16.潜入(上)
ゆるりと進む馬上の半兵衛を先頭に、山伏姿の十助と文殊丸が歩いて続く。そして更にその後ろを屈強な男に前後を担がれた長持ちが二つ、供回りの数名を従えてついてくる。半兵衛一行は旅籠を出ると、稲葉山の高台を目指して歩みを進める。
この井ノ口の町は文殊丸にとって、この世界に着いてから初めての街らしい町とでもいうべきか。のんびりとした空気ながらも忙しなく動く人波に圧倒される。木造の平屋が通りの両側に軒を連ねており、左の軒下で収穫物を並べて商売している者があれば、右の軒下では食事を提供している店もある。道端で数人が担いだ荷物を降ろして物々交換をしていたり、その反対の井戸端では文字通りに、おば様達が井戸端会議をしていたり。物珍しさに視線を左右に巡らせていると並んで歩く十助が、
「それ程に珍しいものでも無いのでは?」
と声を掛けてきた。
「ん?いや、俺にとっては十分珍しいと言うか、新鮮と言うか」
周りの様子を眺めながら文殊丸が答える。
「あそこの茶店の黄粉餅は絶品ですぞ」
左半面に傷跡を貼り付けた強面の十助が、右手の茶店を指差し文殊丸にグルメ情報を提供する。
「スカーフェイスで黄粉餅って。結構お茶目だね。十助さんってば」
強面に不釣り合いな十助の言葉に、文殊丸は笑いながら返した。そして、
「そもそも俺達はどこに向かってるんですかね?」
文殊丸は今更ながらの質問をした。
「あぁ、その事ですな。我々は殿の弟御である久作様の御見舞いに向かっているのですよ」
十助が答えた。
「あ、そういや十兵衛さんが言ってたっけ。半兵衛の弟が稲葉山の城にいるって」
文殊丸は微かな記憶を手繰り寄せる。
「左様。向こうに見える稲葉山の城は、斉藤龍興様の居城。久作様は竹中家より斎藤家へ、言わば人質として差し出されたという事になりますな」
十助が歩みの先の小高い山を指さして文殊丸に答える。
「人質って、随分と物騒な言い方だな……」
文殊丸は思わず吐露する。
「武家では当然の習わし故。主家に対する忠節の表し方とでも申しましょうか。主家を裏切れば、その者の生命の保証はない。つまり、仕える者にとって一番大切な身内の者を差し出す事で二心の無いことを証明する、という事ですな」
十助は武家の事情に明るくないであろう文殊丸を察して、武家の在り方の一片を教示する。
「武士の世界ってのも結構、窮屈そうなんだな」
文殊丸は何とも遣る瀬無い思いを感じながら歩き続ける。そんなやり取りから暫くして、前を進む半兵衛の馬が歩みを止めた。
「某の弟、久作の病床見舞い並びに殿への献上品を納めに参った。菩提山より罷り越した竹中半兵衛重虎に御座る。通行の御許可を願いたし」
大手門の門前で、半兵衛が凛々しく馬上から門番の者達に声を掛けた。
「暫し待たれよ」
門番の一人が慌てて大手門奥の詰め所らしき建屋へ走って行った。しかし、なかなか帰って来ない。門番が建屋に消えてから三十分は優に過ぎようとしていた。
「おいおい、入る許可もらうのにどんだけ待たせんだよ。お役所仕事にも程があるぜ?いつもこんなに時間かかんのかよ?」
苛立たし気に文殊丸が悪態をつく。
「不味いな、今日は居ない筈だったのに」
半兵衛が漏らす。
「何か良くない空気漂ってませんか?半兵衛さん?」
文殊丸が馬上で歯噛みする半兵衛に言う。
「はは。キミにそう茶化されると肩の力が抜けるね。取次にこれだけ時間が掛かるのは、きっと奴が登城しているからだよ」
半兵衛が言った。
「奴って、誰の事なんだ?」
文殊丸が問う。
「斎藤飛騨守秀成のことさ。龍興様に気に入られてからというもの、奴の専横は甚だしい。奴の機嫌で城内の者達が右往左往させられて、城内の運営も儘ならないことが多々ある程だ」
半兵衛が馬上で俯きながら漏らす。
「でも殿様に重用されてるってことは、何かしら長けた能力があるって事なんじゃないのか?」
腕組みしながら文殊丸が半兵衛に聞く。
「そこなんだよね。確かにおべっか使いだからということはあるけれど、それだけでは無いような気がしてね。だからこそ余計に危惧するんだよ」
半兵衛はそう言ってちらりと文殊丸に視線を送ると、深く溜息をついた。
「まぁ、あれだな。どんな組織にでも上手いこと立ち回って甘い汁を吸ってやろうって奴はいるよな。でもそういう奴らが蔓延れるのは、奴らを使う者にとっても生かしておく何かしらの利点があるからなんだよな。単なる太鼓持ちだったら、近くにいられるとウザいだけだしな」
文殊丸が腕組みのままそう言うと、大手門の奥の詰め所から門番の一人が走ってきた。
「搬入物の中身を斉藤飛騨守様直々に検分致す故、こちらへ参られよ」
門番がそう言って半兵衛一行の先頭に立って歩き始めた。
「待たせ過ぎだっつーの」
頭を掻きながら、やれやれといった表情で文殊丸は歩き出す。それとは対照的に、半兵衛の顔には緊迫した表情がありありと浮かんでいた。半兵衛は眉間に皺を寄せて呟いた。
「想定外だ」




