10.再会(上)
囲炉裏端に珍妙な空気が流れる。その場に座している者達がそれぞれに探りを入れるように忙しく視線を彷徨わせながらも、誰一人として口を開かずに静寂が支配する。小さな音を立てて囲炉裏に焼べられていた小枝が爆ぜると、全員の視線が一点に集中する。そんな異様な雰囲気の中、
「これだけ寒いと口も回らないでしょ。これで温まりましょうよ!」
奥から大きな徳利と湯飲みを抱えた文殊丸が、いそいそと囲炉裏端へ歩み寄って来た。
「お、おぉ。そ、それは名案ですな!」
柄にも無く大人しくしていた藤吉郎が、黒光りする顔に白い歯を見せて答えた。
「ささ、どうぞどうぞ」
そう言いながら文殊丸は、藤吉郎に手渡した湯飲みへ徳利の中身を注ぎ込む。
「おっとっとっと――」
藤吉郎は嬉しそうな表情で、なみなみと注がれた液体に口を寄せて啜った。
「ささ、小一郎さんもどうぞどうぞ」
文殊丸は続いて小一郎にも続く様に勧めた。
「これは忝い。では、少しばかり頂戴します」
小一郎は恭しく頭を垂れると、のそりとした動きで湯飲みを口へと運んだ。
「くあぁ――っ! 効くなぁ、やっぱりこれ無しじゃ凍死しちゃうよね。ささ、ぐいっと空けちゃいましょ」
手酌で始めた文殊丸は一気に呷ると、半ばまで減った藤吉郎の湯飲みに注ぎ足そうとする。が、
「いやいや、これで十分に御座る。何時ぞやの様に酔い潰れる訳にはいかぬ故……」
藤吉郎はそう言って隣の小一郎へ視線を送る。小一郎はそんな藤吉郎の視線を横目に察すると、まだ空け切っていない湯飲みをそっと囲炉裏縁へと置いた。
「ご無沙汰致しておりました。長きに渡りお世話になりながらも、御挨拶にすら伺わなかった非礼をお許しください」
唐突にそう告げると、小一郎は深々と頭を下げた。
「――――!?」
その場に居合せた面々が、小一郎の発した言葉と行動に目を丸くする。
「え? そんなに大仰なお世話なんてしてませんよ。酔っ払った藤吉郎さんを寝かせたままにしていただけですから――」
久作は稲葉山での一件を思い起こすと、小一郎の言葉の真意を計りかねたまま答えた。そんな中、妙に小ぢんまりと座っている藤吉郎と、いつもの好々爺的な表情ではない源次に文殊丸は違和感を覚えた。
「源爺さん、何か怒ってない?」
文殊丸は抱いた違和感をそのまま口にした。すると、
「あいや、親父殿がご立腹されるのも当然の事。掟を破り勝手に山を降りた挙句、小一郎まで里に降ろしたのはワシの一存に御座る。小一郎はワシを慮って付いて来てくれただけのこと故、その責めは全てワシが負いまする!!」
大声とともに藤吉郎が床に頭をぶつける様な勢いで平伏した。そして、それから一拍置く様にしてのそりとした動きで小一郎までもが平伏した。
「は? え? な、何してんの?」
状況が飲み込めていない文殊丸が右往左往しながら源次を見遣ると、源次は腕組みしたまま苦虫を噛み潰した表情で、だんまりを決め込んでいる様子だった。
「許しを請おう等とは思ってもおりませぬ。ただ、小一郎に非は御座いません。故に、小一郎だけは許してやってください!!」
藤吉郎は伏したまま、更に大きな声で懇願した。しかし、源次は瞑目して口を閉ざしたままだった。
「源爺さんってば、何でそんなにご機嫌斜めなんだか」
半ば呆れた表情で文殊丸が呟くと、
「も、文殊丸殿! この御方は、山の民の長である乱裁道宗様に御座る!!」
平服したままの藤吉郎が、板張りの床に向かって叫んだ。
「あやたて……何だって?」
そう言われても尚、要領を得ない文殊丸に、驚愕の表情をした久作が声を掛ける。
「『あやたてみちむね』ですってば! 別名、乱破道宗。忍びの三家を束ねる山の民の長ですよ! え……嘘でしょ?」
文殊丸に説明をしたつもりの久作が、自分の発した言葉にもう一度驚き、源次へ視線を向けた。
