10.魂を込めて
小春日和の昼下がり、緩慢とした風が竹林を撫でてゆく。厩から放たれた疾風が、工房の軒先で陽だまりを見つけて蹲っている。そんな工房の引き戸が内側から開かれると、疾風は億劫そうに頭を上げる。
工房から出た文殊丸はそんな疾風の頭を、二度三度、ワシワシ撫でまわしてから鍛冶場に向かう。逃亡劇から既に幾週か経っていた。両腕の傷も癒えて運動機能も回復し、日課の鍛冶手伝い見習いだ。最近では源次の下で学び、鍛冶作業そのものにも修練が及ぶようになってきた。ただ、源次との金槌の息が合わずにトンチンカンと音を立てて、凛からは不評を得ている。
「さて。午後のお仕事はじめますかね、師匠?」
文殊丸は鍛冶場の土間に、筵を敷いて昼寝していた源次に声を掛ける。
「おぉ、そうするかの」
源次はそう言うと起き上がり、火を入れられた窯の前へ行き、鉄片が盛られたテコ棒を窯の中の真っ赤な木炭の山に焼べる。暫くすると、鉄の焼ける煤けた匂いが立ち込めて、同時に鉄片がその半身を真っ赤に染め上げる。頃合いを見て、源次はテコ棒を一気に引き抜き、金床に据える。
「よっ!ほっ!それっ!」
掛け声と共に文殊丸が金鎚を赤々とした鉄片に振り下ろす。その合間に、源次も片手に持った金鎚で合いの手を入れるように振り下ろす。数回鎚で打っては握ったテコを返す。そしてまた数回鎚で打ってテコを返して、と繰り返す。暫くして鉄片の塊が黒みがかってくると、再び真っ赤な木炭の山に焼べる。塊状だった鉄片の集合体が平らな板状に成形されていく。そしてまた、その板を折り畳むように潰し、叩き、また更に伸ばす。そんな作業を繰り返し、幾重にも折り重なった極薄の金属の層が形成される。そうして金属の脆さを補う剛性と、刃物としての切れ味が齎される。
文殊丸は少ない経験ながらも、今作っているものが刃物なのだと理解した。同じようにして成形された、角棒状の鉄を細長い束にまとめて熱して、更に叩いて一本にしていく。成形された身幅の狭い鉄の板は、長さ60センチに足らないくらいだろうか。文殊丸は、これまでに源次が包丁や鉈などを打っていたのを見てきてはいるが、ここまでの長さのものは初めて見る。
身幅は3センチ程。反りが少なく、ほぼ直線状態で、中ほどにほんのりと曲線が見て取れる程度だ。ある程度成形できた段階で、文殊丸の作業は終了となる。細部と最終の仕上は源次が単独で行う。金床の尖端で細かく慈しむように灼熱の鉄塊に鎚を当てる。そしてまた木炭の山に焼べて、引き出し、さらに叩く。
「頃合いじゃな」
源次はそう言うと、真っ赤に滾った一本の棒を、木桶に張られた水の中に突っ込んだ。一瞬で鍛冶場に白い靄が生成され、木桶の水が泡を立てて沸騰する。赤々と焼けた鉄棒が徐々にその赤みを失い、鈍色に変わっていく。
「うむ。久々に会心の出来じゃな」
源次は満足そうな笑みを浮かべ、顔中に噴出した汗を袖で拭っていた。
源次が語り出す。
「刀は武士の魂と言うがの、それは鍛冶屋にとっても同じじゃ。魂を込めねば良きものが出来ぬのは道理じゃろうて。刀には鍛冶屋の魂が込められておる。これには良き魂が息衝いておる」
あまりの会心の出来に熱く語る源次とは裏腹に、文殊丸は
「あっちぃー、俺の肉汁止まんねぇよー」
と、汗だくな体を近くにあった板切れで必死に扇いでいる。
「聞いとらんのか、こやつは……」
源次は呆れた顔で呟いた。
後日、この刀は行商人の手を通して研ぎ師の下へ届けられ、一振りの白刃となって帰ってきた。その名は、
無名小太刀『肉汁』
獲物の肉を裂き、その汁を啜ると恐れられる事になったとか、なってないとか。
源次の言う通りに、鍛冶屋の魂が刀に込められた。




