のみでは役に立たぬぞ。そしてまた、読み書きが出来るだけでも役には立たぬ。読み書きを基に書に通じ、知識を得よ。そして、兵を動かす将と成れ。只一人の猪武者と成る無かれ。尚一層に励めよ」
新九郎はそう言って与吉の肩に手を置いた。
「……ははっ。肝に銘じまする」
与吉は平伏し、溜飲を下げた。と、その時である。遠藤邸の玄関先から、中を窺う様に声がした。
「御免――。此方に、殿は御座しますかな」
その声に与吉は慌てて新九郎へ一礼すると、来訪者を出迎えに席を立った。
「これは、善祥坊様では御座いませぬか。確かに、此方に殿は御座しますが、如何な御用向きで……?」
与吉が来訪の経緯を問うと、
「ふむ、では遠藤様も御在宅か。これは重畳」
そう言うや否や、善祥坊は玄関先へ腰を下ろして草鞋を脱ぎ始めた。
「喜右衛門様も御在宅に御座いますが――」
与吉は面喰って返答に窮した。そんな与吉を尻目に、善祥坊は大きな体躯を屈ませて草鞋の結び目を必死に紐から外そうとしながら、
「これは丁度良い。遠藤様も御同席の上で、殿にお話し致したき儀が御座る由にて。拙僧も、同席させて頂こう」
そう言って奥座敷の方へと視線を向けた。
「あ、あいや。急ぎ、お取次致します故。暫しお待ちくだされ――」
与吉は半ば呆れながら、新九郎と喜右衛門の下へと踵を返した。




