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戦国草子異聞奇譚  作者: BRACHIUM
異聞編 第二章
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11.再会(下)


 「あは。そんな、賢人だなんて大袈裟過ぎますよ。民の憂いは我々の憂いでもありますから、この地を預かる者として当然の事をしたまでの事ですよ」


半兵衛がひらひらと手を振って否定しながらも、満更でもないといった表情を見せた。


「遥か昔に、どこかで味わった事のある風景だな……。所謂、部下の手柄は上司の手柄ってヤツか?」


文殊丸は半兵衛を横目に見遣りながら手酌で呷ると、不満げに呟いた。その昔、「一銭の利にもならない」と上司が取り付く島無く袖にした顧客からの引き合いを、文殊丸が足繁く通い詰めて漸く交渉成立にまで漕ぎ着けた大型案件があった。ところが契約成立の報を聞くとその上司は、翌日の営業会議で「大した事ではありません」と言いながら、然も自分の指示で通わせて劇的な成果を上げたのだとでも云う様な言い方で、自社の経営陣にアピールしていたのを思い出したからだ。


「何を言っているんだい。キミには両手に有り余る程、賛辞の声が寄せられていたじゃないか。若い村娘達に、『有り難うございますぅ~』とか、『文殊丸様のお蔭ですぅ~』だなんて言われて腕を組まれたりなんかして、挙句の果てに鼻の下まで伸ばしちゃってさ。そのうち、伸びきって顎にくっついちゃうんじゃないの?」


冷静に振舞っていた半兵衛が、忘れていた物を思い出したかの様に舌鋒を次第に鋭くさせながら文殊丸に突っ掛かり始めた。すると、半兵衛の隣に座していた凛も、半兵衛の言に同調する。


「そうね。もう顔全体が鼻の下ね」


「俺は化け物かっ!!」


自身の飲み干した湯呑に酒を注ぎ込もうとしていた文殊丸は、手を止めてそう反論するのが精一杯だった。生まれてこの方、女性にモテた事など一度も無かった。故に、今思い出しただけでも鼻の下は伸び始めそうな状況だ。必死に悟られまいとするも、酔いの後押しもあってか容易ならざるものがある。すると、半兵衛は、


「ほらほら、鼻の下がムズムズして来たんじゃないの? あれあれ? また伸び始めてきてるんじゃないの? まったく、見ていられたものじゃないね」


そう言いながら文殊丸の隣へ座すると、文殊丸が手にしていた徳利を奪い取って、徳利のまま勢い良く呷りはじめた。


「大体だよ、ボクがキミの提案に乗ったのは、キミの言うことは民の為を思っての事に相違ないと信じていたからなんだよ。それがどうだい、その実は村娘達の色香に踊らされていただけだっただなんて、情けないったらありゃしない!」


半兵衛は、文殊丸の眼前に自身の顔を前のめりに近づけて、文殊丸を睨みつけた。すると、文殊丸は視線を逸らす様に火箸を手に取り、囲炉裏の灰を搔きはじめた。


「切っ掛けは何であったにせよ、水害が軽減できて備蓄食料の不均衡も調整できたし、結果的には八方丸く治まって万々歳だったじゃねぇか。ましてや、配った蕎麦の倍の量の小麦も手に入って、食うに困ることだってまず無くなっただろうよ、多少の役得があったっていいんじゃね?」


そう言って文殊丸は灰の中から新たなおやきを取り出そうとしていた。すると、


「ボクが言っているのは、そういう事じゃない! ボクが知っているキミは、そんな小さな事で一喜一憂するような男ではないと言っているんだ!」


文殊丸の弁解に、突然半兵衛が声を荒げた。


「だぁ――っ?!」


自身の耳元で発された半兵衛の声に驚いて、文殊丸はおやきを掴み損ねた。


「耳元で喚くなよ。てか、お前の知っている俺って何? かわいい娘に抱き着かれてニヤニヤ鼻の下を伸ばしてるのが俺の全てで、俺はそれ以上でもそれ以下でも無いよ。それよか、お前の怒りのツボが俺には分からん」


そう言うと文殊丸は、手にしていた火箸を置いて、自身の至近距離にあった半兵衛の両頬を両手で挟み、むくれた半兵衛の顔をあるべきところへと押し戻した。ところが、半兵衛はそれでも尚、得心のいかぬ様子で更に続ける。


「キミは大望の為に公私を律して、卓越したその智謀で天下に名を轟かせる英傑だということをボクは知っているんだ! キミが本来の自分を取り戻してくれれば、こんな中途半端なボクの役目だって、終えることができるんだ!」


