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戦国草子異聞奇譚  作者: BRACHIUM
異聞編 第一章
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1.目覚め

 激しい耳鳴りだ。


 かれた寺の鐘の中に頭を突っ込んだように、重々しく鳴り響く音の無限地獄。明日も六時起床で通勤ラッシュに揉まれなければならぬのに、忌々しい耳鳴りが一晩で二度目。またか、とも思う。しかしながら、声には出さない。いや、出せないのだ。そう、いつもの金縛りだ。金縛りになる時には、決まってこの音の暴力にさいなまれる。


 初めて体感したのは小学生の頃だ。夏の特番で心霊モノを観て就寝した直後の事だった。その時は音の大きさよりも別の恐怖に怯え、動かぬまなこを動かそうと必死に足掻あがき、見えもしない影を探しながら一人怯えていた。しかし、その後は覚えていない。

 翌朝になり普段通りに目覚めると、股間の辺りの冷たい衝撃と、羞恥のあまり顔に熱いものが込上げたのは覚えている。


 それも今は昔。三十年近く生きてきて数十回経験の猛者もさともなると、半ば諦めの境地か達観か。自分自身でも呆れる程に冷静だ。首も口も動かせない状態であるにもかかわらず、視界は薄暗い部屋の中を存外にはっきりと映し出している。自室の空間の、中空一点を写真で切り取った様な視界の中に、薄ぼんやりとしたオレンジ色の明かりが明滅しているのを認識すると、「そろそろ、常夜灯の電球も替え時か」などと思いながら、意識を深く沈ませた。


 ほの暗い部屋の暗さよりもさらに深く、陰湿な漆黒のもやが視界を覆う。靄は次第に全身を覆い始め、いつしか身体も精神も隈なく覆い尽くされる。深淵の闇にいざなわれるように睡魔が訪れ、遥か彼方へと意識を奪い去ってゆく。





 全身を伝い、地を揺るがすような轟音。酸素を渇望する息苦しさ。金縛りではない。息ができないのだ。嘗て無い苦境に生命の危機を感じ取り、文字通り必死に足掻いて身をよじる。


「――っぷはぁー!!」


身をよじって仰向けになった瞬間、轟音と共に何かが自分の体があった場所をよぎって行った。と同時に、仰向けになった顔へ冷たい飛沫しぶきが当たり、その一部が渇望していた酸素を吸引中の口内を、断り無しに蹂躙じゅうりんする。


「がはっ!!う、うべぇ――」


じゃりじゃりとした嫌悪の感覚と苦味、そして土臭さに顔をしかめてむせんだ。混じり合った唾液と嫌悪物の存在を口内に認識すると、のそのそと四つ這い状態になって口から吐き出した。一頻ひとしきりえずいて、ようやっとの思いで瞼を開いた眼前には、土色の水たまりが赤黒いみを浮かべて波打っていた。未だに覚醒しきっていない朦朧もうろうとした意識のまま周囲を見渡すと、辺り一面にこの水たまりが広がり、不規則に波打つ水面が、この世の物とは思えぬ禍々しさをたたえていた。


 少し離れたところでいななききが聞こえる。 四ついのまま首だけ上げてそちらに目を遣ると、馬だ。痩せこけて毛並みもまばらな小さい馬だ。その傍らで、薄汚れた襤褸ぼろまとって抜き身の刃物を片手に携えた人影が、しゃがみ込んで何かを漁っているようだった。その人影が立ち上がると、足元の何物かを足で転がしてまたさらに漁り続けている。そんな光景が視界のいたるところに点在していた。


 四つ這いで大地に突っ張った四肢を投げ出し、大の字になって目を瞑る。全く収拾のつかない状況に「また、変な夢を見ているのか」と勝手な決着を着けて一呼吸置くと、リアルな土臭さと血臭を鼻腔に焼き付けたまま、再び意識を深く沈ませた。





 金属同士がぶつかり合う、甲高い音が鼓膜を刺激する。一定の間隔でリズムを取るように、時に激しく時に慈しむように。離れていてもそれと分かる、鉄の焼けるすすけた香りが鼻腔をくすぶる。それは、取引先の鉄工所でよく嗅ぐものと同一のものだった。


 聴覚と嗅覚を刺激され、深淵の暗闇から意識が引きずり出される。外的刺激による寝覚めは、至極悪い。気怠く、おぼろげな意識のままにまぶたを開くが、平素とは異なる感覚に思考が停止する。男は今、仰向けだ。しかし、そこにあるべきはずのものが、無い。そう、蛍光灯が、無い。六畳一間、風呂トイレ一緒のユニットバス付きの我が家にあるべきものが。我が家といっても、3階建ての古いアパートを借り上げた独身者用社宅だ。安月給の三十路を過ぎたサラリーマンの我が家などその程度のものだ、などと愚痴にもならないような言葉が頭を過るも、寝覚めたばかりの眼で見上げた天井には、竹のようなもので組み上げられた梁と、ところどころに虫食いのような穴を晒す、節目を穿った壁板が視界に入った。


