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戦国草子異聞奇譚  作者: BRACHIUM
異聞編 第一章
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11.招かれざる客


 壁に穿うがたれた節穴から、幾筋かの光が差し込み、朝の訪れを知らせる。引戸の隙間から忍び寄る、冷たい夜露の残り香が、晩秋の香りをただよわせる。竹林の葉が穏やかな風に揺れ、心地よい葉音を立てながら、子守唄のようにささやく。


「いつまで寝とるんじゃー!!」


勢い良く引戸が開け放たれ、同時に源次がえる。


「ふぁ?……」


文殊丸は一瞬の覚醒の後、再びむしろに包まって動かなくなる。


「早よう起きんかぁー!」


源次は力づくで文殊丸から、筵の防壁を剥ぎ取る。文殊丸は抵抗するが、それも空しく板の間の隅へ追いやられる。


「な、何すんだよ……」


文殊丸は胡坐あぐらをかいて、寝惚ねぼまなこを両手でこする。


「さっさと顔を洗って、母屋もやへ行かんか。お主に来客じゃ。くれぐれも粗相の無いようにするんじゃぞ」


源次はそう言うと、文殊丸の寝床と化していた工房をさっさと片づけて、書机で何やら図面を描き始めた。文殊丸はそれを未だ寝覚めぬ視界の端に置き、取り敢えず顔を洗わねばと、ぶつくさ言いながら引戸から出て水場へと向かった。


 流石に疾風はやても、まだうまやの藁の中のようだ。静まり返った厩を横目に、水場へ歩みを進める。母屋の少し離れたところに、ぽつんと東屋あずまやたたずんでいる。その屋根の下には釣瓶つるべ式の井戸が口を開け、石造りの簡易的な水溜めと流しがある。

 文殊丸は柄杓ひしゃくを手に取って桶から水をすくい、口をすすぎ顔を洗う。顔を洗って……手拭いを忘れる。


「はい、どうぞ」


不意に、意識の外から声を掛けられる。そして、文殊丸の濡れた手にそっと手拭いが手渡される。文殊丸はそれを受け取り、素早く顔を拭きながら、


「ありがとう。助かったわー」


と言って声を掛けた主の方を見る。


「げ、半兵衛」


「おはよう、寝坊助ねぼすけさん」


文殊丸の反応とは対照的に、半兵衛は爽やか過ぎる程の笑顔をたたえていた。

 文殊丸は知っている。過去の経験上、こういう笑顔をされる時は大抵、ろくな事がない。めったに来ない取引先の社長が、手土産片手に自社の応接室に居た時。朝、出社して普段なら挨拶しても返事すら無いお局様が、お茶を淹れて寄こして来た時。文殊丸の脳裏に、とんでもない事故に巻き込まれた記憶が蘇る。


 久々に顔を見せたその社長の会社は、翌日夜逃げ同然で倒産した。当然、債権回収のために東奔西走したもののしっかり焦げ付いた。珍しく々としたお局様は、徹夜で作った会議資料のデータが保存されたパソコンを再起不能にしていた。当然、朝イチで復旧に取り掛かるも、ハードディスク自体が壊れてデータが身罷みまかられた。仕方無く資料の再製作に取り掛かるも会議に間に合わず、会議の冒頭で赤っ恥をかされた。文殊丸は得も言われぬ怖気おぞけを背中に感じながら、半ば不貞腐ふてくされた様な顔で、


「お、おはよう……」


仕切り直しの挨拶をした。それを受けて、半兵衛は一瞬だけ怪訝けげんな表情をしてから、


「清々しい、いい朝だね」


そう満面の笑みで返してきた。


「……益々もって、嫌な予感がするのは気のせいか?」


文殊丸は半兵衛にわざと聞こえるように言う。半兵衛も、それをさも聞いていないかのように


「キミに会いたくて仕方なくてさ。居ても立ってもいられずに、急いで来ちゃったよ。」


と目を輝かせて言う。そして更に、


「こうして足を運んだのは、ボクだけじゃないんだ」


と続けて、母屋の入り口へ文殊丸の背中を押して行く。


「ささ、どうぞ入って入って!」


半兵衛がそう言うのを聞いて文殊丸は、


「入ってって……お前は客だろ!!」


背中に居る半兵衛に悪態をつきながらも、言われるままに母屋の土間へ足を踏み入れる。するとそこには、正座のまま囲炉裏に向かい、べられた白炭しらずみ火箸ひばしで整えている壮年の男がいた。


「半兵衛殿には珍しく、随分と仲睦ましゅう御座いますな」


男は火箸を囲炉裏の縁へ並べて立て掛けながら、半兵衛に言った。


「珍しく、は余計ですよ。そういう一言多いところが、周りから誤解される元になるんですよ、きっと」


半兵衛は板の間に上がって、草履ぞうりを揃えながら背中越しに男へ言った。


「相変わらず手厳しいですな、半兵衛殿は。はっはっは」


男はそう言うと、ほがらかに笑った。文殊丸は、板の間に上がりながら横目に男を観察する。


 齢の頃は、文殊丸よりも一回り程上になろうか。身なりは正直、良いとは言い難い。着物の襟元はれ、膝の辺りは擦れて生地が薄くなりかけている。しかしながら、身にまとう衣服とは対照的に、男の振る舞いにはどこかしらりんとしたたたずまいが感じられる。所謂いわゆる、デキる男の風格であろうか。そう、文殊丸にとって天敵としか言いようのない人物だ。全くもって真逆の存在である。怠惰で、俗物で、無能を絵に描いたような自分とは対照的に、勤勉で、清貧で、理知的で、非の打ち所がない完成された大人であろう。文殊丸の感性は瞬間的にそう知覚する。


 そんな事を思い巡らせながら、文殊丸が最後に囲炉裏端に座る。それを見て、先に座って待っていた半兵衛がおもむろに口を開いた。


「それじゃぁ、紹介するね」





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