「おいおい、買い被りもいいところだってば。ましてや、本来の自分とかお前の役目とか、何を言われてるのかサッパリ……訳分らんのだが?」


半兵衛の独白に文殊丸は只々、目を白黒させるだけだった。すると、


「姉上! 飲み過ぎに御座いましょう、それ以上は御自重くだされ! ささ、隣室でお休みくだ……されっ!」


久作が後ろから半兵衛の脇を抱えて、引きずるように離席させようとする。


「なっ――久作! まだ終わってな――! あぐっ、ふぐっ――……」


両脇を抱えられて引きずられて両足をバタつかせながら、尚も声を発しようとする半兵衛の口へ、凛が文殊丸の掴み損ねたおやきを押し込んだ。


「き……久作様、お凛様。そのように乱暴にされずとも――」


それまで苦虫を噛み潰したような表情だった源次が、血相を変えて隣室へと続いた。


「重虎の虎は大虎の虎か……?」


文殊丸は、半兵衛が手放した空の徳利の中を覗き込んだ視線を、半兵衛が消えていった隣室の襖に向けて嘆息交じりに呟いた。


「これは、大変なところに出くわしてしまったようじゃの……」


藤吉郎はそう言って黒い顔に張り付いた眉を、ハの字に歪めた。


「ははは……、酔いが冷めればケロッとしてますよ。きっと」


文殊丸は何事も無かったかの様に笑いながら言うも、その顔が引き攣っていた事は、誰の目に見ても明らかだった。


「で、であれば善いのですが……」


のそりと頭を掻きながら、小一郎は文殊丸の視線の先を追った。


「あ――。とはいえ、どうにも我々ではお役に立てそうにもありませんね。肝心の賢人があれ、ですので……」


藤吉郎と小一郎に向き直った文殊丸が、そこまで言うと


「いやいや、こちらが勝手に押しかけただけのこと故、御気に召さるな。こちらこそ、波風を立てる様な物言いをしてしまい、忝い」


藤吉郎はそう言って白い歯を見せながら、冷え切った室内であるにも関わらず噴き出していた額の汗を拭った。すると、のそりと藤吉郎に向き直った小一郎が、


「であれば、兄者。稀代の英傑にお智恵をお借りしてみては?」


と、徐に口を開いた。


「おぉ、それは名案じゃ。賢人が認める英傑じゃからのう」


そう言って藤吉郎は文殊丸へ熱い眼差しを向けた。


「はい? ちょ、ちょっと何言ってるんですか! 厄介事に巻き込まないでくださいよ!」


文殊丸はそう言いながら視線を巡らし助けを求めるが、周囲には土間に仁王立ちする十助の姿しか無い。しかしその十助も、無言のまま文殊丸の視線を躱す様に、あらぬ方向へと視線を逸らした。


「をいをい、俺に丸投げかよ……」


暫しの沈黙の後、


「名案なんてものは言えないけれど」


文殊丸はそう前置きをして観念した様に口を開いた。


「藤吉郎さんと小一郎さんが散々盟約の利を説いても首を縦に振らないとなると、浅井さんは織田さんと手を組むことの利は十分に理解している筈だ。とすると、今更そこについてはどうこう言っても変わらないんじゃないかな」


文殊丸の言葉に、藤吉郎と小一郎は黙したまま頷いた。


「であれば、浅井さんが欲しているのはその先なんじゃないかな」


藤吉郎と小一郎は視線を互いの顔に向けて


「その先……?」


と呟いたまま固まった。


「そう、その先。盟約が結ばれて織田が望み通りに美濃を手中に収めたら、ほぼ間違いなく浅井と織田は隣国になるんだろ? 仮にそうなったとして、そこから先も良好な関係でいられるか、ってこと」


文殊丸は平らに均された囲炉裏の灰に火箸で二つ並びの円を描いて見せた。


「確かに。今は美濃を挟んでいるから手を組むには頼もしいとしても、隣国となればいずれ脅威になると考えるやも……」


小一郎が呟くと、文殊丸は描いた二つ並びの円が接する部分を火箸で掻き荒らした。


「つまりは、美濃の掌握後も絶対に裏切らないという誠意が欲しいんじゃないかな?」


文殊丸は、以前に生業としていた営業職と通ずるものがあるとも思った。競合他社との競り合いは日常茶飯事。昨日までの顧客が他社に流れ、いつの間にか共同で対抗商品を開発していたなんてことも珍しく無い。一度限りの商売で終わる仲であれば気に病む事も無いが、同じ業界で飯の種を稼ぎ続けなければならない者同士となると、そういう訳にもいかない。確かに、提示額や製品の善し悪しが契約成否に影響を及ぼす割合は大きい。しかしながら、同様な製品であったり提示額に差異が無い場合には、何が契約成否に影響を及ぼすのか。それは、企業への信頼度や営業担当者個人への信頼度であり、顧客は今後の継続取引を見越した算段をするものだ。その為には最大限の誠意を顧客に示さなければならない。故に足繁く往訪したり、故に一見利が無いように思える顧客からの無理難題にも応じるのだ、と。


文殊丸が言い終えると、藤吉郎は頭を抱えたまま言う。


「誠意とは何かね……?」


「カボチャでは無いと思うよ」


文殊丸は即答して「あ~あ~ああああぁ~♪」と口ずさんで自身の湯飲みに手を伸ばした。


「は、はぁ?」


藤吉郎と小一郎は互いの顔を見つめて首を傾げた。



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