「何処だ、此処は……?」


見知らぬ光景を眼前にして我に還った。そして何より、チクチクする。意識が完全に目覚めて神経が活性化すると、寝惚けて気付かなかった全身の皮膚への刺激を如実に自覚する。あまりの痛痒さに我慢しきれず、飛び上がるようにしてその場に立ち上がった。それもその筈、寝ていたのはベッドでもなければ布団でもなく、いたるところに解れや編み込めていない突起物が生成された、藁を編み込んだむしろだったからだ。それらの突起物に体のあちこちを撫で廻されれば、否が応でも痛痒くなるというものだ。ましてや、全裸であれば尚更だ。


 状況が飲み込めずに暫し黙考していると、ガタンと引戸が開かれる音が鳴り、男は咄嗟とっさに音がした方へ反射的に振り向いた。すると、引戸を開いた主と目が合ったと同時に、女性の引きった悲鳴が上がって引戸がピシャリと閉まった。

 

男は、女性が持っていた木製の器ごと水を浴びせられ、何事が起ったのかと目を瞬かせて立ち尽くすしか無かった。そうして、一人取り残されたまま呆気あっけにとられていると、


「おぉ、客人。お目覚めは如何いかがかな?」


呆然と立ち尽くしたままの男に、引戸を開けて年老いた男が水を湛えた木製の器を片手に、声を掛けながら入ってきた。老人は、器を男へ渡すと、一息つくように土間と板敷の段差に腰かけた。すると、男もそれに合わせて、筵の上に腰を下ろした。


「儂は戸益源次永次(とますげんじながつぐ)と申す、しがない鍛冶屋じゃ」


小柄ながらもがっしりとした体躯を黒い作務衣さむえのような衣服で包んだ老人は、好々爺的な笑みを向けて自身を名乗った。


「あ、ありがとうございます。お、俺は……」


男は受け取った器の中身をすべて体内に取り込んで、礼を述べてから自身も名乗ろうとしたのだが、その後が続かない。自身の名前が全く出てこないのだ。源次のいぶかしむ様子を他所よそに、必死に自身の事を思い出そうと思考を巡らせるが、如何にしても自身の名前に関しては、記憶の後ろ髪すらつかめずにいた。そうこう暫くの沈黙が過ぎると、


「仕方無かろう、あんな所で倒れておったら」


と、ぽつりぽつりと源次はここに至る状況を語り出した。


 源次は鍛冶の材料を求めて、合戦後の戦場へ鉄源を探しに来ていたという。砂鉄に木炭などを混ぜて鉄を精製するよりも、一旦製品化された鉄を打ち直してもう一度再生する方が効率が良く、鉄製品を多く使う場所でそのおこぼれに預かるのが最も手っ取り早い、というのだ。

 戦場では、折れたり腰が伸びた刀などが数多く放棄されたままになる為、戦の終わった戦場に周辺の多くの民が姿を現すのだと。確かに、折れたりして元来の使用に耐え得る機能を有していない武器などでは、己の命など守り様も無い。命を奪い合う究極のサバイバルで勝ち残るには、他者の得物を奪ってでも生き残る程の瞬時の判断が要求されるのは想像に難くない。それ故、合戦参加者の多くは打ち捨てられた嘗て武器だった物などには全く興味を示さないのだろう。そして戦場周辺の民は、声無く横たわる名も無きむくろ達を埋葬する対価として、そのお零れに預かるのだという。所謂いわゆる、埋葬代という名の戦利品物色の類のものだ。


「あぁ。何か嫌な予感がしてきた……」


男がボソリと呟いた。

 

 男には意識が覚醒する前の記憶が、自身の名前以外ははっきりと残っていた。たかだか三十年程度ではあるが、己の人生が、綿々と綴ってきた己の足跡が。うだつが上がらない、しがないサラリーマンとして悪戦苦闘してきた日々が。

 記憶を辿る限り、自身で戦場に身を投じた記憶は満員電車という名の戦場くらいだ。押し合いし合いの中、目的の駅まで必死に耐えて、耐え忍んでろくな戦果の出せない会社という城へ出仕するのだ。そんな自己嫌悪を感じながら男は源次の話に耳を傾けていた。




 要するに、三十過ぎの全裸のおっさんが、筋骨隆々な小さいじいさんに拉致られてきたんだな、と。

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