プロローグ
春。それは桜が舞う中、学び舎や社会へと足を踏み入れ、険しくも楽しく、そして育っていく山あり谷ありオアシスあり天国ありといった新たな輝かしい道を歩み出す人々が現れる季節。
しかし、そんな道から外れ、山も谷も無ければ、オアシスも天国も存在しないような道へと踏み込んだり、そのまま進路変更もせず真っ直ぐにそんな平坦でお先真っ暗な道を進む方々もいるのもまた事実。
西暦が始まって2016年目の春。俺 山口徹は、そのどちらにも当てはまらない道を突き進む人間だ。
一応これでも普通科の高校は卒業した19歳であり、しっかりと将来を見据えて進学を考えていた。否、今も考えていて、行動もちゃんとしている。
だが、とある理由によって進学をするという俺の目標は叶わず、ゴール地点までひたすら障害しか無い厳しい道を進んでいる。我ながら厨二臭くもかっこいいことを脳内で呟いている気がする俺は厨二病なのだろうか。
「なあ、わっさんは部活はどうすんだ?」
「サッカー部に入る。そう言うごっちゃんは?」
「俺は軽音部だな。ギターをジャンジャカ鳴らしてみたくてさ」
「マジで? 似合わねえー。相撲部入れよ」
と、まるでとある大企業の御曹司で出世街道を爆走するはずだったのに策略に嵌まって苦労する破目に陥り、何とかのし上がろうと全力で努力するという、創作の世界にでも出てきそうな主人公のように表現すれば聞こえは良いが、実際はただ単純に大学受験に失敗し、浪人生街道を突っ走っているだけなのだが。
原因はわかっている。大学入試など高校入試みたいに簡単だろうと高を括って、受験前だというのに趣味に没頭してばかりで、勉強を疎かにして躓くという浅はかで愚かな俺自身が諸悪の根源だ。自業自得すぎて俺は笑おうにも笑えないが、他人からしたら嘲笑えること間違いなし。実際、嘲笑われた。
何度も両親や教師に叱られながらも頑なにそれを右から左に受け流し、底無しの泥沼に突っ込んでいき、最終的に首まで浸かってしまった俺の滑稽な姿に父と母は大激怒。そして、高校の卒業と同時に家を追い出されてしまい、予備校に通っている。これが俺の現状である。
「412円になります」
現在は予備校に通い続けるための資金を集めるためにバイトを掛け持ちし、今は時給850円のコンビニでのアルバイトをこなしている真っ最中であり、学校が終わって寄り道としゃれ込んでいるであろう、汚れ1つ無い新品の制服姿の少年2人を相手にレジ打ちの作業をしている。
こんな無駄にも思えることを脳内の小説に書き連ねる俺は、店長に46点という点数を頂いた営業スマイルを浮かべながら、彼らから500円玉を受け取り、お釣りを差し出すというルーティンワークに精を出す。
そのまま表情筋を動かさないように固定したまま、大きくありがとうございましたの一言を、俺みたいになるなよという願いと共に飛ばして若人達を見送った。
「お疲れ様でしたー」
夕陽が辺りを橙色に染める程度の時刻。正確には18時と34分。本日のアルバイトが終わり、数時間立ちっぱなしによる疲労が運動不足による助長も加わって、冗談抜きで棒のようになった脚を動かして、俺はお気に入りの洋楽を安物のイヤホンで聞きながらコンビニを出ていく。
下半身が悲鳴をあげているが、近所の悪ガキの悪戯か何かで知らぬ内に自転車の前輪後輪がパンクしてしまっている現在は、そんな俺の脆弱な歩行手段に鞭打ち、借りているアパートまでの道のりを進む。距離は徒歩20分といえばわかるだろうか。
ちんたらとぼとぼ。そう例えるのが適切な速度で歩く俺。現在進行形で足腰に込めている力でも倍以上の速度と快適さを得られる自転車の恩恵が恋しい。
「はぁ……」
都心の中央から離れているとはいえ、それでも東京は東京。横を通過していく車の音は間髪入れずに響き、車によって強弱はあれど地球温暖化に貢献していく。
車はもちろん、自動車教習所に入るためのお金も無く、果てには予備校関係やら光熱費云々によって1日を生きるのもギリギリというのが俺の懐事情。
