38.一騎討ち(上)
「龍興様の名代として罷り越した、長井隼人佐道利に御座る。ふむ、安藤殿は同席ではないのか」
齢の頃は五十前後か。龍興邸の応接の間に座する男はそう名乗り半兵衛を一瞥すると、一礼するでもなく辺りを見渡した。
この空間の中には、この男と対峙する様に座している半兵衛の二人だけだった。
「して、その隼人佐様がお見えになられたのは如何な御用向きに御座いましょうや?」
元はと言えば、同じ主を頂くものとして旧知の間柄。半兵衛は他人行儀に名乗った隼人佐へ守就の事には触れず、白々しく訊き返す。
「近々殿がお戻りになられる故、儂が先に登城致そうとしたところ大手門にて足止めをされてな」
隼人佐は大手門でのやり取りをくどくどと、怨嗟混じりに話し出した。その切り出しに半兵衛は、
「ほう」
と軽く相槌を打ってその件を聞いていた。
「どうやら番所の者たちの話によれば、龍興様不在の折に城代を名乗る者がこの城を占拠していると言うではないか」
大手門での話が終盤にかかると、のらりくらり今更な話をし始めて半兵衛の様子を窺う。隼人佐は細めた視線で半兵衛の瞳を覗き込みながら、老獪な交渉術をちらつかせる。
「左様に御座いますか。某は城をお捨てになられたと聞き及んでおりますれば、勘違いに御座いましょうか?持ち主不在にてそれを拾い上げた者がいたとしても、それもまた道理かと存じますが」
半兵衛は隼人佐の探りを空々しく躱し、さらに続ける。
「危急の事態に臨戦の意気も見せずに只々慌てふためき、逃れる事しか考え及ばぬとは武門の恥とは思われませぬか?」
半兵衛の辛辣な物言いに隼人佐は、
「ふん。主の城を攻め立て且つ、その脱出を手引きしておきながらよくも言えたものよ」
鼻を鳴らして吐き捨てる様に言った。
「ははは。それについては某の早合点に御座いました。織田の小隊がうろついておると報せがありましたもので。その夜に城下に多くの灯りが見えておりました故、てっきり夜襲かとばかり。安藤殿も同じ報せを聞き付けて、有事の為にと城下の警戒にあたられたようですね」
半兵衛は隼人佐の嘲弄も意に介さず、淡々と返した。
そんな舌戦が展開される中、襖を挟んだ次の間に控えていた十助と久作は襖に耳を欹てて交渉の帰趨を見守っていた。
「二人とも、コソコソ何やってんの?」
後をつけて来た文殊丸が、次の間に入るなり神妙な面持ちの二人に声を掛けた。
「えーっ! 来ちゃダメですってば!! ふがっ……、ふごっ…………」
思わず声を上げた久作の口を、隣に居た十助が慌てて塞いだ。十助の大きな手で口を塞がれた久作は暫し抵抗したが、気が落ち着くと身振りで十助に開放する様に促した。
「久作様。御無礼の段、御容赦くださいませ」
十助は小声でそう言って、久作を開放した。
「いや、大丈夫だよ。ありがとう……。それより文殊丸さん、ダメですよここに来ちゃ」
久作は小声で十助に礼を言うと、文殊丸を窘める。
「何でだよ、普段は頼んでもいないのに巻き込むクセに、どうして今回は除け者扱いなんだよ」
半ば不貞腐れた様に文殊丸は言った。その言葉に久作は、唖然とした表情で返す。
「え……? 何で今回は頼んでもいないのに首を突っ込んで来ちゃうんですか!?」
姉から繰り返し念を押された久作の立場からすれば当然の発言ではあるが、言われた当の本人である文殊丸には言われている意味が分からない。
「誰が来てるの?」
久作では埒が明かないと見て取った文殊丸は、十助に訊く。
「……隼人佐様に御座います」
十助は渋々と言った表情で文殊丸の問いに答えた。
「……誰?」
文殊丸は目を瞬かせて十助に訊いた。
十助は軽く溜息をつくと文殊丸の問いに答える。
「長井隼人佐道利様に御座います。亡き義龍様の兄上に当たる方に御座います。現斎藤家の一門衆の筆頭であり、龍興様の後見人でもあります」
十助の説明を受けて文殊丸は首を傾げながら言う。
「え……? 斎藤義龍さんのお兄さんなのに長井さんなの?」
文殊丸の問いに久作が答える。
「道三公も元は長井新九郎規秀と名乗っておられたそうです。後に、美濃国守護代の斎藤新四郎利良様より名跡を次いで斎藤新九郎利政と名乗りを替えられたそうです。つまり、隼人佐様は長井の名跡を継がれたということになりますね」
久作の的確な回答に文殊丸はお道化た表情で言う。
「よくまぁそんなにコロコロ名前を替えるもんだな。解りづれぇな」
久作は苦笑いをしながら付け加える。
「ははは……。確かにそうですね。生まれた時に幼名を付けられ、元服すると名がつけられ。偏諱で一字だけ替えたりなんてこともありますしね。ちなみに道三公の道三というのも入道されてからの道号ですしね」
久作の説明を解った様な、解らなかった様な顔をして聞いていた文殊丸は、話し半ばで十助に訊く。
「で、その隼人佐様とやらが来たってことは、やっぱり城を返せって言いに来たってことですかね?」
文殊丸と久作のやりとりを横目に、襖に耳を欹てていた十助は、
「恐らく」
と言いつつも、意識を襖の向こう側へと集中させていた。
それに倣う様に、文殊丸も襖に耳を欹ててみる。すると、慌てて思い出したように久作も襖に耳を近付けようとした時だった。
「おい、久作。そんなに押すなよ」
文殊丸が隣り合う久作に声を掛ける。
「だって、ここからじゃ聞こえないんですよ!」
そう言って久作が体を襖へ更に近付けようとした時だった。久作が足を滑らせて文殊丸に倒れ込み、倒れそうになった文殊丸が十助に寄り掛かり、二人の重さを支え切れなくなった十助が襖に凭れ掛かり、重さに耐えきれなくなった襖が外れて応接の間に雪崩れ込む格好になってしまった。
「――うわぁっ!!」
 




