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戦国草子異聞奇譚  作者: BRACHIUM
異聞編 第一章
30/81

30.祭りのあと(上)

まだ春の足音も聞こえない井ノ口の町に、いつもと変わらぬ朝がやって来る。朝靄の中、朧げに浮かぶ朝日が地表へ注ぐ光と熱量を徐々に増していく。まだ続く寒さに身を縮めながら行き交う人影が増え始めると、いよ々町が動き始める。ただ、普段との違いがあるとすれば、


「龍興が稲葉山を棄てて逃げたらしい」


「竹中半兵衛が稲葉山を乗っ取ったらしい」


「斎藤飛騨が成敗されたらしい」


といった噂話が、市井しせいの至る所で流布し始めた事であろう。

当然、稲葉山の居館付近に住まわされていた龍興に従う国人衆の妻子や身内の者達には、寝耳に水な話である。

朝、目覚めたら主が替わっていたというのであるから、その慌てぶりは尋常成らざるものがある。巷の噂が彼らの耳に入るまでに、して時間はかからなかった。当然、彼らは自身の身に起きた事の起こりと顛末を問い質しに居館にやってくる。最初はただの噂話であろうと高を括っていた者も、居館から慌てて走り戻る者の姿を見て焦燥に駆られる。噂が噂ではなかったと真相が明るみになると、自身の身の振り方に不安を覚え始めるのは一人や二人で済むものでは無い。

半兵衛は彼らの代表者十数名を居館へ呼び寄せ、一同に相対して述べた。


「我らは決してこの稲葉山を簒奪したつもりは無い。義に因って佞臣ねいしんを成敗すると共に、美濃の政道を正道に戻す為に決起したものである。各々方に危害を加えるつもりは毛頭御座らぬ故、その待遇については今までと何ら変わるものでは無い」


半兵衛の言を受けて、一同は胸を撫で下ろす。が、座敷に座する集団の後方に居た一人の若い女性が挙手して、眉をひそめながら半兵衛に問う。


「待遇は変わらないとは仰いますが、わたくし達は斎藤家への人質から竹中家への人質に代わると言う事に成るのでしょうか?」


若い女性の問いに、周りの者達も騒めき始める。


「我々を人質として美濃の国人衆を従えるつもりなんだろう!」


若い男が立膝になり、声を張り上げる。


「確かに、義によってと言えば聞こえは良いが実質的には簒奪ではないか!」


集団の中程に居た、中年の男が腰を浮かせて同調する様に言った。


「落ち着かれよ。我々は先程も申した様に、稲葉山を奪った訳では無い。くまで政道が正道に戻るまで一時的にお預かりするだけの事。然るべき時が来たなら、龍興様にお戻り頂く予定に御座る。故に、各々方は今まで通りに励んで頂ければ良いだけの事。何も変りは御座らん」


半兵衛は諭す様に穏やかに言うと、一呼吸置いて続ける。


「差し当たって、安藤守就殿を城代として事に当たる次第に御座る。不服に御座れば、弓矢にてお相手致すもやぶさかでは無い」


半兵衛の最後の一言に、先程まで熱気を帯びていた周囲の空気が一瞬で凍り付く。


「いや、待て待て!」


文殊丸が声を発すると、半兵衛や周囲の者達の視線が文殊丸に向けられる。


「簒奪か否かの判断は、これからの行動で判断して貰うしかないだろ。気に食わないなら掛かって来いみたいない言い方されたら、立たない角だって立つってモンだろうが」


殺伐とし始める空気を払拭する様に文殊丸が割って入る。


「じゃぁ、キミはこの状況でどうしろと言うんだい?」


半兵衛は、珍しく食って掛かる様に文殊丸へ詰め寄る。


「あー、そのー、なんだ。もう少し柔らかい言い方だってあるだろうが」


文殊丸が半兵衛をたしなめる様に言った。


「いくら言い方を換えたって、結果が同じなら何の意味も無いでしょう?」


半兵衛が腕組みをして反論する。


「だったら結果を変えれば良いんじゃね?例えば、ここに居る全員を開放してやるとか。残りたい奴は残れば良い、帰りたい奴は帰れば良い。それでも文句が言いたいんなら、弓でも刀でも持って来いってさ。」


文殊丸の言動に居合せた一同が目を見開く。


「まったく、何を言い始めるかと思えば」


半兵衛は腕組みしたまま俯くと、一つ溜息をついて天井を見上げる。


「乗った!キミのやり方に乗ってみよう」


半兵衛はそう言うと、「好きにして良し!」とだけ言って代表者達を夫々の屋敷へと帰してしまった。

そんな遣り取りを遠巻きで見ていた十兵衛は、安堵の笑みを浮かべていた。




代表者達を屋敷に帰して座敷に残ったのは半兵衛と文殊丸。その文殊丸の傍らに居る凛、甲冑を脱いだ十兵衛と十助。それから程無くして安藤守就の迎えから帰って来た久作と、呼ばれた守就だった。

