29.帰還
煌めく一閃が弧を描き、そこにあったはずの命を肉塊へと変える。血飛沫が末期の仕掛け花火の様に吹き上がり、首を失った肥満体がゆっくりと仰向けに倒れた。切り離された頭部はその最後を予期する間もなく、目を見開いて口は半開きのままに在らぬ方向へ転がっていた。
「何時までこうしているつもりなの?」
文殊丸に抱かれたままの凛が上擦った小さな声で言った。
「あ、あぁ。そうだな、お前が大丈夫なら」
文殊丸はそう言って凛を両腕から開放する。
文殊丸は凛の視界に、嘗て飛騨守だった躯が入らない様に立ち上がった。
気丈に言った凛ではあったが、背を向けた文殊丸の着物の裾を左手で強く握り緊めていた。
前を向く文殊丸の表情に、緊張が走る。
暗がりの向こうから、松明が小刻みに揺らめきながら近づいてくるのが見える。
しかし文殊丸は繁々と近づく灯りに目を遣ると、直ぐに緊張を解いてひとつ溜息をつく。
「皆さーん、御無事で何よりです!」
小走りにやって来たのは久作だった。
「おいおい、これのどこが無事だって言うんだよ!!」
文殊丸は合流した久作の頭を小突きながら言った。
「ははは……。確かにこれは大惨事ですね」
久作は辺りを見渡しながら、その凄惨な様に言動を訂正して更に続ける。
「手筈通り、館の主要な部分は制圧完了しました。館で姉上がお待ちしております」
その報せを聞いて文殊丸は安堵の表情を浮かべるも、直ぐに表情を戻して答える。
「こっちに死人は出なかったけど、十助さんが重傷だ。早く休ませてあげないとな」
十助は地面に突き立てた小太刀を支えにして、辛うじて立っていられるような有様である。
「久作も肩を貸してくれ」
文殊丸は久作に呼びかけて、十助を久作と両脇から支えながら龍興の居館へ向けて歩み出す。
その歩みに合わせる様に疾風が付いて行く。
凛は、文殊丸の着物の裾を左手で摘まんでその隣を歩いて行った。
「制圧したという割には、随分と変り映えが無いな」
文殊丸が歩みを進めながら、辺りを見回して呟いた。
「あー。それはですね、話すと長くなるんですが語らずにはいられませんよね!それはもう我が姉ながら見事な策士ですよ、ホントに。身内で良かったと心底思いましたよ。取り敢えず敵対する事はそうそう無いですからね。まぁ、身内であってもそれはそれで別の苦労が多々あるって訳なんですけどね・・・。」
文殊丸の呟きを耳にした久作が、早い口調で喋り出す。
「いいから、掻い摘んで端的に教えてくれ」
文殊丸は喋り出した久作の冗長になりそうな話を遮る様に言った。
「あ、すみません。主だった防衛部隊は例の酒でほぼ無力化されていた事は御存知ですよね。私が打ち上げた合図に合わせて、安藤様の手勢二千が井ノ口の町を織田の侵攻からの警護という名目で取り囲んでおります。姉上はそれを織田の軍勢が井ノ口の町を制圧したと龍興様達に報告しました。それと同時に、開放した水の手口から偽装した鎧武者を数名侵入させて、臨場感を演出しました。以上です」
久作は、文殊丸達と別行動になってからの状況を話した。
「え? それだけ?」
文殊丸は怪訝な顔をして久作に訊く。
「はい。それだけです」
久作は文殊丸の問いに、端的に答えた。
「えーと、そっちも斬り合いとか取っ組み合いとかそんなんで、怪我人とか死人とか出たりしてないの?」
文殊丸は久作に訊く。
「全くありませんね」
久作は首を振って答えた。
「へ……? 何だよ、こっちは散々な目に遭ってたってのによー」
文殊丸は、不貞腐れた様に言い放った。
「殿には、この城を落とす道筋が予見できていたのですよ。ただ、不測の事態が起こった為に文殊丸殿をこちらへ遣わされたのです。臨機応変に対応できるのは文殊丸殿しかいないと考えられたのでしょう」
文殊丸を宥めるように、蒼白な顔をした十助が言った。
「え? なんで俺なんだよ。俺なんか何の役にも立って無かったよ。生臭坊主とやり合ってたのは十助さんで、止めを刺したのはセンパイだし。白塗り肉饅頭を斬ったのも十助さんでしょ? ましてや、十助さんに大怪我を負わせるような事態になっちまったし……」
文殊丸がそう言って視線を落としかける。
「某は、心強う御座いましたぞ。印術を破って某を救って下さったのは、文殊丸殿に他成りませぬ。これは確固たる事実ですぞ」
脇を担がれた十助が文殊丸の目を見て言うと、苦痛に歪んだ表情から僅かに笑みを零した。
「十助さんにそう言われると、少し救われた気がするよ」
文殊丸は照れ臭そうに前を向いて言った。
「印術を破ったんですか? それって物凄い事じゃないですか!!文殊丸さんって、印術師だったんですね!!前々から変な名前だとは思ってましたけど。なるほど、納得できました!!」
久作が興奮気味に言った。
「お前、そんな風に思ってたんだ。ってか変な納得しないでくれる? 俺は印術師とかじゃないし、名前も便宜上源爺に付けられたってだけだから。金縛りを破った方法だって、恥ずかし過ぎて他人には言えねぇよ!!」
文殊丸は、明後日の方向で納得していた久作に向かって言った。
そんなやり取りをしているうちに、篝火の焚かれた門前に辿りついた。
門番は龍興に同行した衛兵に替わって半兵衛の供廻りの者が就いており、文殊丸達に深々と頭を垂れた。
文殊丸達が門を通過して居館の敷地へ入ると、漆黒の甲冑に身を包んだ数名の鎧武者と半兵衛の供廻りの者達が直立して出迎える。
その一団の中から兜を脱いだ壮年の男が一歩前へ出ると、声高らかに宣言した。
「此度の勲功第一、文殊丸殿の御帰還である!!」




