18.弟
大手門を潜って七曲道と呼ばれるなだらかな山道を登って行く。なだらかとは言え七曲の名に恥じず、右へ左へと蛇行を余儀なくされる。流石に文殊丸の顔にも疲労の色が出てくる。井ノ口城と呼ばれてはいるが、山頂付近に築かれた斎藤家が居住する館を中心に、有力武将の身内が住まう屋敷が櫓や曲輪に囲われた一大防衛拠点とでも言うべきか。その中に半兵衛の弟が住まう竹中家の屋敷もあるのだと言う。
半兵衛を先頭に、十助と文殊丸が続き、さらに後ろに前後を担がれた長持ちが一つ。さらにその後方に供廻りの者が数名続いている。暫く山道を登っていると、文殊丸は十助が何故か左の腰辺りをしきりに気にしているのに気づく。
「十助さん、どしたの?」
文殊丸が問い掛ける。
「いや、どうにも普段あるべきものが無いというのは、何とも心許ないものですな」
十助が頭を掻きながら左の腰を叩いて答える。
「あぁ、刀の事か」
普段帯刀していない文殊丸は、なんとなく納得する。
半兵衛一行の中で刀を帯びているのは、半兵衛と文殊丸だけだ。といっても差料の中でも刃渡り二尺(約六十センチ)を超えるものは、大手門を通る際に預けなければならない。そのため半兵衛は脇差、文殊丸は小太刀を左の腰に差している。十助や供廻りの者達は皆、大手門で取り上げられたままなのだ。如何に斎藤家配下の将とはいえ、全く信用していないという事なのか用心深いとでも言うべきか。それでも、有事の際に丸腰では役に立たない為、身分に応じて脇差や小太刀といった小刀の類は携行することが認められているのだと十助が説明した。
そんな説明が終わると、小ぢんまりとした建物の前で歩みが止まる。先ほど見た飛騨守の屋敷とは比べるべくも無いが、本当に小ぢんまりとした建物だ。生活に支障を来さない程度のという、思いやりが一切感じられない作りだ。木造平屋のボロ造り、が適当であろうか。入り口の引戸は傾き壁板には隙間が多く見られ、板葺きの屋根は所々にひび割れが生じている。冷たい山風が建屋に当たる度、建屋全体がカタカタと哀愁を漂わせる音を立てている。
「え?ここに人住んでるの?」
思わず文殊丸が呟く。そんな文殊丸を他所に、入り口に長持ちが置かれ引戸が開け放たれる。
「久作ー。生きてるかい?」
半兵衛が呑気な調子で中に問い掛けながら入って行く。そんな半兵衛に続いて十助と文殊丸が中へ入る。
建屋の中は、想像通りといったところか。表に居るよりは雨風が凌げるだけ幾分かマシな方。隙間だらけの八畳ほどの板の間には全くと言っていい程物が無い。そんな板の間に、筵を数枚重ね被って横たわる者がいる。
「あ、姉上ですか……。さ、寒気が止まらなくて……」
若い男が紫色の唇を震わせて、今にも消え入りそうな弱々しい声で語り掛けてきた。それを見た半兵衛は、
「久作、もう病人の芝居はしなくて良いんだよ。ボクらがここに来るための芝居だったんだから。」
そう語り掛けたが、一向に筵から出てこようとしない。それを見た文殊丸が、カタカタ鳴りっぱなしの壁板を小突きながら言う。
「あのさ。それって寒気じゃなくって、ホントに寒いだけなんじゃねぇの?」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あぁー!生き返ったぁー!!」
若い男は徳利に口をつけ、中身の酒を呷って歓喜の声を上げる。
「いやー、ホントに死ぬかと思いましたよー。数日前に飛騨守の使いが来た時は、そりゃもう迫真の演技で切り抜けたんですけどね。一昨日あたりに雪が降ってからというもの、体の震えが止まらなくなっちゃいましてねー」
喋り出したら止まらない。
齢の頃は二十歳くらいか。半兵衛に比べると背丈は低いもののしっかりとした体格で、血色良くはっきりした顔立ちの健康優良児といった感が満載だ。文殊丸はポカンと口を開けて眺めていた。そんな姿を察して男が言う。
「あ、申し遅れました。オイラは竹中久作重矩って言います。こちらの半兵衛の弟です。宜しくお願いします。お噂は予予ー」
久作が文殊丸に自己紹介をし始めたが、それが終わる前に文殊丸は右の掌を突き出して制する。
「なんでお前が跡継げなかったのか、よく解ったよ……」
文殊丸がそう言ったのを聞いて半兵衛は、
「やっぱりキミもそう思うかい?」
板の間に担ぎ込まれた長持ちに頬杖を突きながら、溜息混じりに言った。そして半兵衛は、長持ちの中身を全て取り出して空にする。その後、徐に自身の脇差を抜き放つと、長持ちの底板に突き立ててそのままゆっくり引き上げる。すると、薄い底板だったものに脇差が食い込んで一緒に引き上げられた。
「なんだそりゃ?」
文殊丸と久作が立ち上がって長持ちの中を覗き込む。
「あ。これだったのか」
文殊丸が納得した声を上げる。引き上げられた底板の更に下の段には、十数本の太刀が隠されていた。
「これを悟られない為に芝居を打ったのかよ。俺も騙されたわ」
文殊丸は合点がいった。何故、二つ目の長持ちを飛騨守の供廻りの衆に触らせなかったのか。敢えて文殊丸の粗相を半兵衛が肩代わりする様な事をしたのか。全てはこの二重底に気付かせない為の布石だったのか、と。下手に触られたり、近くで観察されて違和感に気付かれないようにする為であり、自身に注意を引くことで長持ちに視線を向けさせない為だったのだ、と。
半兵衛は文殊丸の驚きを他所に、更に長持ちの内側の角に脇差の刃を差し込む。すると側面の内側の板までもが剥がれ、その隙間に数個の紙包みが隠されていた。
「よし。これで全部だね」
半兵衛はそう言って持ち込んだ道具類を並べて、何やら準備を始めた。その様子を繁々と見ていた文殊丸が問いかける。
「何を始めようってんだ?」
文殊丸の問いに半兵衛は鼻歌混じりに答えた。
「祭りの始まりだよ」