バイト終わりにそんなこと(命に関わるから『そんなこと』で片付けられないが)を思い出すたびに、重いため息を吐き出すのが毎度のことになっている。
この姿は正に、仕事で特に意味も無く上司に叱られ、家庭で女房や子にこってり絞られるという、絵に描いたような哀愁漂う中年サラリーマンのそれ。
もしも過去に行けるなら、不甲斐ない自分自身をぶん殴ってやりたい。過去に大きな失態を犯した人ならば1度は考えることを、俺は半年前よりも少なくなった可能性が濃厚な髪の毛の数よりも多く思考している。
過ぎたことをいつまでも引きずるなど、他者からしたら愚かなのを通り越して哀れにも思われるだろうなと、また大きく二酸化炭素を口から吐き出した。
「馬鹿馬鹿し……」
いつまでも後悔し続けている暇など無い。ネガティブになる時間を己の練磨に注がないといけないほど、今の俺は崖っぷちに立たされているのだ。
それでも割り切れない俺は、人生の転機が迎えに来てくれないかと、ありもしないフラグを勝手に立てながら、左右の安全をさっと確認してから横断歩道を渡る。
そして、そんな現実離れした夢物語の序章は、その直後に幕を開けることとなる。
開幕のブザーは、俺が聞いている音楽のエレキギターが代わりを務め、速弾きによる断続的な電子音を掻き鳴らす。
すると俺のすぐ右にあった舞台の幕が上がり、まず最初に現れた光景は、見上げなければ最上部が見えない程度の大きさの鉄と、5つ並んだアルファベット。
それは言うなればサプライズ。開始早々いきなりの想定外が周囲にいる観客を無視して俺にだけに見舞われる。しかも急かすかのようなその手早さは、俺の身に何が起きたかの判断を遅らせるほど。
「えっ」
具体的に言うと、大型トラックが俺に突っ込んできた。
トラックは結構遠いし、赤信号だから止まるだろうし、かたつむりのような速度で歩いても大丈夫だと判断した俺へ、無慈悲にも巨大な鉄塊は突っ込んでくる。
推定速度は公道で走っている時にしておくギアに変えている時のでアクセルベタ踏み程度。イヤホン越しなのにエンジン音がやけに聞こえるなと振り向いた俺との距離は、そりゃ聞こえるわと納得できるほどの手を伸ばせば触れられる程度。横断歩道の向かいに跳ぶために用いる俺の足の戦闘力…たったの5か…ゴミめ…。
そんなことから得られた結論はただ1つ。
死。
それに尽きる。
「――――!」
終わった。バイトに苦しむことも、勉強に頭を悩ますことも、夢を追いかけるのも、俺の人生そのものも。
衝突事故の発生まで残りコンマ1秒も無いような刹那の時間で、妙にべらべらと脳内で言葉が垂れ流しになる。
これが突然の死の瞬間に起こる現象なのだろうか。答えてくれる人を募集したいが、あの世で正解か不正解かを聞くはめになりそうだ。
「(なんか、あっけないなぁ……)」
諦めがつき、反射的な反応もあり、この世の全てから遮断されようと、腰を抜かしながら俺が目を閉じた――その瞬間。
「我、契約を交わし、この身を贄とせん」
鈴の音のような声が木霊した。
辺りの音と動きが時と共に静止した。
俺の命が助かった。
「大丈夫でしたか?」
「…………え?」
俺の物語が、始まった。
―――――
――――
―――
――
―
途中に扉も窓も、果ては照明すらも無い、目的地までを繋ぐただの通路という本来の役目を全うしているというのに、飾り気が皆無で果てしなく続く一本道というだけでどこか不気味に感じられる廊下を歩いてすでに3分。少女は一歩足を進めるごとに比例して心拍数が上がっていくのを感じていた。
周りの雰囲気も心臓の無駄な活性化を助長しているのだろうが、今回の目的が目的故に別段気にならず、別段恐怖の類は感じていない。今の所は、だが。
前方を歩く全身をフード付きのローブに仮面という、今にも何かしらの儀式や呪術でも始めようとしているかのような性別不明の人物が手に提げている発光蟲入りカンテラだけで照らされた淡い明かりだけで視界を確保できており、周りも進行方向も薄暗いことこの上ない。
