12.季節外れの桔梗(上)
「十兵衛さん」
半兵衛は文殊丸に壮年の男を紹介した。
「え?どちらの?」
文殊丸は半兵衛の紹介文句に、「それだけ?」とでも言いたげに聞き返した。すると、言葉にしていない文殊丸の問いに十兵衛が答える。
「某、明智十兵衛光秀と申す。今は故郷を追われ、越前の朝倉家にて禄を食む身にござる。以後、宜しなに」
と正座のまま、背筋を正して軽く会釈を交えながら文殊丸に言った。文殊丸は、嫌味が無くそつが無い挨拶に感嘆する。それは、見惚れる様な隙の無さ故だ。人間ならば誰しも、何処かしらに隙ができるはずなのだ、と文殊丸は思う。当然、挨拶にしても、指先が整っていないであったり背筋が曲がっていたりであったり。その辺りからして、この十兵衛という男が抜かりの無い男なのだろうという察しがついた。
「俺は、ここで鍛冶手伝い見習いをしている文殊丸です。こちらこそ宜しくお願いします」
文殊丸は端的に自己紹介をして半兵衛を見る。
「まだ何か言いたげだね?」
半兵衛は文殊丸に言った。
「そりゃそうだろ。いきなり紹介されても、なんで紹介されたのか全く分かんねぇだろうが」
文殊丸が半兵衛に詰め寄る。
「あ、ごめんごめん。そうだね、簡単に言うとボクらの同胞と言ったところかな。彼の一族も、長良川の戦で道三公の側として戦ったんだ。ただ、彼らの居城は義龍様側の軍勢に攻められて、一族が散り散りになってしまったんだよ」
半兵衛は、十兵衛の様子を時折見ながら文殊丸に伝えた。さすがに一家離散の憂き目を本人の前で語るには、多少なりとも気が引ける部分があるというものである。ところがそれを察してか、十兵衛がそっと右の掌を膝の上に立てて半兵衛を気遣うと、半兵衛に替わって十兵衛が続ける。
「ここに居られるお凛様の母君が、某の叔母に当たるという関係も御座いましてな。不遇をかこっては居りますが、時折こうして様子を伺いに来ているという訳です」
確かに、十兵衛は今や朝倉家の家臣。斎藤家からすれば、他国の間者とも言われかねない立場だ。それを理由に成敗されても文句は言えまい。ましてや旧道三派の人物ともなれば、猶更の事である。この美濃国の外れにある、そのまた人里離れた竹林ならば、そうそう外の目に触れる事も無くその懸念は少なく済む。半兵衛の館ではなく、竹林で面会というのは道理である。それを聞くと文殊丸は、
「なるほどね。ってことは、十兵衛さんと凛は従兄妹ってことになるのか?」
文殊丸は小首を傾げながら呟いた。
「そういう事になるね」
半兵衛が文殊丸の呟きを肯定する。
「ふーん。で、その十兵衛さんと半兵衛さんがお揃いで、何故に俺まで呼ばれるんだ? 源爺さんの方が適任だろ?」
文殊丸が至極当然の事を言う。源次は正式な半兵衛の配下であり、文殊丸はその源次の工房の見習いでしか無い。いわば、企業の重役同士の会合にバイト従業員が同席している様なものだ。
「キミならまず、ボクらの話を聞いても口外する事は出来無いでしょ。それに、二人だけだと退屈しちゃうじゃない?」
半兵衛が屈託のない笑みと共にその理由を述べた。
「は? 退屈 凌ぎ……ですと?」
文殊丸は迷惑そうに言った。
「源爺は、ボクの考えに反するような事は絶対に言わないだろうしね。それに対して、キミは何の柵も無いから自由な発想ができるでしょ?」
半兵衛はその真意を文殊丸に告げた。
「期待されたところで、鼻血も出ないかもな」
文殊丸はそう言いながらも、話の輪に加わる事になった。
話は美濃国周辺の動きと、国内、殊に斎藤家の現在の内情に及ぶ。半兵衛は囲炉裏端へ大雑把に描かれた絵地図を広げると、話の口火を切る。
