2.黄粉餅騒動(上)
「それじゃ、ちょっと挨拶に行ってくるよ」
半兵衛はそう言うと、堀に渡された木橋を凛と連れ立って渡って行った。堀に渡された橋の向こう側に大門が見える。屈強な門番が槍を携えて仁王立ちしたまま、大門の左右から監視の目を光らせているのが見えた。
大門の裏側に存在するであろう敷地を、ぐるりと囲う様にコの字型の三方を尾根が巡る。その尾根に連なる様に、櫓やら防壁が設けられている。殊に大門に向かって右手の尾根には、一際大きな木造の建物が目を引く。後背の三方を切り立った天然の防壁として外敵の侵入を防ぎ、正面の大門に対して突き出した高台の土塁から、正面突破を試みる者達に一斉攻撃を仕掛けられる様な作りの防衛要塞。それが、小谷城である。
半兵衛一行は隼人佐が差し向けた追手より逃れ、浅井家によって用意された草野の地へ入った。そしてその翌日、客分として迎え入れてもらった礼と挨拶の為に、浅井新九郎の居館がある小谷城を訪れていた。
「さて、それじゃ俺らは城下町見学でもして来ますかね?」
半兵衛と凛が大門へ招き入れられたのを見送った文殊丸は、振り向いて大門に背を向けると口を開いた。
「そうですね。入城を認められているのは、姉上と付き添いが一人だけと言う事ですからね。オイラ達がここで待ち惚けしてても仕方無いですしね」
当初、小谷城へは半兵衛と凛が二人だけで来る予定であった。そこに十助が護衛としての同行を志願し、「それならば自分も」と物見遊山気分で文殊丸と久作がおまけでついて来る事となった為である。文殊丸の提案に乗る形で、久作が満面の笑みで同道を買って出た。すると、精勤な男が異を唱える。
「あいや、久作様。某は殿の護衛として参りました故、この場にて殿をお待ち致しまする」
そう言ったのは十助であった。十助にそう言われてしまうと、立場的には半兵衛の護衛という名目で同行して来た文殊丸と久作も、十助と一緒に待たざるを得なくなってしまう。
「そういえば、十助さん」
暫く思案していた文殊丸が思い出したように十助に声を掛けた。
「何で御座いましょう。文殊丸殿」
怪訝な顔をして十助が文殊丸に答えた。
「さっき仕入れた情報なんだけど、この先にある濱屋って茶店の娘さんがえらい美人さんだって評判らしいんだ。茶店の黄粉餅も、滅茶苦茶美味いらしいよ」
文殊丸は通りの遥か先の方を指差して十助にグルメ情報を伝えた。それを聞いた十助は、
「某は、主が無事に帰るのを待たねばならぬ身故……」
頑なに主を待つ姿勢を崩さない。そんな十助の気持ちを揺さぶる様に文殊丸は畳み掛ける。
「厳選素材の黄粉餅! ――しかも、限定二十食!!」
どこかで聞いた事がある様な、甲高い声で文殊丸が言うのを聞いた十助は、
「それは一大事!! あ、いや。しかし……」
と、一瞬取り乱すも平静を装って居住まいを正す。そんな十助の動揺を文殊丸が見逃す筈も無い。文殊丸は十助に見えない様に右手の親指を立てて、十助を指差す様な仕草をした。やり取りを見ていた久作に合図を送って追い打ちを掛けさせる。
「あー。喉乾いちゃったなぁー。干からびそうだよー。お茶でも飲みたいなー」
余りにも棒読みな久作の援護射撃に、文殊丸は頭を抱える。が、
「さ、左様に御座いますか。日も高く昇ったからでしょうか、某も少々喉が渇いて参り申した。殿がお戻りになられるまでには多分に時間も御座いましょう。疲弊した体では護衛も儘なりませんでしょうし、暫し休息を取りましょう。あいや、これも勤めの一環に御座います。休息を取って万全の態勢で危機に備える、それも我らの役目。いやいや、決して限定二十食などという言葉に惑わされたりはしておりませぬ故……」
十助は誰に言うでも無い支離滅裂な申し開きをしていた。