この廊下に入る前に「ついて来てください」とだけしか言われていないため、目的地は知っていても、そこまでの距離は不明だ。
歩き始めて遂に4分が経過した辺りで、緊張で胸が一杯だった少女があとどれくらい歩くのだろうかと考え始める程度に長い道のりに終止符が打たれる。
「到着しました」
「あ、はい! あっ、足がいたたたた……!?」
思考に用いた時間は10秒足らず。仮面越しのためかくぐもった男性とも女性とも取れる声が、彼女の心中を再び緊張一色に塗りつぶす。
緩急を付けることが苦手なマイペースな性格が災いし、緩み切っていた己を引き締めるためにビシッと一瞬で姿勢を正すが、力の込め過ぎによってふくらはぎを攣ってしまうのであった。
とりあえず回復まで待ってもらい、立ち直った少女は再度直立不動の姿勢を取り、相手の言葉を待つ。
「この先が召喚を行うための空間となります」
仮面の人物がそう言うと、壁に指を当て、文字を書くように壁を手早くなぞっていくと、何も無かったはずの無地の白い壁にうっすらと長方形の輪郭が生まれ、青く光る見たことも無い文字が輪郭の中一杯に羅列されていく。
やがて輪郭内に文字が所狭しと並び、一瞬だけ目を思わず瞑ってしまうほど一際輝くと、文字は壁と共に消え去っており、奥へと続く道ができていた。
召喚。それも、数々の厳しい審査を通過した人物だけが執行できる、特別中の特別な召喚魔法。それを行うのがこの先だ。
この召喚に辿り着いた人は500人にも満たない。世界にいる何兆と生きている人々の中で、だ。夢物語と同義の超魔法を自分はこれからやる。目が眩んでいても期待が膨らんで破裂しそうになってしまうが、そっと平常心を取り戻しながら少女は目を開け直していく。
ということで反射的に閉じていた目を開き、言われた空間を見てみるが、そこには何も無い。物も。壁も。床も。完全に無い。無い故に、黒という色しか存在しない。
目の前の空間を表す言葉が『夜空』や『宇宙』というロマンや美に溢れた物でなく、『闇』という負の感情しか沸かない物でしか例えられず、そこに踏み込んだら真っ逆さまに奈落に落ちてしまうのではないかと思ってしまう少女。
だが、戸惑いを隠せない彼女の様子に気づいた案内人は、黒の先に向かうように開いた手を向けた。こちらがお探しの品でございますと、ちょっぴり高級感がある服屋の店員に目当ての商品を紹介するような感じである。
「中に入った後に一時的にこの空間を此処と切り離します。その後の流れは説明を受けていると思われるので、その通りに行ってください」
「は、はい!」
今から踏み込まなければならない眼前に広がる光景に少し恐怖を抱いている中で、淡白なアナウンスをされて少しムッとなるが、それを飲み込む。ここまで来て引き返すなど、今まで応援してくれた家族や友人達を裏切るに等しい。ならば進むしかないだろうと少女はフッと息を放って腹を括った。
「貴女に神の導きがあらんことを」
案内人のその言葉の刹那。少女は遂に壁にできたその先へと足を踏み入れる。すると、最初に危惧していた落下事故は杞憂に終わったことを、革靴の足音が教えてくれる。
「きゃあ!?」
安堵できたのも束の間。背後から照らされていた蛍が放つようなわずかな明かりが音も無く消えてしまい、彼女は縮こまりながら腹の底から悲鳴をあげてしまう。
この建物に入って1時間も経っていないと言うのに、これで驚いたのは何度目になるかという疑問は、この暗闇の中では解消されることなく霧散する。
この後にやることはわかっている。しかし、その通りにやればこの暗闇が何とかなるのだろうか。こんな漆黒の中に単身で放り出されることも、説明された中で明るくなりますよなどとも聞かされていない。
今にも足元から腕が伸びてきてこの黒い地面(正確に地面だという確証は無いが)に引きずり込まれるのではないかなどと、半ば無意識に自分で自分を追い詰める少女。実際はそんなことは起きないのだが。
「うぅ……もう!」