「まずは、西の隣国である近江から。北近江の浅井家は、家督相続争いの影響がまだ尾を引いているようで、家中の統制を執るのに四苦八苦してるみたいだね。南近江の六角家に臣従する形で、領国運営に専念せざるを得ない状況と言ったところかな」
すると、十兵衛がそれに追随する。
「南近江の六角家と斎藤家は義龍様の代より同盟関係でありましたな。であれば、六角に後背を衝かせる事も可能でありましょう。浅井がこちらへ攻めて来ると言う事はまず無いと考えて問題なさそうですな」
文殊丸は、半兵衛と十兵衛の会話を絵地図とにらめっこしながら聞いている事しか出来無い。
「近江はここからは然程遠く無いから、動向については頻繁に情報が入って来るし注視の度合いとしては然程高くは無いか」
半兵衛はそう言うと、囲炉裏の端に立て掛けられていた冷え切った消し炭で絵図面に書かれた浅井の文字に横線を入れた。
「北の越前は、某が仕える朝倉家の所領に御座るが……」
十兵衛はそう前置きをして続ける。
「数年前に若狭を攻め立ておる経緯からすると、南では無く北に版図を広げたいのでしょうな。ただ、義景様の志向としては、版図の拡大よりも官途の栄達に興味がおありの様に見受けられる」
そう言って十兵衛は、美濃の北側に面する朝倉の文字に消し炭で横線を入れた。
「南の尾張は……織田家か。正直、厄介だね。再三再四侵攻を仕掛けながら、国人衆への調略を行って来る。哨戒中の部隊同士での小競り合いなんかは、切りがない無い程だよ」
半兵衛はそう言うと、美濃の南に書かれた織田の文字に消し炭で丸印をつけた。
「東の信濃に関しては、正直情報が得にくいんだよね」
半兵衛はそう言って、表情を曇らせた。
「あのお方の所領近辺では致し方無かろう」
十兵衛は半兵衛の一言に全てを察した様に言った。
「どーゆーこと?」
蚊帳の外的な状況で聞いているだけだった文殊丸が口を開いた。そんな文殊丸の表情を見て半兵衛が言葉の真意を語る。
「美濃の信濃国境は隼人佐様の所領なんだよ。どうにも曲者でね、信濃を掌握した武田と通じている節があるんだ。ただ、風聞の域を超えない話だから確証は無いんだけど、草達からも情報が入って来ないんだ。」
文殊丸は視線を絵地図から半兵衛に移すと、
「それって、限りなく黒に近い灰色じゃね?」
小首を傾げながら言った。
「そうだね。限りなく真っ黒に近い灰色だね。ただ、その武田も信濃の北に接する越後の上杉家と事を構えている様だから、その影響でこちらまで侵攻して来るだけの余力は流石に無いみたいだけどね」
半兵衛は苦笑いをしながら文殊丸に説明をすると、美濃の東に書かれた武田の文字に消し炭で横線を引いた。そして半兵衛はそれら隣国の話を踏まえ、今度は美濃国内の話を始める。
「当面の警戒は、尾張の織田家に絞られるね。ただ、それに対して現状の斎藤家では凌ぎきれないかもしれない」
半兵衛がそう言って続ける。
「美濃国内がバラバラだからね。現に、西美濃で有力な稲葉、安藤、氏家の三家ですら龍興様から遠ざけられてるし、道三公と対立して義龍様を支援していた土岐氏縁故の者達ですら同じ状況だ。今のまま織田家の調略が進んだら、斎藤家は内部から崩壊するだろうね」
その言葉を聞いて十兵衛が言う。
「国内勢力の結集が第一ですな。一枚岩となって事に当たらねばなりますまい」
半兵衛は十兵衛に頷きながら、
「となると、敵は外だけでは無いと言う事になるんだよね」
そう言って頭を抱える。十兵衛も瞑目して俯いたままだ。そんな二人の様子を見て文殊丸が言う。
「そんなに斎藤家って大事なの?」