斯くして男三人、昼下がりの城下町を茶屋目指して歩き出す。大通りには、川魚を並べた店や竹細工を扱う露店、はたまた畑で採れた青物を並べる者などが見受けられた。北近江を統治する小谷城の御膝元、中々に活気がある。緩やかな起伏のある大通りを更に下ると、道端に一際人だかりのできる建屋が見えて来た。
「お。多分アレだな」
文殊丸が呟くと、人だかり目掛けて一目散に十助が走り出した。
「久作様! 文殊丸殿! お早く、お早く!!」
文殊丸達が面喰う程必死の形相で、十助が手招きをして文殊丸達を急かす。十助に急かされる儘、文殊丸と久作は十助に続いて行列に並んだ。
「いらっしゃいませぇ~」
「は~い、只今伺いますぅ~」
張りのある艶やかな声が通りに響く。一人、二人と前に並ぶ者達が行列から捌かれて行くにつれ、店の全容が見えて来る。庇を長く伸ばした店先に数脚の長椅子が設けられ、その長椅子に二、三人の客が腰を掛けて茶を啜りながら談笑しているのが見えて来た。その客達は洩れなくと言って良い程、木皿に盛られた黄金色の物体を手にしていた。そんな店先で、黒髪を後ろの高い位置で一つに縛り上げて着物の袖を襷で括った二十歳頃の娘が忙しなく接客をしていた。
「お妙ちゃん、黄粉餅のお代わり貰える?」
おっさんの野太い声が聞こえて来た。
「すみませぇ~ん。お餅は御一人様、一皿までなんですぅ~」
お妙と呼ばれた娘は、申し訳なさそうな声でおっさんにお辞儀をして応じると、やっと順番の回って来た十助達の前へ走り来る。
「何名様ですかぁ? ご注文をどうぞぉ~」
艶めかしい声で聞かれた十助は、一瞬の躊躇いの後、
「そ、某を含めて三名。茶と黄粉餅を三つ」
緊張しながら、不愛想に告げた。
「三名様ですねぇ~。どうぞ~」
お妙はそう言って並び合って空席となった長椅子の一つへ十助達を案内した。店の奥から店先へ風に乗って香しい匂いが漂い、鼻腔をくすぐる。恐らく、黄粉を作る為に乾煎りした大豆の焼けた匂いだろう。十助は完全にこの匂いに当てられ、頻りに辺りを見回すなどして落ち着きのない表情をしている。居ても立っても居られないといった様子だ。そんな折、お妙が慌てふためきながら十助の前にやって来た。
「大変申し訳ありませぇ~ん。お餅が最後の一つしか残ってないんですぅ」
消え入りそうな声音でお妙が謝罪した。と、同時に十助の鋭い眼光が文殊丸と久作に向けられる。
「あ、いやいや。俺はお茶だけでいいよ。それにお妙ちゃんの笑顔がお茶請けなら文句無しだから。ははは……」
「オ、オイラもお茶だけで結構です。気にしないでください。ははは……」
文殊丸と久作は十助から発せられた鬼気迫る殺気に身震いしながら、お妙に黄粉餅争奪戦からの辞退を表明した。
「お二方とも、よろしいのですか?」
争奪戦勝者の十助は、文殊丸と久作に念を押して訊くものの、満面の笑みは隠し様も無い。最後の黄粉餅の配膳先が無事に決まって安堵したお妙は、何度もお辞儀をしながら店の中へ戻って行く。それと入れ違いに帯刀した男が二人、少年と青年が隣の長椅子に腰を掛けた。
「お妙さん、お願いします!」
利発そうな少年が、店の中に声を掛けた。
「はぁ~い! 只今伺いますぅ~」
その声に応じて、お妙が小走りで再び店先へ出て来た。
「こちらに茶を二つと、黄粉餅を一つお願いします」
少年は丁寧な口調でお妙に注文した。するとお妙は、
「大変申し訳ありませぇ~ん。今日の分のお餅は、こちらのお客様が最後で売り切れてしまいましたぁ」
さっきと同じように、消え入りそうな声音で少年と青年に謝罪した。
「致し方無し、そんな日もあろう」
青年は切れ長の目から涼し気な視線を文殊丸達に送ると、懐から手拭いを出して顔を拭い始めた。
「それでは、茶を二つでお願いします」
少年は改めてお妙に注文をした。その注文を受けるとお妙は恐縮しながら店の中に戻って行った。