忍びの三家とは、『乱破』『透破』『突破』と呼ばれる三つの弥蔵名を指す。忍びの起源は山の民の長であった初代乱裁道宗に遡り、その三家の発祥となった山の民が山窩(三家)とも呼ばれた所以であると云われる。
「『汝乱行を破して身を修め、一身を捨して忠勤せよ』か。山中に住まいて己を磨き、世の乱れし時にその乱れを破り裁ち切る――」
半兵衛が、囲炉裏から立ち込める細い一筋の白煙を見つめながら呟いた。
「何だそれ? 半兵衛、知ってたのか?」
意味深な言葉を紡いだ半兵衛に、文殊丸は尋ねた。
「いや、伝承の一節だよ。源爺が乱裁道宗だなんて、ボクも初耳。源爺は父上の代から仕えてくれているけど、その動機や経緯はボクも知らないし、話してもくれなかったからね」
半兵衛は首を横に振って文殊丸に答えた。すると、
「――遠い、昔の話に御座います」
だんまりを決め込んでいた源次がようやっと口を開いた。そして、
「主が今川に仕えておった事は知って居る。そして、今は織田に仕えておる事も知って居る。」
平服したままの藤吉郎に声を掛けた。
「はっ!!」
藤吉郎はただ一言返事をしたきり、平服したまま微動だにしない。
「その主が、何故斯様な時期に浅井の領内に居る?」
源次は感情を押し殺したような低い声音で藤吉郎に問い掛けた。
「そ、それに付きましては、我が主の命に依るものに御座いますれば……」
平伏したままの藤吉郎は、源次からの問いに言い淀む。そんな源次の藤吉郎との遣り取りに、文殊丸は何時かに感じた事のある怖気を思い起こさずにはいられなかった。そして文殊丸は体内に入った酒気が一気に抜けて行く様な感覚と同時に、はっきりと思い出した。伽羅繰屋で下働きを始めて間もない頃に、半兵衛への使いを頼まれた時の事だ。源次に瞳の奥を覗き込まれた時に感じた、あの怖気だ。
「ほう、主の命とな。この時期に織田の者が、主命を帯びて浅井領内へ出向くとなれば――差し詰め、美濃攻めの算段と言ったところであろうな。違うか、小一郎?」
源次は話の水を小一郎へ向けると、
「はっ、親父殿の御慧眼に感服致しまする。我らは信長様の命に依り、盟約締結の任を負い浅井へ遣わされた由に御座います」
平伏した小一郎は、藤吉郎が言い淀んでいた事をさらりと答えた。
「こ、これ! 小一郎!! 重要な主命を他言するは、許されぬ行為ぞ!!」
藤吉郎が慌てて小一郎に詰め寄るが、小一郎は何食わぬ顔でさらに続ける。
「ところが、如何に美濃攻めの利を説こうにも色好い返事を得られぬまま、帰路に就く道中に御座いました」
と、そこまで小一郎が話し終えると、久作が怪訝な表情で小一郎に問い掛ける。
「お二方が浅井領内にいらっしゃった経緯は分かりましたが、何故我々の下へ足を御運びになられたのですか? そもそも、我々が近江に居る事は御存知だったのですか?」
小一郎と源次の話しの間へ割って入る様に問い掛けた久作に、小一郎はのそりとした動きで面を上げて頭を掻きながら事の次第を話し出す。
「それに付きましては、全くの偶然に御座います。帰路へ就く道中、新たに美濃から来た御領主が新たな方法で治水を行って成果を挙げる程の賢人であると聞き及びまして。無理を承知の上で、我らにも何か良い知恵を授けて頂けないものかと思い、足を延ばしたという次第に御座います」
言い終えた小一郎は、久作に向けた視線を藤吉郎へと移した。
「こ、小一郎! 皆まで言う必要は無かろうて!!」
藤吉郎は顔を真っ赤にして小一郎の胸元に掴み掛かったが、小一郎は落ち着いた表情のまま眉一つ動かさない。
「賢人に知恵を借りようと言い出したのは、兄者に御座いましょう。知恵を借りるにも事の次第を伝えねば、如何な賢人とて知恵の貸し様がありますまい」
小一郎は、そう言って半兵衛に視線を送った。