しかしいつまでもビクついているわけにはいかぬと、少女はもう一度覚悟を決め直し、あらかじめここに来る前にスカートのポケットに入れておいた物を取り出す。
一見しただけでは普通の岩塩のような向かいが不明瞭に映る高くはない透明度の武骨な手の平サイズの石。見る角度や距離を変えようが、果ては意識を集中してみても何の変哲もないこれを受け取って間もないが、本当にこの後の奇跡とも言えるような事象を起こす鍵なのだとは今でも半信半疑な少女。
だが、その疑問も実行してしまえばすぐにわかるだろうと、少女は手筈の通りに進めようとフッと息を吐いて行動を開始する。
まず手の内にある石を足元に置いて数歩下がり、漆黒の世界にパッとしない色を加える。この時点では何も起きない。
重要なのはここからだと、少女は大きく息を吸うと、目を瞑り、この世の全てを受け入れると思わせるように両腕を大きく広げて意識を集中させる。
思い浮かべるのは水面。地平線の彼方まで一切の揺らぎも生命も無い、水だけが支配する世界。これこそ正に明鏡止水とでも言うべき心中だ。
「はっ!」
そして全てがクリアになり、無心になったその瞬間を狙うかの如く、少女は水面へ1つの雫を落として波紋を作り出すため、勢いよく息を吐き出した。それに寸分の狂いも無く同調したかのように伸びていた腕を引き寄せ、手と手を合わせて音を響かせる。
すぐに常闇に消えていく乾いた音。しかしその刹那、手を合わせることを引き金にして少女が己の奥底で眠らせていた力を外へ解放する。
まるで爆発したかのような勢いのまま放たれ、夜空のような周囲に浮かんだのは群青。何本もの群青色の線が伸び、結びつき、紋章を象って広がり、やがて彼女を中心にして空間に無数の幾何学模様と色が付いて幻想的な光景を演出し始める。
それに拍車をかけるかのように、先程地べたに置かれた石に輝きが灯り、無尽蔵に感じられる不可視の力が少女の力と共に続々と四方八方に射出された。
放たれている力のあまりの強さに自身の黒真珠のようだと評された艶やかな長髪が乱雑に靡き続けるのも、目を通せば一生忘れられなくなる圧巻の一言を凝縮した絶景となった周りの様相も気にせず、先程までのあたふたしていた姿を微塵にも感じさせないほどの集中力を発揮している少女は、目を閉じ続けてただただ集中する。
その集中を途切らせることなく時計の長針が1週した時。眼前に広がっていた水の世界に、100は下らない数に分割された鏡のような画面が水中から浮かび出し、少女を囲ってドーム状に展開してうっすらと映像を映し出す。
しかしそれぞれの映像は不鮮明かつノイズが走りすぎていて意味不明なアートにしかなっていない。だが、ここまでの段階になればもう大丈夫だと少女は感覚的に確信し、今度は思考を変えていく。
思い浮かべるのは己の願望。この場で渇望する欲をだだ漏れにしていく。
数秒前の悟りを開いたかのような透き通った考えから、煩悩まみれの俗っぽい考えへのシフトっぷりに、これが召喚を行う上で正しく、なおかつ必須な手順だということを知っていても、思わず苦笑を浮かべてしまう。
思い浮かんだことに合致する人、人外を問わない存在を、現代はもちろん、過去、未来。あらゆる時から呼び寄せる。それがこの召喚――『永続召喚』だ。やり直しや2度目は絶対にありえない。対象と契約を交わせば、文字通り死ぬまで永遠に続く『召喚』だ。
そんな夢のようなことを具現化できる魔法で望むのはただ1つ。少女は手汗を滲ませ、そして、疲労とは無関係に鼓動の速さを上げながら望む。
「(私の魔法を使える人……)」
少女の身に宿っている強大な力。訳あってそれは自分1人では使用できず、周りにいる家族や友人の力を借りることもできない。しかし、永続召喚ならばその問題を解決できるかもしれない。
その可能性に行き着き、過労で数回倒れる程の多大な努力を積み重ねてやっとの思いで力を手にできる。少女はそのことに胸いっぱいの感動と歓喜の感情と……一抹の憂いを抱えていた。