一同は守就を上座に迎え、車座になって話を始める。


「早速ですが、織田より書状が届いております」


久作が懐から一枚の書状を取り出し、皆の前に開き置く。


「何だこのウネウネした字は。全然読めねぇよ……」


文殊丸は書かれた文字の解読を諦めて呟く。


「要約するとね、美濃の西南部を所領として認めるからここを譲れって書いてあるんだよ」


半兵衛が文殊丸に内容を伝える。


「随分と動きが早いな。どっから情報漏れたんだ?」


文殊丸が小首を傾げながら言った。


「漏れたんじゃなくて、触れ回ったというのが正解だね」


半兵衛は文殊丸の問いに的確に答える。


「は?それって不味いんじゃねぇの?空き巣に住人不在って公言してるようなもんじゃん」


文殊丸は半兵衛の答えに一同の反応を確かめるように周囲を見渡す。

どうやら、他の者達は半兵衛の行動の意図を汲んでいるようだ。


「さて、どうしようか?」


半兵衛は、悪戯っぽい目で文殊丸を見つめて問いかける。


「え?何で俺?」


文殊丸は意図しない質問をぶつけられて鼻白んだ。


「それはそうでしょう?時にはガツンと言わなきゃ分からない奴もいるって言ったのはキミじゃないか」


半兵衛は口を尖らせて文殊丸に責任転嫁する。


「ええぇっ? どうしようか?って、知らねぇよ。やちまったモンはしょうがねぇだろ」


文殊丸は頭を掻いて半兵衛に言い、ただ、と言ってさらに続ける。


「仮に織田に組み入れられても、重用されるとは思えないよな。どうせ戦の先頭に立たされて使い捨てにされるのが関の山だろ。考えても見ろって、他所からの裏切り者を自分の懐に入れるなんて、気が気じゃないぜ?」


その言葉に半兵衛は頷く。

確かにそうである。他国を裏切った者が、また自国でも同じ事をしないとは言い切れまい。不穏分子を抱えたまま戦など出来様も無い。そうなると、当然本陣から遠のいた戦の尖端に置かれて消耗させられるのは道理である。ましてや忠節の証を立てろと言われ、美濃国人衆と戦わせて美濃国人衆同士が共倒れという憂き目にも遭いかねない。

半兵衛は、文殊丸に目を輝かせて言う。


「正解。あくまで向こうが欲しがっているのは美濃国の要衝としての、稲葉山なんだよね。決してボクら自身では無い。まぁ、百歩譲ってボクらの従えている兵を含めての戦力を欲しがっているとしても、そもそも他家に身売りする気は更々無いしね」


すると、二人の会話を聞いていた十助が、


「そうなりますと龍興様へ如何にこの城を高く売り付けるか、という事になりますかな?」


と話に迎合する。


「おいおい、十助さんも随分と腹黒い言い方するようになったね」


文殊丸が十助の毒気を含んだ言い方に目を丸くした。


「うん、そうだね。まずはこの事件に関わった我々と、家中の者。それと親戚縁者に全く害が及ばないようにしなければならない。そして、美濃国内を平穏に治めてから主家に城を返上するのが最善だろうね」


半兵衛はこの事件の終着点を見据えて言った。


「で、それと織田に稲葉山を乗っ取った事を教える事と何の関係があるんだ?」


文殊丸は未だに解けない問題に救済を求める。


「織田からの使者がここへやって来るのを見せつけて、龍興様との交渉を有利にする為ですよね。姉上?」


久作が、ドヤ顔で文殊丸を見てから半兵衛に訊く。


「半分正解。まだまだだね、久作は。もうじき織田だけではなく隣国の大名家からも同じような話がひっきりなしに来る事になるよ。当然、織田もこの書状に書いた条件だけでは他より見劣りする物になってくるだろうから、より魅力的な条件を提示せざるを得なくなるだろうね」


半兵衛は久作を一瞥すると、文殊丸に答える。


「もしかして、その条件も全て外へ垂れ流しにするつもりじゃないだろうな?」


文殊丸は、訝し気な顔をして半兵衛に訊く。


「それ良いね!どこの大名からどんな提示があったのかを、包み隠さずに市井しせいへ垂れ流す。流石だね、値を釣り上げるのにこれ以上効果的な方法は無いよね!!」


半兵衛は目を輝かせて文殊丸に言う。


「あ……、蛇足だったか」


文殊丸は半兵衛の言葉に絶句する。


「は、半兵衛殿。例の件は如何となろうか?」


二人の話を聞いていた守就が痺れを切らした様に半兵衛へ問い掛けた。


義兄あに上、その件につきましては時期尚早かと……」


十助が守就の言を止めるように言った。


「そうでしたね。その件ですが、安藤様には城代としてこの稲葉山の主となって頂きます。龍興様にお返しするその時まで政務を仕切って頂く事になります。何か問題が御座いますか?」


半兵衛は守就が与した魂胆を知っていながら、敢えて皆の前ではっきりと守就の立場を明言した。


「あぁ、そうで御座ったな。いや、ただの確認に過ぎぬ」


守就はそう言うと、口惜しそうな顔をして俯いた。

そんな守就に十兵衛が言う。


「大志を抱くことは決して悪い事では無いと存ずる。しかしながら、分相応というものがあるのも事実。あまりに大きなものを望み過ぎるは、身を滅ぼす元凶と成りかねませんぞ」


守就は、十兵衛の言葉に真理を感じながらも苛立たし気な表情を見せると、黙して語らなくなった。


「さて、それでは城代様。後は宜しくお願いします。ボク達は一旦屋敷に戻りますので」


半兵衛はそう言って事後を守就に託すと、少し離れたボロ屋敷へと郎党を連れて戻って行った。



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