喜びたいが素直に喜べない複雑な内心。それが脳内で映っているビジョンにも影響しているのか、いくら精神を集中させてもそれが鮮明に映ってくれない。
流石にここまで来て契約に移ることなく失敗という、チャンスを棒に振ることだけはしたくないと、少女はすぐに頭を切り替えて心の内については考えないようにする。
「……んぅ?」
ぐちゃぐちゃに絡み合った糸のような複雑っぷりを誇る現在の心に鍵を取り付けてから再度映像に注目した少女だが、霧にかかったかのような映像ばかりの中で、1つだけやけに鮮明に映像を映し出す画面を見つける。
そこに映っていたのは、左右を確認した後に、かたつむりとどっこいどっこいの速度を維持し、とぼとぼと背中を丸くして重そうな足取りでコンクリートで舗装されている道を歩く、少年という表現よりは少しだけ成長して青年と表すべき男性が1人。
見た目だけならば歳は少女とあまり変わらないはずなのだが、猫背で歩行するその姿からはやたらと哀愁が漂っており、多くの人間はああなってはならないという反面教師として彼を見ることだろう。そんな扱いをされても当事者にとっては迷惑にしかならないが。
なぜそんな見ていて物悲しくなるだけの青年が映る画面だけが鮮明な映像なのかはわからないが、少女は見ているだけで頭がおかしくなりそうな他の多数の映像の修正を一時放棄し、その寂しそうな彼を数メートル離れた所からの定点で映っている映像越しに観察してみる。
そして、観察を始めて2秒後。あまりにも速すぎる時間だが、少女は青年ではなく、そのさらに先へと目を向ける。
そこにあったのは、書物でしか見たことの無いかつての時代で地上のほとんどの場所で高速で走り続けていた乗り物の一種。
「……っ!?」
あれの名前はたしかトラックだったかなと、少女は脳内の記憶と言う名の辞書で確認をしていたが、すぐに異変――意識をほぼ手放して船を漕ぐ運転手の姿に気付いて、物心ついた頃から更新され続けて現在もページが増えていっている分厚い書物を放り投げた。
人が進行方向にいるというのにあまりにもスピードがありすぎる。早馬を凌駕する速度で走っていて、青年を轢かないように止まることは不可能に近いだろう。そんなトラックをこのまま見過ごせば、あの青年は十中八九あの高速で暴走する巨大な鉄塊にぶつかり、凄惨な光景と未来が彼とその周辺に待っているに違いない。
「いけない!」
それは反射的に行った反応と行動で、意識が無意識に追いついても少女はそれを中止することはなく、むしろ青年を助けようとさらに行動を助長させる。
一字一句を完全に暗記した詠唱文が生まれる。生まれた文字が流れて口に向かい、空間へと放たれていく。
『繋ぐは意思という鎖。止めるは命という楔。結ばれた魂魄は交わり離れることは無い』
映像の向こうにいる青年のため、少女は契約の言を紡いでいく。
口にすればするほど、映像へと意識が飛んで行こうとしていくのがわかり、なんとも言えない感覚が襲ってくるが、少女はそれを気にする余裕すらも口を回す力に変えようとする。
『己死するまで途切れることは無く、切ることも叶わず、残されし時を共に歩む』
意識が一瞬消え、思考も無に還りそうになったが、それはやはり一瞬。間髪入れずに詠唱を続ける。
目の前には先程まで画面の向こうにいた青年の後ろ姿。意識が消えたのは、この身が映像の世界へと転移した時の反動。
しかしそれに怯む猶予は無い。横を見ればトラックが視界の半分を支配するほどの距離まで迫っているのだから。
『我が意思の一存で決めるは留める者の路。路は意思で、意思は己。揺らぎは互いの崩壊の時。故に揺らぐことなき鋼の路に我はならん』
少女はとりあえず安堵した。ここまで来れば首の皮は繋がる確信を得たからだ。
しかし、まだ問題はある。これにより、この青年の命を握り、そして、修羅の道へと引っ張ってしまったのも同義なのだから。
湧き出すどす黒い罪悪感を胸に、少女は最後の言の葉を放つ。
青年――山口徹の命を助けるために。同時に、その命を使役するために。
『我、契約を交わし、この身を贄として、路とせん』